なお、黄色網掛けの選手はアルビレックスシンガポールリーグへのレンタル選手です
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DF3 アンデルソン あんでるそん |
1972/12/22。ブラジル。ウベルランジア→アナーポリス→インテルベベヅーロ→ジボチカベル→セルタオンズイーニョ→カルデンセ→サンカルレエンヤ→パウリスタFCジュンジャイ。2003年、39試合、2点。J1/2004年、12試合、0点。 昇格を目指し初海外キャンプをブラジルで張った反町の目にとまった長身DF。打点の高さはもちろんだが、大股のドリブルで前線に駆け上がる姿は圧巻。ロングパスの精度も高い。 2003年ゴール前に立ちはだかるセンターバックとして、体躯から越後山脈と呼ばれるアンデルソンは物静かでファン対応の良い選手である。2003年の得点はアンデルソンのヘディングからスタートしたが、192cmの長身はセットプレーでの高得点を期待された割には2得点と控えめだった。オウンゴールが2点あっただけに、ちょっと物足りない。イエローが多いのも反省して欲しいところ。 2004年J1で12試合に出場(0点)していたが、1st終了後のキャンプで足を痛めたこともあり松尾の加入と同時にシーズン途中で解雇された。長身の体躯はまさにゴール前の壁いやゴール前の山脈としてそびえ立ち、ハイボールには強かった。ただ守備の受け渡しや不用意なポジショニングでアルビの最終ラインを恐怖に陥れることがままあったことも事実。結局その守備の不確実さが解雇の原因と思われる。 冷静で穏和な雰囲気を感じさせたが、押し込まれる場面で突如大股なドリブルで相手前戦深く切れ込んで見せて「みんなもっと攻めようよ」とチームを鼓舞する熱いハートを持つ選手だった。本国に戻る。 |
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DF19 三田 光 ぴか |
1981/8/1。東京都。國學院久我山高→国学大・FC東京。2002年、30試合、0点。2003年、35試合、0点。J1/2004年、10試合、0点。 久我山では選手権に出場。2001年は大学生JリーガーとしてFC東京に所属していたが出番は無し。FC東京を戦力外になり、反町に拾われた。大学には休学届けを出して新潟でリーグ出場を目指す。2002年登録はMFだったが、左サイドバックでの起用で開花。。右はもちろん、ボランチもこなせるユーティリティプレイヤーぶりと、精度の高いロングパスが買われてU-22日本代表に選ばれてから一気にブレイク。ツーロン国際ではキャプテンマークも巻いていたので、アテネオリンピックには是非行って欲しかったが結局行くことはできなかった。。 2003年、ワイワイも昇格試合の集合写真のサインは三田にしてもらった。右も左も出来るユーティリティプレイヤーから、本職としての色をそろそろ出してもらった方が良いと思う。今季J1で古巣FC東京と対戦するが、見返してやりたいという言葉を現実のものにする活躍を期待したい。 その三田もアテネ五輪候補から遠のくとともに新潟での出場機会も減っていった。限られた選手で短期間に戦う代表としてはユーティリティーさは大きな武器になるだろうが、リーグではそれだけでは通用しない。山本japanでツーロン国際のキャプテンまで務めながら結局アテネに行けなかったのは、守備のミスや得意なはずのフィードのミスが時々見られる不安定さが原因と見られるが、これはリーグでも同じ。結局新潟でも出番を失なうことになってしまった。しかし、代表に選ばれたくらいだから期待値は高いはず。U22でキャプテンを務めたことも大きな勲章にはなっているはずなので、FC東京から新潟にきたときにブレイクしたように、今期仙台ではもう一度新潟を見返すような活躍をして欲しい。 |
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DF27 酒井 悠基 さかいくん |
