91年の夏、ライダー100名、サポート100名を中国シルクロードへ連れていってくれるという話があったのをご存じでしたか?色々な雑誌などで見かけられた方も多かったに違いありません。国会議員だったアントニオ猪木氏の提言により、バイクでのツーリングを通じて、アジアの人々との民間交流、そして遺跡、文化にふれる旅”シルクロード1991”と言うのが企画されたのでした。思えば90年の夏、何の下調べもなくテクニックもなしに気の向くままに訪れた北海道。そのとき、2ヶ月の一人旅で「やればできるのだ」と悟り、この企画を知った私はすぐに応募しました。
![]() 本物はさすが、でっかい。おまけに、あごは、もっともっとでかい。(酔っぱらった猪木氏にほほにキスされたとき視界の半分くらいあごだった)
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応募総数約5000名。その中から書類選考と作文により選ばれたライダー100名。そして、さらにサポート100名が選ばれ、8月8日成田に集合。日本各地から集まった顔ぶれには、すごいの一言。やはり多人数の中から選抜されただけあって、よくもまあこれだけ個性的な人間が集まったものだと思いました。67歳から19歳までと年齢も様々で、女性も全体の1/4程いました。ライダーもサポートも根性ありそうな人ばかり。
その日のうちに、飛行機は北京に到着。国会議員ご一行ということで、日本の迎賓館にあたる人民大会堂と言う御殿で公式レセプションが開かれ、ごちそうや踊りなどの国賓級のもてなしを受けました。日本側からも女の子は皆着物を着て、お茶や尺八などの日本伝統文化を披露しました。
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ウイグルの人大半はお風呂に入らないのですごく匂いがきつい |
軍用機でいよいよ”シルクロードツーリング”の出発地ウルムチに到着。ウルムチというのは、中国のかなり奥の方にあり、イスラム系の顔立ちが多いエキゾジックな町です。言葉も標準中国語からウイグル語にかわり、主食はナンとシシカバブー(羊の肉、もうこればっかりだった)である。ここで、2ヶ月前に送っていたバイクと久しぶりに対面。みんなも2ヶ月ぶりだったために、半狂乱でした。気温40度の炎天下の中、錆錆のバイクを半日かかって整備。嬉しくて、夢中でした。みんな、初対面ばかりですが、バイク好きの良いところは、バイクが好きだから、お互いのマシンのことで盛り上がり、すぐ友達になれるところです。日が落ちかけた頃、ガソリンの配給。なかなかエンジンがかからない人がエンジンに火がはいったときは、周りも大はしゃぎ。みんな、早く、一刻も早く大地を走りたいと思っていました。
免許講習、中国の免許配布、ナンバープレートの交付などの処理が済むとツーリング開始。走行形態は、先導を公安車(中国のパトカー)、その後ろに10名づつ10グループに分かれて走り、給油車、リタイヤ回収用トラックが続きます。なんと、全長1km! サポート隊は先回りして休憩ポイントでテントやトイレの設置、食事の用意をしてくれ、肉体を酷使して頑張ってくれました。この日は初日ということで、軽く(?)190km全行程舗装道路で、全員無事に目的地トルファンにつきました。スピード、路面のことなどちょっと期待はずれ。もっとも、粗悪なガソリンのためスピードもでないのですが・・・・・
![]() 地平線にかんどー!(でも、行けども行けども景色が変わらないのが、眠いのナンの・・・そのうち苦痛に。)
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8月15日、今日の予定は420km。連日バイクやライディングの話を肴に酒盛りで夜遅くまで盛り上がり、睡眠時間がずっと3時間・・・眠い。初日こそ、一本道とどこまでも続きそうな地平線に盛り上がりもしたが、2日目からは慣れてしまって、本当にどこまでも続いてしまう地平線に、退屈さと睡魔がおそってくるのです。
