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Gon's Bar TV 文字 サイト ジュビロ 代表 プロフィール
MOJI de GON 中山選手の記事を一部ピックアップしています。


2007年
2007.11  「ラグビーファンマガジンVol.2」 不惑のアスリート ジュビロ磐田・中山雅史×ヤマハ発動機ジュビロ・村田亙
準備中
2007.10.29  「サッカーR25」  中山雅史ロングインタビュー「クラブで戦うことの喜び」
準備中
2007.7.5  「Number682号」 「Jへの想い、代表への期待」
準備中
2007.3.25   「Sportiva 5月号」  福田正博×中山雅史 得点王対談 FWよ、エゴイストになれ! 
準備中
2006.3.5  「月刊CIRCUS 5月号」  中山雅史×南野陽子
準備中


2006年
2006.10.17  『サッカーダイジェスト 10月31日号』  素晴らしきかなサッカーヤロー第2回  (カラー5ページ) 
ナビゲーター:三浦泰年 ゲスト:中山雅史

三浦「サッカーが趣味だって言うやつもオレたちの世代だけになったよね」
中山「趣味も仕事も楽しみも全部サッカー。今は現役がいちばんだから。それを全うしないと次に進めない」

★川崎戦でのゴールについて。
「この間久しぶりに点を取った時も、やっぱり気持ちが良かったですからね!サポーターモあんなに沸いてくれて・・・もう、半狂乱でした(笑)」
「あれが引き分けとか負けで終わったらまた違ったんですけどね。入れたことは無にはならないけど、なにかトーンダウンしちゃう。
だから絶対に勝ちたかった。勝った試合と負けた試合の得点って歳を取るほど違いますから。」
2006.8.31  『サッカーJ+ Vol.5』 〜愛されるフィールド 愛されるJリーグ〜 「ゴンダンス」 (巻頭カラー1ページ) 
「ゴンダンス」とは?
発生条件は?回数は? ゴンダンスを見るために、スタジアムに足を運ぼう!


この記事の取材に協力させて頂きました。
取材の様子は9月3日の日記にて。
2006.5.20  『AERA臨時増刊WORLD CUP』   「同級生球蹴り音楽対談 中山雅史×スピッツ田村明浩」 (カラー3ページ) 
お互い好きなことでプロ活動できるのは幸せなこと。お互い負けず嫌い。

中山 「オレにささげたい曲とかないわけ?」
田村 「それはないなぁ(笑) あったらとっくにプロレスのテーマソンとかに使われてるよ。(笑)」

田村 「何歳までやりたい?」
中山 「自分の子供がオレの現役の姿を記憶にとどめられる年になるまではやりたいね。
    今年2歳だから、あと3年はやりたいかな。オレの気持ち的には楽勝!(笑)
    でも走れてなんぼの世界は意欲だけじゃダメだから、危機感は常に抱えてるよ。」
2006.3.24  『COOL TRANS 5月号』  「ピエール瀧の一号一会」 最終回ゲスト 中山雅史 (モノクロ1ページ)
ピエール瀧との対談記事。
ハデな記録が多いこと、Jリーグ開幕のときの事、ワールドカップ抽選会の事、海外挑戦の事など。

★抽選会について
中山 「実はね、行くまでどんなメンバーかも知らなかったんですよ。天皇杯あるのに行ってられないよって最初思ったし。(笑)
    でもそれはFIFAからの依頼だったからすごいことだなって思って」
瀧   「FIFAが中山さんの記録を全部見たんですよ、日本で初ゴールかましたのは誰だって。(笑)」
中山 「あれはキメといてよかったですよ、ほんとに。キメたときは何のことはないシュートだろうと思ってたけど、
    何年たってもファーストゴールってずっと言われるわけじゃないですか?」
瀧  「もう死んでからも言われますよ」
2006.3.24  『月刊BRIO 5月号』 表紙・カバー対談 (カラー2ページ)
伊藤歩との対談記事。
親父は尊敬してるけど「おみゃあが外して負けた」発言以来口をきいてません。(笑)

