| ●2005/06/10 Fri 03:23 亭主ぶり |
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亭主関白をうたったのは、1979年さだまさし『関白宣言』。訴えるようなギターの弾き語りだった。現実はなかなかそうならない男の夢を郷愁のような曲の調べに乗せて大ヒットしたのだ。 今日では社会通念として亭主という言葉さえ影が薄くなってしまった。ところがお茶のほうでは必要な役割の用語となる。この場合、性別は関係なく茶席のあるじを亭主と呼ぶのである。 主と客があって茶事・茶会は成立する。利休居士は「直心の交わり」をもって茶事の要諦とされた。昨今の大寄せ茶会では望めないかもしれないが、マナーはめいめい見聞して学ぶことができる。 つい先日、ご宗家から臨済宗大本山での献茶式と茶会へご招待を頂き参上した折のこと。今日庵の若き業躰の添え釜は名器もさることながら客をリラックスさせてゆかしい雰囲気でもてなされた。 ところがもう一席、別の添え釜がかかっておりそこは異質の世界であった。挨拶に出られたのはお道具持ちで有名な或る会のワンマン長老。業躰の指導すら決して受けられないその方の亭主ぶりは、女性の身ながら年々「関白」の度が進んでいると聞いていた。 寺院の開山忌供養とする為の家元の献茶式。その添え釜を奉仕する会の顔として席中におられるはずが、客に対してあたかも自分の弟子達に道具等を見せて教えてやる、といった態度で終始されるのだ。 客に対しては道具も解らないでと侮蔑の表情。道具の拝見を末客から回される場面もあったし、会話は常に一方通行。正客に押しやられた者には会話という以前に亭主と心が通じない。 知識は先輩に学ぶべきもの多くわが身の至らなさを恥じる私だが、せっかくの知識を騒々しい使い方をされる亭主ぶりに惜しい!と思った。 僭越ながらいかに長老といえども非を非として認識し、お茶はしみじみと味わいたいものと願うのである。 今日の画像は、先年お会いしたウイーンの修道女Sr.ベアトリックスと私。あの一会の心の交わりが懐かしい。 |
| ●2005/06/06 Mon 23:20 人よりも空 語よりも黙 |
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去る5月23日、歌舞伎町の新宿区役所を訪問された松岡陽子マックレインさんとご一緒した折、部長さんのご配慮で漱石公園まで公用車で連れて行っていただいた。 早稲田町にあった漱石の住居の書斎が「漱石山房」とよばれるもの。戦災で消失したその跡地は都営アパートとカギ形の地形の公園になっている。有名人の記念館は数多いがこれまで漱石の為に作られた本格的記念館はなく、漸く「漱石山房」復元の動きになった。 東京都で初の女性区長が昨年誕生。以後着々と文化面の充実がはかられたようだ。あの悪名高かった歌舞伎町が通りすがりのよそ者の私の目にも活気あるよい町の様相にうつる。新宿区ホームページには住民の声に耳を傾ける女性区長中村さんの容姿がステキだ。 陽子さんも区長さんの噂はきいて知っておられた。とにかく情報は新しく、明快なものの見方が若々しい。年齢を超えてこの未熟者の私にも対等に話してくださる陽子さん。 教師臭がなく正直なご性格はおじい様の漱石ゆずりかと思ってみたりする。 漱石が修善寺大患のことを書いた『思い出すことなど』にある文章が私は好きだ。漱石は重病からよみがえった時、赤とんぼを見た。その一節。 空が空の底に沈み切ったように澄んだ。高い日が蒼い所を目の届くかぎり照らした。余はその射返しの大地に洽(あま)ねき内にしんとして独り温もった。そうして眼の前に群がる無数の赤蜻蛉を見た。そうして日記に書いた。――「人よりも空、語よりも黙。……肩に来て人懐かしや赤蜻蛉」 漱石公園の漱石胸像にも、この句が彫られている。禅的な境涯だと思われるが、いやいや…自分には程遠いと思う。 今日の画像は赤いブラウスがよく似合う陽子さん、実際私たちは終日おしゃべりを楽しんだのであった。 |
| ●2005/04/22 Fri 04:33 ネットにおもう 中国と日本と |
