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| BIBLIOGRAPHY |
| デビュー:戯曲「近衛公の死」(1956) 台本・演出:ダンスシアターキュービックの公演; 第1回 「熱帯の食欲」(1979)〜第13回 「虫めづる姫君」(1992)までの全台本と演出 単行本:「モダンダンス出航」「竹久夢二」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(訳) 他 |
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| 【“DADA10” 青山ダンシング・スクエア 文京シビックホール 】 青山ベルコモンズを根城に、精力的な活動を続ける小川亜矢子が、今年は後楽園の《文京シビック大ホール》に舞台を移してのダンス・プログラムである。10作品は青山ダンシング・スクエアで、レギュラーの講師を務める、才能あるトップクラスの精鋭9名に、小川本人の1曲が加わったもの。トータル3時間に迫る盛況の一夕となった。DADA10の新名称は、バレエとモダンを越境して、常に一流の技術を見せながら、そこへ前衛とエスプリのひらめきを持ち込むことを忘れない主宰者小川の姿勢にピタリ。このモットーを裏切らない出色のステージはどれだったか。6行批評ではとてもまとめ兼ねる多色・多彩のコンテンツだが、中でいま話題の持ちネタ「パレードの馬」を意欲的に群舞化した加賀谷香の作品、最近の振付メソードをいっそう徹底して、空間のさばきにあたらしい笑いを持ち込んだ二見一幸「ティングル」、ますます身体のさばきに鋭い磨きのかかった平山素子の「I-r-i-s」あたりに、芸術監督の放ったするどい吹き矢を、ハッシと受け止めて返す若い能のひらめきを、しかと感じた。またここで披露するバレエの創作は、つねにリファインされた芸術性で観客の心をとろけさせる魅力を持っており、今回出た3作品(坂本登喜彦、西島千博、小川亜矢子)もまた、その期待を裏切らぎることのない耽美の世界を、ほぼ純度100%の鮮度で繰り広げて見せたのもさすが。(12日所見) |
● 芸術監督:小川亜矢子、照明:岡澤克己、舞台監督:川原卓也 ● バレエ3作品:T.坂本=「Concerto in D」,C.西島=「ロミオとジュリエット」のパ・ド・ドゥ、A・小川=「Kele-Kele-灼けた風」 ● 《DADA10》の命名には、多義性とユーモアがあり秀逸。、当分続けてほしい。 |
【深見章代・振付“高襟狂想曲ハイカラプソディ” 押上スタジオUNO 】 昨年の8月、深見章代率いるダンスカンパニーが発足、王子駅近くの地下劇場で、「ふぞろいの果実」を発表した。ほとんど偶然だったが、たまたまこれをみた私は、そこに新しい身体表現をめざすユニークなヴィジョンと意欲のようなものを感じ、あえてこれをサイトのレビュー欄にもとりあげた。その後グループは墨田区の押上に、小空間ながら自分たちのスタジオをもち、そこで年末に2作目の「罪と果実」を、そして半年おいた今回この「高襟狂想曲-ハイカラプソディ-」と、1年間に3本の創作を送りだした。たしかに個性は一貫している。エロティックな味を込めた、エンタメぎりぎりのユニークな身体ショウ。たしかに才能のひらめきもある。しかし1年かけた割には、そこを跳び越える前進がまだない。いや逆に客へのサービス精神の方が、不要にふくらんできた気配も。少数の贔屓客の取り込み(特に中年層)で満足してはいけない。また不羈奔放をまき散らして、これをラプソディーと名付けることも易しい。観終わった後に肉の悲しみとか、ヒヤリと現代の狂気が迫ってくるフィナーレを期待するのは、いささかないものねだりというものか。しかしこれはアーティスト深沢章代への、今後に期待する最大の課題でもある。(23日所見) |
●校正・振付:深見章代 ● 出演:吉川英里、津田由紀子、青山るり子、深谷?沙、深見章代 ●美術:深谷莉沙 |
【前澤亜衣子「ピース・オブ・モダン」vol.3 ”hi bi no ne”/”AQUA” 】 実にエネルギッシュで多才のひとだ。この2,3年、メキメキと頭角を現し、乾直樹とのデュオを中心に、各種のコンクールやコンペで、トップレベルの賞を総なめにしてきた感のある若手層のホープ。その前澤亜衣子が、2年前に結成した「ピース・オブ・モダン」の3回目の公演だ。メンバーには東京バレエの小林洋壱をはじめ、クラシック、モダン、さらに演劇・音楽と、巾広いキャリアの人材を揃え、それがこのプロジェクトの特色であると同時に、反面ややあいまいで雑駁な印象を与えるマイナス点にもなっている。今回も前半の”hi bi no ne”は、ダンス・クラシックで組み立てた小林のバレエ・スケッチであり、一方 前澤の“AQUA”は、海底をイメージした美術効果のアイディアをふくめ、ダンサーの軟体魚類を思わす動きの振付がポイント。純然たるモダン・ダンスの作品だ。つまり客席に求められる観賞の視点がすかり違うのだ。そのくせ出演者の一部がは共通したりもする。ついでに言うと、演奏するエレキバンド(アツキイズム)の生音は、アンプが効きすぎて耳に痛く、ほとんど苦痛なぐらいだった。いまはもうグループ・サウンズの時代ではないといいたい。秋からの1年間のアメリカ研修が、前澤にいささかの休息と才能の再整理のためのチャンスになれば、これこそ1石2鳥というものだろう。(25日所見) |
