日下四郎のダンスパーラー

BIBLIOGRAPHY
デビュー:戯曲「近衛公の死」(1956) 台本・演出:ダンスシアターキュービックの公演;
第1回 「熱帯の食欲」(1979)〜第13回 「虫めづる姫君」(1992)までの全台本と演出
単行本:「モダンダンス出航」「竹久夢二」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(訳) 他

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 ダンス6行批評
ごあんない

2009年にスタートした新しいフォーマット6行批評も、1か月4本のペースではや1年が経ちました。新年度も当分は6か月分をサイトにキープしながら、同じペースで続けて行きます。なおこれとは別に、いますこし長めの批評が毎月〔VIDEO-kk〕 のコラム(レビュー欄)でUPされていますので、ぜひこちらもご覧ください。

http://www.kk-video.co.jp

スタッフ・キャストなど

スペースの関係で、以下の6か月だけがUPされています。
該当する月をクリックしてくだされば、その個所へ直行します


〔9月〕〔10月〕〔11月〕〔12月〕

2010

〔1月〕〔2月〕

ホストのメール・アドレス:kusakas@hotmail.com

2009

〔9月公演〕


 【高瀬譜希子の自作 公演 TTDG「Dancing, Passing, and Landing」】


 
新鋭ダンサーがステージごとにみせる成長ぶりとエネルギーには、じっさい目を見張らせるものがある。ここのところロンドンにあって日々研鑽に余念のなかった高瀬多佳子の一子譜希子が、しばらくぶりに日本のステージに戻って、最新作を披露した。これまでは一個のダンサーとして、もっぱらユニークでシャープな切れ味を誇った彼女だが、今回はじめて自らの構成・主演で、70分のダンス空間を手掛けた。中国系のチェロ奏者Semay Wuが、いわば感性の語り部としてホリゾント前で中央、上手・下手と位置を変えながら、何曲かのサウンドを生演奏、その周りを譜希子を軸とするTTDGのダンサーが、通過し回転しながら、きびきびした振付で流れを作っていく。途中インターメツォのような形で、背景に実験風映像(作・粟津潔)の投影があり、その前を高瀬多佳子が下手から現れ、娘とはまた異質のゆっくりした動きのソロで妙味を添える。その他に存在感のあるラテン系のパフォーマーNuno Silvaが通路からファドを歌いながら参入、クロージング・パートでは譜希子と組んで、迫力充分のドゥオ・ダンスを披露する。一見シンプルに見えながら、感性だけで綴った現代のダンス・バラード風の舞台だったといえよう。本人も言う高瀬譜希子にとっての「初の大作」(ノート)。今後の成長がいよいよ楽しみだ。(4日所見)


  主催:高瀬多佳子ダンスギャラリー(TTDG

出演:高瀬譜希子、Nuno Silva、高瀬多佳子、藤野貴世子、加藤千明、ほかTTDG-メンバー

  チェロ演奏:Semay Wu
 

  ●
 提携:シアターX


 
 【西島千博プロデユースによるバレエ・リュス100年記念日本公演】
 

 1909年5月に、パリのシャトレ座でバレエ・リュスが初公演を敢行してから、今年はちょうど100年目。国際的にも各地で記念の行事が組まれている中を、日本ではネオ・バレエの芸術監督である西島千博が、じきじき各舞踊団にまたがる一線級のダンサーを口説いて、ここに総勢26名、いずれもバレエ・リュスにかかわる19編の作品を、昼夜にわたって実現、ここに待望の「夢のプリンシパル・ガラ」が生まれた。内容は「薔薇の精」のようにほぼ原形をなぞったものから、タイトルと音楽はそのままでも、中身はほとんどオリジナルで組みたてた「牧神の午後」や「春の祭典」まで多様多彩、それを昼夜7時間に近い2ステージで通して見せたのである。とくに後者はほぼ全員が総出演で、いわばベジャールとストラヴィンスキーを向こうに回して格闘したような、がっぷり四つ相撲のような大作。あふれ出るエネルギーのすざまじさや、広大な構成のひねりは大いに多とするが、そのうち出口が見つからなくなって、ただ暴れ回っている感じで、主題の方がぼけてしまった感がある。もう少し整理をしたうえ、この大作一本をトリの軸として一夜のプログラムを考えた方が、作戦としては当たっていたのではないか、という気がした。(21日所見)  

 ● 構成・演出・振付:西島千博+ネオ・バレエ、松崎えり、青木尚徳、遠藤康行

 ● 照明:足立恒

 ● 出演:金田あゆ子、秋元康臣、伊藤範子、染谷野委、鈴木美波、長澤風海、上山千海、郡智波、中島周,北川優佑、竹田純、柴田有紀、渡部美咲、福岡雄大、吉本真由美、中村誠、西田佑子、横関雄一朗。愛知伸江、猪俣陽子、小野眞理子、津田康子、染谷野委、竹田純、土方一生、松岡梨絵、橋本直樹、坂井はな、西島千博、松崎えり、青木尚哉、田中ルリ、佐々木大、児玉麗奈、ほか