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島根県が竹島を日本領土として決議したことから中国では反日の嵐が吹き荒れている。 いぜんからネットでお付き合いをしていた上海在住の商社オーナーMさんは自分の会社をたたんで最近日本へ帰国されたばかりだ。 日本とは違って言論の自由をもっていないファッショの国家。今回の騒動の根にあるのは、民衆の長年にわたる閉塞感である、と内外のメデアで識者は論じている。やり場のないはけ口が反日といういわば公認のデモへと噴出したのだという。 中国は若者が中心なのだろうか。暴力的な反日記事が書きこまれ嵐のように呼応するのは日本以上に普及しているITだと聞くと、なんとも複雑な気持ちになる。 インターネットの怖ろしさは規制が全くない、いわば無法の世界だということである。発信者が特定できないことからまさに言いたい放題。 秩序が各人の良識にまかせられているのも絵に描いた餅といったところだ。 京わらべはその昔、町の壁にらくがきをした。体制への批判や要望がもりこまれたそれはそれなりに面白い町衆の声であった。 しかしらくがきをする者はごく少数であったし、現在のネットのらく書きとは質も数もとうてい比較にならない。 ITは諸刃の剣と私は前にも書いたことがあるが、それは利便性が慎重さを欠く行為となり易いことにある。私自身の体験から思うのであるが、ネットによる恩恵と当惑とふたつのことについていろいろ感じる昨今である。 拙サイトには掲示板があり誰でも投稿できるシステムになっているが、困ったことにアダルトサイトの書き込みが頻繁に行われ、それを削除しなければならない。他の良質な読者にもご迷惑がかかるのでいっそのことパスワード制にしたほうがいいかとも思う。 自由ということは今流行の言葉でいえばまさに「想定外」の不自由さを伴うことを痛感するのである。迷惑投稿の常習犯はIPアドレスを次々と変更するので手の打ちようがないのだ。 今日の画像は、めったにお目にかかることのできない秘仏である。古代中国、朝鮮、の影響が色濃く見てとれる。先日ご開帳の折に勿体なくも撮影させて頂いた1枚だが、お解りいただけるだろうか? |
| ●2005/03/25 Fri 12:57 パリ万国博覧会から |
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1900年のパリ万国博覧会では、エッフェル塔にのぼった漱石がいた。漱石33歳。このエッフェル塔は、大革命から100年後の1889年に開かれた万国博覧会の際に建てられたという。漱石は英国留学の途上でフランスにも行き、妻鏡子に手紙を送っている。 「今日ハ博覧会ヲ見物致候ガ大仕掛ニテ何ガ何ヤラ一向方角サヘ分リ兼候名高キ『エフエル』塔ノ上ニ登リテ四方ヲ見渡シ申候是ハ三百メートルノ高サニテ人間ヲ箱ニ入レテ綱條ニ(テ)ツルシ上ゲツルシ下ス仕掛ニ候」 「博覧会ハ十日や十五日見ニ[テ]モ大勢ヲ知ルガ積ノ山カト存候(中略)其許懐妊中善々身体ヲ大事ニ可被成候」 妻へ敬語をもって書かれた候文のやさしさ。 エレベーターに乗って微苦笑したか、漱石先生。この博覧会はことのほかお気に召したようで3度足を運んでいる。漱石はフランスに関心をもったらしく、後で文部省に留学を問い合わせたものの、その願いは聞き届けられなかったという。もし希望が叶えられていたらどんな展開になっただろう? あれから約105年後の日本ではいま愛知万博が開催されている。 1970年の大阪万博では圧倒的なハイテクの展示があり、多数のパピリオンを見て回るのにヘトヘトになった私がいた。 いっぽう、この万博の茶室では裏千家志倶会の懸け釜があり、最年少会員の私もご奉仕の末席に連なったことなど、なつかしく思い出される。 漱石が驚いた「名高キ『エフエル』塔」エレベーターから、一挙に月着陸・アポロ宇宙船へ飛んだ時代の推移はまさにめまぐるしい。 きょう開幕した、愛・地球博と銘うった愛知万博は、これまでの科学と産業の行き過ぎを反省してのことだろうか。 「自然の叡智(えいち)」をテーマにしている。 人類のおごりが世界的な環境破壊になっている今日、西洋文明に対して早くから警鐘を鳴らし続けた漱石を思わずにはいられない。 この博覧会場では、ベルリンから京都へはじめてやってきた自転車タクシーが始動しているという談話室の書き込みもあって、ひととき心和むのである。 スピードのみを求めるのでなく、環境にやさしいという利点を大切にする昔ながらの生活感が戻ってきたのであろうか。 今日の画像は漱石が英国・オックスフォード マグダレンカレッジの塔を描いた水彩画である。おだやかな情趣の塔がうつくしい。(東北大学附属図書館) |
| ●2005/03/16 Wed 12:26 乗っ取り イギリスの日本寿司店 |
