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BIG VIBRATION FROM THAILAND 2000
出演●カラワン
スラチャイ・ジャンティマトーン
モンコン・ウトォック
●豊田勇造
左スラチャイ、中モンコン、右勇造
スケジュール
11/11(土) 神奈川大和市鶴間・エディー
連絡先0462-77-7658(イーサン食堂)
11/12(日) 神奈川大和市南林間・イーサン食堂(0462-77-7658)
11/13(月) 東京練馬区江古田・BUDDY(03-3953-7060)
連絡先0424-74-9520(白石)
11/16(木) 兵庫宝塚市・市立西公民館(0797-77-1200)
連絡先0797-73-0606(中央公民館・木崎)
11/17(金) 大阪高槻市・スタジオ73(0726-61-7300)
連絡先0726-83-7526(槙野)
11/18(土) 大阪高槻市・如是中学校(0726-94-2862)
問合せ先 ビレッジプレス(06-6338-8355)カラワン(CARAVAN)
<今回の来日メンバー>
スラチャイ・チャンティマトン(SURACHAI CHANTIMATORN)
ボーカル、ギター
モンコン・ウトック (MR. MONGKHOL UTOG)
ボーカル、ギター1974年に結成され、1989年に解散した伝説的なタイのスーパーバンド。
「カラワン」は英語ではキャラバンのこと。解散後メンバーはそれぞれソロ活動を続け ている。また、カラワンの名は現在もタイの若い世代から中年までに伝説のバンドとし て生き続け、日本にも根強いファンがいる。1999年結成25周年で一時的に再編成され てタイ・日本で演奏ツアーをした。
1973年 タイの学生民衆運動のあとスラチャイとウィラサクがバンドをつくり、翌74年 にモンコン、トングランを加えてカラワンとして活動を開始した。
1974年 タイ国中の大学や農村をまわって演奏し、民主化闘争と「生きるための芸術運 動」の象徴的存在となり、人気も高まる。
1976年 軍事クーデターが起こり、そのため82年までメンバー離散で活動不能だった。
1983年 スラチャイとモンコンがバンコクで再会し、カラワンを再結成した。この年初 来日、日本の水牛楽団、小室等とコンサートツアー。
1984年 スラチャイとモンコンが来日、3か月にわたり秋田から沖縄までの農漁村を演 奏旅行して多くのファンを獲得した。
1985年 スラチャイが友部正人と豊田勇造をタイに招き、14カ所で「平和のためのコン サートツアー」を敢行した。
1986年 カラワン(スラチャイ、モンコン、トングラン)にドラムのウー、ベースのエ ディを加えた5人のバンドで来日。各地を公演。
1987年 同じメンバーで来日、枚方市アジア音楽祭を始め、全国10カ所で本格的なコン サートを開催。日本での人気を不動のものにする。
1988年 この年以降も毎年のようにグループや単独で来日して各地を公演。
1989年 タイではソロ活動が中心になってカラワンとしての演奏活動が減り、結成15周 年記念コンサートをバンコクでおこなったあと解散してしまった。しかし、各メンバー はソロ演奏活動を継続。
1994年 スラチャイ、モンコン、トンクランに、結成メンバーのウィラサク、さらにト ゥアンチャイ、サマーン、スラポンを加え、カラワン結成20周年記念コンサートツアー をタイ国内と日本でおこなった。
1999年 カラワン結成25周年記念にあたるこの年も、タイ国内と日本でコンサートツア ーをおこなった。
●2000/7特集
豊田勇造 51th バースデーライブ節目の年だからだろう、2000年を冠したコンサートが各地で開かれているようだ。加川良は、10年ほど前から「2000年の函館公園で会おう」と歌ってきて、この7月7日に、木村充揮と有山じゅんじをゲストに迎え、その歌の通り実現する。(会場は金森ホール・http://www.est.co.jp/mc/wawon)
そして、同じく「2000年に YUZO BAND を京都で聴こう」と、7月1日、51歳を迎えた誕生日に、豊田勇造は京都市・拾得でバースデーライブをやった。
昨年リリースしたCD「雲遊天下」でデビューした YUZO BAND だが、全員が京都のメンバーで、残念ながらこの地以外では(費用やスケジュールの問題で)演奏に接する機会がなかった。
一方で、7月の京都は、バースデーライブや七夕コンサートなど、恒例のライブが目白押しで、ファンには注目されている時期だった。
2000年のバースデーライブには、YUZO BAND の生の演奏を聴きに各地から京都に出かけよう、それも73年に勇造も参加して酒蔵を改造してできあがったライブハウス「拾得」で聴きたい、そういった声が九州から上がり、ファンクラブが素早く企画し、ついに実現することになったのだ。
7月1日、当日昼過ぎから続々集まってきた。
北海道岩内町
岩手県陸前高田市
秋田県羽後町
東京や名古屋
一宮市
滋賀県日野町
出雲市
福山市
福岡県甘木市
大分県玖珠町…
