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Comment je me suis dispute...

 この映画を観ている間感じていたこと。羨ましさ。軽い嫉妬。少しの憧れ。その1つひとつの感情――心の起伏は小さいものだけれど、でも、この映画から受けた「感じ」は観る者を(少なくとも僕を)ちょっとだけ、だけど確実に幸せへと導いてくれる。そんな気がする心地良い映画。アルノ−・デプレシャン監督、96年作、邦題『そして僕は恋をする』。

そして僕は恋をする 映画評論家がこの作品を批評する際にしばしば話題にするのは、デプレシャンは過去のフランス映画の製作法を踏襲しながら、それらを全て超えた作品を作り上げた、ということ。このシーンのモチーフは何だとか、あの台詞は何にインスパイアされているとか。でも、正直言って、僕にとってそんなことはどうでもいい。僕にとって重要なのは、この映画がまるで小説を読んでいるときのように僕の心を落ち着かせてくれる、ということ。一度読んだ小説を再び読み返すときのように、主人公の一挙手一投足に目を奪われながらも、落ち着いてそれを見守っていられる。

 しかし、落ち着いてそれを見守っていられる、とは言うものの、マチュー・アマルリック扮する主人公のポールは羨ましい。論文も書き上げられず、目指す小説家にもなれないとはいえ、パリ大学の講師をその場しのぎで続けていられる境遇。決して身のこなしが洗練されている訳ではなく、セーターの首からシャツの片方の襟だけ飛び出してしまっているような、どちらかといえばあか抜けないスタイルであるにもかかわらず、ステディな彼女の他にも仲の良い何人かの女友達(しかもその1人は僕の大好きなマリアンヌ・ドニクール !)がいたりする。

 そう、このポール、決してヒーローではない。かといってこの作品、ハリウッド映画にありがちな落ちこぼれの主人公の大逆転劇などではもちろんない。フランス映画にはよくある等身大の主人公、それどころか、僕ら観客の目から見てもいわゆる「いけてない」やつなのだ。その、時に不格好なあか抜けなさ――平凡な存在としての主人公――がこの物語をいっそう現実感あるものにしているのだが、物語が現実感に溢れれば溢れる程、よりいっそうこのポールの存在や境遇が羨ましく思えてくる。なぜこんなにあか抜けないやつが女のコにもてるんだ? いや、それだけじゃない。なんでこんなにステキな生活がおくれるんだろう?

そして僕は恋をする CD なぜこの主人公が女のコにもてて、ステキな生活がおくれるのか。さらに言えば、なぜ彼はここまで憎めない、まわりが放っておけない存在なのか。その理由は僕には分からない。分からないからこそ羨ましさや嫉妬心を覚えるのだが、それと同時に、もしかしたら僕も彼のような存在になれはしないかと思えてくる。いや、決して自分を持ち上げている訳ではないし、自分の存在や環境が激変する訳でもないのは重々承知だ。が、1ランクとまでいかないにせよ、ほんの少し、1ステップだけ自分の生活なり生き方なりを善くすることは簡単にできるんじゃないか。そしてその思いは、平凡な存在としての主人公がこの物語をリアルたらしめる程現実味を帯びてくる。

 確かに、この映画を観て沸き上がる感情は他の作品に比べると大きなものではない。しかし、夢物語り的作品の大きな感動とは違う、些細だけれど現実味を帯びた、落ち着いた心地良い感覚がそこにはある。2時間58分という長尺だけれど、他の作品では得ることのできないリアルな心地良さを得ようと思うなら、それも決して長い時間ではない。お勧めの作品です。

 

 

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