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ふたむかしも前のことになる。 夫の在籍していたケンブリッジの大学へ私も夫を訪ね一夏を過ごしたことがある。ロンドンとケンブリッジと二つの町で食事した記憶は割合よく覚えている。 日本料理を食べさせてくれる店は高級な感じで値段も高い。貧相な研究者の行くところといえば寿司の店、それも大衆向きの安い店だ。カウンターに腰かけて寿司職人に話しかけると自分は日本人ではない、と言う。 聞けばコリアンだと笑顔で答えた。だんだん解ってきたのは日本人が経営している店はいつの間にか消えて、代わりにコリアン経営の店になって行くケースが多いということだった。朝鮮料理のスタミナたっぷりの焼肉に日本の寿司がメインである、こうした店はなかなか繁盛していた。 さらに日本人の旅行代理店の人から興味ふかい話を聞かされた。日本人の経営する店が開店し客が集まるようになると決ってコリアンがすぐ近くに同じような店を開く。寿司も日本人が作っているのと同じように出すので客には全くわからない。 しかし、いつの間にか元あった日本人の店はなくなるのが常だというのである。商売の競争に負けたことであろうが、客にとってはいい食事ができればいいので経営者のことまで詮索はしないのだ。 最近のフジテレビとニッポン放送、対するライブドアの争いを見ていると私は昔自分が見聞きした短期間の海外生活の日々を思いおこすのである。 企業買収は合法でとされているが、そのやり方に不信が増幅し今後の展開が泥沼化の様相を呈している。ホリエモンの考えに金儲けだけでないものを期待していた人々はどうやらその期待が幻想ではなかったかと思い始めるかもしれない。 低迷したメデア界に電撃ショックを与えた勇気は評価していいのではないかと思う。しかし、挑戦者側が依頼していた弁護士が3人も辞任し、社員との信頼関係も実際はグレイであり、雇用は低賃金、オーナーのみ豪遊というのはどうも頂けない感じがする。 果たして新たによりよきメデアを構築できるか、それは未知数である。若い人であっても実際にはきわめて旧い体質の人も多いし、できれば既存のメデアと和解の道を探り、日本のために双方でよきものを作り上げて欲しいというのが一般の視聴者の願いである。 今日の画像は古い写真になるが我が家のねこ。かれは時として哲学しているような立派な表情をするのだ。 |
| ●2005/02/21 Mon 22:50 ドラエモン と ホリエモン |
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ホリエモンとは、32歳のIT企業社長・堀江貴文さんの持ち馬の名だという。それがたちまち飼い主の代名詞になって連日メデアをにぎわしている。 フジテレビ対ライブドアーとの株式による戦いは、ホリエモンの奇襲乗っ取り作戦で世間をあっといわせた。アメリカでは当たり前の商行為として認知されているようだが、日本ではなかなかそうはいかない。今はどちら側にも勝算があるという展開になっているのが不思議な処だ。 私は堀江さんをテレビで見ただけだが、嵐のような非難を受けている程その人に悪い印象は受けなかった。インターネットで成功し今や若者たちのヒーロー的な存在になっている彼の魅力はなんだろう?と考えた。 反射的に浮かんだのは、五島 慶太氏(明治15年〜昭和34年)のことだ。東京急行電鉄の事実上の創業者とされる実業家を若い世代は殆ど知らないだろう。 東京地下鉄の乗っ取り、三越の乗っ取り等で「強盗慶太」といわれた人である。しかし、開発事業では伊豆半島、多摩田園都市の開発等で貢献度の高い業績を残している。 私はホリエモンが昨年のプロ野球新規参入のきっかけを作ったことを忘れてはいない。仙台を真っ先に候補地に指定し地元にアッピールしたことも。彼は結局敗退したのであったが、その志は大きく野球史上に生きたのではなかったか。 金儲けだけではないもの、哲学というべきものを彼は持っているように見える。彼の会社は若い重役がそれぞれ権限をもち、ワンマン社長だけではない空気があるようだ。彼はこう語っている。 「今までは、何かを探すためにインターネットを使っていたが、これからは違う。これからは、本来のインターネットのよい点、コアであるコミュニケーションの部分にどんどん到達していく。」 彼は「探す」よりも「繋がる」ことのほうに期待をかけ、マスメデアとインターネットとの融合をもくろむ。その思いを支配といったり、物は金で動くと言ったり、露骨な言葉を使ったことがより一層感情的な拒否反応を招いた。 未熟な点はやはり反省もし、さらに大きく成長してほしいと私は思う。そしてできれば、日本人のマナーを知って欲しい。 時には和服に身を包んでしばし正座して、一碗のお茶を飲んで頂きたい。 ドラエモンの夢ドアー。人間のドアーには何があるのだろうか。 若者たちの夢の代行者! ホリエモン |
