『宙返り』(大江健三郎・著 新潮社)
高校生で『セブンティーン』を読んで以来、なんだかんだでずっと大江氏を読みつづけている。
「燃え上がる緑の木」三部作のうち『揺れ動く・ヴァシレーション』では
思わず本当に本を投げてしまったほどつまんねー、と思ったのだが、
やはり新しい本が出れば気になるので手にとってしまう。
とはいえ、私は大江氏のいい読み手ではない。理解に関しても、購買するという意味においても。
(『揺れ動く』は古本屋で購入)
で、出版からかなり経ったこの本も、今ごろ図書館で借りて読んだ。
のっけからちょっと違和感。文章の感じが違う。
「分かりやすく書きました」との氏の言葉どおり、平易で読みやすいのだけれど、やはりファンとしては
(ひゃあ書いちゃった、そう、私は大江氏のファンなのだった!)
大江文体みたいなのを期待するじゃないですか。なんか肩透かしを食らった気分だ。
読み進めて行くとその違和感はさらに強くなってくる。
かつて「師匠(パトロン)」と「案内人(ガイド)」と呼ばれた二人の男が、
主催していた宗教団体を「あれは冗談でした」という発言のもとに解散させた。
しかし十数年経った今、同じ形ではないにせよ復活しようとする、その団体をめぐる人々を描く、
というのが乱暴にまとめたあらすじなのだが、その宗教の姿が見えてこないので、
この人達は、どんなもののために自分の生活を捨ててこの場に集まっているのか分かりづらい。
別に教義をこまごま書いてほしいわけではないのだが。
「燃え上がる緑の木」シリーズでは、森の土地に宿る力という、
大江氏の作品にもくり返しあらわれる大きなモチーフが背景にあったので、まだ納得できた。
他にはゲイの扱い方が全体の文とはまっていない感じがするところなども気になった。
が、一番違和感、というよりショックを受けたのは、知能障害のある作曲家の青年が、
「師匠」と、保護者である姉と共に殉教ともいえる悲惨な死を遂げるところだった。
この青年の人物造形は、それこそ大江氏の小説に頻出するものだ。
そして、私たちはこの登場人物に、実在する氏のご子息を重ねずにはおけないわけである
(フィクションである小説と現実世界の関係のあり方はさておくとして)。
これまでの大江氏の作品では、その青年たちは生きにくい道を進みながらも、
同時に彼を取り巻く人々に、その苦難の先の希望や明るさを示唆する存在として描かれていたはずだ。
それが、この作品では彼の唯一の肉親と一緒に亡くなってしまう。
苦難の先の希望や光、これこそが私が大江氏の作品を読みつづけてきた原動力だったのだが、
この『宙返り』では、この青年の描き方だけでなく、全体にその力はあまり感じられない。
作品としては、文体の雰囲気も含めて、
大江氏のこれからの新しい境地を示していくものになると思うのだが、
私個人としては残念な読後感が残った。
なんで大江氏を読みつづけているのか、と聞かれた時は
「大江さんの作品は明るいからだ」と答え続けてきた私だったけれど、
これから先同じ答えをできるだろうか、自信がなくなってきた。
でも、またきっと読むんだろうなあ。それがファン心理。
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