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ペロの朝は早い。
普段起床時間が8時30分のオレにとって、6時50分起きは不可能に近いと思われていたが、それはやはり旅先のイレギュラーな時間。朝からちゃんと起きた。でも起床→一服→コーヒーという流れが無いのはやはりしんどいかも。
本当は夕べ人妻のめぐが作ってくれたおにぎりがあるのだけど、朝から米を食べられるほどタフではないオレは、おにぎり3個をバッグに詰め、ペロ宅を後にすることにした。
実は昨日ここに到着したときから単車の不調に気付いていた。
低速域の吹けが悪く、アイドリングが不安定なのだ。それも思い当たるフシがあった。実は旅先前のキャブレターの分解清掃時に、一気筒のチョークをつかさどる部品を不注意から破損してしまっていたのだ。そこからキャブレター内部にエアを噛んでいるのではないか、というのがオレの考えだった。しかし、走行中はそんな低速域で走ることは少ないし、ましてや上まで回してしまえば多少のエア混入など問題ではないと考え、ずっと無視して走ってきたのだ。念のため、プラグを外して燃焼状態を見ると、やはり問題の3番がひどくすすけている。スロージェットを#75番と異様に濃いのを入れたのも悪影響を及ぼしているようだ。しかし、ここでキャブを分解するわけにも行かないので、とりあえずプラグを磨き、アイドリングを続ける。だが、3番のエキゾーストパイプにちょっと触れてみると、他の気筒より明らかに温度が低い。まっとうに点火していない証拠だ。
一気筒死んでいるかも知れないという不安を抱えつつ、『ま、走りゃー直るだろう』という安易な考えのもと、ペロと再会を誓う握手を交わして、一宮の街を後にする。
名神高速に乗り、全開チェックをすると、ちゃんと走る。大丈夫大丈夫。最悪なんかあっても、今夜の京都にはオートバイの神様がいるさと思い、走り続けることにする。
一宮から濃尾平野を北上していくと、眼前に高い山々がそびえてくる。五月に名古屋のkiller beeヤスとここを走ったときには、山に入る直前で休憩したことを思い出し、その養老SA目指して走る。
程良く腹が減ってきて、養老入りしたときには、さっきのおにぎりが胃に入りそうだった。すでにぐんぐん上昇する気温に、缶のお茶と一つ目のおにぎりの朝食とする。ちなみに中身は梅干し。ひとりで「すっぱいすっぱい」と笑いながら、オートバイの横に腰を下ろしておにぎりを頬張った。
一段落すると、旅を続けることにした。
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道が蛇行し始め、両脇を高い山々に囲まれて、関ヶ原を抜けてゆく。路線変更する予定の米原まではほんの数キロの表示。このままのんびり走ろうと思っていたところ、一台のオートバイに抜かれた。HONDA VT 250 SPADA。こいつをペースメーカーにして、少しペースをあげる。見知らぬ彼と抜きつ抜かれつを繰り返しながら、何台もの車やトラックを追い抜かしてゆく。気温が少し下がり、山間の涼しい空気を感じることが出来る。
アッという間に米原のジャンクションに差し掛かる。路上で出逢い、路上で別れるSPADAの彼に片手をあげて挨拶を送る。彼も手を挙げて、言葉にならない思いを交換する。
米原の料金所でチケットを受け取ると、また妙に堆肥臭い山間の畑の中を駆け抜けてゆく。琵琶湖沿いに北上してゆくこの北陸道は、ずっと平坦でまっすぐな道が続き、まわりに民家も少ないから防音壁もなく、懐かしい田舎の景色を横目で見ながら走ることが出来る。
滋賀県長浜市。琵琶湖の東岸に拡がる広大な田園地帯。きっと湖が運んでくれる豊かな水と、周囲の肥沃な大地が作り出す巨大な農地。少し辺りに目をやれば、小高い山の上に小さな城影を見いだすことが出来る。千年以上も昔からこの地には人が住み、そしてその土地を巡って武将や豪族達が争いを繰り返してきた。それは確かにそうだろう。この豊かな土地を前にして、ここを我がものにしたいと思う人は多いはずだ。そんなことを考えながら走る。
やがてまた山がせまってくる。琵琶湖と日本海を隔てる連山だ。
むき出しの腕に夏の日射しを浴び、時速100km/hを越えるペースで走ってゆくと、この日本という国の形が本当に肌で実感できる。生まれてこの方海外旅行とは縁のないオレだが、この国はオートバイで走ると本当に楽しい国なのだと思う。山あり、平野あり、海あり…。風景の変化は人を飽きさせることはなく、そしてその人知を超越したダイナミズムに陶酔してしまう。オートバイだから感じられることなのだと思う。車ではこういう気持ちにはなれないだろう。風景と一体になって、その懐に抱かれる旅。それがオートバイの旅なのだ。
滋賀県と福井県の県境辺りで小休止し、その山並の美しさに思わず写真を撮る。

福井県の敦賀市までは本当にアッという間にたどり着いてしまった。一宮を出てから2時間も経っていないのではないだろうか?