 【新国立劇場 ダンステアトロン17勅使川原三郎 作品「鏡と音楽」】


 新国立劇場の中ホール、週末の3日間を抑えた勅使川原三郎久々の公演だが、意外と入りが寂しい。近年その作風に一種のマンネリズムを感じる観客もいるやに聞いたが、これはその結果かと一瞬思った。しかし舞台が始まって5分もしないうちに、これはとんでもない誤解であることを、早々に知らされた。この不世出の斯界の才能にとっては、およそ停滞とか休止などの言葉は、クスリにしたくとも一切ない。突飛な連想だが、その密度と緊張の高さは、あのプロ野球のイチロー選手の覚悟を、なぜか瞬間思い起こしたりした。さてこの久々の新作は、例によって佐東利穂子以下、本人をふくめ、出演ダンサーは、カラス団員の8名のみ。それが90分にわたる全編を、刻一刻展開する鋭い感覚の乱射で、息継ぐひまもあらせず、観客を魅了し終えるのだ。それには今回も細密に設計し組み立てたライティングの働きが大きい。途中ステージの中央に、傾斜した磔刑台を思わせる6枚の板を横列に並べ、そこへダンサーたちのさまざまな臥姿を、入れ替え差し替え浮き出してみせる着想も新鮮。さらに後半カラスのメンバー全員を、ただシンプルな身ぶりだけで10分間、見え隠れさせながら続ける群舞も、身体の極限を知る振付家だけが、はじめて表現できる稀有の迫力だ。めくるめく感性の氾濫と爆発――マンネリなど、下衆の風評の一語に尽きる。(26日所見)




 ● 勅使川原三郎の役割:着想・演出・振付・美術・照明・選曲・衣装・ダンス

 ● ダンサー:勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝理,加見理一、高木花文、ジイフ、川村美恵、ケティング・ナイル、

 ● 照明技術:清水裕樹(HALO)

 ● 公演日時:25日(金)19時、26日(土)18時、27日(日)15時

 【ダンスカンパニー《高襟》第4回公演「milk」日暮里 d-倉庫】
 

 2007年の夏に、北区の地下劇場で旗揚げした《高襟―ハイカラー》の公演も、いつしか第4回目を迎えた。このときの縁もあって、そのご毎回足を運んでいるが、私の印象では結論から言って、今回の「milk」はいちばんの不作である。なぜか。作品構成の木目が荒く、この集団の売りであるエロティシズムが、もっとも下品に出た。コンドームの風船あそびなど、着想も扱いも“見せんかな”の媚びが先に出て、すこしも買えない。これは前回の舞台評で「中年のおっさん向けの趣味に堕さなければ」と危惧した予感が、いよいよ前面に出てきた思い。ダンサーたちの絞り込み不足の身体も気になるし、アンサンブルもこれまでになく悪かった。リーダーの深見章代は最近忙しすぎて、作品完成への集中度に欠けるところがあるのではないか。「全員で創っている」(リーフレット)からといって、出来がそれだけよくなるものではない。いくら「お客様は神さま」(〃)でも、いい神もいれば悪い神もいる。観終わってしみじみと“肉のかなしみ”が立ちあがってくるぐらいの知性の裏付けが、時にはダンス芸術にもほしいのだ。ハイカラーがいつしか変色して、ローカラーの肉体ショーに堕さぬよう、日々の精進を望む。狂気を孕まない単なるフェティシズムでは、しょせん勝負にならないのである。(29日所見)





 ● 構成・演出:深見章代

 ● 出演:吉川英里、青山るり子、深谷莉沙、岩佐妃真、深見章代

 ● 美術:深谷莉沙

 ● 《高襟》の第2回、第3回発表は、いずれも押上の美容院”CORte”2FにあるDance Studio UNOで行われた。今回は久々の一般舞台で、空間の広さも難行の一因だったかも。、


〔10月公演〕


 【Dance Triennale Tokyo 2009の中 ジル・ジョバン/中村恩恵 作品】

 先月中旬から開かれている数あるダンス・トリエンナーレ・トーキョーのプログラムから、あえてこの舞台を選んだのは、そこにジル・ジョバンの名前があったからだ。昨年青山のスパイラルで見た「Text to Speech」の感激が忘れられず、今度はどんな主題と《いま》が見られるかと、心中わくわくしながら出向いた。ところがどっこい、中身は予想を180度うわまわった。前作では真正面から立ち向かった21世紀のヴァーチャル社会の危機状況などはどこにもなく、かわってフロアいっぱいを占拠したのは、10匹前後のおびただしい仔馬のぬいぐるみ風景。それを背後からダンサーたちが、長い金属棒をのばして動かす。いや実はそれが完成のモデルではなく、単なるソロに始まり、ここに至るまでに4人のダンサーたちが、入れ替わり立ち替わりみせる、コミカルで意表をついた身体と動きの連続が、実はこの作品「BLACK SWAN」の真のコンテンツなのだ。これにはしてやられた。ただそれは素材と内容についてであって、振付の展開にみる独創性は、他に類をみない超一級の品だ。これに比べるともうひとつの新作、中村恩恵の「ROSE WINNDOW」は、おなじ一流でも主題の表現と美意識においては、まったく別種のダンスだといっていい。その間の説明や分析は、とてもこの〔6行批評〕では詳述し切れない。ぜひ別のチャンスをみつけて取り上げたいと思っている。(6日所見)
 ●主催:(財)児童育成協会(こどもの城)/潟純Rールアートセンター

