モスタル旧市街 The Old City of Mostar
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| 遺産略説(執筆:収斂さん) モスタル(モスタールともいう)はサラエボの南西約70キロメートルの場所にある、 ボスニア=ヘルツェゴビナ共和国の歴史都市であり、 バルカン半島のほかの都市同様にトルコの影響が強く見られ、 今でも多くのモスクが点在している。 特にモスタルの旧市街の特徴は、 中世ヨーロッパの都市の様子を示す顕著な例であると同時に、 そこで暮らすクロアチア人、 セルビア人、 イスラム人などの文化が交錯した街である点である。 モスタルの歴史は1482年に街がオスマン=トルコに占領されたことに始まる。 そして街の中央を流れるネレトヴァ川に1566年、 美しい石造りのアーチ橋が建設された。 この石橋はトルコ語で「古い橋」を意味するスタリ・モストと呼ばれ、 モスタルの街の名の由来になった。 スタリ・モストは長さ27.5メートル、 高さ18メートルでセメントを使わず、 鉄鉤で石を組み立てたといわれている。 この橋は一見するとヨーロッパのどこにでもある石橋のように思われるが、 強度の弱い石材で作られているため、 完全なアーチ型でないと崩壊するといわれている。 そのため、 この橋の建設を行った当時のオスマン=トルコの建築家の技術は高く評価されている。 なおこの石橋のたもとには小さな砦のような塔が建っている。 これはタラの塔とよばれ、 当時、 火薬庫として使用されていた歴史的建造物である。 このスタリ橋とタラの塔周辺のネレトヴァ河岸一帯に古い歴史的建築が多く見られる。 モスタルは16世紀に大きな地震に見舞われ、 街の多くが被害を受けた。 現在の古い建物の多くは地震後のものである。 やがて17世紀にはモスタルは人口1万2000人の街に発展したという記録がある。 主な歴史的建造物としては、 1557年に建設されたカラジョズベイモスクが有名である。 このモスクの内壁には、 だいぶ剥落はしているが、 今でも当時の美しい彩色壁画がみられる。 そして、 床面にはいろとりどりの絨毯が敷かれ、 地元の敬虔なイスラム教徒に使用されている。 ほかにモスタルの街の近くにもう一つ、 トルコの城砦が残るポチテリーという街がある。 ここはかってモスタルと同じ頃に建設されたが、 モスタルが発展するにつれ都市機能が荒廃し、 そのため幸運にも古い文化財を多く残す場所になった。 城砦はポチテリーの街を囲むように、 山や丘の頂にくまなく建設されている。 ただし保存状態はあまりよくなく、 多くが朽ち果てている。 またポチテリーの街を見下ろす山上には17世紀建設のモスクも残っている。 残念ながらモスタル旧市街はボスニア内戦による被害が最も大きかった場所の一つで、 イスラム教徒とクロアチア人の戦闘がネレトヴァ川を挟んで行われた。 スタリ橋は、 その攻防戦によって無数の銃弾、数十発のロケット砲や迫撃砲を受けるもなんとか持ちこたえていたが、 このスタリ橋が補給路になっているという理由で爆薬が仕掛けられ、 完全に破壊された。 この橋が破壊される様子はビデオ映像に撮られており、 文化財破壊の悲劇の象徴といえる。 現在ではどちらの軍の誰が橋の破壊を命令したのか結論は出ていないが、 破壊された石を川から回収し、 スタリ橋の再建が始まっている。 しかしカラジョズベイモスクをはじめ、 街の歴史文化財の現状を伝える情報は少なく、 さらに文化財盗難なども深刻で、 早急な対策が必要である。 裏世界遺産の館目次へ |