もちろん、地元の京阪神や高槻枚方長岡京も。
出演は、
豊田勇造
The YUZO BAND(筒井敬明、山田晴三、永見潤)
ゲスト 仲豊夫、大西雄介、ドクター兼松。
演奏曲目は、
ユーゾーブルーズ
そんなんやない
大文字
2人の絵かきさん
海の始まり
大好きなライブハウス
背中
小松ちゃん
殺そうと思うだけでよかったのに
ブルーズとお前に会った頃
バルセロナの空の下
雲遊天下
走れアルマジロ
大きな自由
ハンク・ウイリアムスを聴きながら。
満員の会場で、まさに本場ならではの盛り上がり、十分に堪能した演奏、各地の方言も飛び交い、プレゼントの抽選ありで、猛暑の京都の夜は更けていった。
泊まりはカラワンやキタンチャリーもお世話になった錦水館。三々五々に帰ったが朝は出発のときに記念写真。それから火災の後に再建したという三条堺町のイノダでモーニングコーヒー。(使わない角砂糖をスプーンにのせてわざわざ返しにいく君)
ここで再び話に花が咲いて、それから各地へと。●2000/6特集
フォークリポートわいせつ事件30年
中川五郎ライブ+トーク日時 6/17(土)PM5:00スタート
会場 ハードレイン(Tel.06-6363-5557 大阪市北区兎我野町3-19-B1F)
入場料 2,000円(飲み物代別)
1部 弾圧された関西フォーク、歌の復権を語る
◎藤田一良(事件の主任弁護人)
◎中尾ハジメ(事件の特別弁護人)
◎中川五郎(元被告・フォークリポート編集人・ 「二人のラブジュース」作者)
◎秦政明(元被告・フォークリポート発行人)
(一部出演予定含む)
2部 演奏 中川五郎
連絡先 ビレッジプレス(Tel.06-6338-8355)
その日、1971年2月15日午後4時20分、大阪府警と曽根崎署員11人が、大阪市北区にあったURCレコード・アート音楽出版の事務所に乱入した。『フォークリポート』70年冬の号がわいせつ文章図画販売の容疑に当たるという、捜査令状を示しての強制捜査だった。
その場で残部が押収され、定期購読者や全国販売店の名簿が押収され、そのため販売店の店頭からも売れ残りが押収され、多くの定期購読者が不当にも任意取り調べされ、印刷人も任意取り調べられ、「フォークリポートわいせつ事件」はこうして始まった。
月刊を季刊に移行し、編集方針・スタッフも一新した最初(冬)の号の編集作業は70年夏ごろからだった。毎日深夜まで中川五郎、早川義夫、保住英の3人は企画を考え、原稿を依頼し、情報を集め、自らもかなりの原稿を書いた。ある夜中、中川五郎が「フォーク小説を書く」と宣言し、ぶっ通しに一編の短編を書き上げた。主人公の男女高校生がフォークソングコンサートに参加して、歌われた歌に感動し、高揚感を持続させながらより新しい人間に変わっていこうと確認しながら、また抑圧的に捉えていた性について正面から向き合って、結ばれるという、この優れた青春小説「ふたりのラブ・ジュース」が、わいせつだと決めつけられたのだ。
青天の霹靂だった。だが対応は素早かった。藤田一良主任弁護人の指導のもと、翌々日には「抗議文」を府警本部長・曽根崎署長・マスコミ宛に送り、取り調べが続く中、裁判に向けて弁護団を編成し、特別弁護人、弁護側証人を決め、全面勝利に向けて討議を進めた。主張はもちろん「わいせつ、なぜ悪い!」だ。
取り調べは1971年7月まで続き、書類送検されたが、こちらの闘う姿勢が明らかだったこともあったのだろう、その後の検察側の態度決定に時間がかかり、起訴が決まったのは1972年12月だった。被告は秦政明発行人と中川五郎に絞られた。
ところが、この間に、「四畳半襖の下張」を掲載した『面白半分』が同じくわいせつだ容疑で押収され、編集の野坂昭如氏らが起訴され、また、そのコピーを販売したとして模索舎が捜査され、舎員の五味正彦氏らが逮捕起訴されたのだった。これらの事件はのちに最高裁まで共に闘い、同時期に判決が出ることになる。
弁護団は、藤田主任弁護士に熊野勝之・仲田隆明両弁護士が加わり、また、ライヒの『性と文化の革命』を翻訳した中尾ハジメ氏と、フォークソングに関して執筆を続けていた三橋一夫氏が特別弁護人に就いた。
1973年5月、いよいよ第1回公判が始まった。被告、弁護人の意見陳述も力のこもった内容だったし、弁護側の証人として、片桐ユズル(詩人・大学教授)、鶴見俊輔(著述業)、上野博正(医師)各氏と、読者だった学生や主婦、高校教師が出廷し、それぞれの立場からフォークソングと性の問題に真っ正面から取り組んで発言し、裁判官をも唸らせる質の高い証言が続出した。
そして1976年4月15日、一審判決。ついに無罪を勝ち取ったのだった。この後控訴され最高裁までいったが、早いものだ、あれから30年。6月17日に大阪で中川五郎ライブと藤田弁護士らも出演して「FRわいせつ事件30年」が開催される。
歌う人聴く人創る人が混沌としていた時代、歌が人びとの内面に力を持ち何か状況をも変えられそうに思えた時代に、それを怖れる人が歌を放送禁止にし、この雑誌を摘発したのだ。その影響は小さくなかったが、それでまったく潰されてしまったわけでもなかった。(保住映=元『フォークリポート』編集部員)