 ●作・振付:ジル・ジョバン(BLACK SWAN)/中村恩恵(ROSE WINDOW)

 ●音楽:クリスチャン・フォーゲル(BLACK SWAN)/mori-shige(ROSE WINDOW)

 ●出演:ジル・ジョバン舞踊団(BLACK SWAN)/中村恩恵、mori-shige(ROSE WINDOW)

 【浜田ナツミ作品「Song for…散りゆく花たちへ」草月会館ホール】

 一昨年の秋、この同じ草月会館ホールで、〔月〕を題材に洋風の典雅なダンスを披露した浜田ナツミが、ほぼ同じ顔ぶれの3人と共に、ふたたび文化庁の芸術祭参加作品として、今回は〔花〕をテーマにした創作を発表した。タイトルの「Song for…散りゆく花たちへ」を一見しただけでわかるように、どこまでも抒情を主体にした振付をの作品である。ただしテクニックは徹底して洋舞。リズムを主流にした音楽を多彩に編集し、それをクラシック、モダン、ジャズと、ジャンルにとらわれない四肢とボディのなめらかな運びで、ソロと群舞の組み合わせで構成する。それもぎこちない型のつなぎ合わせではなく、よく踊りこんで浜田式スタイルが出来上がっているところは立派。妙な喩えだが、たとえば竹久夢二の宇宙を、今風の感覚に演繹したらこうなるといったところか。プログラムとしてのシートにも、数行の詩句以外には、中身につての説明や関係者のくだくだした文章が一切ない。ダンスというのは、もともとこのように言葉とは無縁の芸術であるはず。四肢の動きを追って、その一瞬一瞬の美に、なにかを感じ取ればそれでいいのだ。なにを見るかは観客の心の問題である。江戸260年の文化がつくりあげた日本舞踊のエッセンス、生活に沿ったそのナチュラルな形での西欧化は、まだまだその変容途次にあるのかもしれない、フトそんなことを考えながら、45分にわたる流麗なダンスを見終えた。(15日所見)
 ● 構成・振付:浜田ナツミ

 ● 出演:小林聖子、岩田香菜子、伊藤結花、浜田ナツミ

 ● 照明:東原修+斉藤香

 ● 制作:Sun Arts村山香澄

    【ラ ダンス コントラステ第13回定期公演「Le Seau」】

 アトリエおよび定期公演と、年2回の舞台を順調に発表し続けているラ ダンス コントラステ。今回は「ル・ソウ」と題して、おなじみプロコフィエフのシンデレラを取り上げた。ソウ(seau)とはフランス語でバケツを意味し、これを原作バレエのガラスの靴に置き換えたもの。いろんな意味で「クラシックを現代に生かす」ことをモットーとして活動するこの集団。その趣旨は筆者も大賛成だが、簡単に傑作は生まれない。今回もシンデレラを精神不安定患者に設定した着想まではおもしろいが、しかし中身にはいくつかの疑問が残った。第一には美術の問題。いくら深層心理劇だからと言って、黒バックに黒の衣装はさえない。バケツを吊るした空間処理も、オリジナルのもつ華やかさを殺して逆効果。ひと昔前、ダンサー全員をピンクのぬいぐるみで踊らせたマギー・マランの前衛の方がその意味ではもっと効果があった。物語の中軸を受け持つ娘(伊藤さよ子)、王子役の若者(武石光嗣)、それを取り持つ魔法使いの精神科医(増田真也)の演技は、シンデレラはまずまずの出来として、どうもいまひとつの内面と魅力がない。ただひとつ2人の姉(依田久美子・近藤舞)に挟まれた女性トリオのパターンには、振付の才気がひらめいていて見せた。理屈ではなるほどとわからせても、ダンス作品で人をうならせるのは、やっぱり最後は生身の発する輝きや力量に落ち着くようだ。(20日所見)
     構成・演出・振付:佐藤宏
 
     衣装:宮本尚子

     音楽:プロコフィエフ(シンデレラ)

