聖書のテル群=メギド、ハツォール、ベールシェバ
Biblical Tels - Megiddo, Hazor, Beer Sheba


国名 イスラエル
分類 文化遺産
所在地 各地に点在



審議年と結果
2004年 審議延期 ・・・2003年の時点で申請内容が不完全であるとされ、2004年の委員会では審議が見送られた。この時の推薦名は聖書のテルの古代の水管理網Ancient Water Systems in the Biblical Tel)だった。
2005年 世界遺産登録!!


遺産略説(執筆:漣さん)
  聖書考古学と一般的に呼ばれるものは聖書を1つの歴史書と捉え、 科学的・実証的立場により記述を検証していく学問で、 イスラエルにおける考古学はこれによるところが大きい。
  中東地域には遺跡丘(テル)と呼ばれる、
幾つもの時代の遺構が重なって出土する場所が多くあり、 旧約聖書に記載された地名と時代を頼りに記載された都市と同定されたものも多く、 古いものでは紀元前9000年のナトゥフ文化(注1)のものから、 ソロモン王の時代、 ローマによる支配時代に至るまで幅広く発掘されている。
  肥沃な三角地帯(注2)に位置するこうした遺跡丘には、
雨水や地下水などに頼った天水農耕時の泉や井戸や、 前2000年頃に漆喰塗りによる防水技術の開発により大量の貯水が可能になったこと、 それに伴う集落から水源に至る竪坑や坑道を掘る掘削法の進歩(注3)などにより 水路網を張り巡らせた灌漑設備まで、 農耕における技術の発展が見られる。

  今回推薦された遺跡丘の断定は出来ないが、 旧約聖書(主にヨシュア記、士師記、列王記[注4])に記載されたものとしてはイェリコ、ギベオン、ハツォール、メギドなどがある。

イェリコ(Jeriko)

  海面下225mという最も低い地点に位置し、 イェリコの町から2km程にあるテル・エル・スルタンの遺跡であると同定されている。
  現在発掘されている遺構によると、
紀元前9000年頃のナトゥフ時代の狩猟民の一時規定着地であったと思われる21m程の居住層の他、 円形住居跡や、 その後定住したと見られる紀元前8000〜7000年頃に建てられたと見られる幅約1.8mの石積みの壁や、 高さ約9mの望楼と思われる石塔が発掘されており、 この頃には町の面積約4万平方メートル、 定住人口は2000人に達していたと見られる。
  狩猟を主な食料調達手段としていたナトゥフ時代(前1万年〜前8000年)の人々は、
末期には幾つかの土地に半恒久的な集落を形成し、 小麦やナツメヤシ等の農耕や牧畜を営むようになっていたが、 必要とする水源は雨水に頼っていた。

  しかし、イェリコ近くにはエリシャの泉(現スルタンの泉)と呼ばれる、
毎分3000リットル以上の水を噴出す泉があり、 それがこの町をいち早く発展させたと思われる。 この時期には既に泉へと続く竪坑が掘られていた。
  この時期にイェリコ及び他の集落では首長制が採られ、
灌漑用水の利用の指導、 農閑期の交易と戦争の指揮を執った。 交易品としては農牧生産物、 工芸品、死海産の瀝青(注5)、硫黄、岩塩などを輸出し、 アナトリア、シナイ半島、地中海や紅海から黒曜石、孔雀石(注5)、貝殻などを輸入していた。 これらの交易や戦争が行なわれていたことは、 出土品や周囲の防壁の存在によって裏づけされる。
  前6500年頃になると中庭と方形住居をもつ別の文化により取って代わられた。
この時代の層から石製農耕具の出土数が増えたことから、 農業生活が本格化したことが窺える。 また地母神や動物の像、 各家庭の床下から化粧した頭蓋骨が発見されていることから、 祖霊信仰のほか各家庭がそれぞれの家内神を持っていたことが分かる(注6)。

  その後、
前5000年〜前4500年の間にメソポタミアで大河を利用した灌漑設備を持つ土器文化が広がると、 やがてこれらの都市は衰退して行った。
  この遺跡丘を 1952年から1958年にかけて発掘したキャスリン・ケニヨンは、
炭素14年代測定法(注7)を行ない、 木材、穀物などの有機体の遺物を分析し、 前9000年〜前3200年までの各層を決定した。 また測定法と出土品の比較研究によって残りの年代も決定された。

  ヨシュア記において、
イェリコはヨシュアが最初に攻略した都市とされ、 武力征服されたと書かれているが、 それが行なわれたとされる遺構(前1400〜前1200の間とされる)からは防壁跡が発見されておらず、 判断することは出来ない。 近郊にアイという遺跡丘がありヨシュア記に記載されているが、 同様に争った跡が発見されていない。


ギベオン(Ghibeon)

  エルサレムの北13km程にあるエル・ジブの遺跡丘であるとされる。
前12世紀以降の層からは2重の防壁、望楼の他、 直径11.1m、深さ10.5mの螺旋階段付きの大型竪坑が発掘され、 当時はそれにより地下水を掘り出していたと見られるが、 その後城壁の内側から階段付きの傾斜坑道を地下貯水池まで下し、 別の傾斜坑道により汲み上げたとされる。

  ヨシュア記においては夜襲により陥落したとされているが、
イェリコ同様その時期の防壁の跡が見つかっていない。


ハツォール(Hazor)