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とりあえずこのたびの第一の目的、日本海を見に行くために、郊外のインターチェンジから一般道に降り、潮の匂いに誘われるままに、木曜日の午前中の静まり返った町を抜けて、港へ出る。
日本海は本当に美しい海だった。
敦賀港は昔から大陸との貿易の盛んな場所であったらしく、明治時代ぐらいの貿易庁舎が復元されて保存されたりしていた。港は、両脇を山に囲まれた天然の良港で、周囲に工場が少ないせいか、水は澄み穏やかな湾だった。護岸はボードウォークが張り巡らされた散歩道になっている。誰もいないのをいいことに、ヘルメットを外し、ボードウォークの上を単車で走って休憩所を探した。
岸壁から下り階段が延びていて、船の舳先を模したスペースが、ボードウォークの先にあった。そこに単車を停める。のんびりとした田舎の港の穏やかな時間が始まった。

舳先の様な遊歩道の先端まで歩くと、手摺りがある。手摺りの先は、エメラルドにきらめく、日本海だ。
もちろん手摺りなど乗り越えて、その向こう側のわずかなスペースに腰を下ろす。
満潮なのだろう。
海面は手が届くほどだ。考える間もなくブーツと靴下を脱ぎ、海に素足を浸ける。8月の日本海は本当にあたたかく、優しい顔でよそ者のオレを迎えてくれた。
足の下を小魚の群が走り、クラゲがのんびりと浮かんでいる。頭上には1羽の白いカモメ。そして抜けるほど青い盛夏の空。白く輝く積乱雲。深い緑に燃える山。波もない敦賀湾…。真夏の光が海面に刺さり、エメラルドの光の柱が何本も、海中を揺らめく。
こころの底から幸福感が満ち満ちてきて、オレは思わず足で水を蹴る。
ふと思い立って単車に戻ると、3ッつ貰ったおにぎりの2個目を持ってくる。また海に足を差し入れて、めぐみのおにぎりを頬張る。何もかも忘れて、ただ朦朧(もうろう)と、真夏の日本海に抱かれていた。
そんな忘我の時間を過ごし、その後はしばらくこの港を散歩することにした。実は現在企画が進行している新しいweb siteの取材も兼ねての今回の旅なので、すこし港をうろつきながら、何枚かの写真を撮る。それにしてもこの夏はなんとたくさんの海を見たことだろう。外房、内房、東京湾、湘南、相模湾、西伊豆、東伊豆、遠州灘、そしてここ、日本海の敦賀湾。港の名前を挙げていけばそれこそキリがない。何故か異様に港の風景に惹かれる自分を自覚する。
かれこれ一時間近く、真夏の午前中の田舎の港を歩き回り、匂いを嗅ぎ、肌を灼きながら日本海を堪能した。
口をついて出てくるのは、1990年に角松敏生がリリースしたインストゥルメンタルアルバムのオープニングチューンだ。
sunrise…
daylight…
my sweet heart shinin' brightly…
hold' n your hair shinin' brightly,
oh my love you belong to me
I love you…
いまならこの言葉の意味が肌で感じられる。もってきたMDをかけると、まるで魂が空気に溶けだしてしまうのではないかと思うほど、気持ちは開放される。
相当な数の写真から何枚かを掲載しておく。




旅を続けよう。
単車にまたがり、地図でこの先のルートを考える。なにせ5時に京都に着けば良いのだ。先の行程を考えると思いのほか早く到着しそうなことが判ったので、のんびりと寄り道をしながら走ることとする。
敦賀半島を少しだけ北上し、県道33号から国道27号へ続く道沿いに走ることにして、アクセルを開ける。