1985/6/28。滋賀県。草津東高。2年時選手権に出場。2004年アルビ入団。 シンガポール組に負けないように、しっかり体をつくり、技術を高めて欲しい。 サテライト戦ではセンターバックとして良く声が出し、長身を活かして攻撃にも絡んで期待させていたが、シーズン途中からアルビレックスSにレンタル移籍された。ワイワイ的には期待していただけに、シンガポールの水に染まらずに早めに帰ってきて欲しい。 |
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DF33 松尾 直人 まつお |
1979/9/10。和歌山県。近大和歌山→神戸→ヒムナシア→神戸。97高校選手権出場。J159試合、2点。J1/2004年、11試合、1点。 サイドバックの補強としてシーズン途中の7月1日、神戸からレンタル移籍。 左サイドバックが本職だと思ったら器用に右もこなして不安定な新潟の最終ラインを救った功績は大きい。土屋が抜けたこともあり新潟での活躍に神戸も見直したか、契約切れとともにレンタル元の神戸に帰ることになってしまった。 |
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MF6 秋葉 忠宏 あごっち |
1975/10/13、千葉県千葉市。市立船橋高→市原→福岡→セレッソ大阪、J1で59試合、2点。2002年、41試合、1点。2003年、39試合、0点。J1/2004年、14試合、0点。 95年ワールドユースベストエイト、96年アトランタオリンピック代表は燦然たる勲章.。ヒデ、城、伊藤輝悦らは共に戦った仲間、金子達仁の「28年目のハーフタイム」(文芸春秋社刊)にもちゃんと載っている。2001年シーズンは木沢の後をついでキャプテンを勤めた。2002年は副キャプテン。守備的ボランチとして中盤の底はこの人ががっちり押さえ、ピンチをチャンスに変える。チームのムードメーカーで積極的に選手に声をかけている(練習場でも分かります)。2000年オフに遠距離恋愛を成就させて結婚。友人の城から祝辞ももらったし、奥さんのためにも頑張って欲しい。このサインと言い、お写真も超サービス精神にあふれたお方です。Jリーグ選手会の副会長も務め(会長は中山雅史)、人望も厚いところを見せる。 2003年、木寺、高橋とともに最古参の選手として夢に見たJ1昇格を成し遂げたのは、この人のキャラが大きい。最終戦前、坊主になった言い出しっぺもどうもこの人らしいが、久々のJ1で暴れて欲しい。 シーズン当初はけがで出場できなかった丸山に代わって慣れないセンターバックで最終ラインを統率してくれたが、シーズン終了の契約更改で秋葉の退団が発表になったときは少なからずショックだった。J2時代からの苦労人として、昇格をもたらした功績を新潟サポとして忘れるてはいけない。何より、ムードメーカーとしての明るいキャラクターは、リーグ選手会の副会長を任されるほどのリーダーシップのあらわれだったと思う。 個人的には秋葉といえばオウンゴール。アトランタ五輪代表は勲章ではあるが、秋葉のオウンゴールで予選リーグを勝ち抜けなかったなんて本人の前では決して言ってはいけない。2004年も浦和戦でしっかり見せてくれた。まあ、体を張って守っているという気迫のあらわれと思えなくもないし、キーパーが交わされたゴールラインの上でクリアしてくれたこともあったからプラスマイナスゼロだね。2005年は新規J2参入を成し遂げた徳島ヴォルテスに就職。J1昇格請負人として新潟時代の苦労が活かして欲しい。 |
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MF7 栗原 圭介 くりはら |
