| ●2005/01/03 Mon 22:45 ウクライナを救った日本の招き猫 |
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キエフといえば、京都市の姉妹都市である。キエフ市街には公園や並木道が多く、緑地が市面積の大半を占めることから「森の都」といわれている。私がこの話を知った時分はソ連の一都市であった。 1958年(昭和33年)、駐日ソ連大使が京都を訪問。京都市長にキエフとの提携を提案し、翌年キエフ市長から正式に申し込みがあった。その後約10年間にわたって、友好関係が深まり、1971年(昭和46年)姉妹都市結成宣言を行ったという。 ところが今や、キエフはウクライナの首都である。1991年、旧ソ連邦から独立したのがウクライナであった。それに伴い民衆の意識が従来の政治にNOを主張し始めた。ウクライナ大統領選やりなおし投票が行われ、これまでのロシア寄りの政権は敗退した。 しかし、すさまじい陰謀・策略があったことは歴史に残る。親欧米派の野党候補ユシチェンコ氏は9月、政府関係者に招かれた夕食会のあと体調を崩し、ウィーンの病院に緊急搬送された。顔が腫れあがり別人のごとく人相が変わっていた。 検査の結果、ほぼ1千倍にあたる高濃度のダイオキシンが検出されたというニュースには、古今東西、政治の恐ろしさを思い愕然とするのである。ただ、そのなかに、ほっとするような嬉しいエピソードがあった。 大統領選のやりなおし決選投票で、日本の招き猫をあしらったポスターが3万3000カ所の投票所に張られた。ポスターの猫がウクライナ語で「私は公正な選挙に賛成です。あなたは?」と問いかけ、投票所に「手招き」している。 費用の450万円は日本政府の草の根無償援助を使い、在ウクライナ日本大使館と現地の非政府組織(NGO)が共同で製作したと、ニュースは伝えていた。 招き猫のポスターにはウクライナ語で「家庭に幸運を呼び込む日本のお守りです」と説明がついている。なんと気が利いた国際交流であろうか! 西洋ではとかく猫を悪魔の使いだとか偏見をもったようだが、この度の日本猫の活躍ぶりはどうだ! とにかくウクライナは新生への道を踏み出したのだ。自由とパンを求める民衆の期待に是非とも新大統領は応えていってほしい。 日本猫をいつくしむ日本人の心も、捨てたものではない。 |
| ●2004/12/09 Thu 17:56 色紙に書かれた語をよむ |
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今日の宗家けいこ場で初めて見る色紙が槍の間の床にかかっていた。 「黒風吹不入」坐忘斎家元の落款がある。点前指導は最も人気の高いA業躰。七事式の稽古を五人でさせていただきながら皆は色紙のほうをちらちた見ている。 A先生はその空気を察して言われた。「私はその意味がわからんのです。」 親しい長老のひとりaさんが私に「あんたなら何というのかね?」と問われたので咄嗟に思いついたことを言った。 「黒という色から考えると、季節かもしれません。春は青春の青色、秋は白秋の白色。夏は朱夏の朱色、冬は玄冬の黒色。」 「…ということから黒風は玄冬の意味でしょうか。」 私はその場で感じただけのことで内心は眉唾ものかな?とふっと思った。ところが家に帰ってもう一度この語を思い浮かべてはっとしたのである。 最近、台風災害で各地でたいへんな被害が出ている。そうだった! 黒風とはあの観音経に出て来る語ではなかったかしら…。お経では暴風雨のことが黒風と書かれているのに気がついた。 入於大海假使黒風 吹其船舫 (大海原を航海しているとき、たとえば、暴風が吹き荒れ) という一節は、観音の名をとなえれば救われるという観音経のサワリであろう。 お家元は今という時節を考えられ、この語を書かれたのではなかろうか?こうしたこともすべからく見る者の主観であって、ほんとうのところは筆者に聞いてみなければわからない。 気のいいその長老から「先生がいるのに余計なことはいわんでもいい。」とたしなめられ、「そういう事をいう者がいるから困る。」と可愛げなく答えた私であった(笑)。 鵬雲斎前家元が制定されたものに、道・学・実の三つの教えがある。点前は実技・実践の実であるが、学の次にあることを茶人はとかく忘れているのではなかろうか。 型破りのひとりかも知れない自分を見返りながら、茶席にかかる書について(師に聞くばかりが能ではないでしょ。間違っていても自分のありのままの感想を述べるのが礼儀では?)などと反芻する私であった。 やっぱり、かわりもんなんでしょうかねえ。 画像は中宮寺での茶会にかけた漱石の書である。杜甫の詩を漱石がすこし変えているので二通りの読みができる。 |