| ●2005/02/12 Sat 00:57 おあしが 無い |
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夏目漱石の千円札は、1984年に肖像が採用され、そして2004年11月1日をもって消えた。 とはいってもまだ当分は流通しているので、新券の野口英世がいかにも「パーマをかけた夏目漱石」に見えるのである。 漱石を千円札にすると政府が決めた時、漱石の遺族は喜ばなかったと聞いている。漱石の人となり、名利を求めない信念を考えるならば、おのずとそういう気持ちになるだろうと私も思う。 金銭にまつわる幼少からの体験、その苦しみが小説の背後には常に描かれている。 古いことばで言えば、おあしであろう。新券5千円札の樋口一葉は、次のような名高い歌を詠んでいる。 我こそは だるま大師に成りにけれ とぶらはんにもあしなしにして 一葉の26年4月19日の日記。 「だるま大師には足がないのは誰でも知っている。知リ合いが死んだので弔いに行きたいけれども、私は貧乏て、あしのない達磨さんみたいなものだから、香典のおあし、お金がつつめないのです。」 一葉のペンネームもここから出ているという説もあるが、ユーモアとペーソスがにじみ出ている歌である。 24歳の若さで亡くなったこの美しい女性文学者には、あまりにもかなしい貧窮の生活であった。 この歌から、葦の葉に乗った達磨像はみられるだろうかと、私は探してみた。古典の達磨像にはさまざまな形があり、その中に葦の葉の上に乗って海を渡る「葦葉達磨図(ろようだるまず)」があった。 達磨大師は面壁九年。座禅のすがたから足がないことになっているが、この絵ではちゃんとしっかりした足が描かれていて、ほっとした。 今日の画像は、白河市歴史民俗資料館から昨年、転載許諾のメールをいただいていた「葦葉達磨図」である。 阿部正武筆。この方は江戸幕府の老中職を務めた大名だという。おあしには何不自由しなかった筆者であろう。 ここに出典をしるし、謝意を表したい。 |
| ●2005/02/03 Thu 02:28 ITとはいとおそろしげなるものなり |
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「ITとはいと面白げなるものかな。」 から 「ITとはいとおそろしげなるものなり。触らぬ神にたたりなしとぞきこえけむ。」 へと環境が激変したため、恐竜(稽古場便り)は絶滅いたしました。そしてそのあとには新しい世界が・・・・・・・。 こう書いているのは、ネットのご縁から中宮寺山吹茶会で都合三日間お手伝いをしてくださった私の友人、松江市のviolettaさん。 この1日から2日と彼女のウェブサイトでは大地震が起こった。というのは、彼女が管理運営するページ「稽古場便り」が急に閉鎖ということになったからだ。 ことの起こりは、茶道雑誌『淡交』2月号巻頭に家元のIT批判の文言があったことのようだ。お家元の考えは、私もこれまでも宗家での道話などで存じ上げているが、宗旦さんの「稽古とは心に伝え目に伝え耳に伝えて一筆もなし」の侘びの境地と修道の在り方説かれたものである。 IT、インターネットの世界は顔がみえず、なかなか当事者を特定できない。何をやっても解らないという処から茶道の伝物・許状にも配慮せず無責任な記事を載せ続ける人が実際にいるらしいのだ。こうした現状を憂慮され、混乱を避ける為に先ず原則を表明されたのだと私は考える。 しかし、多くの師範の方々には突然の鶴の一声がズシンとこたえたのではなかろうか?violettaさんの師事している高齢の先生は、彼女の稽古場便りに対して急に苦言を呈されたという。そして師の心を汲んだ上は、丹精こめたそのページをただちに閉鎖したのであった。 身につまされる話である。ITは諸刃の剣といえよう。しかし、師の教えを大切に残そうとして克明に記録し、故郷を離れたわが子へのメッセージと、自らの学習のために努力する人の意欲を摘み取ることにならなかっただろうか? 今やITはなくてはならぬ時代である。ITを知らない多くの人々へはより謙虚にそれなりの気遣いを以って接しなければならないと思う。それと同時にITに純粋な熱意をもっている者にあらぬ誤解が生じるとするならば…それもまた残念なことである。 今日の拙サイトトップページは雪をかむって咲く玉之浦の画像をUPしたが、雪のない晴れた日のおなじ椿の花をここには載せようと思う。 オペラ『椿姫』のヒロイン・violettaに、イメージを重ねながら…。 |