1973/5/20。東京都。駒沢大。V川崎→平塚→広島→湘南。2003年加入。2003年、15試合、0点。J1/2004年、11試合、0点。 J1通算で72試合、17得点。J2通算で71試合、24得点。2002年シーズンは湘南で38試合、7得点。スゴイストライカー。反町は対湘南対策として得点力のある栗原を取ったに違いないと思わずにいられなかった。 2003年、当初はコンディションが整わなかったのか、期待されたほどの働きはなかったが終盤近くになって本領発揮。縦横無尽のドリブルから再三ゴールを脅かしたが、残念ながら無得点。今季寺川とポジションを争う立場になったが、得点力を発揮して欲しい。 新潟に来る前はリーグ通算143試合で40得点とそんじょそこいらのゴールゲッター顔負けのストライカーだったが、新潟では点が取れなかった。飛び出しの早さとタイミングのうまさでスーパーサブ的使われ方が多かったが、この人はスタメンで本領を発揮するタイプだったのかもしれない。奥さんが「パパはサッカー選手」という本を書いて、この世界特有の移籍にまつわる不安定な生活ぶりを紹介していただけに、退団後いつまでも行き先が決まらないのは1サポーターとしても辛かったが、神戸に決まってほっとしたのは偽らざる気持ち。 |
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MF13 阿部 敏之 アベちゃん |
1974/8/1。埼玉県さいたま市(旧浦和市)。帝京高→筑波大(中退)→鹿島→CFZ→鹿島→浦和→仙台。J1で115試合、7点。J1/2004年、0試合、0点。 浦和ではあの小野伸二の後の8番を、仙台では6番を背負った、パスワークに秀でたテクニシャンとして期待が高い。鹿島でボランチとしてスタメンを張っていたというのだから実力はあるのだろう。良い男っぷりもレベルが高そうで、新潟のニューヒーローとして女の子サポを増やしてくれそう。J1での経験を生かして新潟の新しい星になって欲しい。 今期最もはずれた選手と言われても仕方がない。北野は第3キーパーだからしょうがないとして、フィールドプレイヤーで唯一試合出場無しでは新潟サポの記憶もないまま忘れられていくのは間違いない。Nabiscoとバレンシア戦ではキラーパスも独りよがりな感じで、チームとのコミュニケーションに問題有りと思っていたが、新潟の水にに合わなかったのかもしれない。ワイワイ的には阿部が新潟に来ると決まってすぐに「左足の魔術師阿部敏之」の段幕まで作ったというのに、本人に見せてサインをもらう間もなく鹿島に戻ってしまった。期待が大きかっただけに一体どうしてくれるんだと言いたくなっちゃうね。今期は古巣鹿島でリスタート。 |
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MF17 安 英学 あんちゃん |
1978/10/25。岡山県倉敷市。国籍は朝鮮民主主義人民共和国。立正大。2002年、39試合、3得点。2003年、29試合、1点。J1/2004年、28試合、3点。 2002年、J1チームからもオファーがあったが、反町監督は学生時代から新潟の練習に帯同させ、この争奪戦に勝ち切った。フィジカルに強い攻撃的ボランチとして開花。倒れない安として、ボールをキープしたときは絶対的安心感をサポーターに与える。高校時代の同級生は北朝鮮の代表入りを果たしており、安も2002年韓国-北朝鮮戦では見事A代表入りを果たした。女性ファンには小顔でかわいいと評判、男性ファンには積極的な守備から攻守の切り替えが早いと評判。ミドルレンジからのキャノンシュートはつぼにはまると新潟の秘密兵器。 2003年は強いフィジカルがけがを呼び、良くなってはまた壊すというさんざんの1年だった。シーズンオフに手術をし、2004年は万全の体調で臨む。山口の加入により昨季のボランチから攻撃的中盤に変えてスタートしたが、なかなか簡単にポジションに合わせるのは難しいらしく結構苦労していたように見えた。むしろ、アンデルソンが欠場した後のセンターバックで非凡な才能を見せ、この人の才能の一端を見た思いがする。シーズン始め全国放送のドキュメンタリー番組にも取り上げられ、新潟の安から日本の安、世界の安への期待も大きい。 このシーズンオフ新潟の選手の中で最も有名になった選手は安だろう。W杯決勝リーグで北朝鮮と戦うことになって代表に選ばれた安は好むと好まざるに関わらず、マスコミの寵児となっていった。1次予選では攻撃的左で2得点。