なお、鈴木慎吾選手はレンタル延長なので、ここには掲示しません、また出場・得点記録は2003年分を整理していませんので暫定版です
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DF3 セルジオ せるじお |
1975/09/19、ブラジルサンパウロ、ジュオン23高→ジュベントス。J2通算88試合、6点。移籍まで新潟で4年。すっかり新潟の顔、越後の壁とはまさにこの人だ。J2屈指の不動のセンターバックだが、体を張った守備は警告も多かった。接触プレー、高さに強く、攻撃意識も高い選手。2002年1月12日にはフェルナンデさんと結婚し、副キャプテンとして反町サッカーの体現を委ねられ、このシーズンだけで6点を取るというDFにあるまじき活躍をしたが、2002年シーズン終了と共に戦力外に。 打点の高さでヘディングでの得点の印象が強いが、足での得点も決めて見せた。セットプレイでセルジオが上がると場内が沸いたが、そこから、カウンターに備え必死に守備に戻る姿が何故か苦笑いを誘う選手だった。センターバックとしては、出過ぎて裏をつかれる事たまにあり、その辺が玉に瑕といえば言えた。それにしても、この人を敵に回したくないと思っていたが、なんとJ2福岡に移籍してしまった。笑顔がとても人なつこく、男の私が見てもカッコイイ選手。プライベートのBBQで小さい子供達に囲まれても笑いながら遊んでやっている姿を見たときは、本当にいい人なんだなあと思いました。福岡でがんばって欲しいけど、新潟にはお手柔らかに。 |
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DF4 柴 暢彦 しばさん |
1974/04/18、大阪府豊中市、福岡大→大分FC。福岡ユニバーシアードのメンバーだったが、ケガで不出場。32試合、0点(2アシスト)。1対1の強さと(ねばっこさ)とヘッドの高さはちょっと注目です。2000年キャンプ中に鼻を骨折、8節まで出場が出来なかった。2001年は19節に出場7分でじん帯断裂し、後半全試合に出場できなかった。とにかくケガに泣く選手である。右センターバック、右サイドバックを主要ポジションとしている。2002年はリハビリからの復活の姿を見せて欲しかったが、結局戦力外となった。 本当にケガに泣かされた選手だった。マンマークのねちっこさはサポが見ていてもスゴイと思ったから、相手の選手には本当に嫌な相手だったはず。しかし、体を張りすぎた訳じゃないけど、アレッと思う所でケガをしてしまう。体が固かったのかなあと思うけど、2002年はサテライトで久しぶりの勇姿を見ることができた。古いサポーターは「柴〜」と声援を送っていたが、鹿島戦でのオウンゴールではさすがにサポも目が点になったなあ・・・。娘が近所で「彼女?を連れている姿を見た」と言っていたが、幸せに次のステージで頑張って欲しい。何たって、bakuがアルビを応援し始めたとき一番好きな選手だったんだから・・・。 |
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DF26 小林 悟 さとる |
1973/8/26。埼玉県川口市。武南高→NTT関東→鳥栖。J2で59試合5得点。2001年5月から途中加入。初出場の甲府戦では出場1分で得点を決め、一気にアルビの選手として認知された。右サイドバックとしてスピードあふれるオーバーラップが持ち味で、攻撃にもからめるDFとしてサポーターの信頼も厚かった。2002年は前期の井上に変わり右サイドバックを専門にしていたが、無情の戦力外。 右サイドバックは2000木澤(水戸)、2001井上、そして2002小林とほぼ固定で活躍している割にはシーズンオフに解雇になる選手が多い鬼門のポジション。右サイドラインギリギリに寺川とのコンビネーションで飛び出すオーバーラップは、その瞬間サポーターから待ってましたとばかりの喝采がスタジアムを包んだものでした。2002年の1得点は、アルビ通算200得点の記念のゴールでした。2003年の所属は未定。 |
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DF27 荒井 忍 あらにん |