● 出演:小林七奈、池島優、乾直樹、前沢亜衣子、小林洋壱、 ● 演奏:ギター・藤森暖生-作曲-、キーボード・和田真由子、バイオリン・今野篤、パーカッション・家江崎、,ベース・植村健介 ● 会期:25日(木)〜27日(土) 3ステージ ● 会場:ラゾーナ川崎プラザソル |
【ローラン・プティの“コッペリア”3ペア 新国立劇場 】 この世界に出入りしていると、なんやかと目にする機会の多いロマンティック・バレエだが、同じサン=レオンの原作振付、ドリーブの音楽といっても、プティのものは独自の別作品。今回の再演も、2年前に受けた面白さと感銘が、そっくりそのままハートまで響いてきた。ベジャールと並んで、20世紀フランスが生んだ、不世出の振付家だろう。もっとも両者の味は全く違うが。さて今回の公演だが、スワニルダ×フランツの演者に、前回の実績を踏まえた上に、さらに3人の日本人ダンサー(小野絢子、江本拓、八幡顕光)を加えたキャスティングが目につく。私の見たのは本島美和×江本拓組だったが、再起用の本島の演技はまず貫録十分、対するフランツの江本は、初回の緊張もあってか、やや力量不足の印象が残った。中で人形師コッペリウスのボニーノは、相変わらず達者そのもの。人形とデュオを踊る2幕の、プティ=コッペリアの見せ場を見事に演じ切った。全7ステージのうち、今回は2度ばかりダブルキャストでイリインが引き受けるらしいが、そちらの演技はどうだったか、ちょっと気になるところ。その他コールドバレエの出来はよく奮闘、一風変わった才気煥発の振付を、なんとかレベルでこなしていたという評価になろうか。(27日ソワレ所見) |
● 振付:ローラン・プティ ● 出演:(スワニルダ)=本島美和、寺島ひとみ、小野絢子、タマラ・ロホ、 (フランツ)=ホセ・カレーニョ、山本隆之、江本拓、八幡顕光 ● 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団(指揮デイビット・ガルホーズ) |
| 【森谷紀久子 ソロダンス リサイタル「星空のダンスコンサート」 】 都内では北区の王子を拠点に活躍する宮城県出身のダンサー。その作風は、バレエ、現代舞踊、リトミックと、多岐にわたる長年の修業歴にもかかわらず、あえて視点を、東北というおのれの出自と民俗文化に絞り込み、ダンスによるそのインタープリテーションをねらった。その実践が、ここ2,3年つづく北区のプラネタリュームでの、ダンス・コンサートである。流れる川のせせらぎ、なつかしい蒸気機関車のエンジンと汽笛のひびき、夕焼けが消えた後の星空。まずは尺八の演奏(大吉鬼山)にのったソロ・ダンス。昔この地に出没したという王子の狐の人間踊りだ。さらに短い暗転ののち、その延長としての後半も、いくつもの珍しいわらべ唄の朗読(KONOKA)をベースに、お色直しで3種の衣装に早変わりした森谷が、おはじき、綾トリ遊びなどを交え、いわば絵ときのように民芸風の洋式ダンスを空間に展開してみせる。素直といえばこんな平易でわかりやすいダンスも少ないのではないか。しかし一歩ちがえば平易な集団遊戯に堕しかねない試みが、その都度しんみりと人の心を癒してくれる。21世紀の現代人がどこかへ抛り去り、そのくせ絶えず求めあぐねている郷愁とやすらぎの世界。そんなとき観客は、森谷紀久子の世界がたしかに立ち上がってくるのを、身近に感じとることができるのだ。(7月7日)。 |
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【東京ダンス機構 萩谷 京子作品「函○Д○」-はこ- シアターX 】 舞台の左右におかれた大小2個の木製の箱。そしてホリゾントのスクリーンには、ゆっくりと大写しの雲が流れている。これが最初シーン。以下男女4名の出演者が次々にあらわれ、ナレーションなども含めたさまざまなダンスとパフォーマンスが展開する。作・台本・演出はすべて萩谷京子であり、いわば彼女が「はこ」から発想した自由なイメージを舞台へ移しかえた“DANCE EXPERIMENT”である。ここでは自己の代弁者として、地元水戸芸術館のアクター(塩谷亮)を起用していて、“ザラメの詩”とか“今日何もかも終わる”などのエッセーや語りを朗読させる。全70分の流れには、時には沈んでトーンダウンしてしまうようなパートもあるが、それを救いあげたのは、後半でダンサー萩谷紀衣がベートーベンのソナタを踊る圧倒的迫力の場面。もともと母京子の頭脳に根付く、いつも奇妙にひねった観念性と、反対に今が旬のすっかり成長した娘紀衣の、輝くように全開した身体性が、見事にかみ合って成功したと総評できる。ここで挿入した花火の映像も効果的でよかった。ただそのあとクロージングで語られる《わたし》と言う言葉が、作者萩谷を代弁したものなのか、それとも出演者塩谷の自己表白なのか、どうも判然としないのは、演出の未熟ないし誤算というべく、いささか画竜点睛を欠く思いで残念だった。(7月23日) |
