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90年代の最高傑作に数えられるであろう『ポンヌフの恋人』から8年、待ちに待ったレオス・カラックス監督の新作が公開中である。"Pola X"。出演はギヨーム・ドパルデュー(ジェラール・ドパルデューの息子)、カテリーナ・ゴルベワ(『パリ、18区、夜。』)、入浴シーンではヌードまで披露したカトリーヌ・ドヌーヴ。99年カンヌ国際映画祭正式出品作。
瀟洒な洋館に暮らし、母を「姉さん」と呼ぶ青年。その青年の前に突如現われ「私はあなたの姉」と告げる黒髪の女。ゲイ・カップルのように親密に手を重ねる従兄弟同士。そして「姉」に対して僕の従妹と紹介されるかつてのフィアンセ。繁栄と随落。愛と背徳。生と死。随落は新たな背徳を生み、背徳は死を臭わせる。近親相姦を軸に、20世紀に解かれた3つのタブーである金とセックスと死を、そして来世紀にはこれも解かれるであろう血縁のおぞましさを描ききる衝撃作である。
下馬評とは裏腹に、この作品を過少評価する映画ファンや評論家も多い。確かに、ハーマン・メルヴィル著『ピエール』が原作になっているとはいえ(ちなみに、カラックスが他人の原作を映画化するのは初の試みなのだが)、ストーリー自体は単純だ。富裕な一青年が地に堕ちていく物語である。さらにその単純なストーリーを構成するエレメントは、繁栄と随落、愛と背徳、生と死というように、尽く2極分化されて論じられる。だが逆に、容易な物語であるにもかかわらず、映画技術的な表現法においては、この作品は観る者を困惑させる。カットの繋ぎの荒さ。前後半で35mmと16mmを使い分けたことによる映像の質感の違い。ブラームスのクラシックとスコット・ウォーカーの前衛音楽のミスマッチ。これら困惑の原因となる表現法をスコット・ウォーカーの音楽同様前衛と見なせなくもないが、また一方でその表現法は観客を突き放すカラックスの独善のようにも見える。
この、「単純なのに理解し難い」作品の性格が一部の観客から反感を買う理由なのだろうが、しかし、カラックスは、その「理解し難さ」を表現したかったのではないだろうか。2極分化された各要素は、その単純さゆえに複雑に絡み合う(母と息子と姉と恋人と婚約者と……、愛と背徳と精神と肉体と理性と感性と……というように)。この、単純な要素の複雑さという状況は、正に現実社会そのものであるともいえる。一見単純な要素が複雑に絡み合い、逃れ難い問題として全ての人間に重くのしかかっている。全ての人間の死に至る恐怖を、主人公の随落になぞらえることもできる。人の営みの醜悪の全てが、わずか2時間の作品に凝縮されている。それだけで、この作品は十二分に観応えがある。
人間の闇を描ききったこの作品に、救いは微塵もない。唯一救いがあるとすれば、この作品が映画(=フィクション)であるということだけだが、それも現実を模した作品であるということを鑑みれば、救いにはならない。しかし、だからこそこの作品には、観終わる頃には寒気を覚え震えが止まらなくなるほどの、一種異様な興奮を感じることができる。この "Pola X" もまた、90年代を代表する作品であることに間違いない。
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