ええと・・・それはいつ言われたんでしょう?(^-^;
表紙も伊藤歩との2ショットで、ダンヒルのスーツでかっこよくキメております。



2005年
2005.11  『週刊現代 12月3日号』 「人物プロファイリング 第41回 中山雅史」 (4ページ)
『目標はあくまでもドイツW杯出場 38歳最年長FWはいつも「欲求不満」』
オールスターの10日後のインタビュー記事。

「常に欲求不満」 「あの人にはかなわない」 「理想のゴール」 「ドイツW杯」 「二人の姉への挑戦」 「おばあちゃん子」 「オール5」
「悔し涙」 「武田修宏」 「原点の未熟さ」 「一流の負けん気」 「成長の秘密」 「憧れの人」 「テノール」 「南極物語」 「ゴン」 
「教員免状」 「ドーハの悲劇」 「覚えてないです」 「ギネス入り快挙」 「良妻」 「脅威のモチベーション」 「ベテラン哲学」
などいろいろな話題を少しずつ。
2005.11  『Sportiva 1月号』  コラム 「中山雅史に最敬礼 ゴンの魂 妥協なき全力疾走」 (5ページ)
『言葉の奔放さが影を潜めプレイにすごみ』
『タフなフィジカルとメンタル そして「動き出し」』
磐田広報スタッフや選手の証言などを盛り込んだコラム。
2005.10  『サッカーダイジェスト10.18』  「いま、ニュースな人」 (1ページ)
『300試合で試合で終わるつもりはない。301、302、400と増やして行きたい。
年齢を重ねるたびに難しくなるが、内容のある数字にして行きたい。』

ちょうど隣のページが「スーパーさぶっ!!劇場」で、3本のうち、1つが福西、1つが中山ネタです。
2005.10  『サッカーマガジンNo1047』 
ピンナップのみ。
2005.10  『週刊文春』 2005.10.6 CM8本「新女王」長澤まさみを作ったゴン中山夫妻 
見ていないので内容不明
2005.9  『てんとうむし9月号』 UCカード会員情報誌インタビュー (4ページ)
「ぼくのサッカーって、きっと『浪花節』なんですよ。日本人好みかもしれない。だから得をしています。それしかできないんですけどねぇ」
「家にいれば、たいてい娘を風呂に入れます。かわいいけど号泣されると悲しくなりますよ。俺は父親だぞーッって言いたくなる。
子どもがわかるようになるまでプレーをしていたい。とするとあと5年くらい。チームが契約してくれるかなぁ。」

★カード会社の情報誌なので、結婚記念日のプレゼントをカードで買った話。
「素直に渡すのも嫌なので、まず、彼女の手首に自分で描いた時計の絵のシールをペタっと貼り、いまから時計でも見に行こうと誘って
展示場でホンモノを買いました。それがカードでの一番香高価な買い物ですね。海外遠征でも重宝しています。」
2005.4  『Number625号』 メモリアルインタビュー「中山雅史 俺は止まらない」二宮清純 (7ページ)
Jリーグに昇格できなかった時、ドーハ、97年の山本監督との出会い、スキラッチの事、こぼれ球を狙うこと、会心のゴールについてなど。

「FWにとって何が大切かを突きつめて考えるようになったきっかけは97年、山本昌邦さんの指導を受けるようになってからですね。
ご存知のように山本さんはものすごくデータを大切にする。もっと具体的にいうとペナルティエリア内での決定率。
どれだけ落ち着けるか、どれだけ意図したところに蹴れるかということに徹底的にこだわっていたんです。それがFWの仕事だと。」


