ヴロツラフの百年祭記念会館
Centennial Hall in Wroclaw


国名 ポーランド
分類 文化遺産
所在地 首都ワルシャワの西南西およそ300km



審議年と結果
2004年 審議延期 ・・・2003年の時点で申請内容が不完全であるとされ、2004年の委員会では審議が見送られた。
2006年 世界遺産登録!!


 



画像提供:漣さん
   
遺産略説(執筆:漣さん)
  ヴロツラフはシレジア地方最大の都市で、
百周年記念会館は1911〜1913にかけて解放戦争における諸国民の戦い(注1)での同盟軍の勝利を記念して、 ドイツ人建築家マクス・バーグ(Max=Berg)と技師ウイリー・ゲーラー(Willi=Gehler)が主となって設計にあたった建造物である。
  バーグはゴシック建築の支持者で表現主義者であった師カール・シェーファー(Carl=Schafer)の影響を受けると共に、
新しい材料と技術にも強い関心を持っていた。
  1913年5月にヤールフンダートハレ(Jahrhunderthalle
世紀のホール)という名で多目的ホールとして開かれたのを機に、 現在では国際的な多くの行事が行われているこの建築は、 直径65mという当時は世界最大のドームを誇り、 床暖房等の最新設備を備えていた。 鉄筋コンクリートを使いリブ構造を用いたこのホールは、 ドームの形状を覆い隠すことなく露出させた形にしており、 緯線と経線(注2)により実際より広く見えるように設計されている。 1925年、 同氏は木造の巨大な展示ホールを同建築内部に設計、 屋根を軽量の柱によって支えるといった構造を採っている。
  第二次世界大戦後、
ポーランド語のハラルドヴァ(Hala Ludowa)と名を改め文字通り多くの人が訪れるこの建築物は歴史主義、 表現主義から合理主義、 そしてて重要なものの1つに数えられている。
20世紀前半、
世界を席巻する機能主義への移行を示す建築とし  またヴロツラフ市内には暫定リストに記載されているオストラヴァの聖堂島(Cathedral Island In Ostrava)がある。


(注1)解放戦争(1813〜1815)・・・一連の中で最も激しい戦いといわれたライプチヒの戦い(諸国民の戦い)では、
ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍対、 プロイセン国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世率いるプロイセン、オーストリア、ロシア、スウェーデン同盟軍の間でひろげられた。 この戦争の同盟軍側の勝利によりフランスのドイツ支配からの撤退が確実となった。

(注2)ドームを形成する上での構造で中心の小円に向かって鉛直方向に伸びる曲線を経線、 経線を結び経線に働く力に抵抗し、 より堅固にする役目をするのが緯線である。


▲百周年記念会館 


▲オストラヴァの聖堂島(暫定リスト記載物件) 






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