2004年移籍退団選手

2004年アルビレックスで活躍し、退団した選手の皆さんです

なお、黄色網掛けの選手はアルビレックスシンガポールリーグへのレンタル選手です

フィジカルコーチ

エルシオ

1956/2/19。ブラジル出身。横浜フリューゲルス、京都、柏等でコーチをつとめ新潟へ。

一昨年はコスタが去り、今年J1昇格の功労者の一人、選手の体を作ったエルシオも2年で去った。オファーがあれば高給のチームに移ることを我々サポーターは何ともしようがないが、反町が「腕をもがれる」とクレームをつけたらしい。エルシオは敵対する清水に行くことになったが、コスタが移籍した福岡には相性が良かったので、今年は清水に相性の良いジンクスだけは残して欲しい(笑)。

DF4

杉山 弘一

1971/10/27。大阪府。高槻南高→大阪商大→浦和→東京V。J1通算169試合、2得点のベテラン。2003年、6試合、0点。

左サイドの職人としてJ1から昇格請負人として移籍してきたが、結局ケガが多くコンディションが整わないままほとんど試合に出ることもなかった。シーズン終盤左サイドが次々とケガをし、本当に左サイドが誰もいなくなってしまう危機に瞬間ケガが良くなったが、直後再びケガ。不運な選手だった。ワイワイの記憶もほとんどない。新潟で引退。浦和普及部コーチに就任する。お疲れさまでした。

DF5

神田 勝男

1966/06/21、新潟県新潟市。東農大→NKK→C大阪で主将→横浜FM。高3でユース代表、95年は日本代表1試合。2001年、32試合、0点。2002年、33試合、2点。2003年、17試合、0点。

新潟県が生んだサッカーヒーロー、J1で130試合出場7得点のベテラン。GK以外はどこでも一流プレイのオールラウンドプレイヤーとして、アルビの苦しい台所を救った。冷静、真面目なサイドチェンジ、スルーパスは熟練の味。体力、持久力の衰えは経験と戦術眼が補って余りある。走って走ってくたくたになり膝に手をついて肩で息をしながらも、再びボールを追う姿に新潟のサポーターは胸が熱くなる。2003年、監督と2歳違いの37歳のベテランだが、体力の衰えを感じない。

40歳まで活躍して欲しかった。何より、J1アルビでゲームに出してやりたかった。2003年シーズンはケガがちでコンディション作りには苦労しただろう。神田戦力外の報道があったときはサポーター仲間で「コーチ就任の打診もないチームは冷酷だ」と批判の声があがったが、本人は選手生活への未練が断ち切れなかったようだ。結局チームスタッフとしてJ1新潟を陰で支えることとなり、立場は変わったがJ1新潟の顔であり続けることは間違いない。

DF18

軽部 雅也

1979/5/13。千葉県船橋市。市立船橋高→明大。2003年、0試合、0点。

高校総体ベスト4、関東大学リーグベスト11。空中戦、ボールさばきに見るものがある、後はフィジカル。MF宮沢は明大の先輩。プロとしてのレベルアップを目指す。

サテライトでは結構働いていた印象があるので、戦力外は意外だった。次の職場で頑張って欲しい。

MF25

西原 幹人

1980/6/10。奈良県。国見高→福井工大。2003年、0試合、0点。

2003年新加入の選手。国見から福井工大とはその経歴にクエスチョンが多いが、新潟で花開いて欲しい。

サッカーとは縁の無さそうな福井工大からの加入で、チームのスカウティングの目の高さが期待されたが結局1年で戦力外。退団後の所属は不明だが、頑張って欲しい。

MF31

水木 勇人

1984/11/1。神奈川県。光明学園相模原高。

2003年入団。経歴に光ものはないが、潜在能力を期待されて入団。アルビスカウティングの潜在能力にも期待。

高卒ルーキーとして期待されながら入団したが、1年で退団になってしまった。一度も話をしなかったのが残念。退団後の進路も不明。

MF36

熱田 真

1976/9/16。東京都。帝京高→国士大。C大阪→京都。2003年、1試合、0点。

帝京時代は選手権、国体、総体で準優勝。大学時代は関東リーグで優勝。2002年、18試合、0点。京都ではスーパーサブ的に使われることが多かった右のウイングプレイヤー。昇格の助っ人として8月に加入しただけに期待は大きい。

寺川が抜けた後の右ウイングプレイヤーとして栗原が入団したが、枚数が足らずかつて京都でコンビを組んだ上野とのコンビネーションを期待されて、移籍期限ぎりぎりに入団した。結局リーグ戦では1試合しか出ることは無かったが、その36節鳥栖戦では上野をアシストしている。サテライトの試合ぶりを見ても、頻繁なポジションチェンジからの突破でチャンスを作る動きは好きだったが、新潟のサッカーには合わなかったのかのなあ?京都に戻ることになりました。