2004年
2004.11  『釣りキチ三平/classic』 35号 矢口高雄の“元気の出る”対談(35)中山雅史(後編)
矢口高雄公式HPより→「釣りキチ三平/classic」34号&35号を写真つきで紹介
2004.10  『釣りキチ三平/classic』 34号 矢口高雄の“元気の出る”対談(34)中山雅史(前編)
矢口高雄公式HPより→「釣りキチ三平/classic」34号&35号を写真つきで紹介
2004.7  『サッカーマガジン No.984』 表紙&「夏男中山雅史独占インタビュー」
準備中
2004.4  『サッカーマガジン No.970』 表紙と記事 「復活」への真実。
準備中
2004.3  『Number 597』 井原正巳が語る「中山雅史の神髄。」 (3ページ)
ユース代表でDFコンビだった頃から大学時代の話、ストライカーとしての中山について。
2004.4  『Sportiva 4月号』 コラム「もう1人の偉大なオヤジ 中山雅史〜進化するゴン」 (グラビア2ページ)
この選手がFWやってるかぎり、日本代表に未来はないな・・・。正直、そう思った。95年アンブロカップの対ブラジル戦、中山雅史を見て。
だって、まともにボールが止まらないんだもん。(中略) 中山もまた、80%の徒労を厭わない。それに、いつのまにやらボールの受け方も、
ボールタッチそのものもうまくなっていた。頭のいい選手なのだ。(中略)ピッチに出るだけで、スタジアムの雰囲気まで一変させる。
これはキャラクターではなく、パーソナリティの力。個性を進化させ、周囲に認めさせてきた力だ。やっぱり、すごい選手だと思う。


2003年
2003.4  『ビッグコミック』 4月25日号 
表紙だけです・・・。
2003.3  『Soccerz 3月号』 (スカパー情報誌) 特集「ジュビロ磐田・栄光の軌跡」 
インタビュー 中山・藤田・名波・服部・高原・ドゥンガ
2003.2  『サッカーマガジン No910』 表紙・インタビュー
準備中


2002年
2002.12  『SPORTS Yeah! No.056』  表紙・インタビュー「我が愛しのジュビロ、我が愛する日本代表」 増島みどり (8ページ)
磐田と代表にかけた10年の愛着について。

「幸せ者だね。本当にこんな幸せ者いないと思う。だってたいして上手くもないんだからね。そう考えると自分の選択は間違って
いなかったのかなと思いますよね。ヤマハを選んだのは、当時はプロなんて全く頭にないですから、とにかく地元の大企業で、
まぁサッカーだってどこまで続くか分からないわけだから、現役辞めてもそこで考えれば何とかなるかなと。Jリーグに参加しないと
なった時も、移籍して、とは思わなかった。10年の間には、沢山の帰路があったんですが、その度にいい選択はしてきたんだと思う。」

「考えたくないけれど、もう次の事を考える時期に来ているのかもしれないね。この前もテレビで引退するいろいろな競技の選手
たちの会見を見ていたら、みんな泣いてるんだよ。ああ、やっぱりなんだかんだ言っても、どんな形でも現役が一番なのかなと思う。」
2002.7  『女性自身』  インタビュー シリーズ人間No.1925 中山雅史「魂の18分」を語る (7ページ)
独占インタビュー100分。激闘のワールドカップ、日本代表の仲間たち、そしてトルシエの素顔。(クラブハウスでのインタビュー)

声援が多い理由は「僕が年とってるせいじゃなですか?何とかしてやらなくてはと思うんでしょう」
「代表メンバーに選ばれる前の仙台スタジアムで、試合前に敵味方のサポーターから『中山ニッポン』と、
エールをもらった時はジーンときましたよ。札幌戦でも『代表に入れよ!』と言われてね。嬉しかったなぁ」

「若いヤツに『俺は疲れた。おまえは?』って聞くんです。それで相手が『僕も疲れました』と答えると安心するんですよ。(笑)
相手が黙っていたら『疲れただろ?』って睨む。すると、黙って頷きますから。これが僕のフィジカルトレーニングですね」

