@Windfall > 裸の冒険 > 川崎病闘病記

まさかわが子がこの病気になるなんて!! 日々医者と接する機会の多いパパの仕事がゆえに、頻繁に名前を聞く機会のあった川崎病。でもまれだと思っていた疾患にまさかわが子が診断されるとは?・・・・・・・・・

長女の試練

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川崎病とはどんな病気か?

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作成日 08/13/2003 | 最終改定日 09/15/2003


早期発見早期治療に至った長女の川崎病闘病記録。

T プロローグ  ー川崎病発症まえの生活ー

⇒U入院 V退院後 |病気について

 ◆ 05/8/2003 - 07/21/2003

【5月8日(木曜日)】 ママ緊急入院

パパは出張先の熊本のホテルをチェックアウトしようとしていた。

そこへママから電話が入る。 めずらしい・・・・

大変だ!! ママの体に異変が起こって「今、病院へ向かっている」のだという。妊娠8ヶ月になるママだが、出血があったため早産の可能性があるかもしれない。

この日を境に、長女の試練が始まることになる。長男出産のために緊急入院したママと離れ離れの生活が始まるのだった。

【6月9日(月曜日)】 長男誕生!!!!

ママの緊急入院から一ヶ月が経過したころ、待望の長男は、予定日より一ヶ月も早く生まれてきた。そのころ、長女は元気に祖父母の下で遊んで暮らしていた。新しく弟が誕生するまでの間、ある日突然のママとの離別から立ち直りつつあるところであった。

パパには生活の激変が待ち受けていた。今までのパパは、週5日の遠距離出張が続き、なかなか家に居なかったのだが・・・・

ちょうど長男誕生のこの日、新たな任務を授かるべく辞令が交付され、パパの仕事ストレスは倍増するのだった。しかし、毎日家へ帰ってくる身分になったのでママは大喜び♪

【7月18日(金曜日)】 ママと長男が帰ってきた。

2ヶ月ぶりにママが我が家へ帰ってきた。甲高い声で泣き叫ぶ長男の声が響く中、長女は元気いっぱいに暴れまわっていた。そんな中、あれやこれやと忙しくして部屋の整理に追われるママだった。

「さあ、これからやっと家族みんながそろって生活できるぞ!」

【7月19日(土曜日)】 家族一緒でほっと一息。

部屋の整理が終わり、ほっと一息ついたのが土曜日のお昼頃。我が家で過ごす長女と長男の様子をほほえましくみながらすごす平和な日々が始まるはずだった。。。。。。。

長男の鳴き声は、甲高い。いつにもまして長女のご機嫌が悪いのは、ママが弟(長男)にばかり世話を焼くからだろうか?などと思いながら午後はめいいっぱい元気に遊ぶ長女の姿があった。

夕方、ぐずぐずする長女の手は、とても温かかった。いつも眠くなると体温が上昇してぐずぐずするため、「弟にやきもちを焼いているのだろう」と思いながら、このとき両親はまだ長女の異変に気がつかなかったのだった。

ところが・・・
ところが・・・・

眠いのかな?と思っていた長女の体温は上がり続けて20日早朝4時頃の体温が38度近くなっていた。

【7月20日(日曜日)】 長女の発熱

早朝に38度近くの熱を出したことにびっくりして

「すぐに病院へ連れて行こう!!」 と あわてるママだった。

確かに異常な高熱で心配だ。高熱を出して辛そうにしている長女を見て心配のあまり病院へ連れて行こうと訴えるママであったが、今は三連休2日目で休日診療所しか開いていない。

パパは病院へ行くこと自体は反対しないが、長女の様子をよく観察してみようともしないでただ心配だからと病院へ連れて行こうとするママにちょっと落ち着くように諭すのだった。

熱でつらい思いをしている娘を病院へ連れて行っても、外出によるストレスがかかるだけで、「連休明けに近所の病院へ行ってくださいね。」と言われる以外何が出来るだろうか?との思いがあるからである。