  ガリラヤ湖の北14kmほどに位置するテル・エル・ケダと同定されるこの巨大遺跡丘は、 前3200年の初期青銅器時代(注8)からソロモンの統治期、 北イスラエル王国時代(注9)の前10〜9世紀の遺構まで広く発掘され、 「イスラエル考古学の揺り籠」とも言われる。
  遺跡丘は約40m程の高さを持ち、
約1.2平方キロの上の町(アクロポリス)と、 約7.1平方キロの下の町からなる。 最初の集落は初期青銅器時代に始まったとされ、 後に土塁に石を積み重ねた防壁が築かれた。 その後前14世紀頃にヘブライ人に攻略された後、 ハツォールの町は最盛期を向かえ、 小神殿が建てられた。
  前10世紀頃のソロモン王の統治期になると、
アクロポリスは三重に囲まれたケースメート式の城壁で囲まれ、 その後北イスラエル王国時代にはその内部に幅1.8m程の石壁で覆われた砦により強化された。
  水利施設もこのころに整備され、
地下水位に達する深さ30mの竪坑と標高差15mの坑道が掘られ、 その上部は組石で補強された。 また坑道の幅は3mあり、 水汲みに動物が利用できるようになるなど、 この時期の土木技術の水準の高さが窺える。

  聖書においてはヨシュア記と士師記に記述が見られ、
前者ではヤビンという人物の抵抗が書かれているが、 後者では別の人物との戦いが描かれており、 聖書考古学が難解であることを示している。


メギド(Megiddo)

  イスラエル北部のイズレル平野の中央部に位置する、 高いところでは60m以上ある約6万平方メートルの大型の遺跡丘である。 新石器時代から鉄器時代の層の殆どがあるとされ、 この地域一体の土器編年において重要な役割を果たしている。
  この遺跡の北部では前3000年頃に聖域が設けられ、
前2650年〜前2350年の間に直径8m、 高さ1.4m程の遠景の祭壇と3つの神殿が設けられたとされる。 中期青銅器時代以降の防壁と門の遺構も重なって発見され、 ソロモン王の時代にはケースメート式城壁に付随した6つの部屋を持つ城門(ソロモンの城門)が発掘されている。
  ソロモンの市外再建の際、
城外の泉に通じる幅0.9〜1.2m程の地下通路を掘ったが、 そこを通ってくる敵襲に悩まされた。 前9世紀には城内から深さ約34.5mの竪坑と長さ約60mの坑道を両端から掘り、 水源の確保がなされた。 後に竪坑はより深く掘られ、 底部に水が引かれた。

  聖書においては、
士師記に綴られるヘブライ人とペリシテ人・カナン人連合軍によるメギドの水のほとりの戦い(前12世紀末とされる)の他、 新約聖書に記載された最終戦争の起こる場所としても知られる。

(注1)ナトゥフ文化(前12500年頃〜前8000年頃)
  農耕を主な採集手段とせずに定住を果たした文化で、
円形の竪穴住居や貯蔵穴の技術を持っていた。 出土品には石製の鎌や皿、 杵が見つかっており、 狩猟と穀物栽培の両方を行なっていたと見られる。

(注2)肥沃な三角地帯
  レバント地方(東地中海からシリア、レバノン、イスラエルの海岸部)と周辺の地域。

(注3)掘削法の進歩について
  集落は水源と離れていたり、
地下深くにあったりしたため水源への道の整備には特に力を入れていたと思われる。

(注4)ヨシュア記・士師記・列王記
  ヨシュア記:旧約聖書の中で6番目に書かれた書物で、
モーセの死後その意思を継いだヨシュアがイスラエルの諸都市(聖書においてカナン、蜜と乳の流れる土地とされる)を攻略していく話からヨシュアの死まで、 24章の物語となっている。
  士師記:旧約聖書の中で7番目に書かれた書物で、
より歴史的史実に近い記述がなされていると見られる、各族長(士師)に関する21章の物語。 ヨシュア記とは記述が食い違っていることが多い。
  列王記:ダビデにより始まった統一王朝の歴代王達の列伝、
あるいはその歴史が記されている。

(注5)瀝青・孔雀石
  瀝青:道路舗装、防腐・防水剤に使われるアスファルト等を言う。

  孔雀石:孔雀の羽のような絹糸状の光沢がある宝石。

(注6)ナトゥフ時代の信仰
  イェリコの遺跡丘の基盤である岩盤に小さな神殿跡が見つかっていることから、
彼らも何らかの信仰を持っていたことは明らかである。

(注7)炭素14年代測定法
  生物は生きている限り一定の割合の炭素14(放射性元素)を吸収していて、
死と共に一定の割合で壊変していく。 この壊変の割合の測定によって死期からの年代が測定できる。

(注8)時代区分について
  呼称      年代(紀元前)

  旧石器時代  :25000〜10000

  中石器時代  :10000〜7500

  新石器時代  :7500〜4000

  銅石器時代  :4000〜3150

  初期青銅器時代:3150〜2000

  中期青銅器時代:2000〜1550

  後期青銅器時代:1550〜1200

  鉄器時代   :1200〜1000

  時代区分に関しては諸説あり、 一概にこれが正しいとは言えない。

(注9)北イスラエル王国
  ソロモンによる統治の後南北に王国は分裂、
北イスラエル王国と南ユダ国に分かれた。 王の採った宗教政策のため、 旧約聖書においては余り良い記述がされていない。


2005年の世界遺産登録対象は、聖書時代の遺跡のうちメギド、ハツォール、ベールシェバの3箇所。このうちベールシェバは「香の道/ネゲヴの砂漠都市群」の項で解説。





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