     美術:佐藤宏の演出の中に含まれていると思うが、それにしてもバケツの色と形態には、今少しリアリズムを超えたディザインの飛躍がほしかった。

   【COMPANY RESONANCE公演 松山善弘・作「棲息」】


 Dance Concentrationが発表した12回目の舞台。だがここのところ作風がかなり変化してきた。そもそも松山典子と組んでスタートした初期の創作は、ダンス部分のヘゲモニーはむしろ前者にあり、善弘はもっぱら舞台の演出部分で才能を発揮した。その姿勢は今世紀に入ってもなおつづき、品川六行会ホール時代の「夜の庭園」「やすぎ」などは、暗い空間に、映像、照明などの凝った細部を投入する難解なコンティニュイティが、Company Resonanceの売り物だった。しかし一昨年の「Fragment of Dolls」あたりから、いつしかダンサーを使う作者松山善弘の主眼の置きどころに、少しずつ変化が生じはじめている。今回の作品「棲息」の勝負も、動く身体を駆使した独自の空間作成にあるといっていいだろう。テクニックの巧緻が問われているのではなく、たとえ手数は少なくシンプルでも、逆に身体自体が生み出すはげしい相互の力学絵図がいちばんのねらいなのだ。これはわれわれ日本の振付家にあっては、珍しく新しい造型指向であり、メソードだと解釈していい。本人はダンサーに課すそんな動きのムーヴメントを、自ら“体育系”と呼んでいるようだが、これはよくみると一切の心理や情緒を排し、もっぱらバンプするサウンドに乗った体当たりの空間美学であり、それが次第に観る側への迫力としてせまってくる。いささか失礼だが、ようやく見えはじめたこの作家の力量とオリジナリティに、今後大いなる期待を抱かせる思いの一夜だった。(31日ソワレ所見)





 ● 構成・演出・振り付け:松山善弘

 ● 照明:岡田淳

 ● サウンド・クリエーション:浅野淳

 ● 出演:千葉真由美、安木ようこ、星野琴美、菅佐原真理、鈴木よう子、石山千尋、遠藤麻紗


〔11月公演〕


  【新国立劇場 ダンスプラネット31 平山素子・作品《Life-Casting》】

 一昨年同じ新国立劇場で上演されたプログラムの再演ということで、ごく気楽な気分で出かけた。ところがなんとタイトルは同じでも中身は換骨奪胎、とくに前半の「UN/SLEEPLESS」はまるで別作品。ここではLife Castingという大枠の名称は、すでに石膏という具体を離れて、“生命の投入”という言葉本来のメタファーに昇華されている。7人のダンサーが、身体のマジシャン平山の命ずるまま、左右の壁布をかいくぐり、さまざまな組み合わせでくんずほぐれつ、それこそ息詰まる身体のダイナミズム、生命の乱舞を見せつける。一昨年の振付専任デビューでは、いささか不安を残す仕上がりだったが、今回はそれとは比べものにならない秀れた改訂版――というより事実上の別版だ。それは〔石膏型取り〕(渡辺晃一)という、おそらくは劇場側から出された美術上の課題が、いささか未消化に終わった結果に違いない。一方後半に組まれた「Twin Rain」は、初演時の演出をほぼ踏襲。人体塑像や3D、パースを用いたセットなどみな秀逸だが、さすが2度目とあっては、再見の客に与える衝撃度はどうしても落ちる。そのせいか平山のダンスまでもが、直前の若いダンサーたちのエッジのシャープさに比べて、いささか後れをとるうらみすら与えた。しかし今回は振付家平山素子の非凡の証明という1点だけでも、出色のダンスプラネットだったと後日記録されていい舞台だった。(5日初日所見)
 ● 構成・振付演出:平山素子

 ● ダンサー:木下菜津子、高原伸子、池田美佳、西山友貴、柳本雅寛、平原慎太郎、中川賢
 
  美術(Twin Rain:渡辺晃一

  【 カンパニー高襟 第5回パフォーマンス 深見章代「浮気姉妹」】

 2008年に地下空間《Pit北/区域》で、高襟単独公演がはじまってから、今回はその5回目となる。前回《d-倉庫》に進出して披露した作品「milk」は、空間の広さを処理しきれず、これまでではいちばんダルな仕上げに終わった。それに比べると、ここ本拠地である押上スタジオへ戻っての上演のほうが、よほど仕上げに密度が出た。インテリアも仕切の壁面に鏡を張り、視覚上のイリュージョンを計算した演出もよく、録画と生を交えたビデオの活用ともども、捲土重来面目を一新した。もともと少女趣味を熟女で演じるエロティシズムが身上の活動だが、公開して真価を問う以上、やはり作品の芸術度がいちばんの問題。その点〔身体合唱〕をうたった初期に比べるとややダンス色がうすれてきたが、なにせ“コンテンポラリー”という便利な呼称が幅を利かせる昨今、アクの強い個性的集団として十分に通用する行き方だろう。今回は2部のおわりになって、食卓の女3人が猛烈な勢いで争いの場に転じるくだりなど、単なる笑いを超えた一種の狂気が浮かび出た。第一回の「ふぞろいの果実」のクロージングに見せた期待が、ひさびさに戻ってきた感じがある。この調子なら当分はまだまだこの先を期待できる。くれぐれも短絡的な客への媚びなどに足をすくわれないよう、身体への厳しい視線を堅守しながら、創作に打ち込んでいってもらいたい。(13日所見)
 ●恒星・振付:深見章代

 ●出演:吉川英里、深谷沙、深見章代

 ●制作:津田由起子、青山るり子

 ●上演の〔ダンススタジオUNO〕は、墨田区押上の美容室CORteの2Fにあり、普段はダンスレッスンとともに、月1本のスケジュールで『東京ダンスタワー』公演を行っている。そのタイトルが示唆するように、付近は新テレビ塔の建立予定地で、すでに地下・地上を含め、急きょ工事が進んでいる近未来の有望株地だ。

