なお、鈴木慎吾選手はレンタル移籍なので、ここには掲示しません
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MF8 セルジオ・ロベルト・ペレイラ・デ・ソーザ そーざ |
1977/05/29、ブラジルコイアバ市、ソシエダサンタマリアからのレンタル移籍。来日の頃は新潟は雪。毛糸の帽子をすっぽりかぶり、いかにも動きにくそうにしていた。利き足は左。ブラジルに残してきた奥さんと子供のために、日本の走るサッカーに早く慣れて欲しい。 「日本で活躍したい、活躍すればお金もついてくる」とハングリー精神で新潟をJ1に連れていって欲しい。(日刊スポーツより) シーズン途中の5月をもって解雇となった。アルビレックスではSUBも含め1度も試合に出ることなく、母国に帰ることになった。練習で見たときは独りよがりなボール運びが気になったが、アルビのめざす組織サッカーに合わなかったようです。「チームの手助けができず残念」(日刊スポーツ)と言う言葉を残して去ることになった。 |
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FW10 リンドマール・フェレイラ・デ・オリベーラ りんどまーる |
1977/11/22、ブラジル エナポリス市、パルメイラスB、イタクァケセテバ。期限付き移籍で新潟にやってきた。婚約者と子供をブラジルに置いてはるばる新潟にやってきた。ここは是非、一花咲かせて家族を新潟に呼んで欲しい。 「監督に必要とされるときに力を発揮できる選手になって、日本で稼いで家族を助けたい」という心意気を見せて欲しい。(日刊スポーツより) ソーザと共にシーズン途中の5月で解雇。J2出場は3試合84分。ゲームでの闘争心は感じたが、パスのコミュニケーションが不安だったことも確か。「リーグで結果を出して欲しい」(日刊スポーツ)のエールを残してブラジルに帰ることになった。 |
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フィジカルコーチ コスタ こすたさん |
1959/1/23、ブラジル、2000年は大分でフィジカルコーチから、新潟へ。日本語はペラペラだが、97年静岡学園のコーチで初来日したときは全く分からなかったと言ってた。日本語の勉強は相当したらしい。日本にはプロチームの監督になりたくて来たそうで、いつかJの監督になりたいと語っていた。 もう何年も日本にいるように巧みに日本語をあやつるコスタは気さくに鈴木、寺川は素晴らしい選手だと言っていました。結局1年で川崎Fに行ってしまった。詳しい理由は別にして、条件面が折り合わずに退団。いつか、夢を叶えて監督として活躍してくることを祈ります。 |
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DF2 中野 圭一郎 なかのぱぱ |
1976/03/29、香川県丸亀市、鹿屋体育大。高松商3年で全国ベスト16。35試合、0点(2アシスト)。左サイドバックを低位置とし、あくまでもポジションにこだわる。昨年までは右に木沢、左に中野のオーバーラップは見応えがあった。昨年までは唯一子供さんのいる選手だったので、ワイワイのニックネームはパパ。将来は指導者になることを目指し、オフには鈴木慎吾と準指導員の研修も受けた。 「もう少し攻撃に参加したい、得点も2年間取っていない」とどん欲。(日刊スポーツ) 今期左サイドバックは新井、神田、西ヶ谷と最後まで固定することはなかったが、2001年は出場機会に恵まれず、アルビレオ時代を知る残り少ない選手もついに退団することになった。2002年からはスクールスタッフとして、子供達の指導に当たる。 |
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DF12 武田 直隆 たけだ |
1978/07/13、静岡県静岡市、筑波大。新入団。清水東3年時代は国体優勝。筑波大からは7人がプロに進み、お互いライバル意識を持ち合って切磋琢磨している。センターバック、サイドバックとDFのポジションは全てこなす。 「DFならどこでもやれる自信はある、少しでも試合に出てアピールしたい」と抱負を語る。(日刊スポーツ) 期待されたが、アルビの厚いDF陣の中にレギュラーとして割り込むことはできなかった。退団後は学校の先生になるそうだ。高校の先生だったら、生徒を国立に連れて行って欲しいね。頑張れ武田先生・・オオ、キンパチだ。 |
