ヴァル・ドルチャ(オルチャ渓谷)
Val d'Orcia


国名 イタリア
分類 文化遺産
所在地 トスカナ州シエナ県南部(シエナ市の南東30〜60km)



審議年と結果
2001年 審議延期 ・・・この地域の文化的景観の形成の歴史に基づいて、その本質を登録基準に即して明らかにするとともに、イタリア国内をはじめ、他の類似の景観との比較研究を行った上で再構成する必要がある。
2003年 審議延期 ・・・詳細不明。
2004年 世界遺産登録!!


遺産詳説(執筆:好古学のすすめさん)
  トスカナ(Toscana)地方の丘陵地帯は、 陽光が降り注ぐ丘に糸杉(cipresso)の並木や穀物、 ぶどう、オリーブなどの畑が広がる牧歌的な田園地帯として知られる。 このうちシエナ(Siena)の南に広がる起伏に富んだ丘陵は、 クレーテ・セネージ(Crete Senesi)と呼ばれるシエナ地方特有の粘土質土壌で、 浸食が進んだカランキ(calanchi)と呼ばれる雨裂の連なる荒地や、 ビアンカネ(biancane)と呼ばれる白亜の粘土丘が見られる。 耕作には適していないが、 中世以来、メッザドリア(mezzadria)とよばれる折半小作制が行われ、 長い間の人間の活動により田園が広がった。 また、穀物とブドウ、オリーブなどの樹木を同一の耕地で栽培する混合耕作により、 丘の斜面にぶどう畑とオリーブ畑が交互に見える典型的な景観がつくられてきた。
  オルチャ(Orcia)川はトスカナ、ラツィオ(Lazio)、ウンブリア(Umbria)3州の境界のあたりに水源を発し、
北流してのち流れを西に転じ、 南流してくるオンブローネ(Ombrone)川に合流する。 オルチャ川とその支流のつくる渓谷と、 なだらかな山容を南に見せるアミアータ山(Monte Amiata, 1738m)を背景に、 丘陵上の城や町が周囲の田園と織りなす景観は美しい。

  中世には、 アルプス以北とローマを結ぶ主要交通路であったフランス街道(ヴィア・フランチジェナ(Via Francigena))がヴァル・ドルチャ地方の中心を通り、 ローマやエルサレムに向かう巡礼者や騎士、 商人たちが往来していた。 多くの城塞がつくられ、 諸勢力の角逐の後、 12〜14世紀にかけて大部分の地域がシエナ共和国領となったが、 1555年にハプスブルク=スペインの支援を受けたフィレンツェ軍によってシエナ市が攻略され、 1559年にシエナ共和国領のほぼ全域がフィレンツェ公国(1569年からトスカナ大公国)領となった。
  シエナから南東にフランス街道(おおむね現代の国道2号線カッシア街道)をローマ方面に向かうと、
オルチャ川の手前にサン・クウィリコ・ドルチャ(San Quirico d'Orcia)の町があり、 川を渡るとカスティリオーネ・ドルチャ(Castiglione d'Orcia)、 さらに南東のオルチャ川水源近くにラディコファニ(Radicofani)の町がある。 サン・クウィリコ・ドルチャの西がモンタルチーノ(Montalcino)、 東がピエンツァ(Pienza)の町である。 丘陵上に位置するこれら5つの町(comune)の中心集落や周辺集落の町並みは中世からルネサンスにかけて形成された。

  その後、 この地方の景観に大きな変化はなかったが、 19世紀後半にシエナとグロッセート(Grosseto)を結ぶ鉄道が計画され、 1872年にアッソ川−オルチャ川の渓谷沿いの東側の路線が、 1927年にオンブローネ川上流の渓谷沿いの西側の線が開通した。 第二次世界大戦時には戦場になり、 被害を受けた(Iris Origo, "War in the Val d'Orcia")。 戦後、 農村人口が流出して耕地が放棄されたり、 牧草地になったもの、 混合耕作にかわってブドウの専門畑となったところも多い。 また、 耕作の機械化に伴う地形の変化もある。
  近年は、
アグリトゥリズモ(agriturismo)と呼ばれる田園での滞在型観光が普及しており、 多くの農園が宿泊施設を経営している(この種の宿泊施設のこともアグリトゥリズモという)。 交通手段は自動車が主体である。 鉄道は1994年に東側の路線の定期運行が廃止され、 観光振興と鉄道保存を目的とする地元のヴァル・ドルチャ鉄道(Ferrovia Val d'Orcia, FVO)の「自然列車」(Treno Natura)というプロジェクトにより、 年間25日程度運行されている。