午前4時に熱があると分かった時点で、「病院へ行こう!」という発想ではなく、まず真っ先に「熱を下げるための氷枕を用意しよう!」という発想が欲しいものである。母親と父親の意見の違いから少々口論しながらも、まずは氷枕で頭を冷やしつつ様子を見ることに落ち着いた。

高熱ではあるが、食事をいつもどおりにしっかり食べるのでこの時点では両親ともに風邪による熱だろうと思っていた。

午前10時になっても相変わらず高熱が続いているので、解熱座剤(アルピニー座剤100)を使用することにした。最近のニュースで解熱剤の副作用が取りざたされていることは知っている。無理に熱を下げないほうが良いこともあるのは百も承知だが、この場合は放置するわけにいかなかった。いったん熱が下がって安心しかけたが、薬の効果がきれる頃になると再度熱が高くなってくる。

氷枕を何度も換えながら様子を見る一日だった。昼間は37℃程度に落ち着いていたが夕方になって再び熱が高くなってきた。

夕食はぐずぐず言いながらもしっかり食べたし、熱以外の異常は見当たらなかった。

U 入院生活 ー入院から退院まで

⇒T入院前 V退院後 |病気について

◆ 07/21/2003 - 07/30/2003

【7月21日(月曜日)】 休日診療所⇒緊急入院へ

長女の高熱(37℃〜39℃)が相変わらず続いている。汗をかいているので着替えさせようとしたところ、指先が真っ赤になっていた。BCGの後も赤く腫れている。昨日まではこんな発疹はなかったのにな〜。

休日診療所で出来ることは限られているけど、備え置きの解熱剤がなくなることだし念のため長女を病院へ連れて行くことにした。

サンダル履きのまま軽い気持ちで休日診療所に出向いたところ、 担当してくれたのは女性のドクターだった。BCG跡の発赤のこと。手足の指先が赤くなっていること。発熱から2〜3日が経過していることをパパが説明する。

大変な病気の可能性が!!

BCG発赤から「川崎病」を疑い、詳細な検査をしたほうがよいだろうということになった。通常、4日目ごろに川崎病の症状が徐々に現れて来るそうで、まだ発病2日〜3日目であるため、軽い症状しか出ていないために先生も半信半疑だった。もう一日待ったほうがはっきりと判断しやすいのだろうが、もし「川崎病」であるならば早期治療をするに越したことがない。

休日診療所から検査設備の整っている病院を紹介してもらい、タクシーで移動中に家で待つママへ連絡を入れるパパだった。この時点では、まだ病気を否定されることに望みを抱きつつ、パパのもっている知識から「治療可能な病気である」と心を落ち着けるのだった。

紹介先の病院で血液検査の結果を待つこと2時間あまり・・・・・・・

疑いが確定に!!!

長女は、急遽入院することになり、パパもママも信じられない気持ちながらも事を冷静に受け止めようと努めるのだった。検査に時間がかかったのは、肝機能をあらわすALT、ASTなどが異常高値を示したために再検査していたからだ。長女の検査結果を見せてもらうと、ALT(GOT;肝臓機能の指標)が500を超え、炎症を示すCRPも高く、白血球数も増加していることが読み取れた。

明らかに検査数値が異常である。家に帰ることもなくそのまま入院することになり、パパはママに連絡を入れて身の回りのものを持ってきてもらうことにする。入院準備のため救急外来から病棟へ移動し、最初に現れた先生が言った言葉は・・・

「 今、実施中の臨床治験に参加いただくかもしれません。 」

川崎病治療研究参加にあたって

お子様の病気は「川崎病」といって、全身で血管の炎症が起こり、心臓に重い後遺症を残すことがある病気です。治療としては一般的に免疫グロブリン大量療法が行われ一定の効果をあげていますが、一部にこの治療法が効かない重症の患者さんがおられます。

お子様の場合、これまでの約100例の解析結果と照らし合わせると・・・・・・・・・・(略)

長女の場合、過去の解析結果から考えると通常療法で効果を示しにくいリスクのある患者だったのだ。免疫グロブリン大量療法とあわせてステロイドパルス療法を同時に開始して、出来るだけ早く血管炎を抑制し心臓合併症が起こるのを防ごうという考え方である。