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DF19 井上 公平 こうへい |
1978/10/05、大阪府吹田市、成立高。市原ユース→市原。20試合、0得点。J1出場20試合で2得点。けがに泣かされ続けた市原時代だったが、DF、MFと活躍した。昨季木沢キャプテンのポジション(右サイドバック)と重なり、フル出場は2試合だけだった。 「DFで勝負したい。ゴール前では絶対相手に負けない。抜かせないプレーを見せたい」とアピールする。(日刊スポーツ) 木沢が抜けた今期は右サイドバックとして、小林悟とポジションを争った。攻撃の起点となる前線へのロングパスや、寺川との前後の連携でいい働きをしていたが、思いも寄らぬ戦力外通告となってしまった。2002年はJFL佐川急便で再び昇格をめざす。がんばれ、井上。 |
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MF16 小林 高道 タカミチ |
1979/01/03、新潟県新潟市、東京学館高、アップルスポーツカレッジ、3試、0点。地元選手として新潟5年目のチーム最古参。なかなか出場のチャンスが巡ってこなかったが、同年代の武田、新井、生方の入団が刺激になり、反町監督のもとアピールにつとめている。 「試合に出られるようになりたい。」と今季一皮めくれそう。(日刊スポーツより) 地元選手として少なからずファンがいたし、県産米「こしいぶき」のコマーシャルキャラクターとしてTVCMデビューも果たしたが、試合では結果を出せなかった。2002年はスクールコーチとして、Jリーガーの卵を育てる。 |
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MF18 西ヶ谷 隆之 にしがやさん |
1973/05/12、静岡県清水市、筑波大、名古屋、福岡、V東京、市原。J163試合出場、0得点。95年バルセロナオリンピックアジア予選代表も、けがに泣いて不本意なシーズンを送ってきた。昨年母校筑波大の大学院に入学し、院生プレイヤーとなった。アルビの副キャプテンとして、秋葉とダブルボランチを組み、J1復帰をアルビレックスでめざす。なかなか写真写りのいいタイプなので、新潟でも結構ファンが増えそうです。 「ポジションの役割をそれぞれが責任感と厳しさとして身につけなければ、ここぞという勝負には勝てない。まず、自分自身がグランドでその厳しさを見せる。」と副キャプテンの自覚でアルビを引っ張ってくれそう。(日刊スポーツより) 今期チームに合流して直ちに副キャプテンを任されたところにこの人への期待の高さが伺われた。当初左のボランチをポジションとしていたが、リーグ終盤はセンターおよび左サイドのDFラインで出ることが多くなった。ルックスのいいインテリ選手だっただけに女性ファンが涙を流す突然の戦力外通告だった。2002年は学校(筑波大大学院)に戻るらしい。 |
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MF22 長谷川 太一 ハセタイ |
1981/02/26、富山県八尾町、水橋高、1試合、0点。高校時代サッカー協会の強化指定選手にも選ばれた。水橋高の先輩には元アルビの瀬戸春樹(今季札幌)がいる。ケガが多く、素質を開花できずにいるのが惜しい。練習では結構いい動きを見せているだけに、花開いて欲しい。 「今年はまず自分が納得するプレーを練習から出していきたい」と決意を語る。(日刊スポーツより) 20歳トリオの本間、小林の中では今期反町に最も期待されているように見えた。1昨年はサブとしてベンチを温めることもあまり無かったのに、今期はサブとして途中出場でアピールする機会にも恵まれたが、ピッチに立つとあわててしまうようなところが見えて十分アピールできなかった。2002年の消息は分からないが、どこかで頑張って欲しい。 |
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MF25 生方 繁 うぶかた |
1978/11/15、東京都町田市、国士舘高、セリエDサンジュステーゼ、サンベニーニョ、アップルスポーツカレッジ。顔に似合わず、高卒後直ぐにイタリアに飛び出した気合いに感心する。ブレイクすれば、1昨年の瀬戸、去年の鳴尾に匹敵する人気は間違いナシだが・・。 「少ないチャンスを生かしてアピールしていきたい。」と闘志を燃やす。(日刊スポーツより) 海外経験のある若手と期待されたが、泣かず飛ばずの1年だった。戦力外の後も新潟にいるらしいと言う噂を聞いたが、ザスパ草津に発見。 |