「人の後ろをついていくのがイヤなんですよ。常に前に、前に出ようとこだわっています。いやぁ、僕はFWで本当に良かった。
いつも前に出られるから。これからも僕は、一番前で走り続けます」
2002.7  『SPORTS Yeah! 045』  日本代表追跡ルポ 中山雅史 「半分の喜びと、半分の悔しさと」
『10番を背負って参加したワールドカップ。中山雅史の精神的支柱としての存在感は、圧倒的なものだった。
しかし出場時間18分という現実を、彼はどう受け容れたのか。
終戦から1週間後、グラウンドを黙々と走る姿が、その気持ちを表していた。』

チームへの合流日より2日早く練習場に姿を現して走りこんでいた。
「ワールドカップで大勢の人がサッカーに関心を寄せてくれた。今度はJリーグに向けられる目が厳しくなると思う。
ワールドカップを体感した人にとっては物足りないかもしれないけど、それを補うだけの闘志と気迫を展開していきたい」
2002.6  『サンデー毎日』  「ベテランの星 ゴン中山のサッカー人生」
準備中
2002.5  『SPORTS Yeah! No.044』  「日本代表。背番号10。魂のサッカー」 (5ページ)
中山雅史追跡レポート。代表発表までの軌跡を追う。

5月17日、代表選手発表の日の大久保の話から始まり、3月のポーランド遠征メンバーから漏れた時、
5月3日の欧州遠征26人に選ばれなかったこと、GWのJリーグ、仙台スタジアムでのナカヤマコール。
「自分に与えられた番号というのでちょっとびっくりです。10番はいろんな意味で特別なものかもしれない。これまでの10番の人にプレー
では追いつかないかもしれないが、負けないくらいの魂を持って試合にのぞんでいきたい。得点はいつなんどきでも狙っていきたい。」

代表選手発表の日、早めに帰宅できたので、TVで中継を見ていました。
代表入りが決まってすぐに、大久保に練習見学に行っていた友人にメールで「ゴンちゃん入ったよ〜♪」と連絡。
メールで大久保の様子を聞きながらも、続々と携帯にメールが入り、嬉しい大忙しでした。(*^^)v
2002.5  『英雄神話Vol.10 中山雅史特集』 徳間書店
望月文夫、大住良之、藤島大、長田渚左、丸茂ジュン、小池正人、二宮清純などが語る中山雅史。

中山雅史応援サイトとして、当サイ ト「WHITE BEACH HOTEL」 が紹介されております。
編集部の方と掲載について何度かメールをさせて頂いたのですが、まだW杯メンバーが発表される前だったので、
代表入りするかしないかで売り上げに影響が出ますよねぇ・・・なんて話もひそかにしておりました。(^-^;
代表メンバー発表の日は編集部の方々にもさぞかし喜んで頂けたものと思います♪
2002.3  『Number 545 表紙・コラム「中山雅史 無私のジョーカー」 (5ページ)
「気がつくと、彼がピッチにいた。国旗を背負った試合には、必ず彼がピッチにいた。
不動のレギュラーではなかったし、華やかな技があるわけでもなかった。
それでも彼は先頭を賭け続け、世界のゴールを追い続けた。
ピンチを救う無私のスピリット。日本代表のジョーカーは、2002年もナカヤマだ。」
2002.2  『AERA』 2月11日号 コラム 「中山雅史 永遠のスーパーサブ」 乙武洋匡
W杯アメリカ大会アジア最終予選ドーハでのイラン戦、W杯フランス大会アジア予選ジョホールバルでのイラン戦、
W杯フランス大会ジャマイカ戦などのゴールをあげ、何度も日本代表に息を吹き込んできたと書かれています。

ヒヤリとさせられるプレーについても触れられていますが、私はもう慣れました。(^_^;)
ところで永遠のスーパーサブってどーゆー事?フランスでは先発だったし、
ジュビロではいまだに先発の座を誰にも譲らないボスなのよ〜。
写真は昨年セカンドのFC東京戦でとどめの5点目を決めた時のものが使われています。
2002.1  『ATHRA アスラ03』  表紙 ・ 記事「中山雅史 駆け抜ける魂」 (6ページ)
中山雅史の"走り"について。
相手のマークを外す動き、消える動きなど。
2002.1  『STRIKER 2月号』 新春ビッグ対談 川淵チェアマン×中山雅史×秋田豊×秋葉忠宏
川淵チェアマンとJリーグ選手協会会長&副会長の対談。
選手のセカンドキャリア、放映権の選手への分配、移籍係数年齢の引き下げ、他クラブのオファーの開示、
レフェリー問題、合同入団テストなどについての意見の交換。
2002.1  『週刊ディアス』 p16-17 「スランプも許されない、34歳の崖っぷち」
「日本唯一のワールドカップ得点者 中山雅史」