| ●2004/11/22 Mon 01:38 心技体 すもうと茶人 |
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モンゴル出身の横綱朝青龍はとかく物議をかもす力士である。勝負にすさまじい闘志をむきだしにする、それはけっこうなことだが勝敗がついた後の態度に問題があるのだ。 相手を憎憎しげに見下す場面を私もテレビで何度か見た。以前相撲審議会で彼に綱を返上させるべきだとの声が出たのも横綱の品位に欠けるという一点だった。 日本古来の礼に基づく武道。武道には「心・技・体」といった教えがある。ここで技の前に心があるということがとかく忘れられている。 今日は宗家の稽古があった日。槍の間でのこと。指導は85歳の寺西業躰先生。点前は平点前濃茶を私がさせていただいた。客はふたり。正客はS先輩、二客はX先輩、共に貢献度の高い名誉師範の方々だ。 私は点前には大ヌケをする困った習性がある。稽古不足がたたっているのは誰よりも自分がよく知っているが、順序もケアレスミス続出、何より悪いのは濃茶の練り方がうまくいかなかった。劣等生はほぼ3人分を錬ってお出しした。 飲み辛そうなお次客に「ふかげんで失礼しました」と私は詫びた。そして「お残しください。お相伴させていただきます」と言った。一碗を共に飲みまわすこれは小間の茶事で行う点前の一形式なのである。 ところが、お次客は「そんないい加減なことを。」とあきれ顔。私は咄嗟に寺西先生に助けを求めた。「先生。旧い茶事のすがたがこの在り方ではなかったでしょうか」 老業躰は答えられた。 「主客共にというのが茶の基本じゃぁないか。亭主は中仕舞いをした後、末座に着き、客と共に一碗を飲むんじゃ。後で出来た濃茶付き花月の式をみればわかるだろう」 正客のSさんは控えめでありながら芯の通った生粋の京おんなである。次客になられたX先輩は当流NO.1の地位肩書きをお持ちの学識経験者の方。おそらく直門中のトップと自他共に認められているのではなかろうか。 今風に例えるならば、右脳にんげんと左脳にんげんの典型といえるかもしれないと思う。 結局、不手際な主の求めは聞き入れられず、次客のXさんが飲み終わられ、茶碗は空で返ってきた。塊のあるところは粗相をした張本人の私が飲みたかったのだが。申し訳ないと思った。 「ツブがあってもふつうは口の中で溶けるけど、今日はいつまでも苦いわ…」 お次客のよく通る声が稽古場の茶室に響く…。 |
| ●2004/11/16 Tue 12:24 サーヤさま ご婚約 |
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北日本新聞のウェブ版の、「料理や茶道知人に学び 紀宮さま、普通の家庭常に意識」というタイトルが目に飛び込んできた。他紙には見られない記事でこれを書いた記者さんの公平なやさしさが嬉しい。 「紀宮さま(35)はここ数年、知人宅に通い、料理や茶道を学ばれていた。鳥類研究で出勤する際は手作りの弁当を持参。」 本文を読みながら思わず微笑してしまう。女性の生き方としては母君美智子皇后の薫陶を受けられた現代キャリアウーマンの、ごく普通の生活感を庶民の私達は共感をもって肯くのだ。 都庁勤務の黒田慶樹さん(39)とのご婚約内定。サラリーマンの妻となられる清子(さやこ)内親王は兄君の学友というご縁を選ばれたようだ。私達からみればなんでもない普通の感覚が、皇室ではいかに至難であるかを思わずにはいられない。 「料理を学び始めたのは3年ほど前から。月に1回程度、野菜の皮むきに始まり、めん類、チャーハンなど、世間一般の食卓に当たり前に出てくる家庭料理の手ほどきを」受けられたようだ。 父の日・母の日には手料理を振舞われたというのも、一般庶民とおなじだ。これまでの皇室伝統の困難をたいへんなご努力で改革されたご両親陛下の賜物と私は拝するのである。 国民は品格ある皇室をいただいていることを他国に対して誇りをもつことが出来る。しかしまた、皇室の方々の個人としてのお幸せを願うものでなければならない。自分たちが自由を享受しているのを感謝すると共に時代の推移をみることが求められる。 拡大するイラク戦争、日本各地の台風被害、未曾有の新潟地震、この日記では私は書く気にならずそのままストップした状態であったが、今日は明るいニュースにやっとしたためることが出来た。 画像は13日鷹が峰の光悦寺で撮った鐘楼である。慶びの鐘の音を紅葉が聴くといったところか。 |