この県道33号実に素晴らしい道だ。敷かれて間もないような濃紺のアスファルト、なだらかなワインディング。右手には美しい敦賀湾。幾つもの小さな浜辺は輝くような白い砂浜。何度も立ち止まりそうになるが、せめて敦賀半島を横断してから次の休憩を入れようと思い、停車を我慢する。
しかし、後から聞いたのはこの地の過酷な現実。
すなわち、高速増殖炉もんじゅを初めとする原子力発電所が半島の先端にあるせいで、地域自治体はそこから多大な援助金を得ているというのだ。だから道路は美しく整備され、こんなにも走りやすい道が通っているのだ。
オレ個人としては、原子力発電所はこの国にとって、欠くベからざる大切な施設だと考えている。天然資源の乏しいこの国で、リサイクル可能で周囲への影響も少ないクリーンな発電システムは、本当にきちんとお金をかけて維持運営・研究されていって然るべきものではないか、と思うからだ。
しかし、もちろん有事の際にはこの美しい海辺は全て、完膚無きまでに破壊されてしまう。あのチェルノブイリのように。オレたちはあくまでもこの自然を間借りしている店子(たなこ)に過ぎないのだ。あってはならないことは、絶対に起こしてはならない。この美しい海が永遠に存在し続けることを静かに祈る。
さて、そんな素晴らしい路面の小さなワインディングをオレは実に大人なスピードで走ってゆく。法定速度を守り、ヘルメットのシールドを開けて夏の匂いを胸一杯に吸い込んでゆく。敦賀半島はアッという間にその頂点をみせ、道は下り坂になってゆく。そしてまた海に出る。

若狭湾・水晶浜。
その名の通り、本当に美しい白い砂浜が広がる天然の海水浴場だ。8月もまだ後半に足を踏み入れたばかりのビーチには、水着のおねーちゃんがたくさんいて、旅人の目を癒す。ホントか? イヤされたのか、オレ(笑)?
たださすがに人手が多すぎて、ここで休憩する気にはなれない。そのまま県道を走り、国道27号へ入る。三方五湖と呼ばれる隣接した5つの湖(水中塩分の違いで、各々に水の色が違うのだという)を周遊する『レインボーライン』という有料道路があるのだが、全長11.2kmで自動二輪車710円は高すぎる。当然迂回して、一般道で行くことにする。国道162号へ入る。この道が京都までオレを運んでくれる。
三方湖を右に見ながら走ってゆくと、妙にこぎれいな公園が見えてきた。そこにはなにやら北京原人の様な格好をしたヒトの彩色された像が何体か建っている。『福井原人センター』観光バス用の巨大な駐車場と、「原人まんじゅう」を売る売店。そこには使い捨てカメラののぼりがはためき、瀟洒な建築の博物館が奥の方に見える。
おおかた、「ふるさと創生1億円」の副産物なのだろうが、はっきり言ってこういうのが一番うんざりする。真剣に腹が立ってくる。なんていうか、とてもみっともない気がするのだ。貴重な遺跡の見学施設を建築するのは結構だが、まるで周囲に不似合いな、東京のど真ん中にあるような建物を建ててどうしようというのだ。そして、使い捨てカメラののぼりはそのデリカシーのない建物に更に毒気を添える悪い冗談のようにしか見えない。地方自治体の想像力の貧困さには、ぼくらの国の持っている根本的な問題が潜んでいる気がしてならない。
小腹を立てながらR162を進んでいくと、また小高い峠を抜けて道は下り坂になる。坂を下りきったところは本当に小さな漁村の部落だった。T字路に差し掛かり、国道は左へ折れていくのだが、T字の向こうは人気無い小さな、だけど本当に美しい浜辺だった。
思わず単車を停め、感嘆の声を漏らしながら、波打ち際に向かって歩いてゆく。

日射しを跳ね返す真っ白な砂浜。
透明な波打ち際には何匹もの黒鯛の稚魚が遊んでいる。性懲りもなくジーンズの裾を折り、ブーツを脱ぎ捨てて、素足を波にからませると、頭の中の回路が音を立てて切れた。
