泥仕合の分析
意見のぶつかり合うふたりが互いを評価しあったとしても、泥仕合になるこ
とは分かりきっていることです。市民流裁判ゲームは泥仕合を避ける目的を
もって書きました。
どちらの主張が正しいかを当事者が決められるはずはないのです。
1.価値観や見解の相違
2.事実の認識の違い
3.主張よりも勝ち負けを意識する
1.または2.で始まって3.に及んで泥仕合となるケースがほとんどです。
泥仕合になると、人を小ばかにするような発言の応酬となります。
◆まともに反論せず断定的な形容表現
「バカな人」「みじめですよ」「くだらないですね」
◆相手の表現力のなさに転嫁する手法
「わからない」「意味不明」「的外れです。」
◆相手の発言を引用してのオウム返し
┌──────────
│ >屁理屈ですね
│ あなたのほうこそ
◆発言の本質ではなく発言の枝葉のみを批判する
これはKONNOさんKOWさんの得意技
それぞれの代表的発言例をご確認ください。
KONNOさんのご発言、KOWさんのご発言
◆揚げ足取り
書くまでもありませんが、批判をしているつもりで揚げ足取りをしているだ
けの人々は(この掲示板に関わらず)少なくありません。
泥仕合を回避するには
侮蔑的な表現を仕掛けられても我慢するしかありません。
例えば
┌──────────
│>屁理屈ですね
│あなたのほうこそ
反論せずにはいられなくとも我慢して別の方法で対応しなければなりません。
「あなたのほうこそ」という発言は相手の挑発に乗ってしまった最悪のケー
スです。
泥仕合に陥ってしまった場合は、どちらが先に仕掛けたに関わらず第三者に
とっては見苦しい応酬となります。
自己抑制について
◇公共の場でのケンカでは見物人が証人になるという自己抑制が働きます
◇裁判所での紛争においては感情的になっては勝てません
※裁判官に感情的な主張を割り引かれてしまう
→ 裁判では自己抑制しなければ勝てない
自己抑制が働くのは次のような期待があるからです。
◆公共の場でのケンカは誰かが止めてくれることを期待できる。
◆裁判所での紛争は裁判官が公正な裁決をしてくれることが期待できる。
しかし
◇匿名で書き込める掲示板上での紛争の場合には自己抑制は働きません
◆匿名で書き込める掲示板上での紛争に裁決はなく、(書き込みを頻繁に行
う)管理者とそれを取り巻く者達で構成される"ムラ社会の空気"が支配す
る。雰囲気に流されやすい大衆はその空気が裁決であるかのように錯覚して
しまう。
陪審制度(参審制度/国民の司法参加)について
市民流裁判ゲームでは、当人(私と今井氏)はもちろん、閲覧者(陪審員)
の方々にさえ「判決は出す必要はありません」としているにもかかわらず、
当事者である今井氏本人がご自分で【 結 論 】9月15日(金)04時12分を
発表してしまうことには開いた口が塞がりません。
Initial_Pの発言記録 警察ご意見板発言記録 陪審裁判を考える会