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南部アフリカの国、ジンバブエ。
日本ではあまり知られていないかもしれませんが、ぼくにとっては特別な意味を持った国です。
なぜならこの国を代表するミュージシャン、トーマス・マプーモとブラックス・アンリミティッドの音楽にすっかり魅せられてしまったからです。
アフリカの音楽と言うと、ウラウラタムタムの太鼓音楽というイメージを抱く人がほとんどかもしれません。それも間違いではないのですが(ウラウラタムタムは間違いです)、マプーモの音楽はそうしたイメージとはかなりかけ離れています。バスドラの四打ち(どん・どん・どん・どん)、細かくハチロク(八分の六拍子)を刻みつづけるハイハット(シャカシャ・シャカシャ・シャカシャ・シャカシャ)、単音のリフで絡みあうギター、自由に動きまわるベース。三拍子とも二拍子ともとれるポリリズム。ときにそこに不思議なホーン・セクションと女性コーラスが織りこまれます。「ジンバブエのライオン」の名の通り低く低く響きわたるマプーモのヴォーカルは、つぶやくように、また叫ぶように聞くものの耳を刺激します。サイケデリックな陶酔感のある、それでいてすごく醒めた不思議な音楽です。
Gwindingwi Rine Shumba (1980)やNdangariro(1983)で聞ける初期のブラックス・アンリミティッドの演奏で使われている楽器は民族音楽のそれではありません。にもかかわらず、それらの楽器で演奏される音楽は、ジンバブエの人口の70%を占めるショナ人の伝統音楽を色濃く反映したものでした。ブラックス・アンリミティッドの初期のメンバー、ジョナ・シトーレのギターはショナの民俗楽器ムビラ(親指ピアノ)のフレーズを置きかえたものでしたし、ハイハットの刻みはムビラといっしょに演奏されることの多いマラカス(ホショ)を置きかえたものであったと言われています。実際、マプーモは次第にムビラなどの民俗楽器を自分の演奏に取り入れていくようになります。
といっても、マプーモの音楽はたんに伝統音楽を西洋楽器で置きかえただけのものではありません。マプーモの曲にはレゲエの影響が濃厚なものがいくつかあります。“Zimbabwe”という曲を作り、ジンバブエの独立式典で演奏したボブ・マーリーはマプーモにも大きな影響を与えていたのです。でも、それらの曲も、あ!レゲ...エ?というような不思議なものです。さらにZimbabue-Mozanbique(1987)の表題曲やChimurenga Varieties (1995)に収録されている“Kudenga”(ホーン・セクションが変!)なんかは、もうマプーモの音楽としかいえないものになっています。
マプーモの音楽はチムレンガ・ミュージックとよばれます。チムレンガとはショナ語で「蜂起」を意味し、白人の支配に対して立ち上がった女性神官アンブーヤ・ネハンダの闘いに由来します。1896年から一年間にわたって続いたこの最初の闘争をジンバブエの人たちは誇りをこめて「最初のチムレンガ」と呼びます。それに対して、1966年に本格化し、1980年の独立へとつながる解放闘争は、「二度目のチムレンガ」と呼ばれます。同じチムレンガという言葉を使うことによって、ジンバブエの人びとは闘争の歴史を再認識し、血腥い戦闘の時代をのりきることができたのです。独立闘争を鼓舞し、「わたしの目の黒いうちは黒人の政権など誕生させない」と公言するイアン・スミス首相をこきおろたマプーモは独立直前に投獄され、「二度目のチムレンガ」を象徴する存在となりました。初期のブラックス・アンリミティッドの音楽に漂う張りつめた雰囲気は、そうした緊迫した社会情勢を反映したものだったのかもしれません(Gwindingwi Rine Shumba のジャケットに写る彼らはほとんどゲリラのようです)。独立後もマプーモはムガベ政権の腐敗を歌い(“Corruption”)、違った形で闘争=チムレンガの音楽を産みだしつづけています。
マプーモは1991年に来日しています。写真はそのときにいっしょに撮ってもらったものです(最後に少し自慢)。マプーモは年月が経っても変わってないなぁ。でもぼくはすっかり太ってしまいました。
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