一方新潟では丸山不在のセンターバックで守りの強さを見せたが、日本ー北朝鮮戦では本来のというか一番安心してみていられるボランチでの司令塔ぶりは敵ながら見ていてうれしかった。 2005年シーズンは請われて名古屋に行くことになった。ワイワイ的には本間と並んで将来の新潟のボランチ候補と思っていただけに残念ではあるが、その新潟でボランチでの出番が無かっただけに名古屋で出場機会を得てビッグになって欲しい。それにしてもW杯の決勝リーグで安が紹介されるたびに「名古屋の」と冠頭詞がついたが、新潟から育ったタレント第1号とも言えるだけに「安は新潟だ」と悔しい思いを感じたのは、新潟サポ共通の気持ちだったろう。 |
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MF26 栗原 明洋 くりはら2号 |
1985/5/2。群馬県。桐蔭学園高。神奈川国体選抜で優勝。 高校選手権で2002年は先輩阿部祐太朗を擁してベスト4まで進出したが国見に敗退した。リベンジの今年は初戦筑陽に敗退。反町監督が新潟に来る直前桐蔭のコーチをしていたつながりでの獲得か?右のウイングとして栗原圭介ともポジションが重なり、我が家では栗原2号と名付けられている。1号に負けず、将来は新潟の右サイドを支える選手に育って欲しい。 酒井君と同時にSアルビにレンタルされてしまった。レンタル直前リーグのセカンドキャリア研修で試合のグッズショップで売り子をしていたのが新潟で見た最後の姿。 |
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MF32 平間 智和 ひらま |
1977/6/30。宮城県。東北高→横浜M→山形→仙台→横浜FM→札幌。95年選手権出場。62試合、4点。J1/2004年、1試合、0点。 2004年2ndから移籍。瞬発力のあるMFとして期待は高い。 リーグでは1試合、たったの1分間の出場だった。ボカ戦ではかなり長時間ピッチ上の平間を見たが、裏をねらうスピードは結構見せてくれた。何となく末岡とかぶるところがあったが、瞬発力では末岡の方がいいかなとという感じ。最終節セレモニーで平間の子がピッチ上を走り回っていたのが最大の記憶。移籍先は群馬FC堀越。 |
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FW23 深澤 仁博 ふかのうち |
1977/7/12。静岡県沼津市。静岡学園高。横浜、リバープレート(アルゼンチン)、横浜、テネリフェ(スペイン)。静岡学園高では高校選手権優勝。J1横浜では13試合、3得点。2001年新潟では41試合、1得点、4アシストの活躍を見せた。2000年6月横浜FMからのレンタル移籍だったが、2002年シーズンからは完全移籍。その2002年39試合、3点。2003年、41試合、1点。J1/2004年、7試合、1点。 FW登録だが、攻撃的中盤で使われることが多い。そうかと思うと、DFのサイドバックで起用されたり、右も左もこなせるユーティリティープレイヤーとしてアルビでは貴重な存在。高速ドリブルで突破する技術は見るものがある。2002年、33節大分戦での後方から来たボールに合わせたダイレクトボレーはまさに美技。ワイワイでは、竹野内豊に似ている気がするので、ふかのうちと呼ばれている。シャイな選手でつっけんどんな感じがするが、ワイワイお気に入りの好青年の一人。 2003年、ドリブラーとして深沢がボールを持つとスタンドが沸き上がる光景が何度もあった。点が取れないFWと謙遜するが、もともとアルビではチャンスメーカーとしての役割が強いだけにフォアザチームを実践していただけのこと。とは言いつつ、深沢にはもっと得点して欲しい。 新潟で最も人気のある選手の一人だっただけに、移籍リストに載ったときは何かの間違いではないかと思ったほどだった。中盤で使われることが多く、本人が言うようにFW登録だと思っている人は少なかったかもしれない。