● 作・台本・演出:萩谷京子 ● 出演:藍木二郎、栗野一彦、萩谷紀衣、塩谷亮 ● 美術・協力:護阿房、松川雄一 |
【モノクロームサーカス×じゅんじゅんSCIENCE の「DESK」3作品 】 京都を本拠地として活躍する坂本公成の《Monochro Circus》と、もと“水と油“のメンバーだった高橋淳こと《じゅんじゅんscience》が、スタッフとキャストの両面でコラボレートした公演。共通テーマは“机”で、一回3本を並べた。それぞれ30分以内の短編だが、昨今首都圏を荒らし回る正体不明のコンテンポラリー・ダンスとは違って、ここには身体への熱いまなざしが、しっかりと根付いている姿勢が感じられる。私の見た日のプログラムは、最初にドゥオの「きざはし」(振付:坂本)。板一枚を隔てながら互いの存在を知らず、150本もの鋭利なナイフと対峙しながらたたかう男女の姿には、人生実存のメタファーがある。次の「DESKWORK」は、じゅんじゅんによる自作・自演のソロ。緻密な照明プランの下、トルソと全身、あるいは現実と夢といったものを、瞬時に切り替えてみせるテクニックは、なかなかにシャープでオリジナル。4名のダンサーが出演する3つめの「緑のテーブル」は、キャストとスタッフ面で、両カンパニーの共同作品。互いにリンクしながら、生の芝を敷き詰めたテーブルの上下・周辺をエンドレスに踊りつづける。題名からついクルト・ヨースを連想してしまうが、社会的視野はない。以上3本ともそれぞれに芸術的水準は高い。少なくともコンテンポラリー・ダンスの一角を占めるといっていい、新鮮で手ごたえのある創作集だった。(25日マティネ所見)。 |
● 出演者:合田有紀、野村香子(「きざはし」)、じゅんじゅん(「DESKWORK」),森裕子、合田有紀、野村香子、森川弘和 ● 舞台美術:graf、音楽:山中透 ●こまばアゴラ劇場の芸術監督は平田オリザで、演劇作品をベースに、毎年10数本から20本の舞台作品をプログラムしている。 |
【ダンス カフェ コレオグラファーズ У ダンスコンサート vol.2 】 昨年の暮れに、ダンスカフェと地元の指定管理者(株)シ−・ビー・シーが共催して、ダンス公演Yをスタートさせた。実はこの企画には、先行してコンサートXという、もうひとつのシリーズがある。主催者が、区内にある別の劇場で上演するときに使われる呼称だが、中身と制作者の意図には両者にそれほどの違いはないと見た。これまでに繰り返された主催側のノートによると、要は「ジャンルを超えて、多様な価値観を有するダンスを提供」することを狙いとしているが、実はこれはコンテンポラリー・ダンスを説明する時に、しばしば用いられる一般口上で、出来ればそろそろ質の上での特化なり狙いを、いますこし明確に絞って舞台に送り込む必要があるのでは。今回の出しものは、「ココロワ(心輪)」(福島千賀子)、「Five of Cana’s」(中島加奈子/垣内友香里)、そして「Happy Flower」(武智圭佑/博美)と題した若手の3本。タイトルやテキストは凝っているが、中身は今一歩の踏み込みに欠け、単に電子音響や恣意的な身体の露出といった皮相のレベルを出ないうらみがある。”なんでもあり”は、コンテンポラリー・ダンスのいちばんのアキレス腱でもある。このシリーズがさらなる前進を続けるには、地域行事のレベルを超えた、表現としてのアッピール度、そして形だけではない芸術との直接対話が、今少しほしいと思った。(30日所見) |
● 2007年暮れの第1回コンサートがクリスマス直前だったことから、Xのマークが用いられた。このときは地主律子、藤原悦子などの中堅実力者が出ている。 ● Yシリーズの方は下って昨年12月4,5日にスタート。出演者の年齢が少し若い(young)ということもあって、頭文字からこう命名されたようでもある。 ● 制作:ダンスカフェ(安田敬)/潟Vービーシーメソード |
