*綴りかた教室*
小学生とか中学生の頃、作文を書くのが大嫌いだった。
それは画一的な学校での文章指導に嫌気がさしていたからである!
……というわけではもちろんない。
くそがきチヤ象が作文を書きたくなかった理由はただ一点、
字が汚かったからだった。
なんだそんなことか、とか言ってはいけない。
文の内容以前に字がきれいじゃない、というだけで
「こんなものは読めん、書き直し!」などと言われる理不尽は、
いくら子どもといえど納得いかず、だからといって
どんなに抗議しても、先生は俺様絶対で聞く耳持たない。
だいたいここで生徒のごたごた言う意見に耳を傾ける教師なら、
前述のようなことを最初からいうわけもないのだ、と今なら分るけど、
その頃はなにぶん経験も浅く動物に近い生物だったので、
「なぜだ!」 といちいち怒りを燃やす私だった。
そうなる前に字をきれいに書けばいいじゃないか、というのはこれ理想論であって、
汚い字というものの矯正に対する配慮を大いに欠いたご意見だ、と
「汚字代表連(今発足)」名誉会長に指名されてもやぶさかでない私は申し上げる次第である。
と、そんなに大げさなもんでもないけど、字の書き方というのは一種癖のようなもので、
改めるのはなかなか難しい、とは今でも思う。
一方で、同時に50人近い子どもの作文に目をとおす先生の苦労というのも、
今にしてみればなんとなく偲ばれるのでもあるが、
だからといってあの日の私の作文に対する仕打ちを許そうという気にもなれない。
挙げ句の果てには「字というものはその人の人となりを表し、価値を表すものだ。」
などという、もおナチ顔負けの理論をふりかざす先生もいたりして、
「んなわけねーだろ、バーカ。」と、大人げなく思うチヤ象だった。
まあ、当時本当に大人ではなくて子どもだったわけですが。
そんなことが何度も繰り返されていくうちに、作文は私の中では
“キライなものランキング”で五本の指に入るようになってしまった。
そんな私が、発売されたばかりのワープロに飛びついたのはある意味必然だったかもしれない。
高価な機械だったワープロが、私の手に入る値段で売られるようになったのは中学2年の頃。
当時は“電子タイプライター”なる名称が付いていて、単漢字変換(第一水準漢字のみ)、
表示部は一行のみ、それどころか印刷も一行づつ、という、
本当にタイプライターに毛の生えた程度のモノでしかなかったが、
それでも自分の考えた文が、きれいな活字、誰が見ても『読めない』などとは言わないであろう字で
紙の上に打ち出されてくるのは本当に楽しく、お年玉が一円もなくなったのも気にならないほどだった。
冬休みの宿題の作文を打ち終わって、ギザギザの24ドットの文字が並んだ紙を手にした私が、
誰に言うでもなく「ザマーミロ!」と笑ったことはいうまでもない。
それから時は思いっきり流れて。こんな私もパソコン使って文章を書き、
それどころかHPなど作ってそれをみなさまに読んで頂いているわけで、
もう本当に10年ひと昔を実感する今日この頃。
モニターを通してお届けしている限り、私の字が汚いなどということを気にする人は
(私自身も含めて)一人もいるはずもなく、字の形という外見にとらわれないで、
文章のエキスっつうんですか? それ自体の意味だけが伝えられるのだから、
こんなに喜ばしい、というか私にとって都合のいい話はない。
これで私の文章生活も安泰である。めでたしめでたし。
……と思っていたのだが、世の中に因果応報というものはガッチリ存在しているようで、
いよいよ悪筆を極めてきた私の文字は、自分でも一週間前に書いたメモが読めないという、
かなり深刻な事態になってきてしまった。
とりあえず、自室の机の上に貼ってるこのメモ、なんて書いてあるのかを知りたいのですが。
(2001.1.28)
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