ドリブル突破のスピードはアルビ屈指で深沢がボールを持つとスタンドが大いに沸いたものであるが、そこから次につなぐパスに難がありついついスタンドから「深沢、持ちすぎー」と声をかけられていた。ワイワイ的には、それで潰されれば相手ペナルティエリア近くでFKのチャンスが生まれるので、いつも「潰されろ」と思っていたものだったし、深沢の最大のチャンスメークだったと思っている。 J2から通して新潟での得点は少なかった。相手キーパーからかすめ取ってあげたゴールや今期7節清水での不意打ちゴールのような得点だけのように思うが、2002年33節大分戦のゴールはアルビ史上でも上位に上げられるファインゴールだと思う。 声をかけてもシャイでつっけんどんな選手だったが、古くから新潟にいた選手なだけにワイワイ的には好青年としての評価が高かった。この際だから言うが、某美術館で某放送局のアナウンサーとデートをしているところを目撃したことがあるが、非常に良い感じで「どっちもがんばれ」と親のような気持ちで二人の背中を見ていたものだ。その深沢なかなか次が決まらず、もったいないと思っていたが、なんと北米リーグ1部モントリオール・インパクト(カナダ)に決まった。アルゼンチン・スペイン以来3度目の海外だが、大人しい性格に見えて実は強い信念を持つ深沢らしい選択だと思う。是非活躍して欲しい。 |
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FW24 森田 浩史 もりた |
1978/5/18。熊本県。福岡教育大。鳥栖。2003年、12試合4点。 2002年鳥栖で38試合、14得点の貴重な戦力を新潟が奪った。闘志あふれる競り合いに負けない高いプレーは、鳥栖では恐怖だったが、新潟に来れば頼もしい選手。 2003年、開幕から飛ばして5節までで4得点したが、その後ケガで出場機会が減った。サテライトでの4試合3得点など、荒削りだが得点感覚に優れた選手という印象が強い。チャンスをものにして爆発して欲しい選手の一人である。 2004年、出場機会を求めて昇格争いをする大宮にレンタル移籍。移籍後から得点を続け、大宮の得点源になっている。 2004年レンタル先の大宮で10得点と昇格に大貢献しストライカー復活を印象つけた。そして大宮に完全移籍。今期はJ1で相まみえることになった。ま、新潟にはお手柔らかに。 |
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FW31 ホベルト ほべ |
1985/12/19。ブラジル。インテルナショナル→フィゲイレンセ。U20ブラジル代表経験を持つ。J1/2004年、1試合、0点。 2004年ブラジルキャンプにテスト生として参加、そのまま新潟に加わり、2ndようやく登録にこぎつけた苦労人。スピードに乗ったドリブル突破は期待させる。まだ19歳と若く、エメルソン2号に化けて欲しい。 テスト生から加入した苦労人も出場は1試合にとどまった。期待された高速ドリブルもこの中では目を見張るものでもなく、守備の弱さもありやむを得ないところ。本国に戻ったと思われるが移籍先は不明。 |
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FW34 オゼアス おぜあす |
1971/5/14。ブラジル。ガリシア→マルイネンセ→ポンテベトラ(スペイン)→ウベルランジア→アトレチコパラナエンセ→パルメイラス→クルゼイロ→サントス→クルゼイロ→神戸。J1で44試合、19点。J1/2004年、12試合、4点。 2ndからの加入。2003年神戸の点取り屋として活躍していたが、イルハン獲得と共に解雇されていた。1st得点力の無さに泣かされただけに、大いに期待したい。果たして歌を作ってもらえるほどサポーターの心をつかめるかどうかは、活躍次第。 加入直後バレンシアとのフレンドリーマッチで2得点と大暴れ。アルビサポのハートをがっちりつかんだ。一時オゼ、エジ、ファビのブラジル3トップとして沸かせたこともあったが、リーグでは期待されたポストプレイヤーとしても最後までかみ合わず、得点も4点とふるわなかった。移籍後は本国に戻った。 |