「臨床治験」という言葉はパパとママの仕事柄、聴きなれている言葉だけれど、患者としてこの言葉を聴くことになるとは夢にも思っていなかった。インフォームドコンセントを得るため、上述の文章の書かれた用紙を渡された。

注)インフォームドコンセント:患者に試験のメリット・デメリットを説明して同意を得ること。

常日頃、臨床研究を行う立場としてGCPの管理業務に携わっていたママに言わせれば非常にずさんなやり方だったけど、試験の趣旨はよく理解できた。

注)GCP : 臨床試験を行うにあたって守らなければいけない取り決めのこと。

・・・・(略)・・・・ステロイドパルス大量点滴中または直後に出現する副作用としては、全身倦怠感、顔面紅潮、頭痛などがあります。しかし、・・・・・・・・(略)

このような副作用を心配して、臨床試験への参加を断る親御さんもいらっしゃるようだが、ステロイドの消炎作用は再評価されつつあり、しっかりした管理の下に使えばたいした問題はないはずである。川崎病の標準治療として使われているガンマグロブリン製剤も、血液製剤であることから拒否反応を示す親御さんがいるようだが、川崎病急性期の治療を放置すれば重大な事態になる可能性もありえることから、ガンマグロブリン使用に反対するのもどうかと思う。

それにしてもである。。。。。。

突然の病気で不安いっぱいの家族に対しての第一声に「治験」という言葉を使うのはいかがなものであろうか?

お医者さんに言いたい!

いきなり「治験」という言葉を持ち出さずに、まずは親御さんを安心させる言葉をかけて、信頼関係を作ってからインフォームドコンセントをとるべきであろう。

パパは「臨床試験に参加・・・・・」を別の立場でとらえていた。

今、臨床の現場で適応症(厚生省から認められた薬剤の対象疾患)と異なる領域で使われる薬剤が山ほどある。特に小児科領域では多い。その中のひとつに急性膵炎や急性循環不全に適応を持つウリナスタチンという薬剤があり、川崎病に使われることがあるのを知っていた。

「臨床試験に参加・・・・・」と聴いた瞬間、パパの頭をこの薬のことがよぎった。一方、最近発売されたばかりの”好中球エラスターゼ阻害剤”が「川崎病」に有効であろうと小児科医師の間で期待されているのを知っていたため、この新しい薬剤を使っての臨床研究なのだろうとパパは思ってしまったのだった。「是非、新薬を使ってくれ!」と最善の治療を望むパパであった。

結局、今回の臨床治験とは、ステロイドパルス療法を行うというものであったため、上記の薬剤を使うことはなかった。医師の説明を受け、臨床治験に参加する意思を表明し、長女は早速その日から治療を開始することになったのだった。

もうひとつ、子供から血液サンプルを得るための承諾を求められたが、協力したい気持ちもあったもののこちらについては、お断りさせていただいた。⇒「お医者さんに言いたい!!」を参照。

治療開始

心臓超音波検査(心エコー)や胸部レントゲン写真を撮影した後、抗生物質に対するアレルギー反応(皮内テスト)が実施された。

午後8時ごろからヘパリン(10単位/kg/h)の持続点滴が開始され、午後10時ごろから第一回目のステロイドの注射が開始された。

ステロイドパルス療法(メチルプレドニゾンロン30mg/kgを1回投与)とγーグロブリン大量静注療法(1g/kg x 2日間)の併用療法を実施し、冠動脈病変の発生率および遠隔期の遺残率を第一の評価項目とし、発熱・検査異常を指標とする炎症の終息までの期間を第二評価項目として臨床試験が進められる予定である。

γーグロブリンは、最初1mg/kg/hで開始され、アナフィラキシー様症状がないことを確認した後、投与速度が倍に変更された。

【7月22日(火曜日)】 入院一日目

点滴がなくなるたびに、「ピーピー」と音が鳴る。その都度看護婦さんに連絡をいれ、看護婦さんが点滴セットを取り替える。娘の左腕には、2本の点滴チューブがつけられ、胸には心電図を測定するためのコードが取り付けられている。苦しそうにうめきながら寝返りをうつたびに点滴チューブに絡まる長女を、ベッド脇で一晩中、見守って過ごす入院一日目であった。

