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Less Than Zero

 現代アメリカ文学界の若手ヒーロー、ブレット・イーストン・エリス。彼のデビュー作が、この "Less Than Zero"。若干22才、大学在学中のエリスが1985年に書いたこの小説は「MTVエイジ」「ゼロジェネレーション」という言葉とともに瞬く間にアメリカ全土を席巻した。

Less Than Zero 初めてこの作品を図書館で借りて読んだ時(確か高校1年か2年だった)、それこそ後頭部を思いっきりハンマーでぶん殴られたような、目の眩むような衝撃があった。活字を読むのは時間のかかる作業だし、特に小説の場合、それが仮に読みながら泣いてしまうような感動的な作品でも、それを深く理解し自分の一部とするにはやはり時間のかかるものだと思っていた。もちろんそれまでにも、自慢できる程の数は読んでいなかったにせよ、今でも本棚の最も良い位置を占めている絶対に手放せない小説に出会ってはいたのだが、この小説はそれまでに読んだどの小説とも違っていた。健気で些細な僕の文学観はものの見事に撃ち破られた。

 極論するなら、この小説にストーリーはない。だから、当然オチもない。主人公を含めた登場人物は、裕福な学生生活を送り、あるいはモデルや俳優や映画監督といった職に携わり、ロス郊外の高級住宅街に住み、高級車を乗り回し、そしてセックスとドラッグとポップミュージックに溺れている。それも徹底的に。彼等は何処へ導かれる訳でもなく、また何を生み出す訳でもなく、たわいのない会話を続け、そしてそれがルーティンワークであるかのごとく、倒錯的セックスをくり返し、コカインを吸う。その傍らではいつもくだらない音楽が流れている。金も時間も、そして肉体も、湯水のごとく、同時に無味乾燥にただただ消費される。登場人物の言葉を借りるなら「失うものが何もない」、それゆえ怠惰な日常が読者の眼前に羅列されているだけである。タイトル通り、まさしく「ゼロ以下」だ。そんな彼等の怠惰な日常の羅列を目の当たりにしたところで、アメリカ西海岸の上流階級の暗部を垣間見たことに対する多少の驚きはあるにせよ、感動やら感銘やらましてや教訓なんてまったくない。つまり、この小説を読んだところで、読者はその登場人物と同じく何処へも導かれない。

CD が、しかし、この小説には他の何ものにも替え難い強い衝撃がある。その衝撃は、エリスの文体の為せる業だ。スマートで冷静さを失わないスタイルとスピード観にあふれ適格に奏でられるリズム。その文体は、小説の中の至る場面で登場するポップミュージックそのもののようでもある。その音楽は、耳馴染みが良いだけではない。何気なさを装って読者の中に侵入し、本人が気付く間もなく心の奥深くに細く鋭い針を刺す。そのあまりに突然の刺激は痛みと同時に心地よさすらもたらす。そして、ゼロ以下の、意味付けできないストーリーだからこそ、読者は純粋にエリスの文体に身をゆだねることができる。

 この小説は映画化され決して悪くない興行成績を収めたが(Banglesの歌う主題歌、Simon & Garfunkelのカバー "Hazy Shade Of Winter" もすばらしかった)、それでもエリスの原作に比べると見るべくもない。映画が総合芸術であるが故に、エリスの文体のスマートさとスピードにかなわなかったのだ。確かにそのスマートさとスピードは活字のみという媒体の特性と不可分だし、活字の魅力によるところが大きいのかもしれない。それならなおのこと、この "Less Than Zreo" 、ぜひ小説で読んでもらいたい。

Attention : 2000年1月末現在、中央公論社(現中央公論新社)刊『レス・ザン・ゼロ』(中江昌彦訳)は、ハードカバー、文庫共に版元絶版、書店店頭在庫僅少のようです。入手できない場合は図書館や古書店で探してみてください。輸入ペーパーバックは入手可のようです。

 

 

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