| 【松崎えり noon dance performance「rooms」at LAPIN ET HALOT 】 会場えらびも作品の内。ファッション街青山カルティエの一角にあるLAPIN ET HALOT。真っ白な空間とガラス窓でデザインされた、瀟洒なアトリエ風の建物は、どうやら日ごろはフォト・スタジオとして用いる建物らしい。ここで松崎えりの主宰するnoon dance performanceが、少数精鋭のダンサーを結集して、今年は作品「ROOMS」を演じて見せた。地上階と地下で行われる2篇のパフォーマンスだ。最初はガラス壁を通して外からの鑑賞も可能な身体ムーブメント。日本人離れした見事な四肢のダンサー6人(男4+女2)が、垢ぬけたスポーティな衣装(斉藤絵美)で、チェア4脚を用いたさまざまなポジショニングを見せる。2つ目は観客ともども、地下のスタジオに移動して、今度は暗闇に照明(足立恒)効果を生かした、垢ぬけた個別のバレエ・ショーとなる。しかし本質的には、両者の表現にほとんど差はない。ベリオやバッハ、ヴィヴァルディから、サティ、ケージと、古今にわたるクラシカルの名曲を生かし、ほとんど間然することのない、現代風のバレエ・ムーブメントを綴ってみせた。ただしこれは表現テクニック上での採点評価であって、真の意味でコンテンポラリーを主張するには、いま一歩どこかに不満が残る。様式美をこえた作品の主題が明確でないからだ。ここで自足して閉じてしまうのか。それとももっと先に……?グループに残された今後の課題でもある。(6日マティネ) |
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振付・構成:松崎えり ● 出演:松本大樹、大嶋正樹、森本由布子、小出顕太郎、増田真也、松崎えり ● 主催:バレエ団ピッコロ
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吉祥寺シアターでの前回の発表から、今回は再び本拠地(?)である《バビロンの流れのほとりにて》へ戻っての、宮下恵美子《アトリエム》の夏公演である。タイトルの「ラノセン-lanosenn」は、あいかわらずエニグマティック(謎)だが、これもサウンド(音)、ムーブメント(動)、スペース(空)と、いわば感性の3極を、それもほとんどそのエッセンスだけの動員で作りあげるる、この仮想カンパニー独自の構成の場合、これは十分に納得していい命名であろう。さらにうれしいのは、ここのところ“動”を受け持つ核としてのダンスに、しっかりと重点を置いた作風が構成にそなわってきたことだ。明りが入ると、フロアに中央に立つ、向かい合った2人のダンサー(長沼陽子/江角由加)。かすかに始まるその手先と腕の微動にさそわれ、いつしか侵入してくる打音のリズム。両者のからみが、しだいにエキサイトしてきて、「序破急」の妙が空間いっぱいに展開、気がつけばいつしか全長40分が過ぎていた。特に今回はその進行を引き立たせる照明(アイカワマサアキ)の効果が秀逸で、シャープな劇的存在感を立証した。また身体の動きの質も一級品というべく、日本人の身体ならではのユニークな動きが際立った。ただ一回きりの公演はいかにももったいない。ぜひ再演の機会をつくって、一人でも多くの観客に見せたいものだ。(10日所見) |
● 構成・音楽:さがえゆうじ(寒河江勇志) ● プロデュース・振付・パブリシティ:宮下恵美子 ● ダンサーの動きには、アナ・ハルプリン→加藤みやこ→宮下恵美子の流れを感じさせるものがある |
【ケイ・タケイのLIGHTシリーズ、Part 7「創作畑の日記」 】 1969年ニューヨークで多国籍の学生たちを集めてスタートした、ケイ・タケイのムービングアース。その一連のLIGHTシリーズも、彼女が帰国を決意した92年には、すでに30パートに迫るレパートリーを形成していた。「おどろくほどオリジナルで、単純と輻輳が同居。かつ重力の法則のように圧倒してくる」と、ワシントン・ポスト紙でも絶賛された日本人舞踊家の振付による身体表現。しかし実はこれらを肉眼と生の舞台で見た人は、われわれのまわりには意外なほど少ないのだ。その後結成されたムービング・アース・オリエントスフィアのメンバーで上演された今回の「創作畑の日記−Dairy of the Field」は、そのなかのパート7を再編したもの。そもそもケイ・タケイの世界は、何がそれほどオリジナルなのか。ブトー(舞踏)でもなく、モダン・ダンスでもなく、ましてや軽薄なコンテンポラリーでもない身体の造型。これは正しくわれわれ日本人が、遠く受け継いできた胎内のDNAを、そのまま取り出して見せたものではないだろうか。これを機に、LIGHTシリーズからピックアップしたいくつかの作品が、今後のスケジュールとしていくつか組み込むという。一貫したケイ・タケイのダンス宇宙を、じっくりと味わってみる絶好のチャンスだといえる。特に若い人はおたがい誘ってでも見るべきと思う。(25日所見) |
● 演出・g振付・衣装・出演:ケイ・タケイ ● 美術・舞台監督:河内蓮太 ● ダンサー:ラズ・ブレザー、石田知生、敦子、大塚麻紀ほか ムービングアース・オリエントスファ ●ワシントン・ポスト紙の原文→"startlingly original, at once simple and complex, and as compelling as the law of gravity."(アラン・K・クリーグスマン) |