治療開始から一夜明けた。

昨日に比べるとリンパ節の腫れも目立つようになってきて、特に全身の発疹が顕著に現れ始めた。目の充血はそれほどひどくないが、足の裏が真っ赤になっていた。眉毛のあたりも真っ赤になり、どう見てもただの風邪でないことが一目瞭然だ。発熱は相変わらず続いている。この段階までくれば、やっぱり川崎病だったんだと納得できた。

休日診療所に出向くのがあと一日早かったら診断が遅れていたことだろう。いいタイミングで診療所を訪問したことも早期治療につながったのだと思う。あと一日待てば、たしかに「川崎病の診断基準」を満たしていることが分かるかもしれないが、昨日の段階で疑いを持って診断してくれたお医者さんには感謝したい。

早期診断ありがとう!

パパは朝方会社に連絡を入れて休暇を取り、祖父母が駆けつけてくれるのを待った。この日から夜は病院に宿泊し、祖父母に看病を交代して病院から出勤するパパであった。ママは、生まれたばかりの長男の面倒を見る必要があるため家で心配しながら待つことになる。

幼児用の食事が間に合わなかったということで大人と同じ分量の朝食が出てきた。長女はむずかりながらも、バナナを食べた。

昨日の救急外来で見てくれたDr、病棟へ移ったあとに心エコーをとって治療を開始してくれたDr、そしてやっと主治医が現れた。病棟に移ったときから主治医の名前は決まっていたので、引継ぎはしっかりしてくれているのだろう。

主治医のドクターが部屋にやってきてはじめてベッド脇から長女を診察した。

「調子はいかがですか?」

と先生がパパに声をかけてきた。

「川崎病と聞いたんですが・・・・」と先生。

昨日からの様子を一通り説明するパパだった。

「ああー、赤いですね〜。目の充血はそれほどでもないのかな?」

と長女から1メートル離れた場所からベッドの柵越しに診察するお医者さんであった。

オイオイ!!

たとえ、引継ぎがされていたんだとしても・・・・・・・・

一度も患者を触ることなく初診を終えるとはどういうことだ?

お医者さんに言いたい!

患者の気持ちとして、しっかり診療してもらっているという安心感を持たせる努力も忘れないで欲しい。

一気に主治医に対する不信感が募るのだったが、治療内容にけちをつけるつもりはない。

【7月23日(水曜日)】 入院ニ日目

熱は37.5℃を下回っていたため、第二回目のγーグロブリン投与が回避できたようである。抗凝固目的にヘパリンが投与され、抗生剤も投与されていたようだ。

良かった〜!

おばあちゃんが昼間は長女の面倒を見てくれている。

ママは家で長男(1ヶ月)と格闘して頑張っている。

パパは会社の激務のため、昼間は長女のことを頭から振り払って頑張っている。

パパが夕方仕事を終えて病院へ行ったとき、また長女の熱が高くなりそうな気配だった。全身のの発疹が場所を変えてあちらこちらに出現しては消えている。

熱は徐々に下がってきたようだが、37℃前後を推移している。

【7月24日(木曜日)】 入院三日目

凝固抑制を目的にフロベンの内服投与が始まった。一日3回食後の服用が指示された。熱は下がったようだが、何か気に入らないことがあって泣き出すとまたあがってくる。

主治医は慎重な物言いをする人で、常に最悪のことを想定した話し方をする。立場は理解できるのだが、どうなることかと心配している家族にとってはあまりうれしくない。

「治療によく反応したほうだと思います。」といいつつも、いつまた発熱を繰り返すか分からないので慎重に経過観察をする。この頃になって、川崎病の特徴のひとつとされるイチゴ舌が観察された。

【7月25日(金曜日)】 入院四日目

心電図のコードが寝返りをうつたびに長女の体に絡まって邪魔なため、もういいだろうとはずしてもらう。ずいぶんと動きやすくなったようで、長女の機嫌も次第に良くなってくる。