オレは単車に戻り、岸壁の裏側で着ていたモノを全て脱ぎ去るった。

パンツひとつで海へととって返し、じゃぶじゃぶと音を立てながらあたたかな海の中へ入っていった。
オレの田舎ではお盆を過ぎるとクラゲが出るので海へは入らないように言われる。ここでもやはり水クラゲを見かけたので、あまり沖へは行かないようにする。波打ち際のほんの2〜3メートル先、まだ膝頭ぐらいまでの水深の辺りで仰向けになって、浮かんでみる。
海に入ったのは久しぶりだ。
去年の伊豆ツーリングの時に、海辺の温泉で湯に浸かった後、そのまま泳いだ時以来かも知れない。一頃、水泳を趣味にしていたので、浮遊感覚自体はそんなに久しぶりという感じはしないけど、やはりプールと海では全然勝手が違う。穏やかな波に揺られながら、オレは思わず笑っていた。
しばらくして海から上がってくると、びしゃびしゃの身体のまま、辺りを見回す。海に入る前に買った壮健美茶の缶を、岸壁の上に置いておいたところ、綺麗なアゲハチョウがその表面の水滴を吸っていた。その美しさに、パンツ一丁で思わず写真を撮る。とりあえず下半身を手ぬぐいで拭いて、下着を換え、ジーンズだけをはく。
辺りを見ても人気が全然無い。100メートルほど先の民宿の前に、小さな公園を見つけた。上半身は裸のままで公園まで単車を走らせる。思った通り、公園には水飲み場があり、その蛇口を思い切りよくひねる。高さ2メートルほどまで吹き上がった水流が地面に向けて落下してくるその真ん中に立って、頭から冷たい水をかぶる。声にならない歓声をあげながら、オレはひとり、公園のど真ん中のシャワータイムだった。
この小さな漁港の民宿の前にあった公衆電話から、京都の今夜の宿泊先であるTaaさんの携帯に電話を入れる。現在の場所と、若干のキャブの不調を話すが、走ることには全然問題ない胸を告げ、しばらくまた、漁港をぶらつく。
強烈な潮の匂いと、魚の匂い。思わず生唾を飲み込んでしまう。グリーンに溶けてゆく海面からは、黒ダイや石鯛、メジナの稚魚の姿がたくさん見える。足下に影が全く見えなくなるようなお昼のまっただ中、オレは3っつめのおにぎりに手を着ける。こうしてめぐみのおにぎりは都合150kmほどを旅しながら、オレの胃袋へと収まっていった。

人気無い須浦の港を後にすると、R162沿いに走ってゆく。この辺りはいわゆる典型的なリアス式海岸で、急斜面で海になだれ込んでゆく山々の中腹を、国道は右へ左へと曲がりながら走ってゆく。その度に、ライダーの視界には緑深い夏の山と、グラン・ブルーの日本海が見えることになる。
思い出深かったのは、山あいに作られた段々畑の小さな田んぼが見えたとき。稲はまだ緑の色濃い成長途中だったが、その稲の向こうに美しい海を見下ろしたときに、またいつか、この地を訪れるであろう思いが確信へと変わった気がした。深い森、木立の向こうには綺麗な海。こころはまるで、どこまでも透明になってゆく思いだ。


小浜市内を抜けて、道はいよいよ南川沿いに田舎道を走り始める。川に沿って巨大な田んぼが作られている。国道はその真ん中を抜けて行くわけだが、ここらへんの稲は早稲であるらしく、すでに黄色に色づき始めている。風が流れる度、金色の海はひそかにさざめく。こうして旅をしていると、不意にいままで走った様々な田舎の風景がフラッシュバックのように蘇ってくる。房総の山あいの田んぼは綺麗に色づいたのだろうか? 伊豆の森の中の清流のワサビは元気だろうか? そんな思いでシャッターを切った。
しばらくの間、田舎道をのんびり走っているとき、事件は起こった。
前後に車はいないし、見通しもいい。法定速度より若干だけ早いぐらいのペースで流していると、進行方向の右側の森、自分より5メートルほど前方から、一羽の黒いアゲハチョウがひらひらと飛んでくるのが見えた。