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ミチコ・ヤノ・モダンバレエカンパニー瑠璃玉会が発足したのは、もう30年も前の1978年。メンバーの創作集やリサイタルをはじめ、時には「SAIRIN」(第5回公演)のように、遠くケルンまで遠征に出かけたこともある。以来30年、その間形式や主題はさまざまだったが、常に主宰者矢野通子(ヤノミチコ)の、一種神秘的ともいえる強い宇宙観と個性がにじみ出ていた。ところがそれが最近あまり感じられない。例えば4月に出した「MANggHA(漫画)」。しゃれた現代淑女たちの日常を、そこに偶然とか不思議を織り交ぜながら綴ったものだが、ただのコント集の域を出なかった。今回の大作「都会の恐怖」を見てもやはりそれを感じる。戦争をまたいで結ばれなかった男女2人の物語。そこに介在する不条理とか恐怖を言いたかったのだろうが、それを前半は演劇、後半は様式ダンスを当てることで綴った。天皇からオバマのスピーチ、世相を順に追った歌謡曲の蒐集まで、演出面での労は多としたいが、結局若者の感性や主張に添ったものでもなく、逆に大人の悲しも伝わってこない。いまさらだが、ダンスはもっと身体表現を拠点に、はじめてテーマに肉薄する芸術のはずである。フィナーレのシャレコウベから、何ら強烈な象徴性が立ちあがってこなかったのは、いかにも残念の一語に尽きる。(30日マティネ) |
● 台本・演出・振付:矢野通子 ● 出演:高橋誠子、佐藤雅恵、南真代、ほか瑠璃玉会メンバー 佐藤学二(ゲスト) ● テクニカル・ディレクター:アイカワ・マサアキ ● 選曲:YASUTAKA
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【高瀬譜希子の自作 公演 TTDG「Dancing, Passing, and Landing」】 新鋭ダンサーがステージごとにみせる成長ぶりとエネルギーには、じっさい目を見張らせるものがある。ここのところロンドンにあって日々研鑽に余念のなかった高瀬多佳子の一子譜希子が、しばらくぶりに日本のステージに戻って、最新作を披露した。これまでは一個のダンサーとして、もっぱらユニークでシャープな切れ味を誇った彼女だが、今回はじめて自らの構成・主演で、70分のダンス空間を手掛けた。中国系のチェロ奏者Semay Wuが、いわば感性の語り部としてホリゾント前で中央、上手・下手と位置を変えながら、何曲かのサウンドを生演奏、その周りを譜希子を軸とするTTDGのダンサーが、通過し回転しながら、きびきびした振付で流れを作っていく。途中インターメツォのような形で、背景に実験風映像(作・粟津潔)の投影があり、その前を高瀬多佳子が下手から現れ、娘とはまた異質のゆっくりした動きのソロで妙味を添える。その他に存在感のあるラテン系のパフォーマーNuno Silvaが通路からファドを歌いながら参入、クロージング・パートでは譜希子と組んで、迫力充分のドゥオ・ダンスを披露する。一見シンプルに見えながら、感性だけで綴った現代のダンス・バラード風の舞台だったといえよう。本人も言う高瀬譜希子にとっての「初の大作」(ノート)。今後の成長がいよいよ楽しみだ。(4日所見) |
●出演:高瀬譜希子、Nuno Silva、高瀬多佳子、藤野貴世子、加藤千明、ほかTTDG-メンバー ● チェロ演奏:Semay
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| 【西島千博プロデユースによるバレエ・リュス100年記念日本公演】 1909年5月に、パリのシャトレ座でバレエ・リュスが初公演を敢行してから、今年はちょうど100年目。国際的にも各地で記念の行事が組まれている中を、日本ではネオ・バレエの芸術監督である西島千博が、じきじき各舞踊団にまたがる一線級のダンサーを口説いて、ここに総勢26名、いずれもバレエ・リュスにかかわる19編の作品を、昼夜にわたって実現、ここに待望の「夢のプリンシパル・ガラ」が生まれた。内容は「薔薇の精」のようにほぼ原形をなぞったものから、タイトルと音楽はそのままでも、中身はほとんどオリジナルで組みたてた「牧神の午後」や「春の祭典」まで多様多彩、それを昼夜7時間に近い2ステージで通して見せたのである。とくに後者はほぼ全員が総出演で、いわばベジャールとストラヴィンスキーを向こうに回して格闘したような、がっぷり四つ相撲のような大作。あふれ出るエネルギーのすざまじさや、広大な構成のひねりは大いに多とするが、そのうち出口が見つからなくなって、ただ暴れ回っている感じで、主題の方がぼけてしまった感がある。もう少し整理をしたうえ、この大作一本をトリの軸として一夜のプログラムを考えた方が、作戦としては当たっていたのではないか、という気がした。(21日所見) |
