バルパライソの海港都市の歴史地区
Historic Quarter of the Seaport City of Valparaiso


国名 チ リ
分類 文化遺産
所在地 首都サンチアゴの西北西およそ100km



審議年と結果
2000年 審議延期 ・・・調査が行なわれていない。
2003年 世界遺産登録!!


遺産略説(執筆:収斂さん)
  バルパライソは、
1536年にディエゴ・デ・アルマグロの遠征に従軍したスペイン大尉の、 バヒア・デ・バルパライソによって建設されたと信じられている。 しかし本格的に街の整備を行ったのは、 ペドロ・デ・バルディビアが最初であり、 彼の指示によってサンチャゴ港(the port of Santiago)をはじめ、 今も残る教会や歴史的建造物が建設された。 しかしバルパライソがスペイン国王から都市として認可されたのは1791年で、 さらに法律的に街として承認されたのは1802年であった。
  スペインによる植民地時代、
バルパライソはスペインの重商主義に従う形で成長したが、 チリがスペインから独立してからは、 スペイン人に代わってイギリス人やアメリカ人が街の経済を独占した。 独立直後のチリはまだ貧しかったので、 「(チリ人の)政治家の家と庶民の家は貧しく汚いが、 (外国人の)商人の家は、比べ物にならないくらい大きく美しい」という、 当時の社会を風刺した話が今に伝わっている。 実際、 今も残る商館の多くはこの時代のものである。
  しかし19世紀後半にバルパライソの街に大変化が起きる。
北米のカリフォルニアでゴールドラッシュが起こったのだ。 そのため一攫千金を夢見た人々が世界中からカリフォルニアに集まったが、 その際に南米のケープホーン(Cape Horn)周りの航路は大いに活況を呈し、 その重要な寄港地であるバルパライソも経済的に潤って、 これが街の発展の起爆剤になった。 独立当時5千人足らずだったバルパライソの人口はたちまち5万人以上に膨れ上がり、 またサンチアゴからの鉄道の開通もあって、 1880年頃には人口が10万人を超えた。 さらにチリ産の硝石の積出港としても整備されたため、 バルパライソは太平洋に面した南米の都市の中で最も繁栄した都市になった。 当時のバルパライソはチリの商業・経済の中心であり、 南米一の主要な貿易港であった。
  しかしパナマ運河の開通でケープホーン周りの航路が廃れたことにより、
バルパライソの経済基盤は大打撃を受ける。 またチリ産の硝石は、 火薬の原料として欧州列強には必要不可欠の鉱物資源であったが、 ドイツ人化学者のハーバー(Fritz Haber:1868〜1934)によって、 大気中の窒素をアンモニア合成に使うハーバー・ボッシュ法が発明されたため、 欧州でのチリ産硝石の需要が激減してしまった。 そして追い討ちをかけるように1929年にアメリカで大恐慌が起き、 バルパライソの経済は一時、 完全に破綻してしまう。
  このときの経済破綻の影響は大きかったものの、
第二次世界大戦後、 バルパライソはチリ国内有数の工業都市として復活し、 現在に至っている。

参考サイト
http://www.chile-tour.com/eng/centro/valparahistoria.html





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