「あ、キレイだな」
と思った次の瞬間、右の膝に何かがコツンと当たる感触。背筋を冷たいものが走る。
次の瞬間、バックミラーを見ると、疾走していく濃紺のアスファルトの上に、はらりとクロアゲハが力無く地に墜ちた。オレの膝に衝突して、そのまま息絶えたのだろう。ああ、なんということをしてしまったのだ。きっとあの場所は、彼女(と勝手に決める)の<蝶道>なのだ。蝶は皆、自分の散歩コースを持っていて、一日に何度も同じルートを回っては、途中にある蜜や樹液やわき水を吸う。今日何度目かの彼女の散歩のその瞬間に、彼女は見知らぬ巨大なハンマーで全身を強く打たれて即死したのだ。
コレにはほとほと参ってしまった。
ヘルメットを開け、外気を吸いながら、こころの中で必死に平静を保った。しかし、このクロアゲハの呪いはそんなことではもちろん解けるわけもなく、旅の最終日にオレはとんでもない目に遭うことになる。
道の左右から山が迫ってきて、いよいよ田んぼは姿を消し始め、徐々に周山街道がその本領を現し始める。旅に出る前に、京都のTaaさんに勧められた道なのだ。交通量も少なく、始まったワインディングも中速コーナーの連続で、なかなか楽しませてくれる。ここまで大人の走りをしてきた自分を解き放ち、久しぶりにアクセルワイドオープンで山のエンターテイメントを堪能する。
しかし、ここでも工事がそこかしこで行われていて、途中とても長い赤信号で停められてしまった。工事車両以外には車も少なく、とりあえず一枚撮ってみた。

この工事区間を抜けると、『堀越峠』という看板が見える。道のRは徐々にきつくなり、いくつかの複合コーナーがスリリングな印象を与える。堀越峠の最頂点は長いトンネルになっており、その出口で一休みして、煙草を喫う。時折走り抜けてゆく車の音を別にすれば、聞こえてくるのはセミ達の大合唱と森のざわめき、そして足下をながれる小川の微かなせせらぎ。ワインディングで昴ぶった気持ちを静かにクールダウンさせてくれる。400FOURもエンジンのフィンからチンチンと鉄鳴りをさせながらしばしの休息を味わっているようだった。

堀越峠を抜けると、いくつかの村をつなぐハードワインディングが待っていた。京都まで50、40、30kmと減ってゆく距離表示板と反比例するように、車両の数が増えてくるので、もう無茶はやめておとなしく走ることにする。京北に差し掛かるころ、疲労がたまってきたので街道沿いの自動販売機の前に単車を停めて、缶ジュースを飲む。周りにはここでも金色の田んぼが広がっていて、足下を清らかなせせらぎの用水路が流れてゆく。東京ではもはや目にすることが出来なくなった、小川の流れだ。ゆっくりと煙草を喫って、京都までの最後の道のりを走り始める。
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山あいの温泉地を抜けると、道の両脇に民家が目立ち始め、国道は一気に京都市内に入ってゆく。信号待ちの渋滞の向こうに見えるブルーの道路表示板には、国道は右折とあるが、直進すれば金閣寺だ。おお、京都なのだ。指示通りに右折して、北から京都へ入ってゆく。道路は瞬く間に渋滞。自転車に乗った高校生やおじさん達。柳の並ぶこの道は、『葛野中通り』というらしい。京都なんて、高校の修学旅行以来、10年以上足を踏み入れたことのない場所だ。しかも自分の足で京都を走るなんて初めてだ。目指すTaaさんの家は京都の南端、伏見区にあるからこのまま道を南下していけばいいのではないかと適当に決めて、何となく道なりに走っていった。
いよいよ訳が分からなくなってきたので、Taaさんに電話すると道を説明してくれた。昨日の一宮と同じように、今回も少しだけ迷子になりながら、やっと彼と落ち合うことが出来た。