● 構成・演出・振付:西島千博+ネオ・バレエ、松崎えり、青木尚徳、遠藤康行 ● 照明:足立恒 ● 出演:金田あゆ子、秋元康臣、伊藤範子、染谷野委、鈴木美波、長澤風海、上山千海、郡智波、中島周,北川優佑、竹田純、柴田有紀、渡部美咲、福岡雄大、吉本真由美、中村誠、西田佑子、横関雄一朗。愛知伸江、猪俣陽子、小野眞理子、津田康子、染谷野委、竹田純、土方一生、松岡梨絵、橋本直樹、坂井はな、西島千博、松崎えり、青木尚哉、田中ルリ、佐々木大、児玉麗奈、ほか |
【新国立劇場 ダンステアトロン17勅使川原三郎 作品「鏡と音楽」】 新国立劇場の中ホール、週末の3日間を抑えた勅使川原三郎久々の公演だが、意外と入りが寂しい。近年その作風に一種のマンネリズムを感じる観客もいるやに聞いたが、これはその結果かと一瞬思った。しかし舞台が始まって5分もしないうちに、これはとんでもない誤解であることを、早々に知らされた。この不世出の斯界の才能にとっては、およそ停滞とか休止などの言葉は、クスリにしたくとも一切ない。突飛な連想だが、その密度と緊張の高さは、あのプロ野球のイチロー選手の覚悟を、なぜか瞬間思い起こしたりした。さてこの久々の新作は、例によって佐東利穂子以下、本人をふくめ、出演ダンサーは、カラス団員の8名のみ。それが90分にわたる全編を、刻一刻展開する鋭い感覚の乱射で、息継ぐひまもあらせず、観客を魅了し終えるのだ。それには今回も細密に設計し組み立てたライティングの働きが大きい。途中ステージの中央に、傾斜した磔刑台を思わせる6枚の板を横列に並べ、そこへダンサーたちのさまざまな臥姿を、入れ替え差し替え浮き出してみせる着想も新鮮。さらに後半カラスのメンバー全員を、ただシンプルな身ぶりだけで10分間、見え隠れさせながら続ける群舞も、身体の極限を知る振付家だけが、はじめて表現できる稀有の迫力だ。めくるめく感性の氾濫と爆発――マンネリなど、下衆の風評の一語に尽きる。(26日所見) |
● 勅使川原三郎の役割:着想・演出・振付・美術・照明・選曲・衣装・ダンス ● ダンサー:勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝理,加見理一、高木花文、ジイフ、川村美恵、ケティング・ナイル、 ● 照明技術:清水裕樹(HALO) ● 公演日時:25日(金)19時、26日(土)18時、27日(日)15時 |
【ダンスカンパニー《高襟》第4回公演「milk」日暮里 d-倉庫】 2007年の夏に、北区の地下劇場で旗揚げした《高襟―ハイカラー》の公演も、いつしか第4回目を迎えた。このときの縁もあって、そのご毎回足を運んでいるが、私の印象では結論から言って、今回の「milk」はいちばんの不作である。なぜか。作品構成の木目が荒く、この集団の売りであるエロティシズムが、もっとも下品に出た。コンドームの風船あそびなど、着想も扱いも“見せんかな”の媚びが先に出て、すこしも買えない。これは前回の舞台評で「中年のおっさん向けの趣味に堕さなければ」と危惧した予感が、いよいよ前面に出てきた思い。ダンサーたちの絞り込み不足の身体も気になるし、アンサンブルもこれまでになく悪かった。リーダーの深見章代は最近忙しすぎて、作品完成への集中度に欠けるところがあるのではないか。「全員で創っている」(リーフレット)からといって、出来がそれだけよくなるものではない。いくら「お客様は神さま」(〃)でも、いい神もいれば悪い神もいる。観終わってしみじみと“肉のかなしみ”が立ちあがってくるぐらいの知性の裏付けが、時にはダンス芸術にもほしいのだ。ハイカラーがいつしか変色して、ローカラーの肉体ショーに堕さぬよう、日々の精進を望む。狂気を孕まない単なるフェティシズムでは、しょせん勝負にならないのである。(29日所見) |
● 構成・演出:深見章代 ● 出演:吉川英里、青山るり子、深谷莉沙、岩佐妃真、深見章代 ● 美術:深谷莉沙 ● 《高襟》の第2回、第3回発表は、いずれも押上の美容院”CORte”2FにあるDance Studio UNOで行われた。今回は久々の一般舞台で、空間の広さも難行の一因だったかも。、 |
【Dance Triennale Tokyo 2009の中 ジル・ジョバン/中村恩恵 作品】 先月中旬から開かれている数あるダンス・トリエンナーレ・トーキョーのプログラムから、あえてこの舞台を選んだのは、そこにジル・ジョバンの名前があったからだ。昨年青山のスパイラルで見た「Text to Speech」の感激が忘れられず、今度はどんな主題と《いま》が見られるかと、心中わくわくしながら出向いた。ところがどっこい、中身は予想を180度うわまわった。前作では真正面から立ち向かった21世紀のヴァーチャル社会の危機状況などはどこにもなく、かわってフロアいっぱいを占拠したのは、10匹前後のおびただしい仔馬のぬいぐるみ風景。それを背後からダンサーたちが、長い金属棒をのばして動かす。いや実はそれが完成のモデルではなく、単なるソロに始まり、ここに至るまでに4人のダンサーたちが、入れ替わり立ち替わりみせる、コミカルで意表をついた身体と動きの連続が、実はこの作品「BLACK SWAN」の真のコンテンツなのだ。これにはしてやられた。ただそれは素材と内容についてであって、振付の展開にみる独創性は、他に類をみない超一級の品だ。これに比べるともうひとつの新作、中村恩恵の「ROSE WINNDOW」は、おなじ一流でも主題の表現と美意識においては、まったく別種のダンスだといっていい。その間の説明や分析は、とてもこの〔6行批評〕では詳述し切れない。ぜひ別のチャンスをみつけて取り上げたいと思っている。(6日所見) |