 【 ダンスカフェ第3回コレオグラファーズ Y ダンスコンサート 4作品】

 2007年の暮れに、〔ダンスカフェ〕(代表:安田敬)が、荒川区の文化開発事業と提携して打ったXmasコンサートが、コレオグラファーズ・シリーズの嚆矢である。翌年からはそこへ若手のダンサーによるYコンサートが加わり、さらに今年は単一振付家の創作を旨とするZコンサートが始まる。そのX・Y・Z 2009年版の一番手が今日のこの公演だ。4作品を観終わった印象としては、いずれも正当筋から一歩離れた個性の強い現代舞踊集といったところ。だがその基底に創作の基本にダンス(身体)を忘れないで、新しい空間表現を模索している姿勢がいい。少なくとも単なる道具か装飾としてしかダンサーを捉えない昨今のアマチュア芸では決してなかった。これは当たり前のようで、自称コンテンポラリーの舞台には、うっかり油断すると似非モノが紛れ込んでいるケースが少なくない。さてそのうえで所感を述べると、Atelier C.N.の「終宵」には、日本舞踊の身体レベルでの現代化を模索する試みが読み取れて興味深く、また菊地敦子の「密度と時間」では、それとは対照的に西欧型メソードで鍛えられた身体が、空間を相手にどんな対峙表現が可能であるか、その一例を見せつけられた思い。「Polka」にみる佐藤小夜子のリズムと笑いの感覚は、日本版チャップリンとでも形容したくなる、この人ならではの楽しいトリとなった。(21日所見)
    主催:ダンスカフェ、潟Vービーシーメソッド

    出演:桜井容子&佐藤健司、菊地敦子、坂本知子、板倉裕太、縄壮、神原ゆかり、山口容瑚、古井慎也、高野由美子,畑直子、佐藤小夜子ー以上21日の出演者メンバーのみ-
 
    初日には縄壮作品に代わって、菅原さちゑの「MARGA/道」が上演された。
 
 ●
合言葉:「下町にダンスを!」

   【石川陽子 DANCE RECITAL vol.3 「DANCE PARADE」】

 故・本田重治・佐藤のりえ門下で、積年のホープだった石川陽子が、久々に第3回目のリサイタルをもった。元来が小妖精を思わせる小気味よい持ち味のダンサーで、デビュー時の97年には、舞踊協会のアンデパンダン展でユニーク賞をもらった経歴もある。しかし2005年にスタートした過去2回のリサイタルでは、いま一歩才女のよさが不発に終わった。どうやら先輩からの助言や要請、地元出身学院挙げてのサポートなど、作り手本人を委縮しかねない要素がありすぎた。その点今回は出演者も同輩ランクの8人にしぼり、振付はもとより、台本、音楽、照明の差配まで、すべて当事者一人で押し通したのが成功した。作品のコンテンツは1冊の大きな本から、主人公がさまざまなダンス風景を取り出してみせる内容で、フランス、アメリカ、日本と、半ば心の自伝をたどるようかのように、ジャズ、シャンソン、オペレッタ、ポップスと、多ジャンルの音楽を並べながら、それを石川陽子、荒井千絵のソロ、群舞のヴァリアントでみせた(選曲:佐藤二三哉)。スピィ−ディなナンバーもよく踊りこまれていて、アンサンブルの乱れもほとんど許容範囲、最後までよく楽しませた。のびのびと“踊る”ことに焦点を当て、時に気のきいた演出の小味も効かせながら、ようやく石川陽子の持ち味が、今回すなおに花開いた感じがする。今後ともさらなる活躍を期待したい。(28日15時所見)

● 演出・振り付け・構成:石川陽子 

● 出演:荒井千絵、清原美智子、和田久美子、行け川恭平、池田優、遠山将太、佐藤詩織,仁田原裕美、石川陽子

● 衣装:茂木千亜紀、加藤幸恵

● 上演舞台:横浜にぎわい座B1(のげシャーレ)、


〔12月公演〕


    【K-BROADWAY 25周年記念公演 武元加寿子の「BLUE」】

 ニューヨークに本拠を置くBDC(ブロードウエイ・ダンスセンター)というダンス教室があり、その創立25年記念公演ということで、武元加寿子の振付・構成になる「BLUE−漂Eー」が上演された。アンデルセンの童話「パンを踏んだ娘」をベースに置いた作品というが、中身はヒロインらしい少女(川野眞子)の投入以外は、全面的に武元メソードが支配するダンス・クリエーション。すなわち大勢のダンサーたちを、ジャズ・コンボの生演奏(音楽:梅津和時)と深くミックスさせながら進行する形の振付で、水面下の世界と天空との往来を、ステージ中央に吊るした円板スクリーンでうまく活用したアイディアがおもしろかった(美術:山尾文則)。延べ40名を超える人魚群(?)をリードする魔女めいた存在が、例によって武元の役で、これはある意味では、遠くDANCE VENUS誕生時、江戸東京博物館ホールでみせた「匂いー馥郁たるー」以来、武元独自の表現スタイルだともいえる。川野はゲストでやや飾りに近い扱いだったが、それでも縹緲たる青の宇宙に立ったラストの孤独感には、さすがの力量を感じさせた。ただせっかく2部構成にしたのだから、少々ダレのくる後半出だしの重複部分はカットして、むしろ狂ったようなジャズ的喧騒にはじまり、そのあと真っ直ぐ青い孤独のクロージングへつなげた方が、より演出効果と主題を明確に押し出せたかもしれない。(3日ソワレ所見)