1983/10/24。栃木県那須野町。矢板中央高校、高校総体県準優勝。全国レベルでの実績は無い無名の選手だが、精度のいいパスを武器とする右サイドバックとして将来が期待されている。反町監督からは「将来は日本代表のチャンスもあるか」と将来性を買われている。2年前の木澤以来右サイドバックで固定した選手はいないので、十分チャンスはある、鍛えて大成して欲しい。 シーズン始めは新聞記事等で期待させたが、サテライトでも右サイドバックは山形がグングン評価を上げる中で出番はなかなかめぐってこなかった。2003年はザスパ草津で頑張って欲しい。 |
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DF29 川口 正人 かわぐち |
1981/6/18。東京都、新栄高。横浜ユース→京都。J1では出場1試合。スピードを生かした左利きの左サイドバック。ただ、DFとしては守備に不安があり、メンタル強化も課題。何となく鳴尾に似ていると言う人が多いが、アルビで人気ナンバーワン、Jubiloに移籍した鳴尾の後を次いで新潟ナンバーワンを目指して欲しい。 サテライト戦では左サイドバックで使われることが多かったが、トップチームでは神田、U22代表三田の影に隠れてとうとう出番がなかった。2003年JFL大塚製薬で頑張る。 |
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DF35 沼尻 健太 ぬまじり |
1980/5/6。神奈川県横浜市。藤沢翔陵高→アップルSC。アップル時代には天皇杯出場。アップルまではFWだったが、DFにコンバート後はサイドも中央もこなす。プロとしては一番下からの挑戦だが、トップを目指して頑張って欲しい。 系列のサッカー専門学校からのプロ契約選手として期待されたが、サテライト出場のみでトップでの試合出場は出来なかった。2003年の所属は未定。 |
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DF 城定 信次 じょーじょー |
1977/8/28 。東京都。市立船橋高校→浦和レッズ。三田のU21代表出場に合わせ、8/30浦和レッズより起源付き移籍加入。U18、U19、U20と各年代で代表を経験。リーグではJ1で41試合出場、1得点。サッカーエリートの道を歩んできたが、その力を新潟で発揮してレッズをJ1に昇格させた経験を生かして欲しい。 三田が代表戦で抜けることが多くなり、浦和から急遽レンタルで新潟に来たが、練習中のケガでほとんど仕事をせずに新潟を去ってしまった。サインを貰う暇もなく、生城定はビッグスワンで1回ぐらい見たかなあ。2003年は古巣浦和で頑張る。 |
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MF7 寺川 能人 てら ぴーちゃん |
974/09/06、兵庫県加古川市、滝川二高、横浜、ジェフユナイテッド市原。36試合、3点、6アシスト。J1時代は65試合出場、1得点を記録。新潟は2年目で、去年のボランチから横浜時代のポジションだった右の攻撃的中盤として前線への突破を期待されている。空いたスペースへのパス出しには注目すべき物がある。昨季、浦和戦で永井雄一郎にボールを投げつけられレッドを誘ったときも、決してカッとすることなく沈着冷静な寺川の真骨頂だった。2000年まで長髪だったが、2001年から気分一新坊主になった。2002年はキャプテンとして新潟を引っ張る。 2002年シーズンオフで最後まで去就が決まらなかったのが寺川だった。チームのダイナモと評され反町監督に絶大な信頼を得ていたし、キャプテンシーあふれる献身的なランニングは、サポーターから新潟のフィーゴとあがめられていた。それだけに、大分への移籍は少なからずショックを与えたが、J1でやりたいという本人の意思を翻すことはできなかった。とにかく最前線での攻撃から、自陣のゴールラインの守備まで、どこにこんなスタミナがあるんだろうと思うほど走れる選手だが、真骨頂は精度の高いクロス。軽く簡単に蹴っているように見えるんだけれど、これがピタリと決まるから麗しい。ドリブルもうまく・・・、ああーあ書けば書くほど惜しい選手だ。もちろん、得点感覚も優れていて、チームが調子に乗りきれなかった2002年開幕の連勝を支えたのも、W杯を挟んだ10連勝のきっかけを演出したのもこの人でした。ちなみにワイワイがピーちゃんと呼ぶ理由を明かすと、坊主になったばかりの頃雀に似ていると盛り上がり、昔飼っていた文鳥の名前を受け継いでの命名でした。 |
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MF8 ベット べっと |