●主催:(財)児童育成協会(こどもの城)/潟純Rールアートセンター ●作・振付:ジル・ジョバン(BLACK SWAN)/中村恩恵(ROSE WINDOW) ●音楽:クリスチャン・フォーゲル(BLACK SWAN)/mori-shige(ROSE WINDOW) ●出演:ジル・ジョバン舞踊団(BLACK SWAN)/中村恩恵、mori-shige(ROSE WINDOW) |
【浜田ナツミ作品「Song for…散りゆく花たちへ」草月会館ホール】 一昨年の秋、この同じ草月会館ホールで、〔月〕を題材に洋風の典雅なダンスを披露した浜田ナツミが、ほぼ同じ顔ぶれの3人と共に、ふたたび文化庁の芸術祭参加作品として、今回は〔花〕をテーマにした創作を発表した。タイトルの「Song for…散りゆく花たちへ」を一見しただけでわかるように、どこまでも抒情を主体にした振付をの作品である。ただしテクニックは徹底して洋舞。リズムを主流にした音楽を多彩に編集し、それをクラシック、モダン、ジャズと、ジャンルにとらわれない四肢とボディのなめらかな運びで、ソロと群舞の組み合わせで構成する。それもぎこちない型のつなぎ合わせではなく、よく踊りこんで浜田式スタイルが出来上がっているところは立派。妙な喩えだが、たとえば竹久夢二の宇宙を、今風の感覚に演繹したらこうなるといったところか。プログラムとしてのシートにも、数行の詩句以外には、中身につての説明や関係者のくだくだした文章が一切ない。ダンスというのは、もともとこのように言葉とは無縁の芸術であるはず。四肢の動きを追って、その一瞬一瞬の美に、なにかを感じ取ればそれでいいのだ。なにを見るかは観客の心の問題である。江戸260年の文化がつくりあげた日本舞踊のエッセンス、生活に沿ったそのナチュラルな形での西欧化は、まだまだその変容途次にあるのかもしれない、フトそんなことを考えながら、45分にわたる流麗なダンスを見終えた。(15日所見) |
● 構成・振付:浜田ナツミ ● 出演:小林聖子、岩田香菜子、伊藤結花、浜田ナツミ ● 照明:東原修+斉藤香 ● 制作:Sun Arts村山香澄 |
【ラ ダンス コントラステ第13回定期公演「Le Seau」】 アトリエおよび定期公演と、年2回の舞台を順調に発表し続けているラ ダンス コントラステ。今回は「ル・ソウ」と題して、おなじみプロコフィエフのシンデレラを取り上げた。ソウ(seau)とはフランス語でバケツを意味し、これを原作バレエのガラスの靴に置き換えたもの。いろんな意味で「クラシックを現代に生かす」ことをモットーとして活動するこの集団。その趣旨は筆者も大賛成だが、簡単に傑作は生まれない。今回もシンデレラを精神不安定患者に設定した着想まではおもしろいが、しかし中身にはいくつかの疑問が残った。第一には美術の問題。いくら深層心理劇だからと言って、黒バックに黒の衣装はさえない。バケツを吊るした空間処理も、オリジナルのもつ華やかさを殺して逆効果。ひと昔前、ダンサー全員をピンクのぬいぐるみで踊らせたマギー・マランの前衛の方がその意味ではもっと効果があった。物語の中軸を受け持つ娘(伊藤さよ子)、王子役の若者(武石光嗣)、それを取り持つ魔法使いの精神科医(増田真也)の演技は、シンデレラはまずまずの出来として、どうもいまひとつの内面と魅力がない。ただひとつ2人の姉(依田久美子・近藤舞)に挟まれた女性トリオのパターンには、振付の才気がひらめいていて見せた。理屈ではなるほどとわからせても、ダンス作品で人をうならせるのは、やっぱり最後は生身の発する輝きや力量に落ち着くようだ。(20日所見) |
● 構成・演出・振付:佐藤宏 ● 衣装:宮本尚子 ● 音楽:プロコフィエフ(シンデレラ) ● 美術:佐藤宏の演出の中に含まれていると思うが、それにしてもバケツの色と形態には、今少しリアリズムを超えたディザインの飛躍がほしかった。 |
