サマルカンド=文明交差点
Samarkand - Crossroads of Culture


国名 - ウズベキスタン
分類 - 文化遺産
所在地 - ウズベキスタン中東部。首都タシケントの南西およそ270km



審議年と結果
1991年 審議延期 (詳細不明) ・・・なおこの時の遺産名は、サマルカンドSamarkand)だった。
2001年 世界遺産登録!!


 



Photo credit:Samarkand
   
遺産略説(執筆:収斂さん+浦に〜と)
  「青の都」「イスラム世界の宝石」「東方の真珠」などと称されるサマルカンド。 古代ギリシア時代には、 ソグド人の営むマラカンダという名の都であった。 街は常にシルクロードの中継地として栄え続けた。
  紀元前4世紀にサマルカンドを占領したアレクサンダー大王が、
この街の美しさを絶賛した記録があり、 また7世紀には玄奘三蔵法師が、 この街の美しさ、 城壁の堅固さを賛えている。
  13世紀のサマルカンドは、
ホラズム帝国という当時イスラム国家最強の国の首都であったが、 1220年モンゴル軍の攻略で徹底的に破壊された。 現在も山の上に、 ホラズム軍がたてこもった砦の跡が残っているが、 モンゴル軍の投石器で飛ばされた 信じられないくらい巨大な岩が雨あられのごとく散乱しており、 すさまじい戦闘であったことを物語っている。
  14世紀、
サマルカンドは英雄ティムールによって、 破壊された街の隣に新しく建設された。 この新しいサマルカンドこそ ティムール帝国の首都であり、 現在のサマルカンド歴史地区の中核である。 破壊されたかっての旧市街は、 今日アフラシャブ遺跡と名を変え、 今も継続して発掘が行われている。 このアフラシャブ遺跡からは、 アラブ人侵攻以前の8世紀頃の宮殿遺跡などが発掘された。
  現在、
街はレギスタン広場を中心に移っている。 この新市街には、 かってティムールの命によってデリー マドリードなど世界の都市の名前がつけられた。 こういった地区名は現在だいぶ減ったが、 パリシ(フランスのパリのこと)地区にはまだその名残がある。 ティムールはイラン、シリア、アラビアなど各地から最高の職人を街に招き、 街を美しく壮麗なものにした。 それは今も街に現存し、 息をのむ美しさである。 なかでもティムール以来 600年にわたって建てられてきた壮大なイスラム建築群は、 サマルカンドの特徴である。 それはこの街が世界の至宝の名に恥じないことを示すかのように、 威容を誇っている。
  代表的なのが色鮮やかな霊廟の複合建築、
シャーヒ=ズィンダ霊廟群である。 シャーヒ=ズィンダとは「生ける王」という意味で、 マホメッドの従弟クサム・イブン・アッバースを指す。 ここにはティムール帝国ゆかりの人物の墓が一列に並び、 その装飾の多様さ、 美しさは中央アジア随一と言われる。 ほかにレギスタン広場を囲む3つの神学校(メドレセ)や、 近年修復され、 本来のブルータイルの美しさが蘇ったグル・エミール廟、 ウルグ・ベグ天文台、 ビビ・ハヌイム・モスクなどが有名である。
  やはりサマルカンドは世界の真珠である。






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