1973/3/16。ブラジル、サントス市。ベレネンセス(ポルトガル1部)→SEガマ(ブラジル)。94年JFL山形に所属したことがある。00年リオブランコFC(サンパウロ州1部)時代は、FWマルクスと共にプレーした。コミュニケーションの良さでチームの勝利に貢献して欲しい。まつげが長い好青年、奥さんは12月におめでたの予定で、赤ちゃん誕生をバネに得点量産を期待する。 戦力外のリストが出たとき、なんでベットがと目を疑った。鈴木慎吾が帰ってくるのかと色めき立った向きもあったが、慎吾も帰らないことになり不可解だった。ベットの特徴は実は良く分からない。ドリブルが上手いとか、クロスが正確だとか、突破力があるとか、守備にも精力的に貢献するとか、スタミナがあるとか、普通サッカー選手を評価するこういった言葉が当てはまりにくい選手で、存在感の見えにくい選手だったかも知れない。点を入れるときは1試合に2点決めて見せたりし、特に横浜FC戦というと点を取ってくれた。ボールに対するポジショニングに天性のものがあったのかも知れない。本当に真面目な好青年という感じで、ブラジルではサッカーの他に将来を考えてコンピューターの勉強に学校へも行っていたと話してくれた。ちょっとうつむき加減でいると、ジェームスデイーンの雰囲気を漂わせていた。2003年はブラジルに復帰する。 |
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MF31 上野 剛一 うえの |
1982/9/24。ニューヨーク。桐蔭学園→日大。桐蔭学園では主将を務め、インターハイ・選手権に出場。大学1年で新潟のセレクションに参加、結局中退して新潟に来た。左に中盤を得意とする。 サテライト戦でも出番が無かった、2002年高校サッカーでブレイクした阿部祐太朗が1年生の時のキャプテンだったはず。まあ、そんなことは本人とは関係がないが、2003年は戦力外になってしまった。 |
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MF33 千葉 真也 ちば |
1983/5/3。宮城県仙台市。仙台育英高。U17日本代表。サテライトからのスタートだが、プロの技術になれて活躍して欲しい。 期待されてサテライトでは結構使われていたが、結局戦力外。2003年はかりゆしFCでがんばる。 |
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MF30 大橋 正博 おーはし |
1981/6/23。神奈川県。横浜F・マリノスユース→横浜F・マリノス→水戸ホーリーホック→横浜F・マリノス。8.17横浜F・マリノスより期限付き移籍加入。マリノスではリーグ3試合出場、0得点だったが、昨シーズンは水戸で35試合出場、7得点と活躍した。新潟に移籍するにあたり、昨年所属した水戸の木澤に新潟の様子を聞き、「よろしく伝えて欲しい」と根回しをお願いしたらしい。面倒見の良さと、未だに新潟に発言力を持つ木澤の一面が明らかになった。 実はこの選手には期待する所があった、マリノスユース時代は同年代の選手をしてとてもかなわないと言わしめたパスセンスを新潟でブレイクさせてくれるかと思ったが、サテライトの試合を見てもどうもそのうまさが独りよがりな所を助長しているように見えてきた。反町監督の期待も大きかったはずで、水戸戦後半25分にトップデビューを果たしたが、その後は使われなかったはず。2003年は横浜FMに戻る。 |
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FW11 氏原 良二 うっじー |
1981/05/10、岐阜県各務原市、名古屋一高、名古屋。U−19日本代表候補で、新潟には期限付きで移籍してきた。2001年シーズン41試合出場、アルビ内3位の15得点を上げ、ユース代表候補にも選抜された。184cmの長身を生かしたポストプレーが武器。名古屋時代は出場機会に恵まれず、フロントに直訴してチャンスが期待できる新潟に来た。黒埼が大宮に移籍し、背番号は新潟でのエースストライカーナンバー11を引き継いで、期待の高さを感じさせる。背番号の重みと責任を感じるとコメントして、自らを奮い立たせるが、昨季は精神的な甘さからすぐに切れる所があって試合中にもふてくされるシーンが見えた。やんちゃ坊主の性格が、エースナンバーを背負ったことで脱皮できれば名実ともにチームのエースになることができるだろう。新潟では人気も高く、スタジアムでのウジハラコールはひときわ高い。この声援に応えることができれば、新潟の昇格が現実のものに近づくはず。 新潟の応援で振りつけ付きの応援コールがあったのはこの人だけ。ゴール裏のパラパラは、バックスタンドで見ていると統率が取れていて、サポながら凄いなあと思ったものでした。このパラパラが見れなくなってしまうことが、もしかすると新潟の最大の損失かもしれない。FWのポジションでは、マルクスと船越に次ぐ第3ストライカーの位置づけだったが、11番というエースナンバーを背負う身には欲求不満が募った2002年だったろう。その分出場のチャンスには、激しくボールを追う動きでサポーターを大いに喜ばせてくれた。女性ファンが多く、2003年グランパスに戻ると知って悲しんだサポーターも多かっただろうと思う。 |