本人は「あと半年だけの話です」とコメントしていますが、今年のワールドカップでもゴンゴールを決めてくれれば、
そして他の選手がゴールを決められなかったらあと4年もつわよ。(笑)
それじゃあ日本サッカーの未来に問題があるけどね〜。(^_^;)
2002.1  『サッカーai 2月号』 「中山雅史 現在・過去・未来」 (3ページ)
『チャンピオンシップのあの夜、赤く染まった目
長かったシーズンを敗戦で終えた悔しさは同時に自身を責める怒りでもあったのだろうか? 中山雅史について考える』

5月26日韓国水原でのアジクラ決勝、10月27日国立でのナビスコ決勝横浜戦、12月8日カシマスタジアムでのCS鹿島戦。
ジュビロは年間71という勝ち点を挙げ、アントラーズとの勝ち点差は実に17。それでも、年間王者はアントラーズ。
「ルールの事を言ってもしょうがない。ツイてないのも力のなさ。チャンスがありながら、それをものにできなかったんだから。
ツキを呼び込むだけの力がないとダメだということ。」

水原も、国立も、鹿スタも、現場にいましたが・・・はぁ・・・ため息しか出てきません。
一番痛かったのはやはり最後の鹿スタですね。しばらく立ちすくんだまま動けませんでしたから。(T_T)


2001年
2001.12  『週刊朝日 新春合併号 初対談 ラモス瑠偉×中山雅史 「ドーハ、フランス、そして2002年」 (3ページ)
2006年のW杯はラモスが監督ならゴンちゃんを連れて行くそうです。
代表監督になるべく頑張ってください。(笑)
2001.9  『読売ウィークリー』 表紙・インタビュー
「技術で勝てないから、体を張る。それができるから、僕は選手でいられる。」
今の時期はケガが怖いのでは?との質問に、「うん、今の時期だったら治るんじゃないですかね、来年までには(笑)」
2001.9  『中央公論』  表紙・コラム「表紙の人 中山雅史」 乙武洋匡 (3ページ)
ジュビロ磐田が1stステージ優勝を決めた7月7日。主力選手は、揃って深夜のテレビ番組に出演した。
七夕の夜にちなみ、短冊に願いをしたためる場面で、中山は「もっとサッカーが上手くなりたい」と書いた。
2001.8  『ストライカー 9月号』  中山雅史のサッカー観 「不安」がENERGY (4ページ)
★「名波が復帰したとき、名波の感覚を忘れているのに気づいた」
「ハットや名波の若手との関わり、そういう雰囲気が生まれているんじゃないかな。僕はほとんど若手と食事や遊びいは行かないけど、
彼らのそういう付き合いがコミュニケーションを取りやすくしているんだろう。ただ、そういうプライベードな感覚を、ジュビロでの練習や
試合の中に持ち込んでいない。技術面でのアドバイスをしたり、精神的な部分の足りていないところなどは、上の年代のヤツらが
キチッと締めてくれている。ハットや名波、トシヤも含めて、アイツらはでしゃばって表に立つタイプじゃない。そういうところは大体僕が
出ていって適当にしゃべって、彼らからは見えないところでケアしてくれている。チームの中ではそんなポジショニングが出来上がっている。」

「名波が帰ってきたときは、名波の感覚を忘れいてた。"名波ならここに出すかもしれない"と思いながらも、
"まさかそのとおりにこないだろう"と思っていると、やっぱりそこへボールが出てくる。その後で"あー、やっぱりな"って。」


