◆◆あの店の灯り◆◆
高校生の頃、通学路に気になる店があった。
当時、その一帯は福岡でもしゃれた一角として知られていたのだが、
その店はそんな雰囲気とは全然つながらない、
もおほんとに単なる一杯飲み屋のたたずまいで建っていた。
そしていつも閉まっていた。
女子高校生が通学途中にうろつく時間帯なんてのはたかが知れているわけで、
だから私は
「この店が果して営業しているのかどうかは分らないが、
開くとしてもきっと私がここを通る時とは重ならないに違いない。」
と思っていた。
さらに言うなら、時間とは関係なく、この店に自分が関わること自体がありえない、
と漠然と思っていたフシがある。
なんといってもこじゃれたモノ好きのお年頃である。
ありていに言えばきちゃない、ほとんど倒れかけのような店になど
足を踏み入れるわけないじゃない、時間の無駄じゃん、と、
小生意気にも考えていたのだ、無意識のうちに。
時はあっというまに流れて、福岡OLとして日々を送るようになった私。
まさかこんな日がこようとは、10年前の高校生時代には思いもしなかった。
そう、あの店に飲みに行く、その時がやってきたのである。
Hさん(はげ・づらにも登場、50代のおっちゃん)から、
「おもしろいみせがある」と連れていかれたのが、なんと!
あの母校近くの一杯飲み屋、『さかえ』だったのだ。
中に入ってみれば、予想を裏切らないボロガタぶり。
もちろんテーブルなんてものはなく、カウンターのみの小さな店だった。
カウンターの中にはおばちゃん、というかバーチャンが一人。
「なんにしますー?」「じゃあ、とりあえずビールね。」
というお決まりの会話が交わされた直後、
なぜかおばーちゃんは店の外に出てってしまう。
「なに、何?!」と戸惑っているうちに、
隣のコンビニの袋を手に提げたおばちゃんが戻ってきた。
「どうしたの、おばちゃん?」
「いやー、ビール切れとったけん、隣で買ってきた。」
……ちなみにまだ開店して間もない8時前であった。
んー仕入れが上手くいかんかったのね、というにはあまりにもずさんな状況だが、
おばちゃん側に「しまった! 失敗した!」なんつー雰囲気がみじんもなく、
ごく当然の顔をしていたため、私たちも普通に受け止めてしまって、
めでたく御購入したてのビールを味わうことが出来た。
そのうちにやはり知り合いのMさん(こちらは女性、50代)もやってきて、
なんとなく場が盛り上がり、いっちょカラオケでも、となった。
じゃあひとつ、とカウンターの中のカラオケマシーンに手を延ばすと、
おばちゃんはまたもや当然のごとく
「壊れとうけん、使えんバイ」と言い放ったのである。
もはや多少のことはよかバイよかバイ、モードになってた私たち、
じゃあ気分だけでも出しましょうや、とマイクを手にとったところ、
「あぶなか! 感電するかもしれん!」と珍しく慌てるおばちゃん。
そんなに深刻に壊れていたのか! はよ言ってよおばちゃん! というわけで、
Mさんはアカペラで、マイクの代わりに箸を握って、
スペインやイタリアの民謡を歌ってくれた。
ビールもおつまみもなくなっていたけど、平然としているおばちゃんと一緒に、
私たちは狭い店の中に響く、熱い国の歌に聞きほれた。
隣に座っていた「俺は愛人5人おるばい。」
と自慢しつつ一人で飲んでたじいさんも、黙って耳を傾けていた。
そうこうしてるうちに、わけのわからん夜は更けていく。
ちなみに後日、私の友達が飲みに行った時には、
ビールはちゃんとストックされていたそうだが、
「食べ物がこれしかないけんごめんね、お姉ちゃん。」という言葉と共に
“ようかん”3切れが出てきたそうである。
こんなむちゃくちゃな『さかえ』であるが、
以前やって来た画家でカンテ・フラメンコ(歌のフラメンコ)の名手、
堀越千秋さんは、「まるでスペインで飲んでるみたいだ!」と感激したとか。
だとするとスペインの飲み屋なんてえのも大したもんじゃないな、と思うのですが、
反面こぎれいな店でおいしい食べ物を食べてりゃOKかっつーとそうではないんだぞ、
ってな気もしてくるわけだ。
この店でこうやって飲んでるということが、
これからの暮らしにおいて役に立つ日がくるとは絶対
(と言い切ってしまうが)思えんけれど、無用な経験だからこそ貴重だ、というか。
人生にはこういう無駄も必要だ、というか。
そして実際、あの夜の私は「大人になるっていいなあ。」と思ったのだった。
役に立たないものを楽しめる大人。なかなかいいもんではないか。
あの時、この店の前を通ってたガキの頃の私に教えてやりたいな、と、
30前になった私は思うのだった。
今の会社は『さかえ』のすぐ近くにある。久しぶりに飲みにいってみようか、と思っていたのに、
夜に店の前を通っても、灯りのともる気配はない。
その上看板もなくなっている。どうしちゃったんだろう。
『さかえ』のおばちゃん、きっとお元気でいらっしゃることと思います。
たまには店を開けて下さい、飲みに行きますんで。
あのへんてこりんな時間が懐かしいです。
(2000.12.10)
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