明治7年神戸における金星日面通過観測
(金星観測についてはこちら)
10月上旬のある日、地元図書館で偶然手にした古写真集を開いたとき、
その中の一枚の写真に目が釘付けになってしまった。
この写真は神戸・諏訪山に陣取った、フランス別働隊の観測風景といわれるたいへん珍しい写真。
「Observatoire de Kobe(Japon)」とのフランス語キャプションがあるという。

石黒敬章氏蔵 平凡社『続 幕末・明治のおもしろ写真』に掲載
(部分拡大)
当時フランスから日本にやってきた観測隊は、アメリカ隊と同じく長崎に観測拠点を据えた。
しかし、フランス隊・隊長ジャンサンは、このとき長崎の天候の推移を懸念し、
安全策(危険分散)のために神戸に別働隊を送ることにしたのだ。
このフランス別働隊のメンバは観測員ドラクロワと日本人留学生清水誠の2名だった。
清水誠はフランスで写真技術を学び、当時は通訳兼写真撮影担当としてドラクロワに就いていた。
明治7年のころ写真撮影はまだ特殊技能で、誰にでも撮れるものではなかった。
まして望遠鏡を通した天体写真など、当時はほとんど経験者などいなかったはずだ。
(長崎では「上野彦馬」が金星を撮影したとされるが、現在1枚も発見されていない)
そんな中、清水誠は15枚の金星日面通過写真の撮影に成功したという。
下の写真は清水誠が撮った15枚のうちの4カット。
第2接触の前後を見事に捉えている。

清水誠が撮影した金星日面通過写真
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下は観測成功を記念し、当時現地に建立された石碑。
碑文には、「仏国派出人員」として、「長官星学士 ジ・ジャンサン」(J.Janssen)、
「付属測検 ドラクルワ」(Delacroix)、「同 清水誠」などの記名があるが、
隊長ジャンサンは本番当日(1874.12.9)は長崎の本隊におり、神戸にはいなかった。

神戸市中央区諏訪山公園「金星台」にある金星観測記念碑(2003.6.14)
この場所は、その後金星観測を記念して「金星台」と名づけられ、
公園として整備されて今日に至っている。
ここ→![]()
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最近、J.ジャンサン、清水誠などフランス隊全員の集合写真が東亜天文学会の手で発見された。

「天界」2003年11月号に掲載 (東亜天文学会提供)
中央のイスが隊長ジャンサン、その右後が日本人留学生清水誠であると言われる。
しかし神戸に来た2人のうちドラクロワがどの人物かは不明らしい。
さてドラクロワはこの中のだれか・・・
なお清水誠は天文家ではなく、留学中に日本語や写真術の才を買われて同行帰国したもの。
むしろ、清水誠は後に日本で最初にマッチ工業を興した人物として名高い。
http://www.match.or.jp/history/index.html
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神戸市の西隣、明石市は日本の時刻基準となる東経135度の町として有名。
ズバリその東経135度の位置にある「明石市立天文科学館」に、
当時フランス別働隊が金星観測のために使用したという「子午儀」があると聞いて訪ねた。

フランス隊が使用したといわれる子午儀 (2004.2.7)
説明書きによると、野外移動用で19世紀オランダ製。
日本に現存する最古のものとして明石市指定文化財になっているという。
後ろ向きに置いてあるのはマニア向けの配慮だろうか。
<謝 辞>
このページに掲載した「フランス別働隊の観測風景」の写真は、
石黒敬章様のご好意により、
また、「フランス隊全員の集合写真」は、
東亜天文学会 村上昌己様、松本直弥様のご好意により、
掲載させていただきましたことに、深く感謝いたします。
<参考文献>
「続 幕末・明治のおもしろ写真」石黒敬章 平凡社 1998
「金星の日面経過について、特に明治7年(1874)12月9日日本における観測についての調査」
└斉藤国治・篠沢志津代、東京天文台報 第16巻 第1冊、第2冊 1973
「マッチと清水誠」 関崎正夫・米田昭二(金沢大学薬学部)
「天界 2003年11月号」 東亜天文学会
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(余談)
2003.10.14 - 2004.5.7