★「ウチの若手はみんなうまい。彼らから刺激を受けて奮起する」
「高原にしても他の若手にしても、みんなうまい。ボールの受け方、運び方が、すごくしなやかでスムーズだし。
"あーオレにもあんな技術があったらな"と思う。」

★「満足しちゃったら終わり。次への意欲が沸かなくなってしまったら」
「ライセンスを取っておけば、進むかどうかは別として、将来指導者という道も開けるわけだし。取っておいて損はないかなと。
それと、井原とかみんな受けに行くって言うから、行かないと自分だけ取り残されちゃうんじゃないかと思って、何か不安で(笑)」
2001.8  『Number 529  「闘士なき者は去れ!Jリーグにはナカヤマがいる」増島みどり
プロリーグのなかった子供の頃のこと、海外移籍について、ボールに頭から突っ込む恐怖感について、
怪我について、代表についてなど。その他、p35・p55・p77に写真あり。

すんごい表紙です。内容はかなりボリュームがあります。
「恐怖の回路が完全に遮断されているんじゃないかと思いますね」と書かれてありますが、
私も常日頃から、怖いとか危険という事に関しての学習能力が欠如してるんじゃないかと疑っておりました。
本人は「あとからビデオで見ると妙に怖かったりしてね。」とコメント。
ところで・・・最初の見開きの写真は剛君じゃ・・・?(^_^;)
2001.8  『SPORTS Yeah! No024』 コラム 「貪欲なる王者」戸塚啓 (2ページ)
中山雅史とジュビロ磐田の野望
中止になった世界クラブ選手権のことやセカンドステージに向けて。
2001.7  『Weekly ぴあ』 インタビュー 「男・ナカヤマ燃えてます!」 (3ページ)
「未熟な面はあるし、試合が終わって「今日は良かったなぁ」と思える試合は少ないですよ、やっぱり。」
「このチームでレギュラーを張っていれば代表への道が開けてきますからね。そういう意味ではやりがいがある」
「途中出場なら元気いっぱいにプレイできると思われがちなんだけど、
入念にアップしてもキツい。慣れたかなという頃には試合が終わっちゃいますから」

「ファンとの絆」というところで、ゴンダンスを「あれは自分でやっていたのをサポーターが真似してくれたんです。
でも、自分やチームの結果が得られないと出来ませんからね」とコメントしています。
2001.6  『SPORTS Yeah! No021』 コラム「魂 中山雅史」藤江直人
『この男がピッチに姿を現しただけで、スタジアムの雰囲気が一変する。
味方へ勇気を、ファンへは感動を与える男。中山雅史。最年長の33歳の弾ける魂が、日本代表の戦う象徴となった』
コンフェデレーションズカップでの活躍を中心に、日本代表での戦歴を追って、中山選手のコメントを織り交ぜながらのコラム。
2001.6  『Number 525』 コラム「新連載・FWという生き方特別版 中山雅史がかけた魔法」増島みどり
コンフェデレーションズカップでの試合を追いながら、中山選手のコメントを織り交ぜながら、
中山選手が若手FW陣に見せた戦う姿や激励、チームに与えた影響を魔法ととらえたコラム。


2000年
2000.11  『Soccer ai 12月号』 「藤田俊哉の聞き上手話し上手」 第13回 (4ページ)
「ひとりでの練習なんて大岩も大変だったね」 「サッカーを仕事に持てること自体が幸せだから」
「アイツはめっちゃブサイクだったからね(笑)」 「全勝したうえで、あとは祈るだけだからね」など。