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FW11 黒崎 久志 クロサキ |
1968/05/08、福岡県福岡市、宇都宮学園高。本田技研、鹿島、京都、神戸。J1通算202試合、69得点、W予選の元日本代表で、国際Aマッチでの成績は26試合5得点。今季鳴尾の移籍に相前後して最後に入団した反町アルビの切り札。長身を生かしたポストプレイでアルビの得点源になっる事間違いなし。こわもてフェイスですが、ファンサービスも優しい人です。去年の服部のように、途中でいなくなるようなことは無しにして欲しい。 「チームのために全力を尽くす。新潟で持っているものを全て出す」と心強い。(日刊スポーツより) なんと言ってもこの人の存在感は凄かった。日本代表5得点はダテじゃない。2001年シーズンアルビ最高の21点を獲得し、後半J1昇格の期待を大いに盛り上げてくれた。サポーターの慰留も強かったが、条件面で決定的に折り合わず大宮に移籍していった。追い込まれても黒崎なら何とかしてくれるという期待感を感じさせる選手だったので、非常に残念である。2002年は新潟戦では少し手加減して欲しいものだ。 |
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FW17 大西 昌之 おおにしさん |
1977/07/05、北海道旭川市、愛知学院大。横浜FM。J1出場はないが、高校選抜、大学選抜に選ばれた逸材。大学時代からけがに泣かされ、受けた手術は3回。今季アルビでは持ち前のスピードを生かしたプレイを見せて欲しい。 「スペースに走り込む速さを最大限に生かしたい」と言う元気なプレイに期待。(日刊スポーツより) スピードにあふれた飛び出しはスタンドを大いに沸かせてくれた。アルビでもたびたびケガでコンディションを落とすことが多く、サポーターも歯がゆかった。天皇杯では得点も上げ、才能を見せてくれたが結局退団。サッカー界から、デザイン業界に異色の転身をはかるという。大西の未来に期待。 |
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MF8 マルキーニョ まるき |
1976/3/7、ブラジル。ソウザが全く役に立たず、シーズン途中で解雇された後に期待の攻撃的ボランチとして追加登録された。JFL時代の山形でもプレーした経験があり、日本は初めてじゃない上、山形を首になった鳴尾が新潟でブレイクした前例にならって大いに期待したい。 前線にタイミング良くパスを供給するかと思うと、そのまま重戦車のようなドリブルで前線に飛び出す攻撃的ボランチとして、新潟に今まで無いタイプのMFだった。マルキーニョが入ってアルビの攻撃のオプションが増えた事は評価できる。2002年も当然新潟に残ると思いきや、条件が折り合わずコスタと共に川崎へ電撃移籍。2002年はベンチーニョを取って、マルキとの組み合わせで得点力アップという噂があっただけに、ショックは大きかった(その組み合わせは結局川崎Fで実現することになる)。体は大きく(184cm、80Kg)いかついが、穏やかに話をする人でした。奥さんは日本人。マルキと親子のような小柄な美人です。 |
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FW10 アンドラジーニャ あんどら |
1974/9/13、ブラジル。日本では、00年ガンバ大阪で12試合3点、途中大分で17試合、9点。新潟では18試合6点。強烈なシュートが持ち味の、決定力のあるストライカーだった。アルビでは、ケガもあって十分に働けなかったが、なんとオフに移籍。強烈シュートには似つかわしくない人なつこい笑顔が魅力的な選手だ。 顔つきからしてシュートの職人という感じの選手だった。強烈なシュートが持ち味で、弾丸シュートを受けて倒れた相手DFには客席から「痛そう・・」という同情とも、誇らしさとも取れる声を聞いたのは1度や2度じゃなかった。サブで出てくると、必ず点が入りそうな期待感を感じさせてくれた選手だった。ただ、どうにもケガに弱く、休むと長い、出るとすぐケガをするで、年間を通して計算のできない選手だった事が残念。移籍先は古巣大分。 |
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