しかし、JR京都駅を越える陸橋を走りながら、五重塔が見えたときはなんか感動したね。
Taaさんはとりあえずオレを彼の工場へ案内しれくれた。御自身でやっておられる工場では、彼の長年の情熱の対象になっている、HONDA S 600がオレを迎えてくれた。タイアを外され、あちこちがまだ作業途中で、この先何年もかかってレストアするのだ、と彼は言っていた。
また、工場の奥には、彼のweb siteにも登場する、HONDA CB 125 Sのレーサーもおいてあった。オレが初めて公道を走った車両の兄貴分に当たるこいつだが、CR風ロングタンクやクラウチングスタイルのクリップオンハンドルなどいかにもレーサー然とした姿は、エンジンを見るまでなんの車両なのだかわからない程だ。
特別のお許しを得て、シートに跨らせてもらう。おお、コレが本物のレーシングマシンなのか。ただひたすらに早く前へ走ることだけを目指して制作されたレーサーというものに、この時初めて触れた。
Taaさんとしばらく談笑し、いよいよ彼の家に行くことになった。
工場前に停めた単車に戻ると、イグニションキーが差しっぱなしになっていて、ニュートラルランプとテールランプが点灯していた。あぶねーあぶねー。いやーな予感を感じながらセルルターターボタンに触れるものの、セルモーターは回転してくれない。アガってやがる。しょうがないのでキックで始動。一発でエンジンは息を吹き返す。それにしても排気がガス臭い。それにアイドリングも不安定だ。
Taaさんの快調に走るリード90の後を付いて、伏見稲荷のすぐ近くの彼の自宅に案内してもらう。
オレが『ミネフジコ』とあだ名した奥様と、可愛らしい3人の娘さん達に挨拶して、まずはワガママを。
とりあえず、シャワー浴びさせて下さい。ええ、すいませんホントに。シャワーから上がれば、洗濯させてもらってもよろしいでしょうか? すいませんね。あら、ビールまで。頂きますええ。
という感じでここでもやりたい放題(笑)。
しばらくしてから、Taaさんご夫婦に夕食に連れていってもらった。
行った先は彼の親戚のおばさんが経営しているという居酒屋さん。
おばさまは凄いハスキーヴォイスでオレを迎えてくれた。何を食べたいかといわれても、なんだか頭が回らなかったのだけど、メニューを見ると、京都の地元料理がズラーっと並んでいる。曰く、川エビの唐揚げ・鮎塩焼き・ハモ料理の数々・湯葉・京豆腐…。すいません、全部ください。
それでもってやってくる料理のうまいことうまいこと。普段貧乏しているので、貧しい貧しい食生活を送っているオレにとって、こんなビューティホーな食卓にありつくことは、それだけで既に感動ものなのね。
中でも一番美味しかったのは、『ハモ饅頭』と呼ばれる小鉢料理。茶碗蒸しのような鉢に、ハモの肉と芋(?)の練り物をあえて、甘い餡(あん)をかけたコレは、口のなかで『ほろっ』ととろける味で、ほんとに美味でした。
美味いものもキリがないのだけど、久しぶりにあったTaaさんと、元400FOUR乗りの奥様との話もとても盛り上がった。ぼくらの単車サイトの仲間と会うと、もっぱら話すのはオートバイのことばかりなのだけど、今回はそれだけでなく、愛や恋の話から生活・結婚に至る四方山話であちこちに鮮やか話題の花が広がっていた。
昨日といい、今日といい、今回の旅は昼も夜もイベントが盛りだくさんで、一瞬たりとも退屈することがない。こうして温かな人の優しさに触れる満足感で、今夜も夢も見ず、泥のように眠ったのだった。
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