  このような歴史と田園景観を共有する5つの町の全域が、 ヴァル・ドルチャ美術・自然・文化公園(Parco Artistico Naturale e Culturale della Val d'Orcia)になっており、 公園内の大部分がトスカナ州法に基づいて、 ヴァル・ドルチャ地方自然保護地域(Area naturale protetta di interesse locale Val d'Orcia, A. N. P. I. L.)に指定されている。 この公園と保護地域は、 景観を保護するとともに、 農業、観光など地域経済の持続的発展を目的としており、 1996年設立のヴァル・ドルチャ有限会社(Val d'Orcia s.r.l.)が管理運営を行い、 1997年に5町の町長とシエナ県知事で組織されたヴァル・ドルチャ地方協議会(Conferenza dell'Area della Val d'Orcia, CdA)が承認することになっている。

1)サン・クウィリコ・ドルチャ(面積42.17平方キロ、人口2,444人(1999年))
  オルチャ川とその支流アッソ(Asso)川の間の丘陵上に位置する。

  エトルリア時代に起源を持ち、
オセンナ(Osenna)と呼ばれていた中心集落には、 中世前期にサン・クウィリコ教区教会(Pieve di San Quirico in Osenna)があった。 フランス街道が城壁に囲まれた集落内を通っており、 1154年にはフリードリッヒ1世(バルバロッサ)がローマに向かう途中、 ここで教皇の大使と会見したことを記念して、 毎年6月にバルバロッサ祭が行われている。 12世紀後半にシエナ共和国に属し、 1559年にフィレンツェ公国領となった後、 1677年にトスカナ大公コジモ3世から、 教皇アレクサンデル7世の甥で枢機卿のフラヴィオ・キージ(Flavio Chigi, 1631-1693)に、 侯爵領として与えられた。

  中心集落のサン・クウィリコ・ドルチャは現在も城壁に囲まれ、 多くの歴史的建造物がある。
  シエナ方面から町に入ると、
左手に聖堂参事会教会(La Collegiata dei Santi Quirico e Giuditta)がある。 8世紀の教区教会の跡に12世紀末に建てられたロマネスク様式の建物である。 中央の扉は1080年に製作された。 内部の北翼廊ではシエナ派の画家サノ・ディ・ピエトロ(Sano di Pietro, 1406-1481)の「聖母子と諸聖人」を見ることができる。
  教会の隣のバロック様式のキージ宮殿(Palazzo Chigi, 1680)は、
フラヴィオ・キージ枢機卿がカルロ・フォンタナ(Carlo Fontana, 1634-1714)に設計させたものである。 第二次大戦の被害が大きく、 修復が行われている。 この向かいにルネサンス様式のプレトリオ宮殿(Palazzo Pretorio)があり、 現在、 ヴァル・ドルチャ有限会社などが入っている。
  このほか、
集落の中央には16世紀のイタリア式庭園のオルティ・レオニーニ(Horti Leonini)、 南端には12世紀のスカラ救護院(Ospedale della Scala)と 11世紀のサンタ・マリア・アッスンタ教会(Chiesa di Santa Maria Assunta)が向かい合っている。 ローマ方面に向かう南門、 ポルタ・ロマーナ(Porta Romana)は第二次大戦で破壊されが、 ピエンツァ方面に向かう東門、 ポルタ・カプチーニ(Porta Cappuccini)はよく保存されている。

  ここから南に4kmのバーニョ・ヴィニョーニ(Bagno Vignoni)の集落から、 近くの古城やオルチャ川、 遠くのアミアータ山を望む風景は美しい。 この集落の広場には古代から知られる温泉があり、 タルコフスキーの映画「ノスタルジア」(1983)のロケが行われた。