 

 ●演出、振り付け:武元加寿子


    出演:川野眞子、皆川まゆむ、粟国範子、岸川英里、渡辺久美子、秋月淳司、白髭真二、ほか総勢40名強
    照明:岡澤克己
 
    衣装:本間るみ子
 
    タイトルの漂E(hyoubyou)には、このほか漂緲、縹眇、縹緲などの漢字をあてはめることができる。 ひろびろ みはるかす はるか の意味。それにしてもE、馥、郁などいまどき珍しい漢字をよくご存じです

 
 【山田奈々子 モダンダンスリサイタル「帰幽」「あなたは誰」】

 近年他界した俳優・歌手の、実弟山田真二をしのんだ作品が、一本目の「帰幽」。同じ主題は死別の直後にもあったが、今回は個人の写真をディスプレーし、ヒット曲を聞かせながら、さらに手際良く演出している。それにしても今なお愛してやまない弟への切々たる思いが、真っ直ぐに観る者の心に伝わり、その力でみせる作品。続く後半の「あなたは誰」は、2年前の舞台を手直しした再演ものだが、私には今回が初見だった。近年社会現象になった感さえある老年の「記憶喪失」を、ダンス作品として視覚ベースで表現しようとした、ある意味では野心的ともいえる試みだ。それを表現主義風の手法と演出で構成した。パートナーの夫婦を、ここのところ息の合った堀登と組み、5台の円錐梯型のセット(美術:太田創)をフロア上で動かしながら、脳内の意識を視覚化した群舞でみせる。踊りの型はある意味類型的だが、演出者としての山田奈々子の腕の冴えが、ここのところ一作ごとに向上しているのがわかる。それでいてお話の締めを、あえて冷酷に突き放すことをせず、二人が手をつないで去っていく後ろ姿で終えたことは、甘いというより逆に主題を浮き立たせて好感を持った。それにしても2作品の90分を、ひたすら主役のダンサーとして踊りぬくのは、いかにも荷が重すぎやいないか。観ていて正直ときにハラハラする瞬間もあったことを告白しておく。(25日所見)
 ● 構成・演出・振付:山田奈々子
 
    演出補佐:福沢富夫
 
 
● 照明:斉藤香

 ● 衣装:並河万里子

 【井上恵美子ダンスカンパニー作品「狂詩曲 T・U・V」、「SHADOW」】

 「狂詩曲 T・U・V」は、独り住まいの老女が抱く孤独と不調和を、ひとりの小金持ちの未亡人の日常に託して表現した演劇タッチのソロ・ダンス。ここ1,2年別々の舞台で発表したものを、アンソロジーとしてまとめた。随時セリフもあり、乱高下するプチブル高齢者の心理を、これまで人口に膾炙したポップやメロディに乗せながらコミカルに描く。それがどこかで現代の世相と重なり合っているところがミソで、元来がその種の主題を苦手とするダンス芸術には、希少価値をもつとも言える。もう1本の新作「SHADOW」は、逆に描写や具体の要素は一切なく、中軸のキャラクター(小野めぐ美・粟田麗)をとりまく群舞を生かして、リズミカルな人体の動きで勝負した。表現手法の面でも、ヒップ・ホップやパーカッシヴ・ノイズなど最新の表現を多用、若いダンサーたちを生かした。さらにこの作品では、動きとマッチして緻密に計算された照明(杉浦弘行)の効果も見逃せない。これら両作品を造型したのが、同じ振付者であるとは、ちょっと信じられないぐらいで、かつ主役・構成・演出・振付と、多岐の分野をこなすこのアーティストの才能に、あらためて感じ入った次第。ただそこには見せんかなのエンタメ要素(職人性)も同時に備わっているわけで、その点でつい羽目を外しすぎることなく、衰えない探求心の持続と共に、ライフワークへ向かってのすてきな活動を今後とも期待している。(26日所見)
 ● 構成・振付・演出:井上恵美子

 
   衣装:鳥海恒子

 ● 
音響:山本直

 ● 
美術・舞台監督:森荘太

 【ケイ・タケイLIGHTシリーズ公演、ソロ3本:Part 28、8,26 】


 ケイタケイのレパート―の中で、最も重要な部分を占めるといっていいLIGHTシリーズ;すなわち彼女が1966年にフルブライト給費生としてアメリカにわたり、そのまま現地にとどまって最初に自作を発表した1969年以後、4半世紀におよぶ31本の作品は、すべてニューヨークのヴィレッジを足場に、残らず海外で誕生した作品ばかりである。その間2度にわたる日本からの招待公演があり、その際ごく1部が公開された以外、親しくこのシリーズを肉眼で追い続けた日本人は、おそらく皆無といってもいいぐらいだ。ところが今年の夏、久々にそのパート7である「創作畑の日記」が、リバイバルとして日本で上演されたのを受けて、シリーズから今回ソロ3本を抜きだしてならべたのが、このプログラムである。短編とはいえ、ここにはある意味でケイの芸術の、もっとも本質的な部分が凝縮されて見えるという、得難い企画だった。中でも初めて作ったソロという「パート8」が傑作。白い布衣を次々と身にまといつけて、ダルマのように身動きならぬ姿になり果て、最後は黒子に運び去られるのだが、その間僧侶がお経を読みながらグルグル周囲を回り続けるという空間構成。笑いの裡に人生の哲理がするどく見者の心に突きささる。実に奥のある逸品のソロだった。(29日所見)
 ● 演出・振付・出演:ケイタケイ