| ●2004/10/15 Fri 02:44 庭の柿の実を食べるのは |
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漱石が描いた「柿烏図」は、たしかにカラスである。ところが最近ニュースになっているのはクマが民家の柿のみを食べにやってくる事件なのだ。 なんと熊の食料であるはずのどんぐりが山になくなっているのが原因であるらしい。開発という名のもとに自然が荒らされ山はどんどん狭められて行く。動物が第一に犠牲になり、その悪循環で人間が犠牲となるのが痛ましい。 全国各地で人がクマに襲われる被害が相次ぐ中、富山県のある町では、児童が集団登校の際、クマよけの鈴をランドセルに付け始めたという。あのアルプスの山のハイジたちとはもう雲泥の違いだ。 しかし、いっぽうでは熊鍋がうまいと人気が出、なんでも1キロ1万円だとかのニュースも聞かれる。これではますます殺生が増加するだろう。もとは農耕民族であった日本人も遊興の度が過ぎ変質したものではある。 漱石はふるくからの生活環境を変える事を好まなかったようである。英国から帰国した時期に自宅に電灯をつけることも断固として反対した。そのため夫人は漱石が病気で入院している隙に急いで電気工事を依頼し完了した。ランプの暗さから開放されたのは漱石もその時以来かもしれない。 ふるきをあたため、あたらしきをしる。私はたずねるというより温めるの言葉が好きだ。 過日、茶室の洞庫について敬老の日にページを更新したけれども、その後裏千家又隠の洞庫は15世家元によって伝統が守られたことを書かなければならないと思った。 又隠の洞庫の戸は鵬雲斎大宗匠ご自身、60歳までは使用できないように板を打ちつけて閉じられ、還暦を迎えられた時に開かれたのだと私は寺西業躰からお聞きした。 こうした先祖から受け継いだ伝統を守ることは、人間としての謙虚さがあってこそ出来るのではなかろうか。 やみくもに変質の道をゆきつつある今の日本という国土を、淋しく思う。 |
| ●2004/09/18 Sat 21:37 プロ野球 ストライキ決行 |
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このところメデアではプロ野球ストライキ決行のニュースが華々しく踊っている。 「労組日本プロ野球選手会(ヤクルト古田敦也会長=39)と日本プロ野球組織(NPB)の労使協議(協議交渉委員会)が17日、都内のホテルで行われ、選手会は18、19日のストライキ決行を決めた。 古田会長は新球団参入で来季12球団維持を求め、一時は合意寸前まで行ったが、言葉をめぐり決裂した。」 ことのいきさつは、選手会が『来季の新規球団参入に最大限努力する』と文言を入れることを求めたのに対し、経営者側は玉虫色の表現で逃げようとしたのだ。 どうやら旧態依然のオーナー側の縄張り意識が日本野球界の現状らしい。面白いのはストを支援する声がファンだけでなく世論として圧倒的に多いことである。わけてもファンに申し訳ないと号泣した古田選手には盛大な声援が飛んでいる。 史上初の「野球のない週末」は、70年のプロ野球史の1ページを開いたわけだが、庶民とはかけ離れたスター選手の莫大な年収、そうした金権行政を自ら行ってきたK球団の体質。なにかしら私にはピンとこない話しにも思われる。 とはいっても、日本のプロ野球界に見切りをつけアメリカ大リーグへ転出した選手の心情は充分理解できるし、野茂やイチロー、松井秀選手の活躍にはアメリカであればこそと拍手を送っているのだけれど…。 正岡子規が詠んだベースボールの短歌を思い出して、あらためてページ開いてみた。 『久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも』 『若人(わかひと)のすなる遊びはさはにあれどベースボールに如くものもあらじ』 『国人ととつ国人と打ちきそふベースボールを見ればゆゆしも』 もし、野球の初心というものがあるとしたらこうした世界であったろう。子規が今回の騒動をみればどんな感想を漏らすだろうか? 野球についてそんなことをふと思う。 今日の画像は『彼岸過ぎ迄』の表紙。ちょうど明後日が彼岸の入りになるので拝借させていただいた。 |