2)カスティリオーネ・ドルチャ(面積141.84平方キロ、人口2,530人(1999年))
  アミアータ山の北斜面に位置する。

  南東に向かうフランス街道から南に少し離れた所に位置し、
城壁が一部に残る中心集落のカスティリオーネ・ドルチャは、 中世前期にはアルドブランデスキ伯(Conti Aldobrandeschi)とアミアータのサン・サルヴァトーレ修道院(Abbadia San Salvatore)に両属していた。 13世紀半ばにシエナ共和国に属し、 1559年にフィレンツェ公国領となった。
  ヴェッキエッタ広場(Piazza del Vecchietta)は、
この町出身の画家で彫刻家・建築家のロレンツォ・ディ・ピエトロ・ヴェッキエッタ(Lorenzo di Pietro Vecchietta, 1412-1480)にちなんだものである。 サンティ・ステファノ・エ・デーニャ教会(Chiesa dei Santi Stefano e Degna)のファサードは16世紀のものであるが、 堂内にはシエナ派のシモーネ・マルティーニ(Simone Martini, 1280-1344)や、 ピエトロ・ロレンツェッティ(Pietro Lorenzetti, 1280-1348)の聖母子像などの作品がある。 集落の上の丘(574m)にはロッカ・アルドブランデスカ(Rocca Aldobrandesca)の城跡がある。

  中心集落から数百メートル北のロッカ・ドルチャ(Rocca d'Orcia)の集落の上の丘には、 ロッカ・ディ・テンテナノ(Rocca di Tentennano)の城跡がある。 ロッカ・アルドブランデスカより戦略上重要で、 ヴァル・ドルチャ地方の城の中心であり、 シエナ領となった1258年以降も補強され塔が建てられた。 1274年にはヴァル・ドルチャの他の地域とともにシエナのサリンベニ(Salimbeni)家のものとなり、 1419年までこの城は同家の拠点となった。 16世紀半ばにフィレンツェ領になって以降、 軍事的価値を失い、 放棄されるに至った。
  1207年にこの城の領主ティニョジ(Tignosi)家が、
領民に多くの権利を認めたカルタ・リベルタティス(Charta libertatis)は歴史的に重要である。 また、 1377年にシエナの聖カタリナ(Santa Caterina da Siena, 1347-80)がサリンベニ家との紛争を調停した書簡が知られている。 このような歴史から、 シエナのユネスコ・クラブはこの城を「平和文化の使者」と宣言し、 2000年から2001年にかけて記念行事を行った。

  フランス街道沿いには、 レ・ブリッコレのサン・ペレグリーノ救護所(Spedaletto di San Pellegrino alle Briccole)はじめ、 いくつかの救護所や附属の荘園の建物が残っている。 このほかリンベッカ(Rimbecca)などの小集落や、 リパ・ドルチャ(Ripa d'Orcia)などの城(いずれも現在はアグリトゥリズモの宿泊施設)がある。 バーニ・サン・フィリッポ(Bagni San Filippo)には温泉がある。

3)ラディコファニ(面積118.46 平方キロ、人口1,229人(1999年))
  オルチャの源流に近い、
渓谷南端の標高716mの丘陵上に位置する。 城壁に囲まれ、細い道や袋小路が多く、 階段が建物の外部にある、典型的な中世の小さな集落である。 城壁外の山上(896m)にはロッカ・ディ・ラディコファニ(Rocca di Radicofani)の城跡があり、 ここから西にアミアータ山、 東にチェトナ山(Monte Cetona, 1148m)を望むことができる。
  ベネディクト派の修道院領であったこの町は、
教皇領として12世紀にはハドリアヌス4世が城を補強し、 インノケンティウス3世が拡張工事を行ったが、 フランス街道に沿った軍事上重要な位置にあることから、 いくつもの勢力の間で争奪され、 13世紀末には、 ダンテの「神曲(La Divina Commedia, 1307-21)」やボッカチオの「デカメロン(Decameron, 1353)」にも登場する 盗賊のギーノ・ディ・タッコ(Ghino di Tacco)の根拠地になったこともある。 1405年にシエナ共和国領となり、 1559年にフィレンツェ公国領となった。

