遺産略説(協力/ユネスコの審議書を要約:漣さん)
聖山(サクロモンテ)の造営は15〜16世紀、 エルサレムを模した新たな祈りの場を形成するために始まった。 フランチェスコ会の修道士は聖遺物を収める場として3つの地を選んだ。 それがミラノ公国領にあるVarallo、トスカーナ地方のMontaione、ポルトガル北部のBragaで、 それぞれエルサレムに似せて造られた。
数年後、 1535年に開かれたトリエント公会議(注1)において聖山は迫る宗教改革の波に対抗し、 よりカトリック信者の教義を堅固にするため、 1480年ごろに建てられたVaralloの新エルサレムを始め、 ミラノ公国元老院の管轄の下に、 聖母マリア、聖三位一体、聖人を祭った聖山を多く建てた。
ミラノ公国の修道僧カイミ神父が造り上げた聖山を始め、 トリエント公会議以来 Crea,Orta,Varese,Oropa,Ossuccio,Ghiffa,Domodossola,Valperga の8つの地に新たな聖山が造営された。 Varalloに建てられたものを参考にそれぞれが独特の芸術的、 建築的特徴を持っている。
その後も聖山は建てられたが、 宗教改革の波が去り、 聖山造営の機運も収まると原則な戒律に基づかない建築になっていった。 新エルサレム(Sacro
Monte or New Jerusalem of Varallo)
15世紀の最後の10年の間に、 Varalloの町を見下ろす岩並みの丘に新しい聖地を築こうととしたのが始まりであるが、 その後目的は宗教改革に対抗するための物へと変わった。 幾つもの礼拝堂が建てられ、 それぞれにキリストの受難の場面を描いたフレスコ画がある。 その後、 貴族お抱えの画家や彫刻家がさらに手を加えていった。 現在見られる姿はナザレスやベツレヘム(注2)を模した景観を45の礼拝堂が並ぶ道が、 エルサレムを思わせる丘の上へと結んでいる。
聖母マリア被昇天の聖山(Sacro
Monte of Santa Maria Assunta Serralunga di Crea and
Ponzano)
起源は1589年、Monferrato峠の地域を教義化する為に、 ロザリオ玄義(注3)を描いた25の礼拝堂が建てられたのが始まり。 現在は23の礼拝堂と5つの修道院が建ち、 聖母マリア被昇天の聖域と呼ばれる場所があり、15、17、19、20世紀にそれぞれ改修されている。
礼拝堂には彩色テラコッタ(注4)が使われた彫像があるものや初期に描かれた絵が残るものもある。 現在は19世紀に行われた大改修の際に作製された彫像も含め周囲の景観と見事な調和を見せている。
聖フランチェスコの聖山(Sacro
Monte of San Francisco,Orta San Giulio)
このOrta湖を望む聖山は唯一聖フランチェスコを祭ったものであり、 工期は主に3回に分けられる。 始めは1590年から1630年にかけて地方の共同体の要望によりマニエリスム様式に則って造られた。 2度目は17世紀後半までにバロック様式で、 3度目はバロック様式も混ぜた独特の方式で18世紀後半に行われた。 21の礼拝堂の他、元聖フランシス施療院、彫塑的門、噴水などがあり16世紀の姿を今に留めている。
ロザリオの祈りの聖山(Sacro
Monte of the Rosary,Varese)
1474年から聖アンブロシウス(注5)の隠者の戒律に従って造られていた巡礼地を拠点にして、 トリエント公会議後に聖山の造営が行われた。 1604年から舗装した道にロザリオ玄義の15の場面が描かれた礼拝堂が置かれ、 レパントの海戦(注6)後に強まったカトリック信者の巡礼が増えた。
貴族からの相次ぐ寄進により、 他の聖山より早く建設が進んだ。 1623年には15の礼拝堂全てが完成し、 1698年には工期の全工程が終了し、 現在でも当時の姿を留めている。
聖母マリアの聖山(Sacro Monte
of the Blessed Virgin of Succour,Ossuccio)