連載が3年目に入るという事で今までのゲストの話になり、いきなり「で、カズさんは?」と聞くゴンちゃん。
俊哉さんの「カズさんって笑っていいとも出たことあるの?」の質問には「あるよ。2回くらい出てるんじゃないかな」と即答。
元フリューゲルスの森くんがうじきさんからの紹介で出たなど、いつもながら昔の事については記憶力がいい。
年末年始もスケジュールをいっぱいにして休まない選手ですが、
「オフ明けましたって瞬間に、ちゃんとした体でいるっていうのは、選手としては当然のことだから。
それができていないのは、信じられない」と自分も他人にも厳しいお言葉。
セカンドの優勝については、藤田「もう、遅いって」 中山「タイトル?もう獲っちゃったよ・ゼロックス獲っちゃったもんね。」
と諦めているんだか、はぐらかしているんだか。最後は「みんなで祈るしかないか(笑)」と。
2000.8  『サッカーマガジン 8.23号』 ZOOM UP今週の人「アツい男」の季節 中山雅史 ・ 折込ポスター中山
『暑い夏に、アツい男のプレーを見る。夜空に打ち上げられる花火のように、次々に放たれるゴン・ゴールに歓喜する。
そして、盆踊りよろしくゴン・ダンスを踊る。そんな夏の過ごし方も、いいんじゃない。』
2000.7  『Nunber 7/13 500記念特大号』 インタビュー フォワードの群像T「ナカヤマらしく、いつまでも」 (2ページ)
★現在のジュビロの状態、そして巻き返しを狙うセカンドステージについて
鹿島戦後のガンバ戦のPKについて、
「蹴る気満々でセットしていたら、トシヤが来て、『中山さん、監督が俺だって言っているんだけど。中山さんが蹴るんだったらいいけど』
って言うから『え?いいよ。じゃトシヤ蹴れよ』って。そうしたらトシヤも止められたんですけどね(笑)。」とのこと。

★日本代表への想いについて

「サウジから帰ってきて、合宿して、ソウルに行った時が1番きつかった。(中略)
ソウルに行く前に鹿島で練習したけど、頭痛くなりましたもん。」
「代表に行かない寂しさや悔しさに比べたら、どんなに疲れていても行って、がんばれるだけがんばりたいという気持ちが強いですね」
2000.5  『AERA '00.5.1-8』 コラム 「現代の肖像 中山雅史」 (5ページ)
『中山雅史は平成の森の石松』というコラム。
南米選手権の練習試合でのケガの事、フランスワールドカップアジア最終予選の事、負けず嫌いでシャイな事など。
2000.2  『アウトトアフィールド 2月』 インタビュー 「川を見ていると落ち着くんだ」 (6ページ)
「ビッグゲームの前にする散歩。川を見ていると落ち着くんだ」 「山と川が遊んでくれた少年時代」
「あえて挙げるならサッカーが道楽。高揚感と達成感を得られる貴重な時間」
「行きたいのは京都。旅情に心惹かれる時」 「子供とはサッカーボールで遊びたい」など。
2000.2  『週刊文春 2000.2.17』 「阿川佐和子のこの人に会いたい」 阿川佐和子×中山雅史 対談 (5ページ)
★99年セカンドの不調について
「名波がいなくなったら、そこに単に人を補充するだけじゃだめだったんです。名波がいるときとは違う、新しいチームを作らなきゃ
いけなかったんですよ。それが自覚できてなくて、試行錯誤して悩んだり、挫折を繰り返していたんですね」

★名波がヴェネチアに行くことについて
「相談というか、一昨年のチャンピオンシップの頃から海外に行く話があって、あいつはすごく律儀だから、
まずキャプテンの俺に言わなきゃいけないって感じで、話の進み具合は聞いていました。」
「今回も帰国したときに、成田からすぐに電話をくれたし。」

★怪我の手術について
「(前略)手術は嫌いじゃないですし、好きですよ、ゼンマですから」 ゼンマ→全身麻酔のこと(^_^;)
「メッチャクチャ気持ちよくないですか?寝つけないときにゼンマがあったら最高だろうなと思いますね。」
「去年は4回手術受けて、麻酔科の先生もよく知ってるから、手術受けるたびに、気を失うまで何秒麻酔に耐えられるか
というのをやったんです。」 「何事にも挑戦ですからね。麻酔にも負けちゃいませんよ。僕、麻酔と戦ってる唯一の男ですから(笑)」