ウベダとバエサのルネサンス様式記念碑的遺産群 Renaissance Monumental Ensembles of Ubeda and Baeza
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| 遺産略説(執筆:収斂さん) ウベダとバエサは共に双子の街と呼ばれる。 街の歴史はローマ帝国時代にまでさかのぼる。 しかしこの二つの街はイスラム勢力がイベリア半島に進出した時、 イスラム教徒に占領され、 イスラム文化が華開いた。 そのためウベダとバエサの街にはルネサンス様式、 ゴシック様式のほかにイスラム建築も残っており、 今も当時の面影がしのばれる。 当時、 イベリア半島の大部分を、 イスラム教国家の後ウマイヤ朝が制圧していたが、 1031年に後ウマイヤ朝が滅亡し、 その後、 アンダルシア地方(イベリア半島南部)ではイスラム系の小さな王朝が乱立する時代を迎える。 その結果、 イスラム勢力下にあったトレドを失うなど、 しだいにキリスト教勢力に押されてくる。 1086年にムラービト朝は反撃し、 カスティリャ王国の軍を破り、 グラナダ、コルドバ、セビリアなどを攻略し、 アンダルシア地方をムラービト朝の領土とした。 特に後ウマイヤ朝の首都でもあったコルドバは、 やがて、 当時の世界で最高の文化水準を誇る都市に成長していく。 13世紀になって、 キリスト教国家はイベリア半島からのイスラム勢力の駆逐と、 国土回復のために団結した。 これをレコンキスタ運動という。 キリスト教国家はレコンキスタを聖戦と位置づけ、 アンダルシア地方のグラナダが 1492年に陥落するまで激しく抵抗した。 コルドバは、 レコンキシタ運動で団結したカスティリャ王国によって、 1236年についに陥落する。 この頃成立したのが、 イスラム国家のナスル朝グラナダ王国であり、 首都グラナダにはイスラム文化の至宝ともいうべきアルハンブラ宮殿が建設された。 以後250年以上にわたり、 グラナダ王国は、 イベリア半島におけるイスラム勢力の最後の砦となる。 なおバエサはこのレコンキスタ運動で、 キリスト教国側が最初に失地回復に成功した場所であり、 1227年にカスティリャ王国によってキリスト教徒に併合された。 またウベダも1234年にキリスト教徒が奪回している。 1492年にスペイン軍の攻撃によってグラナダは陥落し、 王国は滅亡した。 これによってレコンキスタは完了し、 イスラム教徒はヨーロッパから駆逐される。
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