4)モンタルチーノ(面積243.62平方キロ、人口5,099人(1999年))
  オンブローネ川とオルチャ川の支流アッソ川の間の標高567mの丘陵上に位置する。
ここから北にクレーテ、 南東にヴァル・ドルチャの風景を見渡すことができる。
  町の起源ははっきりしないが、
サンタンティモ修道院にその所領であったという814年の記録がある。 12世紀末には自治都市としてシエナと同盟していたが、 離反してシエナに破壊されたり、 幾度か占領されるなどの変遷を経て、 14世紀半ばには完全にシエナ共和国領となった。 1361年に五角形で各頂点に塔のあるフォルテッツァ(Fortezza、要塞)が13世紀の城壁の一部を利用して築かれた。 14-5世紀のポポロ広場に面して、 塔のある町役場(Palazzo Comunale)がある。 サンテジディオ教会、 サンタゴスティーノ教会は14世紀のものである。 サンタゴスティーノ教会に隣接する旧修道院の建物は、 町立・教区宗教美術館(Museo Civico e Diocesano d'Arte Sacra)になっており、 シエナ派の絵画や彫刻などを展示している。 大聖堂(Duomo)は1818-32年に、 サン・サルヴァトーレ教区教会を建て替えた新古典様式の建物である。

  モンタルチーノは、 1555年にシエナ市が陥落した後、 多くの市民が最後の砦として立てこもり、 1559年まで4年間持ちこたえた歴史で知られるが、 今日では、 ワインの銘柄ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ(Brunello di Montalcino)の産地として世界的に有名である。 このワインは、 19世紀半ばにフェルッチオ・ビオンディ・サンティ(Ferruccio Biondi Santi)が発見し、 ブルネッロ種と命名したサンジョヴェーゼ種のぶどうの変種からつくられる。 フォルテッツァ(要塞)の中にもワインの試飲と購入ができるエノテカ(enoteca)が設けられている。

  町の中心から南に10kmのところに、 ぶどう畑とオリーブ畑に囲まれて、 シャルルマーニュ(カール大帝)によって創建されたと伝えられるサンタンティモ修道院(Abbazia di Sant'Antimo)がある。 現存する教会堂は、 バジリカ跡に1118年に建てられたもので、 縞目のあるトラバーチンの荘厳な建物は、 ロマネスクの修道院建築の中で最も魅力的なものの一つである。 現在この修道院は、 グレゴリオ聖歌が歌われていることでも知られている。

5)ピエンツァ(面積122.53平方キロ、人口2,258人(1999年))
  ヴァルドルチャの丘陵地帯、
オルチャ川の支流トレサ(Tresa)川の両側の斜面に位置する。
  トレサ川右岸の小高い丘の上の中心集落は、
1996年に「ピエンツァ市街の歴史地区(Historic Centre of the City of Pienza)」として世界遺産一覧表に記載されているので、 周辺部についてのみ解説する。

  町の北部にはサンタンナ・イン・カンプレナ(Sant'Anna in Camprena)修道院がある。 14世紀前半の創建であるが現在の建物は15世紀のもので、 シエナ派のソドマ(Giovanni Antonio Bazzi (Sodoma), 1477-1549)のフレスコ画を見ることができる。 アンソニー・ミンゲラの映画「イングリッシュ・ペイシェント」(1996)のロケが行われた。
  町の東部トレサ川左岸の丘にあるモンティキエッロ(Monticchiello)は12世紀末にシエナに属し、
共和国東端の防衛の町となった。 ピエンツァとヴァル・ドルチャの眺めがよい。 13世紀の城壁の一部と天守が残っている。 1944年4月に70名のパルチザンが、 住民の協力を得てナチの占領軍を破った場所である。
  町の南西部のオルチャ川沿いにスペダレット(Spedaletto)と呼ばれる中世の旅人のための救護所がある。
外観は城であり、塔や狭間胸壁、石落としなどを備えている。 12世紀に建てられ、 1236年からシエナのサンタ・マリア・デラ・スカラ救護院(Spedale di Santa Maria della Scala)の管轄となり、 15世紀には同救護院の農園となった。 現在は修復も行われ、 保存状態はよく、 旅行客が宿泊できるようになっている。