FW10

マルクス

1974/2/25、ブラジル。コロンビア1部リーグやブラジルサンパウロ州1部リーグに所属。アルビ入団直前はアメリカFC。1998-1999は本田技研FC(JFL)に所属しており、1999年のJFL得点王(22点)。ブラジルでも得点王を取っており、公式戦ではほぼ1試合に1点近い実績を持っている。得点に対する嗅覚はかなり期待を高く持っても大丈夫そうで、ドリブル突破、ボールコントロールの巧みなストライカーと言われている。何より、日本でサッカーをしたことがあるので、かつてのアルビのすけっと外人にありがちだった、チームの戦術に合わずに使えなかったという心配はなさそうだ。

2002年36試合、19点。2003年42試合、32点。と2シーズン連続のJ2得点王。

真実は不明だが再契約での高額年俸がネックになったようだ。新潟の昇格に貢献したゴールゲッターだっただけに、戦力外が報じられると一様に驚きの声があがった。サポーターの中からマルクス残留嘆願署名活動の動きもあったが、結局再びJ1昇格請負人として川崎Fに移籍が決まり、少なくとも日本でもう1年彼の姿を見ることは出来ることになった。当初わがままなプレーで反町と衝突したり話題には事欠かなかったが、新潟の偉大なストライカーであったことは間違いない。個人的には、42節横浜FC戦でのゴールを背にしたバックキックのゴールに代表される味方選手をも翻弄する動きが好きだったが、1試合に4点もとるより万遍なく得点してくれればもっと楽に昇格できたにとの思いもあった。ニュースステーションで「君はマルクスを知っているか」と特集が組まれるほどの選手と一緒にバーベキューが出来たことが良い思い出です。

FW33

ジェイウソン

1984/4/10。ブラジル。ミスト→ミラソール。

2003年途中加入の若い選手。昔18歳のマルコが期待されて入団したけど、ホームシックで活躍できなかったことがあったが、チームとしてその辺のケアをきちんとして育てて欲しいね。

ジェイウソンも良くわからないまま移籍してしまった。背が高くて高い打点のヘッドに期待させたが、どうも線が細かった記憶が強い。トップでも試合に出たようだが良く分からない。サテライトでは9試合、2得点。ブラジルに帰るようです。

GK20

前田 信弘

1973/06/03、香川県丸亀市、同志社大。V川崎→神戸→清水。J132試合出場。2001年0試合、0点。2002年、0試合、0点。全日本大学選抜、ユニバー代表候補。J132試合出場。

2000年12月30日のセレクションで、鹿島の古川、大分の藤川、横浜FCの大石らとの生き残り競争に勝ち抜きアルビに。「動きの切れが違う」と評された。2001年は野沢の控えでリーグ戦は全試合サブ。ナビスコ、天皇杯の3試合出場のみ。こわもてで近寄りがたい雰囲気だが、気さくでユニークな人です。

身長188cmと長身で、2002年シーズンはウチの娘に「寺川にチビと言って来い」と命令したお茶目な人ですが、2003年シーズンは194cm船越、192cmアンデルソンに「チビ」と言われているかも知れない(笑)。

2001年から2003年まで0試合、0点。試合に出ることは無いが多分チームの雰囲気を高めるには必要なキャラクターなんだと思う。2003年オフに準指導員の講習を受けたりして、いよいよ指導者かと思ったがなんとシンガポールアルビに移籍することになった。コーチ兼務でSリーグを盛り上げて欲しい。

DF13

新井 健二

1978/05/19、埼玉県熊谷市、立正大主将として、チームをまとめた。2001年、20試合。2002年、2試合、0点。2003年、4試合、0点。

新入団の2001年シーズン新人唯一のスタメン出場を果たす。1対1、ヘディング、インターセプト、個人戦術のポテンシャルは高いと反町監督の評価は高い。左のSB、CBとして試合出場は果たしたが、ちょっとしたミスで失点を許してしまった事も事実。昨年の反省を踏まえて、今季の飛躍を期す。立正大サッカー部には21世紀の石原裕次郎に選ばれた徳重聡がいたので、友達になっておくにはいい選手ナンバー1かもしれない。