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FW22 長谷川 太郎 たろちゃん |
1979/8/17。東京都。流通産経大柏→柏ユース→柏レイソル。J1、19試合、1得点。50m、6.0秒のスーパーダッシュは、鈴木慎吾の6.1秒を上回る。スピードで局面を変える俊足FWとして、新潟でのブレイクアップを期待したい。甘いルックスでも、サポーターにアピールしそう。 2002年シーズンが始まるときに最も期待した選手の一人が太郎だった。それは鈴木慎吾が欠けた穴があまりにも大きく、誰かにすがるしかなかったという裏返しだったのかも知れない。その後、ベットが急遽合流し、長谷川の出場はさらに厳しいものになった。それでも、トップでの出場の機会は多く、反町も長谷川に期待するものは大きかったんだろうと想像する。出場したときは、俊足を生かした突破でチャンスを作ろうとしていたが、どうしても鈴木慎吾と比べてしまって、物足りなさが残った。しかし、サテライトではのびのびとしたプレーで得点を重ねたのに、何故?との思いがつのる選手だった。2003年は甲府で共に昇格争いをすることになったが、レギュラーで出るようになると要注意という思いはありますね。 |
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FW24 片淵 浩一郎 かたふち |
1975/4/29。佐賀県鹿島市。佐賀商→東海大→鳥栖。佐賀商ではインターハイ、選手権に出場。J2、54試合、13得点。00年、01年と半月板を手術し、鳥栖を戦力外になったところを、アルビの練習試合に合流。一時は引退の2文字が浮かんだだけに、ケガを克服して新潟で復活して欲しい。DF小林悟とは鳥栖時代のメンバー。奥さんのためにも一花咲かせてもらいたい。 サッカーとは全く関係がないが、ワイワイ的には顔の濃い所が平井堅とかぶって、カッコイイ選手の一人だった。娘が『平井堅に似てるよね』と本人に直接感想を伝えたことがあったが、まんざらでもないような感じだったらしい。サテライトで1点取ったのを見たのがせめてもだった。2003年は未定。 |
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FW25 鏑木 亨 かぶちゃん |
1976/4/18。茨城県美野里町。水戸短大付属高→国士大→FC東京。J1、16試合、1得点。J2、30試合、3得点。東京ではスーパーサブの起用が多かったおかげで、付いたあだ名がスーパーカブ。マネージャーのミケさんとは大学時代同級生で、インカレを2回制覇した。DFの裏へ抜けるプレーで、ツボにはまると面白い選手。ウルトラニッポンの植田代表に言わせると、「おだてれば働きます」だそうです。 W杯のイベントで植田朝日が来たときカブちゃんをヨロシクと言われていたので、期待をしていた。サブで何試合か出場もしたけれど、常人とちょっと違うインスピレーションが働くのか、ボールと反対の方向へ走るとか、逆の方向へ蹴るとか、不思議なヒトだった。W杯を挟んでケガもあったらしく、一人離れて練習をしている姿が哀愁ものだったなあ。ソフトモヒカンはベッカムの先を行ってたらしいが、2003年は未定です。 |
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FW34 浜口 友希 はまぐち |
1982/11/30。静岡県、清水市。東海大翔洋→アップルSC。東海大一中時代は全中で優勝。DFの裏に抜けるスピードが持ち味。 沼尻と共にサッカースクールからプロ選手になったひとり。サテライトではスタメン出場をしたが、トップでは試合に出ることは無かった。2003年は未定。 |
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