レーゲンスブルク旧市街とシュタットアムホフ
Old town of Regensburg with Stadtamhof


国名 ドイツ
分類 文化遺産
所在地 ドイツ南東部。ミュンヘンの北およそ100km



審議年と結果
2004年 書類不備のため審議対象外 ・・・この時の遺産名はレーゲンスブルク市街(City of Regensburg)だった。
2006年 世界遺産登録!!


遺産略説(執筆:収斂さん、好古学のすすめさん)
  レーゲンスブルク(Regensburg)は第二次世界大戦の被害を免れた数少ないドイツの歴史都市であり、 ドイツで最も保存状態のいい中世都市として知られている。 人口は14万2000人で、 街の中心にある旧市街(Altstadt)には13〜15世紀の歴史的建造物が多く現存しており、 街を流れるドナウ川(the Danube)に12世紀に架けられた石橋、シュタイナーネ橋(Steinerne Brucke)は、 レーゲンスブルクの発展に大きく寄与した歴史的建造物として街のシンボルになっている。 レーゲンスブルクには郊外にBMWやシーメンス(Siemens:ドイツ語の発音ならジーメンス)といった大企業の工場があるため、 旧市街の景観保存対策は昔から街の重要課題の一つであり、 特に旧市街には1970年代から厳しい保護条例が施行されてきた。 また保護ばかりでなく修復に関しても街を挙げて取り組んでいる。 例えばババリア州(the Bavarian state)全土から修復技術者を大勢雇い、 街のどこかでいつも修復作業が行われている体制になっている。 またレーゲンスブルクでは、 観光客からは見えないような細かい修復であっても、 必ず伝統的な顔料や方法を用いるように徹底されている。 この真正性へのこだわりはドイツでも特に厳格である。

  レーゲンスブルクは2500年以上の歴史がある。
最初に街を建設したのは紀元前500年頃にやってきたケルト人(the Celts)であった。 その後、紀元前90年頃にはローマ人が軍事基地として、 ケルト人の集落を拡充させた。 そして五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウス帝(Emperor Marcus Aurelius)治世下の紀元後179年に、 現在の旧市街の周辺にカストラ・レジーナ(Castra Regina)と名づけられた要塞が建設された。 これがレーゲンスブルクの語源となっている。 6世紀になって Agilofinger公爵(Duke of Agilofinger)が、 当時 Reganespurcと呼ばれていたレーゲンスブルクをババリア公国の最初の首都に定め、739年には St. Bonifaceがレーゲンスブルクに司教管区(bishopric)を設置した。 788年にはシャルルマーニュ(Charlemagne, 742-814:後のカール大帝)が Agilofinger王朝(the Agilofinger dynasty)を打倒し、 街はフランク王国に組み込まれた。 フランク王国が西暦800年に西ローマ帝国に変貌してからも、 レーゲンスブルクはその重要性は維持し続け、 自由帝国都市(the Free Imperial City)の一つとして発展していった。

  レーゲンスブルクを大きく発展させたのが、
街を流れるドナウ川に架けられたシュタイナーネ橋という石橋である。 この石橋の建設は1135年から始まり、 完成までに11年もかかったが、 この橋のおかげでレーゲンスブルクは、北ヨーロッパとベニスを結ぶ商業・交通の要衝となり、 13〜15世紀にレーゲンスブルクは絶頂期をむかえた。 大商人の豪華な邸宅がいくつも建設され、街はその栄華を誇った。
  しかし15世紀後半になると商業ルートが変化し、
大商人の多くがレーゲンスブルクを去った。 そのため街もしだいに寂れていった。 さらに1618年の三十年戦争(1618-1648)はドイツ全土を荒廃させた。 幸いレーゲンスブルクは城壁などが充実していたおかげで被害が少なく、 またドナウ川の海運のおかげで経済的にもすぐに立ち直ることができた。 1663年にレーゲンスブルクで開催された帝国議会は、 閉会することなく続くこととなったため、「永久帝国議会」と呼ばれる。(ドイツ最初の議事堂所在地)。
  13世紀に大商人達が建設した邸宅は、
高級官僚や外交官の家、 さらに外交使節のための居室としても再利用された。 さまざまな様式が混在した保存状態の良い民家や邸宅が多くレーゲンスブルクに現存しているのは、 この再利用によって建物の増改築や補修がなされたためである。 現在、レーゲンスブルクには民家や邸宅を含む、 1400棟以上の中世の歴史建造物が現存している。 そのためレーゲンスブルクは建物の博物館とさえ言われている。
  フランス革命以後、
欧州は混沌とした。 1806年には神聖ローマ帝国は事実上崩壊し、 1809年にはレーゲンスブルクはナポレオンの軍によって占領された。 そしてウィーン体制以後レーゲンスブルクが歴史の表舞台に登場することはもうなかった。