 ● 音楽:辻幸生

 ● 声明:大内義雄

 ● 他の2つのソロは、「米を洗う女―パート28」(初演:1990/ソロ版:2005)及び「ある女の死」(〃:1989)


2010

  〔1月公演〕


 【真島恵理ダンスエマージ「百年の孤独」13-14日 あうるすぽっと】

 4年前の2006年秋、俳優座劇場で上演された真島の「孤独のかたち」に初めて接した時、ある種の強い衝撃を受けたのを今でも覚えている。はてこんなダンス作家が日本にもいたのか、これは毎年われわれ周りで、おびただしく送り出されるダンス作品の中で、まったく次元を異にする異質の作品だ、と。ノースキャロライナー芸術学校のバレエ科を卒業し、そのあとキャリアのほとんどをアメリカのカンパニーで積み重ねてきた前歴を知って、なるほどと思ったものの、その創作にみる妥協のない鋭さと透明度は、正に群を抜いている。しかもコンテンツは少しも観念的でなく、日々の暮らしの生き写しといっていい。そしてそのテーマがいつも“孤独”なのだ。常に新しくエピソードと構成をとり替えながら、これは’08年の東京シティ・バレエ団の≪Raffine≫公演を経て、今回の舞台まで執拗に繰り返されている。そこにマンネリは少しもない。踊りの技法はダンス・クラシックをベースにしながら、あきらかに現代舞踊の領域へと踏み込んでいるのが明確に読み取れる。とにかくおもしろいパーソナリティという他はない。今後は持てる資質をさらに伸ばし、タイトルぐらいはとりかえて、21世紀の日本のダンス界に、刺激を与え続けてほしい。(14日マティネ所見)
    作・構成・振付:真島恵理
 
    ダンサー:廣田あつ子、加藤浩子、五十嵐妙子、藤田善宏、平原慎太郎、カズマ・グレン、真島恵理  
 
 ●   映像:狩野志歩

 ●   照明:斉藤香

 ●   制作:村山香澄(Sun Arts

 【NOISM 01公演「Nameless Poison〜黒衣の僧」東京芸術劇場(小)】

 金森穣りゅーとぴあレジデンシアル・シアターNOISMによる新シーズンの第1弾。題して「Nameless Poison〜黒衣の僧」。本拠地新潟で11月に初公開を終え、静岡、愛知をまわって、新年と共に東京へやってきた。さっそくに駆けつける。中味は前回の「Nameless Hands-人形の家」を受け、金森のいう見世物シリーズのbQだという。なるほど、まずはじまりに上手の一隅に何かにとり憑かれたような人物が現れ、そこから中味が語られて行く展開も共通。今回はこの“病んだ医者”の頭の中の思考を、ダンスに置き換えて視覚化した。その風景の中に、時に気味悪く立ち現われるのが、チェホフの短編から借りた“黒衣の僧”。毒を撒き散らし人をそそのかす、正体不明の存在。演出・振付家としての金森は、ユニゾンを多用し、映像による影の効果を生かしながらも、全体としては前回と比べて少々手数が減り、その分凝った衣装(中嶋佑一)の派手さが浮いてしまった。この種のダンス手法は、与える効果は斬新でも、せっかく文字にしてまで謳いあげた主題を、充分に訴えきったとは思えない。やたらデリリウム(錯乱心理)の連発で外が見えない。チェホフだって、「桜の園」や「ワーニャ伯父」には、しっかりと時代の風が吹き込んでくる。今後ダンス作家としての金森がどこへ行くのか、少なからず気になるところだ。(23日所見)
 ● 演出・振付:金森穣

