Original Members














Salman Ahmad

1964年(推定)、パキスタン・パンジャーブ州生まれ。
イギリスのロンドン、クウェート、アメリカのヴァージニア州、ニューヨークで幼少期を過ごす。
Electric and Acoustic Guitars, 12 String Guitar, Backing Vocals を担当。Junoonの作品の大半は、彼の作曲によるものだ。詩も彼単独のものや、Sabir Zafar との合作によるものがほとんど。もちろんプロデュースも手がけている。
「天は人に二物を与えず」とは言うけれど、Salman は一体どれだけの恩恵を天から受けているだろうか。確実で華麗なギター・ワーク、作詞家・作曲家としての天分。プロデューサーとしての才能。そして容姿のよさ。その若々しさは、30代半ばの男性とはとても思えない。
それだけで話は済まない。彼はれっきとした医者である。しかも噂によれば、Junoon結成以前に、ドラマ俳優までしていたらしい。さらにある記事によれば、クリケットの選手を目指していたという。
いったいいくつの顔を持つのか。真のマルチ・タレントと呼ばれる人物は、こういう人をさすのだろう。
まさに「聖者」の域に達した、とんでもない才能の持ち主である。

 
 




Ali Azmat

1970年(推定)、パキスタン・パンジャープ州ラホール生まれ。
幼少期をオーストラリア、アメリカのテキサス州で過ごし、Salman同様海外生活の経験者である。
Lead and Backing Vocals を担当。人の声というものが、これほどまで感銘を与えるInstrumentかと再認識するほどの、透明感と微妙さと力強さをもつ。いかなる楽器も、声のもつ温もりとメッセージ性にはかなわない。カッワリーの国ではぐくんだAliの発声法は、既存のロック歌手のものとは全く異質である。
物事に動じないその風格から、「悪ガキ」との異名をもつ。「Jupiters 1」のジャケットでも若輩ものにしては、態度がでかい。だがそのストレートな性格であるからこそ、あの魔力にも似た陶酔感を、観客は充分味わうことが出来るのだ。
コンサート会場でも観客が極端に少ないのにもかかわらず、「みんなこんなに乗っているのだから、もう1曲やろうよ」とSalmanに耳打ちしていた姿に、彼の真の優しさを見た。
六本木の「Hunza」でカレーを食していた時は、まさに子供に戻っていた。嬉しそうに食べる様子に、本音で生きる人間のたのもしさすら感じた。Junoonに対するさまざまな中傷があっても、彼ならばJunoonをリードして堂々と乗り越えていくことが出来るだろう。
Brian O'Connell

Electric Bass, Backing Vocal を担当。「Inquilaab」ではKeyboards,Tambourine をも演奏している。
2作目「Talaash」からJunoonに参加。地味で寡黙ながらも、Salman と Ali の音をしっかりと受け止めた演奏ぶりは、観る側の心を打つものがある。
一般的には、ニューヨークで活動しているところをスカウトされたような印象を受けるが、実際のところは Salman が13歳の時Brianと知り合い、同じ高校に進学したほどの親友なのである。
高校時代にはSalmanとともに「Eclipse」というバンドを結成していた。
Producer の John-Alec もこの頃からの友達だった。Salman-Brian-John という不思議なえにしは、すでに20年以上も前から作られていたのだ。
現在のJunoonの音楽センスの良さは、実はBrianの功績も大きいのではないだろうか。なかなかの影の立役者である。
インタビュー時の写真を見る限り、彼の目は本当に奇麗で優しい。Brian の人柄を垣間見るような気がする。
 

Ustad Ashiq Ali (写真 右)

タブラー、ドーラクの伝統的な楽器を駆使し、強烈なリズムセクションをつとめる。
2作目「Talaash」から参加。
大スターのバックをつとめるメンバーとしては、かなり地味で普通の印象を受けるが、ひとたびリズムを打ち出すと、首を左右に振りながら情熱あふれた演奏を披露してくれる。
彼の手首や指関節のしなやかさは、さすがに年季が入っている。

 
 
Malcom Goveas


Sorry, no photos.

Staffs

このページでは「Junoon」を一つの独立体として捉えています。
裏方の人達の支えがあってはじめて、メンバーの活動が
円滑にいきます。
その人達をごく一部ですが、ご紹介しましょう

John-Alec

Producer

「Azadi」および「Parvaaz」は、この人のプロデュースによるアルバム。パキスタンで収録され、イギリスのAbbey Road Studiosで編集された。
 よくJunoonの音楽は東西融合と評されるが、制作面でもそれが如実に現われている。
 外国人の彼であるからこそ、Junoon特有のサウンドをうまく引き出すことが可能だったのではないだろうか。Junoonの成功の秘訣は、彼の手腕によるものともいえる。
 世界各国のツアーにも、積極的に参加。
 なんとBrian同様、Salmanの少年時代からの友人だという。


Sabir Zafar

Lyricist

 Junoonの歌詞を担当する、ウルドゥー現代詩人である。
  2作目「Talaash」から名前がクレジットされている。単独の作品と
Salmanとの合作による作品とがある。
 Junoonの曲の歌詞の良さは、この人の手腕によるものだ。Junoonの音楽がメッセージ性を重視していることが、彼の存在でも明らかである。
 また「Saeen」や「Sayonee」、「Pyar Bina」などの古典詩も、Salmanとともにプロデュースを手がけている。




Shehryar Ahmad

Maneger




 Junoonのハード・スケジュールを一手にこなすマネージャー。根っから明るい好青年だ。
 今回の来日に際しても、精力的に動き回る。コンサート会場でも内外はおろか、会場を右へ左へと動きながら自らもステージ上のJunoonに声援を送っていた。
 「また、来ますよ。絶対再来日しますから。」という彼の笑顔はまるで大輪のひまわりのように明るく大きかった。たぶん、何が起きても決してくじけない、人並みはずれたガッツの持ち主であることは間違いなさそうだ。

 噂によれば、彼はSalmanの実弟であるという。ただパキスタン人は親しい友人を「bhaaii(兄弟)」とも呼ぶので、その真理は定かではない。が、よく見てみればSalmanに似ていないこともないので、さしずめ従兄弟といったところだろうか。

Badar Ul Islam

Road Manager


 Junoonのツアーで、器材一切のマネージメントを担当。
 一般的にツアー中でのアクシデントや故障は、日常茶飯事のように起こる。移動中のちょっとした衝撃でも、器材にダメージを与えることがしばしばなのだ。
 コンサート会場で当たり前のように聴いている音も、この人達の地道な努力に支えられている。

Naveen Agha

Public Relations Manager

 広報担当。Junoonのメディア的存在である。
  カラチのSt.Joseph’s Collegeを卒業後、1998年からJunoonのスタッフとして加わった。
 未だ男性優位社会のパキスタンにあって、女性進出のパイオニアでもある。

 
Mumtaz Ali Shigri

Stage Manager


Badarの右腕として、ステージの器材技術、メインテナンスを担当。
ことにSalmanのギターおよびアタッチメント、アンプなどの維持管理を専門にケアしている。
 今回の来日でもステージの上で幾度も行き交い、しばしばSalmanと打ち合わせをしていた姿は、まだ記憶にあたらしい。


Junoon Members の写真提供は村山 和之先生のご厚意により、Staffsの写真・資料は Junoon Enterprise より提供頂きました。
どうもありがとうございます。