| ●2004/08/21 Sat 00:01 アテネオリンピック 女子柔道 |
日本各地では大雨から風水害が起きている。いつも被害を免れる京都はつくづく幸運な土地だと思う。堤防や河川の管理がいいということかも知れない。 昔の京は、「鴨川の水と坊主には勝てない」といわれたと聞くけれど、今日では水のほうはなんとか克服しているのではなかろうか。そうした日々の中で、人々はアテネオリンピックのテレビ観戦を楽しんでいる。 わが家ではスポーツに熱中することはあまりない。私はオリンピックの柔道に興味があって観たくらいである。その自分が日本女子柔道の活躍にはただただ感動した。レスリングまがいのjyudoではなく、伝統の技である1本を勝ち取った複数の選手たち。中でも谷本、上野、阿武さんらは金メダル以上の感動を送ってくださった。 まことにそれは大多数の日本人が共有した喜びであった。 女性の美しさは外面でないことを如実に示したいさぎよい姿。その飾り気のない愛らしい笑顔!オンナだてらにという古来のけなし言葉がまったく色褪せたすばらしい女性美だと私は思った。 「仏性に男女なし」とは、私が師事した禅の師家T老師が昔仰った言葉である。私はありがたくその問答を思い起こした。 また、勝負ごとを好まなかった舅は厳格な家父長であった。そうした教育を受けた父の子供たちは皆地道な学究の道を選び、夫も勝ち負けには離れたところで生きてきた。今もなお、一喜一憂をするな、と私に教えてくれる人である。 漱石は明治大正に生きたが、やはり勝負ごとを好まなかった文豪であろう。弟子たちに自らの真摯な生き方を身をもって示したが、決して他との競争を強いることはなかった。漱石のいう自己本位は、自己を克服することを教えたものであった。 今日の画像はなににすべきであろうか。書斎の机の前で憩うともなく座している漱石先生の、声なき声を聞こうと思う。 |
| ●2004/08/01 Sun 00:28 台所にローズマリーの香り |
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遅筆という言葉は最近聞かなくなったが、私はとにかく筆が遅いと思う。おっくうではなく、ウェブサイトにしても気が乗れば徹夜してでも書き終えるのだけれども、そうした気分になるまでは時間がかかるのである。noteブックもずいぶんおざなりになっていた。 事務能力という点では手抜き主婦を長年やってきたこともあって、落第点がつくのは間違いなさそうだ。インターネットに関わるようになってからはITのノウハウを知らなければならず、独学であっても時間を食い、つい家の中の整理整頓はおざなりになる。 そのため、知らず知らずのうちに周辺に犠牲を強いていた。家族のことは棚にあげても、庭の木の何本かを枯らしてしまったのが悔やまれる。30数年を経た杉の木2本、思い出ふかい柚子の木が枯れたのは、この夏の水不足と害虫のせいと何といっても私の無関心だった。 その自己責任を思うとやりきれなくなる。それで思いついたのはいつかデパートで買ったままにしていたハーブ香だった。蚊取線香の匂いも時には変えなければとハーブエッセンスを焚くことにする。 台所は私がもっとも居る時間が長い場所だ。流しを後ろにして置かれた木製テーブルには本や書類等やPCも置き、椅子の横には電話機を置いている。電話の台にしているのは昔組みひもを習っていた時に持っていた「丸台」だ。 壁につけたこのちっぽけな香料スタンドが夜には豆電球のあかりになる。ローズマリーの香りが漂いはじめるとほっとして安らぐ私がいる。ノートパソコンに入れたCDからバイオリンの曲が流れる。 ローズマリー、娘時代の私はローズマリークルーニーというアメリカの映画女優のファンだった。もう知っている人は少ないかも知れない。 けれども、ハーブの中のこの花は、シソ香で地中海沿岸原産。語源はラテン語のros marinus(海のしずく)だという。その香りは東洋の香とまた違ったやさしさがある。 今日の画像はわが家の台所の一隅、不出来の主婦を慰めてくれるローズマリーの明かりである。 |
| ●2004/07/06 Tue 00:50 気に入らぬ風もあろうに柳かな |