【COMPANY RESONANCE公演 松山善弘・作「棲息」】 Dance Concentrationが発表した12回目の舞台。だがここのところ作風がかなり変化してきた。そもそも松山典子と組んでスタートした初期の創作は、ダンス部分のヘゲモニーはむしろ前者にあり、善弘はもっぱら舞台の演出部分で才能を発揮した。その姿勢は今世紀に入ってもなおつづき、品川六行会ホール時代の「夜の庭園」「やすぎ」などは、暗い空間に、映像、照明などの凝った細部を投入する難解なコンティニュイティが、Company Resonanceの売り物だった。しかし一昨年の「Fragment of Dolls」あたりから、いつしかダンサーを使う作者松山善弘の主眼の置きどころに、少しずつ変化が生じはじめている。今回の作品「棲息」の勝負も、動く身体を駆使した独自の空間作成にあるといっていいだろう。テクニックの巧緻が問われているのではなく、たとえ手数は少なくシンプルでも、逆に身体自体が生み出すはげしい相互の力学絵図がいちばんのねらいなのだ。これはわれわれ日本の振付家にあっては、珍しく新しい造型指向であり、メソードだと解釈していい。本人はダンサーに課すそんな動きのムーヴメントを、自ら“体育系”と呼んでいるようだが、これはよくみると一切の心理や情緒を排し、もっぱらバンプするサウンドに乗った体当たりの空間美学であり、それが次第に観る側への迫力としてせまってくる。いささか失礼だが、ようやく見えはじめたこの作家の力量とオリジナリティに、今後大いなる期待を抱かせる思いの一夜だった。(31日ソワレ所見) |
● 構成・演出・振り付け:松山善弘 ● 照明:岡田淳 ● サウンド・クリエーション:浅野淳 ● 出演:千葉真由美、安木ようこ、星野琴美、菅佐原真理、鈴木よう子、石山千尋、遠藤麻紗 |
【新国立劇場 ダンスプラネット31 平山素子・作品《Life-Casting》】 一昨年同じ新国立劇場で上演されたプログラムの再演ということで、ごく気楽な気分で出かけた。ところがなんとタイトルは同じでも中身は換骨奪胎、とくに前半の「UN/SLEEPLESS」はまるで別作品。ここではLife Castingという大枠の名称は、すでに石膏という具体を離れて、“生命の投入”という言葉本来のメタファーに昇華されている。7人のダンサーが、身体のマジシャン平山の命ずるまま、左右の壁布をかいくぐり、さまざまな組み合わせでくんずほぐれつ、それこそ息詰まる身体のダイナミズム、生命の乱舞を見せつける。一昨年の振付専任デビューでは、いささか不安を残す仕上がりだったが、今回はそれとは比べものにならない秀れた改訂版――というより事実上の別版だ。それは〔石膏型取り〕(渡辺晃一)という、おそらくは劇場側から出された美術上の課題が、いささか未消化に終わった結果に違いない。一方後半に組まれた「Twin Rain」は、初演時の演出をほぼ踏襲。人体塑像や3D、パースを用いたセットなどみな秀逸だが、さすが2度目とあっては、再見の客に与える衝撃度はどうしても落ちる。そのせいか平山のダンスまでもが、直前の若いダンサーたちのエッジのシャープさに比べて、いささか後れをとるうらみすら与えた。しかし今回は振付家平山素子の非凡の証明という1点だけでも、出色のダンスプラネットだったと後日記録されていい舞台だった。(5日初日所見) |
● 構成・振付演出:平山素子 ● ダンサー:木下菜津子、高原伸子、池田美佳、西山友貴、柳本雅寛、平原慎太郎、中川賢 ● 美術(Twin Rain):渡辺晃一 |
【 カンパニー高襟 第5回パフォーマンス 深見章代「浮気姉妹」】 2008年に地下空間《Pit北/区域》で、高襟単独公演がはじまってから、今回はその5回目となる。前回《d-倉庫》に進出して披露した作品「milk」は、空間の広さを処理しきれず、これまでではいちばんダルな仕上げに終わった。それに比べると、ここ本拠地である押上スタジオへ戻っての上演のほうが、よほど仕上げに密度が出た。インテリアも仕切の壁面に鏡を張り、視覚上のイリュージョンを計算した演出もよく、録画と生を交えたビデオの活用ともども、捲土重来面目を一新した。もともと少女趣味を熟女で演じるエロティシズムが身上の活動だが、公開して真価を問う以上、やはり作品の芸術度がいちばんの問題。その点〔身体合唱〕をうたった初期に比べるとややダンス色がうすれてきたが、なにせ“コンテンポラリー”という便利な呼称が幅を利かせる昨今、アクの強い個性的集団として十分に通用する行き方だろう。今回は2部のおわりになって、食卓の女3人が猛烈な勢いで争いの場に転じるくだりなど、単なる笑いを超えた一種の狂気が浮かび出た。第一回の「ふぞろいの果実」のクロージングに見せた期待が、ひさびさに戻ってきた感じがある。この調子なら当分はまだまだこの先を期待できる。くれぐれも短絡的な客への媚びなどに足をすくわれないよう、身体への厳しい視線を堅守しながら、創作に打ち込んでいってもらいたい。(13日所見) |
●恒星・振付:深見章代 ●出演:吉川英里、深谷莉沙、深見章代 ●制作:津田由起子、青山るり子 ●上演の〔ダンススタジオUNO〕は、墨田区押上の美容室CORteの2Fにあり、普段はダンスレッスンとともに、月1本のスケジュールで『東京ダンスタワー』公演を行っている。そのタイトルが示唆するように、付近は新テレビ塔の建立予定地で、すでに地下・地上を含め、急きょ工事が進んでいる近未来の有望株地だ。 |