しかし、たまに通り抜けるオアシスの村では、見たこともないバイクとその数にびっくりした村中の人々が飛び出してきて沿道を埋めるのです。その人々に「ニイハオ」と大きな声で手を振ると「ニイハオ」と明るく返してくれたときは、疲れなんかどこかへ行ってしまいました。女の声に驚く人も多く、休憩などでバイクを止めると、わっと人が寄ってきて、「女がバイクに乗っている」「これおまえのか」「いくらだ」と片言の日本語、英語混じりの中国語で質問責めになり、私たちも筆談や身ぶり手振りで必死に答えました。中国では見たこともない最新鋭のバイクが、若い、しかも女の物だという事が信じられないのでしょう。このときほど、ほしい物が手に入り、好きなことができる国に生まれて、なんて幸せだろうと心から思いました。
![]() 鳴砂山(観光地)でラクダに乗った。乗る前に値段交渉して乗ったら、頂上で帰りは別料金だ。と倍の値をふっかけられた。今思うとくやしい・・・ |
この日も、420kmとハードは行程です。でも、この日は100kmがダート&フリー走行ということで、嬉しくてたまりません。いつもより、ちょっと眺めの公安の注意事項を聞き、みんな「気を付けて、ゆっくり一緒に走ろうね」なーんて言っていたが、いざスタートとなると、今までの憂さを晴らすように、言っていたことも忘れて、みんな飛ばすこと飛ばすこと。ほとんどの路面は、砂漠というより、がれきの土漠なのだが、ときどき細かい砂地になり、先行者の砂煙で前が全然見えなくなったときは、「南無三!」とつぶやきながら、突っ込んでいきます。私も、1度だけふかふかの赤土の上で転倒しましたが、ハイになっているので、笑いながら起きあがり、すぐに走り出すと言うような状況です。あっと言う間の100kmでしたがゴール後のみんなの顔はニコニコしてて、すてきでした。日本で100kmのダートと言えば剣山のスーパー林道ぐらいでしょうか?そのような距離を、スピード走行となると転倒者続出!さすがにこの日はリタイヤ者も多かったようです。
![]() ダートが最高! |
旅も後半になると、飲食物や気候のせいで身体の調子を崩した人がふえてきて、その数も半数に達しました。そのナンバーワンは、「下痢」です。女性用のナプキンを男性の方々が、女性に提供してもらい、ゆるんじゃってどーしようもないお尻にあてていたという強烈な下痢だったみたいです。
![]() <西遊記> 日本からきちんと用意してきたのです |
途中、ハミや敦煌で遺跡を見たり、ラクダにゆられて砂漠の雰囲気にひたったりして、シルクロードを満喫した一行は、ツーリング最終日を迎えました。この日はまだ夜の明けないうちに出発。静かな町を抜けると、すぐにまた荒野がひろがっています。日が昇る前の地平線は、空が薄い青紫色(まさにパープルハイウェイ)。それにしても、日が昇る前は寒い(昼になると50度まで上がり、夜は零下10度) そして、朝日が昇り始めると、みんなバイクを止めてただその美しさに見とれていました。あんなに、うんざりした一本道と地平線も今日で終わりかと思うと、寂しさ、名残惜しさがこみ上げ、あと50kmと聞いたときには走りながら涙が止まりませんでした。
![]() どこまでも続く道、平原。空の青さにかんどー。 |
カヨクカン(万里の長城の西の終点)がこのツーリングのゴールです。ここに着くと、街中の住民とサポート隊が出迎えてくれました。そのとき、完走したんだと言う実感で、感激屋の私はまた泣いてしまいました。苦楽を共にして、時には意見が合わず、熱くなり殴り合ったりした人もいたりしましたが、それもバイクや旅が好きだからです。その仲間に、私も入れたことをとても嬉しく、誇りに思っています。こうして、一行は無事完走しました。その日から、22日まで数日間私たちは、西安、北京など各地を訪れ、私には実り多き旅となりました。
1人で放浪するのも大好きでしたが、多人数で旅するのもいいですね。(今回はちょっと多かったかもしれませんが)バイクに乗っててよかった。みんなに出会えて、本当によかった。これからも走り続けていこう。そう心に刻んで終わった91年夏の旅でした。
最後に、佐川急便疑惑のために(帰国直後に発覚、びっくり)、放映されることの無かったこの企画でしたが、一参加者として、参加できた事を嬉しく思うと共に、当時のシルクロードツーリング実行委員会、アントントレーディングの関係者全員に深く感謝いたします。
−疾駆北駆’す倶楽部MAGAZINE'
旅北海道ツーリングマニュアル92版掲載から−
91’美深組おさーがせ、うなぎ犬ねーちゃんこと西美由紀(旧坂本)でした。