修復家の私考  〜 伝統・文化・芸術、そして文化財修復の世界 〜


◆ローカルな修復を考える

イタリアは芸術の宝庫といわれる。ここには、14世紀にルネッサンスという歴史上稀に見る文芸活動が起き、ミケランジェロやレオナルド=ダ=ヴィンチ、アレッサンドロ=ボティッチェリを代表する偉大な芸術家達がたくさんの優れた作品を世に送りだした。イタリア国の中でも、いや、世界的に見ても、とくにフィレンツェは、誰もが認める芸術都市と言えるだろう。この芸術の都フィレンツェは、1966年に発生したアルノ川の反乱で、夥しい数の芸術作品が水と泥の中に漬かってしまったという。
この未曾有の危機に、イタリア中の修復家はもちろんのこと、世界各国から修復家が集まり、大きなネットワークが生まれた。そしてこの時に、いろいろな意味で、多くの人が保存と修復に関わる時にその指針となる『倫理』や『哲学』が構築されていった。現在、日本の保存修復に携わる人々が、作品をより科学的に捕らえることを重視し、そのオリジナリティー(簡単に独自性=その創造原初の姿形と組成構造)の追求=保護を『理念』とする考え方も、この時にはじまる欧米の考え方にその基本をおいている。

知人の古典彫刻修復家(仏像などの古典彫刻を修復している)から聴いた話であるが、江戸時代になると、鎌倉期など、古い時代に製作された仏像がたくさん修復されたという。この時期は、かつて流星をきわめた仏像製作はもはや空前の灯火となり、仏師の多くはその技術を利用して、家具や什器の製作、漆職人などへと転職し、その数も激減していたらしい。この当時の仏像修復には、専門的な智識をもったなかった者も多く従事した様子で、あるいは、ちょっと器用なお坊さんや、大工さんらが、今でいうDIYよろしく手を入れた可能性も否定出来ない。現代のような日曜大工、ホームセンターもないし、さらに物流も良くなかったから、あるいは適当な材料も見つからず、そこらにある端材を適当に裁断して用いていたかもしれない。実際に、よその仏像の手や足をくっつけたり、全く異なった像の壊れた部品をいくつか寄せ集めてつくり直したものもあるというから、当たらずとも遠からず。例えば、薬師如来が阿弥陀如来に変造されてしまったり、そんな修復ならぬ『変造』がずいぶんと行われたらしい。そして、こんな修理をされた仏像の多くが、さらに長く時を経て、現代に残っているという。
今、このような作品を修復しようとした場合、修復の『倫理』や『哲学』に基づいて考えると、製作当初の原形、姿形を分析して、そこに限り無く戻す事を検討しなければならなくなる。しかし、ここには大きな問題が立ちはだかる。宗教的な意味合いが強く、信仰の対象物でこそある仏像彫刻は、それぞれの宗派によって様式、形態が異なるから、それに準じた姿形を(=信者、檀家によって今まで親しまれ、認められて来た姿)を持たなければならない。だから、もし、阿弥陀様を修理したらお釈迦様になってしまったということは、この世界では許されない。そんなことをしたら、まさに『オシャカ』である。


私達修復家や、保存科学の専門家は、観る人によって如何様にも解釈出来る景観やそこから受ける印象は棚上げにして、科学的に、客観的に物質さえ観ていれば、その上にのっていて、発している価値や意味も守ることができると考えている。そうと決めて作業をすすめれば、それは私達にとってはむしろ楽なことだろうと思う。
しかし、すでに所有者もなく、守る者も失って、実はなかば見捨てられた文化財ならいざ知らず、いまだ社会の中にあり、人々の手によって守られている美術品や歴史資料の修復は一筋縄では行かない。ここにある物には、私達専門家が重要視するもの以外に、人々がそこに投影する異なった価値がまたあり、それを守り、長らえることこそを私達専門家に求められる。これが市場にある物ならば、やはり市場における資本価値が追求される。
民間における私達の活動は厳しい。クライアントに専門的な知識があれば話し合いを求めることも容易いが、多くの仕事は丸投げされ、全ての采配を一任されることも少なくない。そんな中で、私達の理想を説明し、理解を求めながら、さらに人と社会の求めに応じてゆくことの難しさを日々感じている。そして、実際にそれを守っているのは、彼等が見い出し、投影している彼等の価値観であることに間違いはないのである。

   030203(080627)


絵画・美術工芸品・文化資料の保存修復 中塚祐松堂

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