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公共施設 |
1.図書館 2.体育館 3.教育施設 4.集会施設 5.公園 |
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官公庁 |
1.区役所関係 2.警察・消防 3.郵便局 4.その他 |
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交 通 |
1.駅 2.バス 3.自転車 |
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文化財等 |
1.寺社 2.文化財・遺跡 3.歴史 4.杉並百景 |
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少しづつ情報を増やしていくつもりです。真摯に書いているつもりですが、記事よるトラブルに関しては責任を負いかねますのでご了承ください。なお、正当な理由で削除の要求があったものは削除します。 |
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1.寺社 INDEXに戻る
2.文化財・遺跡 INDEXに戻る
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武士にだけ認められ細かい階級規程まであった門は、江戸後期に一般民(と言っても財力のある名主など)に認められたそうで、これもそのひとつ。江戸末期のものと推定されています。中に入っての見学はできません。 |
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阿佐ヶ谷の名主であった相沢家の屋敷と防風のための屋敷林。写真は欅屋敷前の道路にある太い幹の欅の木。ちょっとした休み時間だろうか、何処かの店の店員さんが、木に寄り添うようにたばこに火をつけて一服していた。太い幹は頼りがいがあって癒し効果がありそうだ。 |
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3.歴史 INDEXに戻る
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井草に来ると何を感じますか。それは、道路が広く、しかも碁盤の目のように縦横に区画された道に整然と住宅がおさまっていることです。 けれども、自然に市街地が形成されたのではありません。井草の先人の大きな遺産の賜物です。大正12年9月の関東大震災後、東京市内から中野・杉並方面に移り住む人が、次第に増えてくる兆しが現れてきました。そのころの井草は、道が狭く曲がりくねり、急坂は多く、一雨降ればぬかるみで、歩くことも困難なありさまだったとのことです。 「当時、井荻村の村長内田秀五郎氏(大正15年7月に町制施行、町長に就任)は、『東京都郊外の発展は自然の勢いであるから、農村地帯の井荻村も近い将来には必ず都市化する。いまのうちに道路整備を行わなければ、悔いを百年の後に残す』と考え、井荻村全体の区画整理を計画しました。そして多数の反対者を説得の上、大正14年9月に井荻籍地整理組合(後に井荻区画整理組合と改称)を 設立し、自ら組合長に就任しました。 その後、区画整理組合は道路の設置工事を進め、昭和7年にほぼ完成、現在のみごとに区画整理された道路ができあがりました。区画整理の総面積は、888ヘクタールで、単一町村独自で行った事業としては、その例をみない大規模なものでした。 |
今日の整然とした街路は、内田秀五郎氏の先見の明と卓越した指導力と、町長に協力した井荻町の長老たちの私欲を捨てて郷土を愛した英知の賜物です。(『杉並風土記・上巻』森 泰樹著より) 更に、昭和2年には西武新宿線が開通することになりましたが、西武鉄道は井草の地域に一駅という構想を持っていました。内田町長は、遊園地を作って行楽客を誘致すれば採算がとれるだろうと、その敷地を提供することを西武鉄道と交渉し、下井草駅、井荻駅、上井草駅の三駅を開設させました。敷地は組合の保有地から無償で提供され、野球場などが設置されました。戦後その土地を東京都が買収し、その後区に移管されて、今では区立の上井草スポーツセンター(平成10年2月開設)として区民に親しまれています。 また、JR中央線と西武新宿線の間、更にその北練馬区との境に至るまでに、沿線の駅を中心に商店街や住宅地の形成を目指して、雑木林の間に道路を作り、小高い丘の間に切り通しの道を通すなどして平坦地を増やしました。 こうして、町並みをつくり、その原動力となって力を尽くされた内田秀五郎氏の銅像が善福寺公園の池のほとりに建っています。井草に住んでいる私たちは、整然と区画され縦横に道路の走る「井草の街並み」にこよなく愛着を覚えているのです。 (井草施設運営協議会)2000.7.11 杉並区「広報すぎなみ」より |
4.杉並百景INDEXに戻る
杉並百景は、杉並区政60周年を記念して200のエントリーから区民投票で選んだものです。
下井草及び阿佐谷地区では次のものが選ばれています。(1993.1発表)
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| 画像は当時発行された絵葉書のものである。現在と比べ枝が長く道に張り出している。現在は少々小ぢんまりしてしまって残念である。 | 2.文化財・遺跡の欄参照 | |
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| 公園の欄参照 | ||
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| 教育施設の欄参照 | 2.文化財・遺跡の欄参照 | |
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| 画像は当時発行された絵葉書のものである。現在より数は少ないが高層ビルが林立する姿をサラリーマンはどんな想いで見ていたのであろうか。改装前のパールセンターの入口も見える。 |