  南東部には、 ルッチョラ・ベッラ自然保護区(Riserva Naturale Lucciola Bella, 865ha)が設定されており、 カランコやビアンカナの地形に特有の植生や動物の生息が見られる。


参考サイト

1.公園関係
(1)
http://www.parcodellavaldorcia.com/index.html
ヴァル・ドルチャ美術・自然・文化公園の公式ホームページ。イタリア語。(地図はこのサイトのhttp://www.parcodellavaldorcia.com/cartina/cartina.html が詳しいが、21個のjpeg画像に分かれているので使いにくい。また、http://www.parcodellavaldorcia.com/foto.htm に写真が20枚あるが、どこの写真かはファイル名で判断するしかない。)
(2)
http://www.riservenaturali.provincia.siena.it/page/asp/riserve.asp?cod=9
ピエンツァ南東部のルッチョラ・ベッラ自然保護区。360度パノラマ写真と典型的な糸杉の並木道の写真がある。関連ページにも地形や動植物の写真がある。イタリア語。
(3)
http://www.parks.it/z.valdorcia/index.html  http://www.parks.it/anp.val.orcia/index.html
ヴァル・ドルチャ地方自然保護区。環境省のクレジットがありながらよくわからない。イタリア語。
(4)
http://www.faenzi.com/diacciabotrona/AreeProtette/ANPIL/val_dorcia/Pag1.htm
ヴァル・ドルチャ地方自然保護区、ルッチョラ・ベッラ自然保護区を解説。調査会社のサイトらしい。イタリア語。

2.鉄道関係
(1)
http://www.jrtr.net/jrtr31/pdf/f18_mag.pdf
ヴァル・ドルチャ鉄道に関する論文。Japan Railway & Transport Review No. 31 所収。英語。
(2)
http://www.ferrovieturistiche.it/eindex.asp
イタリアの観光鉄道のページ。ヴァル・ドルチャ鉄道の写真や運行日程もある。英語、イタリア語。

3.観光・歴史・文化財関係
(1)
http://www.terraditoscana.com/default.aspx?lpg=visitare_province_alturist&obj=si_valdorcia
ヴァル・ドルチャと各町の歴史を1ページで解説。人口、面積も記載。"Gallery: Val d'Orci" には田園風景を中心に20枚の写真がある。トスカナ地方の観光ガイド。英語、イタリア語。
(2)
http://www.castellitoscani.com/castles_index.htm
トスカナ州の城のページ。城の歴史等が詳しく説明されており、写真や図も豊富。ヴァル・ドルチャの城のうち次の12件が掲載されている。英語、イタリア語。Castello di Vignoni(サン・クイリコ・ドルチャ)、Rocca Aldobrandesca、Torre della Campigliola、Castello di Ripa d'Orcia、Rocca di Tentennano(以上カスティリオーネ・ドルチャ)、Rocca di Radicofani(ラディコファニ)、Castello di Argiano、Castiglione del Bosco、Castello di Montalcino、Poggio alle Mura(以上モンタルチーノ)、Rocca of Monticchiello、Spedaletto Castle (以上ピエンツァ)
(3)
http://www.emmeti.it/Welcome/Toscana/Valdorcia/index.uk.html
ヴァル・ドルチャと各町それぞれ1ページの解説と写真1枚。イタリア全土の観光・宿泊の案内。アグリ(民宿)も載っている。このサイトには詳しくはないが各県を市町村ごとに色分けした地図がある。英語、イタリア語、ドイツ語。
(4)
http://www.nautilus-mp.com/tuscany/presentazione/valdorcia/indexing.html
ヴァル・ドルチャと主な町や集落について詳しい解説と写真や絵地図がある。トスカナ地方の観光案内(The Heart of Tuscany)。英語、イタリア語、フランス語だが、イタリア語だけのページも多い。
(5)
http://www.moveaboutitaly.com/toscana/valdorcia_it.html
余り鮮明ではないが写真がある。リンクは正しくない。イタリア語。
(6)
http://www.palazzodelcapitano.com/Copia%20di%20foto_gallery.htm
下の方にサン・クイリコ・ドルチャの写真集(戦前の写真を含む21枚)。ホテルPalazzo del Capitanoのページ。





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