コモ湖畔に造営されたこの聖山は、 外界から遮断されたオリーブ畑と鬱蒼と茂る森に囲まれている。 1635〜1710年にバロック様式で建てられた14の礼拝堂と森の植物がうまく調和している。
出来うる限りVareseのものに忠実に造られたこの聖山は、 各聖山の中でも特に神聖な聖域とされ、 1537年に造られたそれはロザリオの祈りの場面により繋がっている。
聖三位一体の聖山(Sacro Monte
of the Holy Trinity,Ghiffa)
急峻な森の坂道に元々存在した聖域に、 16世紀から17世紀半ばにかけて造営された。 始めは3つの礼拝堂だけであったが、 信者による巡礼が絶えず、 1646〜1649年の間にここは有名な聖地となった。 現在はそれぞれ聖書の主題を扱った礼拝堂と3つの小礼拝堂がある。
カルヴァリアの丘(Sacro Monte
and Calvary,Domodossola)
Domodossolaの町を見下ろすMattarella街道に1656年、 2人のカプチン会(注7)修道士がカルヴァリアの丘の建設をする地を決めた。 現在建つ12の礼拝堂には、 十字架の道行きの留、 キリスト降架、 聖杯、 キリストの復活等を題材とする彫刻や絵画が飾轤黷トいる。 頂上には1657年に建設が始まった、 キリストの受難の聖域があり聖域内には5つの礼拝堂、 中世に建てられたMattarella城がある。
ベルモンテの聖山(Sacro Monte
of Belmonte,Valperga Canavese)
Belmonteの堅固な岩の丘の上に18世紀初頭、 Michelangelo do Montiglio という1人の修道僧が聖山を築くことを発案した。 キリストの受難を忠実に再現しようと建てられた礼拝堂は、 頂上の小さな聖域にたどり着くことで最高潮に達する。
現存する13の礼拝堂は、
地元の人々の寄進により次々と建てられた。 初期の頃は地元の職人による聖書の主題を描いた絵画があったが、 1世紀程の後、 ここは陶磁製の彫像で飾られた。 19世紀の巡礼路の拡張に伴い巡礼者も増加した。
(注1)トリエント公会議(1545〜63)
イタリア北部、 トレントで開かれたカトリック教会の会議。 プロテスタントに対抗して伝統的なカトリックの教義を再確認し、 反宗教改革の理念を体系化するに至る。
(注2)ナザレスとベツレヘム
ナザレス:イスラエル北部のキリストが少年時代を過ごしたとされる町。
ベツレヘム:ヨルダン川西岸の町で、キリスト生誕の地であり、ダビデ王の故地でもある。
(注3)ロザリオ玄義
聖母崇拝に際し、 数珠の小さな珠の1つごとにアヴェマリアを唱え、 大きな珠の時に主祷文を唱える、 これをロザリオの祈りと言う。 ロザリオ玄義とはロザリオの祈りの際に黙想する聖母マリアとキリストを結びつける喜び、 苦しみ、 栄えの3つに分けられる15の場面のことである。
(注4)テラコッタ
茶褐色の素焼き陶器で建築装飾等に用いる。
(注5)聖アンブロシウス(339?〜397)
カトリック教父で374〜397はミラノの司教。 初期キリスト教会の思想家アウグスティヌスの師。 典礼を改革し、 アンブロシウス聖歌を作曲。 4月4日と12月7日が祝日。
(注6)レパントの海戦(1571)
1570年、ヴェネツィア国営造船所火災の報せをうけたオスマン=トルコ帝国は、 当時ヴェネツィア領であったキプロスに侵攻、 ヴェネツィア共和国は法王ピオ5世に働きかけ、 1571年スペインと共に十字軍という名目で連合艦隊を結成。 スペイン国王フェリペ2世の弟ドン・ホアン、 ヴェネツィア海軍のセバスティアーノ・ヴェニルらを司令官とし、 キプロス奪還を目指しキリスト教主国はより結束を固め、 ギリシア西部のレパント沖にて行なわれた海戦。 キリスト教連合艦隊側が勝利を収める。
(注7)カプチン会
16世紀初頭、 刷新を目指しフランチェスコ会から分派した托鉢修道会。 その名は修道士がかぶっていた長く尖った頭巾、 カプッチョに由来する。
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