| ●2005/01/26 Wed 00:54 フランスからおくられてきた香水の名は 『緑茶』 |
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ひとっとび!海を越えて私のウェブサイトに訪問される方には、男性あり、女性あり。最近ではフランス・グルノーブルの山荘にお住まいのマダム ぼいやれ なおこさん。 学者の夫君は親日家で、家庭内のお写真を見るとなんと絣柄の半纏を羽織ってくつろいでいらっしゃる。 なおこさんからのメールにはこのところ日本茶がよく登場する。というのも種をあかせば私が抹茶を少しばかりお送りしたからだ。 「心得のありそうな知人に点茶をお願いしたところ、指導本とお里からの「あんこもの」(貴重でございます:笑)持参で、登場。もう3日にわたり山の茶房に通い詰めで「滅多に味わうことのできない上等の御茶ですよ」とたいそう喜ばれています。 わびすけさまのお福分けの和が広がるグルノーブル、昨日は珍しく一日雪が降り積もりました。」 と、まあこう書かれるとどうもムズムズとこそばゆくなる。 なぜってその茶とは、お付き合いのある茶店からサンプル用に貰った濃茶薄茶の二缶だったのだから。 ところが、事態は海老で鯛を釣ることに進展したのであった。航空便で届いたなおこさんの小包みを開けると、グリーンの瑞々しい色調のオーデコロンが出てきたのだ。 香水の名前は?、と不思議に思っていたところ、なおこさんから教えられてのは、「て・ヴェール」(緑茶)である。 なるほど、箱に描かれたイラストは茶の葉と茎だというわけか。ほっそりとしてパリジェンヌのような可憐な茶の葉の絵である。 (フランス YVES ROCHER社製造 テヴェールTHE VERT オーデコロン)。 しゅっと吹くと、なんとも爽やかな上品な香気がたつ。 ああ、日本の緑茶がこんなステキな香水になって、世界の人々に愛されている! 私はいっとき、幸福感に酔うよに甘美な時間を過ごしていた。 メルシー! マダム なおこ。 |
| ●2005/01/08 Sat 00:00 テレビドラマ『夏目家の食卓』 |
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「そりゃぁお前さんだろ」と言われそうだ。 漱石の文学というより人間漱石に興味をもつ読者はと書こうとしているが、まあそれは致し方ない。 一昨日久しぶりにドラマを見た。コミックな『夏目家の食卓』は約2時間、視聴者を引きずって最後まで見せた。スターを揃えての正月番組で、気軽にマンガを見るようなタッチが案外成功していたのではないだろうか。 文学として見れば不満は大いにある。漱石作品には品格があるのが特徴だが、漱石山房での裸踊りなどをはじめとしてどうも品がないのが残念だった。ドタバタ劇の域を出ないという感じもなくはない。 これは小説とは別個のドラマなのだと、割り切って見たほうがいいと自分に言いきかせた。 けれども、このドラマの主眼とするものは、これまでの漱石観、悪妻の代表のようにされてきた鏡子夫人に新たな視点を提供したことにある。それがよく解った。 文豪の食卓であればもっと豊かなイメージがあるが、白飯に生卵をかけてガツガツと食べる漱石。胃潰瘍で苦しみながら娘の差し入れたクリームパンに相好をくずす漱石。しかしその彼は弟子や来訪者にはちゃんとしたものを常に振舞う。 夫のひどい神経衰弱が原因で一時実家へ戻っていた夫人が両親から聞かされたのは、漱石が仕送りをしてくれていることであった。こうした挿話も夫婦の結びつきが表面ではわからない情をもつことを示していた。 夏目鏡子著『漱石の思い出』からの引用で、これらの場面設定が随所にみられた。 夏目家の食卓は豊かな食卓であるべきところ、主人である漱石は食べることが出来ない。家族がそのことに涙している食卓である。地位もお金もいかんともし難い、ただ妻子の愛が切々と伝わる…。 この場面は哀切で、胸があつくなった。 確かにこれまでにはない漱石像ではあった。その意図は充分に描かれていたと私は思う。食卓は家族が寄って出来上がり、時間を共有する大切な場所なのだ。 主演男優モックンと女優りえちゃん、脇役もそれぞれいい個性があった。 それから、漱石と鬱病への偏見が番組制作側にあったのではないか。見るのが少々辛かった場面もあった。現代病といわれているこの病に、漱石夫妻の行跡は参考となるだろうとも思う。 今日の画像は新妻時代の鏡子夫人。 見合いをした後、気どりがないところが気に云ったと漱石は言ったという。 |