  レーゲンスブルクは大きな戦災被害を受けなかったことが幸いし、
ドイツでは珍しく、 中世の街並みがそのまま現存している。 また景観保護の対策も昔から進んでおり、 ドイツの景観政策をリードしてきた。 現在、市は観光客の誘致に積極的で、 充実した内容の観光用パンフレット(無料)を街のあちこちで簡単に入手できる。 また欧州各国で観光客誘致の宣伝が盛んに行われている。

レーゲンスブルクの主な教会
  レーゲンスブルクには多くの教会がある。
聖ペテロ教会(St. Peter's Cathedral)として知られる聖ペテロ大聖堂(Dom St. Peter)は、 初期ロマネスク様式の教会(an earlier Romanesque church)の秀作として有名である(ごく一部に後に加えられたのゴシック様式が見られるが)。 この教会のファサードは、 石灰岩と緑色の砂岩という異なる素材の石材を巧みに組み上げた美しいものである。 また教会内部の装飾や壁画は宗教改革の際に大きく変化したものの、 柱の一部にはまだ建設当初に塗られていた赤色がうっすらと残っており、 当時は今よりも派手な色で彩られていたことが判っている。 この教会の近くには、 全聖人教会(the All Saints' Chapel)、 聖ステファン教会(St.Stephan's Church)、 聖ウルリッヒ教会(St. Ulrich's Church)のような美しい教会も多く点在する。
  レーゲンスブルクのもう一つの代表的な教会が聖ヤコブ教会(Schottenkirche St. Jakob)である。
この教会は、 スコットの門(Schottenportal, or Scot's Portal)という、 装飾された大きな玄関が特に有名である。 この門は神や動物や聖人達を刻んだロマネスク彫刻の傑作で、 現在は装飾部分をガラスで覆い、 観光客が触らないように保護している。
  さらにもう一つ、
聖エンメラムのベネディクト修道院(Benedictine Monastery of St. Emmeram)には Thurn-Taxis家(the Thurn and Taxis family)の礼拝堂がある。 この修道院はプレ・ロマネスク建築(pre-Romansque building)の上にバロック建築を建て増したものだ。

ローマ時代の遺跡
  ポルタ・プレトリア(Porta Praetoria)は、
179年に建設されたローマ時代の軍事拠点、カストラ・レジーナの北の城門の遺構である。 またマクシミリアン通り(Maximilianstrasse)の東にはローマ時代に建設された城壁の一部が残っている。

トゥルン・タクシス家の宮殿(Palace of Thurn and Taxis)
  この宮殿は、
ヨーロッパの郵便事業を独占して巨万の富を築いたトゥルン・タクシス家によって建てられたもので、 今でも子孫が暮らしている。 宮殿内には、 一族によって運営されている The Coach House Museum と、 ババリア州立博物館(the Bavarian State Museum)の分館のトゥルン・タクシス博物館(The Thurn and Taxis Museum)の2つの博物館が併設されている。


参考ウェブサイト

http://europeforvisitors.com/europe/countries/germany/regensburg.htm





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