【7月26日(土曜日)7月27日(日曜日)】 入院五日目 or 入院六日目

点滴が中止され、フロベンの内服投与が一日1回で良くなった。この調子であれば火曜日には退院できそうだとのこと。

あとになって振り返ると、めまぐるしく忙しかった入院生活が遠くかなたのことのようなきがする。正確に点滴が外れた日が思い出せないがたしか土曜日だったように思う。

【7月28日(月曜日)】 入院七日目

元気いっぱいに病棟の廊下を走り回っている長女の姿から入院患者だとは想像できないくらいである。

長女の血液検査結果は、まだ肝機能数値が二桁を示しているとのこと。退院が火曜日から水曜日に延期された。

【7月29日(火曜日)】 入院八日目

朝5時半に起きて遊んでくれとせがむ長女は、健康そのものに見える。他の病室のお姉さんに遊んでもらってご機嫌だ。

【7月30日(水曜日)】 退院

血液検査をしてもらって、午後から退院となった。まだ、肝機能は完全に正常に戻っていないようだが、徐々に良くなってきているので心配は要らないだろうとのこと。

V 退院後

⇒T入院前 V入院中 |病気について

【7月31日(木曜日)】 退院翌日

もうすっかり元気になった長女は、特に食事制限や運動制限もなく日常生活をおくれると言われた。しかし、念のために日照りの中の外出は避けることにする。長女は少し甘えん坊になったようだ。

【8月某日】 粉薬(フロベン)の投与方法

長女は、粉薬を飲むのを嫌がる。フロベンは水に溶けにくく、多少の苦味があるので、少量の水を使って粉末を懸濁し、スポイトを使って投与する。

長女は、いざフロベンを飲もうとすると猛烈に嫌がるくせに、食事中はしきりにフロベンを指差して「これ!これ!」と欲しがるから不思議だ。

もともと食が細い長女は、食事を食べさせるのにも苦労をする。ところが・・・

「頑張って(食事をたくさん)食べたらフロベンが待っているよ〜!」というと、喜んで食事を食べる。

******

最初は嫌がって暴れるために、薬を入れすぎて咽てしまったり、舌の上に薬を入れるため、ビューと吐き出してしまったりしたが、パパもなれてくれば上手に薬をあげれるようになってきた。

「あ〜んン」口をあけてごらん?っと言いながらすばやく右奥歯の辺りにクスリを流し込む。 こうすると、泣くこともなくあっという間に朝の儀式が終了するのだった。

【8月24日】 やんちゃ

元気いっぱいにやりたい放題!椅子に登ってテーブルの上のものをとるようになってきた。

カメラを壊した〜!!

机の上においてあったデジカメを長女が落として壊してしまった。修理に時間がかかるのでしばらく写真を撮ることができない。

【9月1日】 フロベン最終日

あっという間の8月が過ぎ去った。 長女のやんちゃぶりと長男の甲高い鳴き声に追われて過ごした一ヶ月だった。 ママは、夜中の授乳で寝不足の日が続く。

粉末粉薬の与えかたもうまくなり、これが最後だと思うと名残惜しい気もする。

【その後】  近頃のこと

平成17年1月25日 Tue  病気になったらどうして欲しいか

「あたしが大きくなって病気で寝ていたら、その時、ママが子供だったらあたしの上に乗らないでね」

長女がママと一緒に布団で寝ようとしているとき、何の脈絡もなく言った言葉だ。

子供は聴いていないようでいても大人の言うことをよく聞いて分かっている。ママが疲れてくたばっていると、遊んで欲しいお子様たちはママの体にまたがって遊んでもらおうとする。

そんなときに、ママが言う言葉は「ママは病気だから、上に乗られるとしんどいのでやめて!」

ママが何度言っても、お子様たちは言うことを聞かない。

ママの真似をできるなら、何を言われているか分かっていそうなものなのに、遊んで欲しい気持ちが先にたつのが長女はまだお子様であることを示している。

すやすや眠る長女の脇で、「子供って親を真似するね」と談笑するパパとママだった。




川崎病なんかに負けないよ
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