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出光美術館はせんがい和尚の禅画蒐集でもよく知られている。 タイトルにした俳句は、堪忍柳画賛(かんにんやなぎがさん)という掛け物に書かれている賛である。 せんがい筆 江戸時代 紙本墨画 「気に入らぬ風もあろうに柳かな」 PCなら即座にお気に入りに保存ということになろうか。私はこの句を見て、ああ、そうなりたいものだと思った。けれども、そうはなれない自分に微苦笑する。 今日は精中忌という裏千家宗家・三大忌の行事が執り行われた。第十一代玄々斎宗匠の遺徳をしのび全国から同門社中の方々が参集された。 恒例になっているけいこ場席という茶席をもたせていただく私ども直門会会員は、ご奉仕の一日を過ごした。 今回、私の属する10人程度の班は道具の係りであった。季節の取り合わせを協議し、道具を持ち寄り席を構成する。何度かやり直し、よりよいものへと相協力してゆく。役割分担も自ずと決まってくる。80歳とはとても見えない品格ある大先輩がいらっしゃる。70歳の方の後はそれぞれ60代、50、40、30代と続く。 若い人たちは点前とお運び。年くった者が半東の役。これらは順番である。私が半東に出たのは朝から3度くらいだったろうか。 最後のころ、お家元がご家族とごいっしょにお越しになった。 席中の会員めいめいの持ち出しの道具と取り合わせの雰囲気をていねいにご覧になる。そして水屋につとめる皆のために必ず水屋まで足を運んでねぎらわれる。周囲への気配りはたいへんなものだ。 拝見のとき、茶杓をご覧になりはがらお家元はおっしゃった。 「これは私のだな。」 カメラを手にして席に入っていった私に 「この茶杓は、中宮寺の時のだね。」 と、ほほえんで言われた。 「はい。たまやなぎ のご銘を、いただきました。」 個人的なことになり恐縮しつつも、感激であった。 ほんとうによく覚えていてくださったと思う。 昨日、拙掲示板に、三河娘さんから最新の書き込みがあり、それは次のように書かれていた。 「その中でも一番の感激は、多満柳のお茶杓を、手にとって拝見させていただいたことでございます。その景色は、まさに床に掛けられた淡々斎様の風(「松風隔世塵」)に、そよぐ翠の柳でした。」 注をつけるならば、茶杓はごま竹でいく筋も柳の葉が垂れている景色なのである。 |
| ●2004/06/23 Wed 21:33 白夜のフィンランドから |
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北欧のフィンランドから1通のメールが舞い込んだ。フィンランド人男性と結婚している日本人妻のように自己紹介をいただいた。 「偶然、わびすけさまのHPを拝見しましたが、宝物を見つけたような心境です。日本の素敵な様子が写真で拝見出来て、見ていると気持ちがすーっと落ち着いてまるで茶室にいるような気分にさせて頂けます。」 ヒサコさんというお名前のその女性は、「娘が大阪の実家にいます。」とお書きになっているのでご主人とも熟年のご夫婦といっていいかもしれない。昔、お茶を京都の或る女子大の茶道部で習い、結婚後もそのまま大切な趣味とされてきたという。 写真が3点ほど添付されていた。裏千家・千玄室大宗匠がフィンランドの茶室披き記念講演会で講演されているッスナップは最新のニュースでもあり、私としてもことのほか嬉しい写真であった。 「ヘルシンキ市にある、フィンランディアホールで300名以上の観客が大宗匠のすばらしいお話に聴き入っていました。」 お話によると、日本大使公邸ではハロネン大統領にも大宗匠はお茶を点てて差し上げられたという。その時の大統領のひとことが、じつに立派である。 「春の味がする。」 それがハロネン氏が一碗の茶を喫した際の、ことばであった。グリーンテイーのほろ苦い味。しかしその中に萌える植物である茶の葉の、春を感じ取られたものと思われる。 それにしても、なんという詩的な感想であろうか! 大統領と大宗匠のティーセレモニーのことは、次の日の新聞に大きく写真入りで掲載され、ニュースでも放送されたという。最近の日本人といえば、恥ずかしい援助交際や考えられないような殺人事件等が、ドイツなどでは日本の現実として報道され、在留邦人は肩身が狭いと聞くのである。 そして、ヒサコさんは最後に、次のような言葉で結んでいる。 「海外で日本人を正しく理解してもらうことはとてもむずかしいのです。今回の大宗匠の来フィンをきっかけに日本人を正しく理解してくれるフィンランド人が増えるのではないかと、とてもありがたく思っています。」 大宗匠の講演風景のスナップはPhotoBBSへ掲載することにして、ここには白夜の画像を出してみよう。夜の11時半、外はまだ明るくこれがヒサコさんが撮ったその夜の写真である。 |