 ● 出演:Noism 1(井関佐和子、宮川愛一郎、藤井泉、青木枝美、櫛田祥光、
永野亮比己、真下恵、藤澤拓也 その他

 ● 衣裳:中嶋佑一

 ● 冒頭に「ゆっくりと私は世界から出て行き いかなる遠方よりも遠くにある風景のなかへと赴く……」に始まるハンス・ザールの詩が、壁の上に文字で投影される。

 【オイリュトミー公演「ロゴポリス」7作品 国分寺市立いずみホール】

 オイリュトミーといえば笠井叡、笠井叡といえば天使館のイメージが強かった70年代。その頃見た今は印象も薄れた舞台から数えて、実に30年ぶりに接する実演である。ただし今は天使館の卒業生を中心に、数年前に結成されたペルセパッサ・オイリュトミー・グルッペが主催し、笠井叡はプログラムの中ほどで、ショパンの「ピアノ・ソナタ2番」、いわゆる“葬送行進曲”例の楽章を、特別出演として踊った。
歳月の浄化作用(?)で、今みるとあらためてオイリュトミーの特色がよくわかる。同じ20世紀初頭、こちらはモダン・ダンスという、日本の現代舞踊と極めて親近性の高い、ユーリズミックスというのがあった。実際の接触関係は知らないが、言語学的にいえば、この両者は語源を一にする。しかし“目で見る言葉”や“目で見る音”を標榜するシュタイナーは、より内想的で文学・哲学に近く、流れを重視した点で動きのヴォキャブラリーにも制限がある。これに対して音楽だけを見据えたダルクローズは、どこまでも身体にこだわり、それを分節化することで、あくまでも形を問題とした。物語と情緒をしりぞける近代のモダン・ダンスが、むしろユーリズミックに接近し、それを発展させることで今日の現代舞踊を創りあげた理由が、なるほどと理解されるのである。(28日所見)
 ● 作品:渋沢龍彦「犬狼都市」、芥川龍之介「蜘蛛の糸」、M・レーガー曲「アダージオ」、ベートーヴェン「ピアノ・ソナタop.17“テンペスト”」「交響曲第7番」、忌野清四郎・作「昨日、天国から天使がここにやってきた」、ショパン「ピアノ・ソナタ第2番」、M・マレ曲「夢見る人」、以上8編

 ● 出演:笠井禮示,定方まこと、新保圭子、寺崎礁、原仁美、松本志摩,鯨井謙太郎、塩月伊作、笠井叡

 ● ピアノ:上田早智子。チェロ:山崎明子


 【ケイタケイ ムーヴィングアース LIGHT, Part 32 「時空に堕ちる者たち」 】

 3本の再演ソロを集めた昨年暮れのLIGHTシリーズに続き、今回は「時空に堕ちる者たち」と題したケイタケイの新作が、1本勝負でオープン間もない座・高円寺の劇場にかけられた。ムーヴィングアース・オリエントスフィアのメンバーを動員した、スケールの大きい舞踊空間が久々に見られそうで、心を弾ませて出向いた。広いフロアの天井には、手づくりになる大小さまざま岩石状のオブジェが一面に吊り下げられている。そのマテリアルの手触りが、故・前田哲彦の作風にそっくりなのは、ニューヨーク時代からのケイの活動が、いかにこの不世出の美術家と不可分の関係にあったかを、あらためて知らされる思い。この公演自体が、故人の13回忌にちなんで企画されたとか。さて作品の中身だが、中核ポイントとしてのケイの動きはみもの。そして作品意図も明快なのだが、問題は群舞の表現にはいま一歩力足らずの不満が残ることだ。フロアを踏みしめる足のユニゾンに不揃いが目立ったり、四肢のさばきにどこかあやふさが残るなど、かつてムーヴィングアースが得意とした表現領域だけに、少々意外な気もした。きっとまだ踊り込みが足りないのだろう。この新作がLIGHTのレパートリーにしっかり組み込まれるためには、いましばらく時間がかかるかも。折角の研鑽を期待したい。(30日マティネ所見)
   演出・振付:ケイ・タケイ
 
    出演:ケイタケイ、ラズ・ブレザー、青柳ひづる、石田知生、岩崎倫夫、大塚麻紀、角隆司、木室陽一 ほか

    美術・舞台監督:河内連太
 
    空間:林明男

 
【2月公演


 【近藤良平 トリプルビル「牧神の午後への前奏曲」ほか 新国立劇場(小)】

以前はただ群舞を動員した“元気印”のダンス・ショウだと理解していた近藤作品。しかし今回の舞台を見て、その本質は同じでも、中身には少なからぬ作風の深化が加わっていることを知った。それぞれ作風の異なる30分前後の3作だが、そこには何にもまして作者の放つ奔放にして強烈な個性が、すべてに先行している。はじめ舞台袖の近藤が、ギターの弾き語りで、「ダンス作品といえるかどうか」と用心深く断わりを入れているが、まったくの杞憂だ。まずはじめに「牧神の午後への前奏曲」。全裸に近い男性2人(平原慎太郎、大貫勇輔)が、前半おなじみドビュッシーの前奏曲でからみあうが、いつしか衣装をつけたジンタの曲へと変色していくおもしろさ。次に牧場の中央に楽団が陣取り、多勢の牛が出没する「DANCE SQUIB」。立体ホリゾントの映像(こだまgoen)を背景に、スカートをつけた中東色の女性2人(斉藤美音子、皆川まゆむ)と近藤自身が踊る「LEMON TREE」。それぞれに水準を抜くダンサーたちのシャープな動き、そしてそれらを見事に引き出した、振付者のまれにみるリズム感と才知の稀有な相乗効果がここにはある。あらゆる越境におどろくべき寛容を示す日本の現代舞踊界にとって、この3作がきわめて上質のコンテンポラリーでなくてなんであろうか。(6日所見)

   演出・振付:近藤良平

   美術:森本千絵(goen

   照明:坂本明浩

   衣装:青柳美智子、石野良子