ルーキー年は期待されて使われたが、2年目以降は試合に出る機会が減ってしまった。2004年はシンガポールで鍛え直す。

MF26

尾崎 瑛一郎

1984/12/7。静岡県。日生学園二高。2003年、17試合、0点。

2003年新入団でいきなりブラジルキャンプへの帯同を許された、反町イズムの飲み込みが早い期待の戦力。MF登録ながら、2002年シーズン入団の山形とポジションがかぶる右サイドバックだが、精進を忘れなければ大バケの可能性を感じさせる。応援コールは五木ひろしの「夜空」からだが、うら若き18歳の少年にはあのあまりにねばっこい演歌のコールは、気の毒としか言いようがない。ラップ調の乗りのいいのにしてあげませんか。

ルーキーながらシーズン当初から右サイドバックを任されたが、次第に出場機会が減っていった。プレイスキックの精度が高く、CKやFKも任され大いに将来性は期待させるだけに、シンガポールでもう一皮むけて帰ってきて欲しい。

MF32

山形 辰徳

1983/10/4。福岡県北九州市。東福岡高校。2002年、2試合、0点。2003年、4試合、1点。

00年U17日本代表、高校選抜。鹿島の本山、仙台の山下、札幌の小島などそうそうたるOBを輩出するサッカーの名門東福岡で主将をつとめた。2002年、攻撃もできるDFとして左サイドバックと思われたが、MF登録となっていた。2003年はDF登録。

2002年期待の新人としてリーグデビューを果たし、超攻撃的なDFとして果敢な上がりでサポーターを喜ばせた。三田に負けずに代表に選ばれるくらいになって欲しい。

7節湘南戦で待望の初ゴールを決めた。尾崎、三田と右サイドバックのポジションを争うが、2003年はシーズン始め尾崎に先を越され、三田が右に回ってから試合に出る機会が減ってしまった。この人の良いところは思い切りの良い前戦への飛び出しだが、守備がおろそかになる所。長所をそのままに、短所を克服すれば良い選手になれる。Sリーグでブレイクして欲しい。

MF34

和久井 秀俊

1983/2/12。栃木県。鹿沼東高。宇都宮チェルトFC→サントアンドレ→アトレチコジャレゼンセ。2003年、0試合、0点。

2003年途中加入の選手。詳しいことは不明。

ブラジル経験もあるだけに、海外リーグでも不安は少ないだろう。Sリーグで活躍して新潟に戻ってきて欲しい。

FW16

末岡 龍二

1979/5/22。山口県光市。中京大。2002年、5試合、0点。2003年、17試合、1点。

中京大では三年次にインカレV。古いサッカーマガジンを見ていたら、末岡が写っていて大喜びしたなあ。高校時代はサッカー同好会で全く無名、大学で地道に一軍にはい上がった。二列目からの飛び出しに非凡なものを見せる。ゴール前での嗅覚は期待させるものがあるが、あとは決めてみせること。

13節福岡戦でJ初ゴールが決勝点になった。思い切りの良い裏への飛び出しのスピードは結構魅力的な選手だった。スーパーサブ的な選手として、以前の鹿島の本山とダブって見えるのは私だけでしょうか?末岡の真骨頂と言える試合は、天皇杯仙台戦。後半途中出場からファーストタッチを持ち込んで決めてしまい、これがアルビ勝利へ流れ変えた。この人は必ず出てくるという期待感があるので、Sリーグで90分間走れるフィジカルを身につけて、いっそ得点王を狙って欲しい。

FW27

中島ファラン一生

1984/5/16。カナダ。ヴェルディユース。2003年、0試合、0点。

カナダ出身のいけめんFWとして2003年シーズンから新潟に加入。サイン要員では終わるな。

ユース時代はイギリスのクラブにも所属したという、経歴は華やかだがどうも新潟では働き切れていない。言葉の壁が新潟ではハンディキャップになっているとしたら、シンガポールは英語圏なだけに、思い切り仕事が出来るんじゃないだろうか。ファンも多いだけに、Sリーグで大活躍してJに戻ってきて欲しい。

FW29

山田 将司

1984/12/6。大阪府。香川西高。2003年、0試合、0点。

2003年新加入。頑張って欲しい。

リーグ戦に出ることは出来なかったが、高卒ルーキーながら天皇杯では2試合出場を果たした。試合に出ることが自信になるはず。Sリーグをチャンスにステップアップして欲しい。

FW30

田中 泰裕

1984/8/2。新潟県。新潟ユース。2003年、0試合、0点。

2003年、チーム史上初アルビユースからのトップ入りを果たす。第1号選手としての誇りを忘れず、活躍して欲しい。

本間君に続く新潟の星。天皇杯では1試合に出場した。Sリーグで経験を積むことで一回りも二回りも大きくなって、新潟に戻ってきて欲しい。

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