東京品川・御殿山における金星観測
(金星観測についてはこちら)
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この新聞記事は、明治7(1874)年12月9日、 内務省地理寮のお雇い外国人ヘンリー・ シャボーたちの観測隊が、品川・御殿山にて 行った金星日面経過の観測を報じたもの。 (現代仮名遣い) |
このとき「英人ブラックヲシテ寫眞鏡ヲ以テ之ヲ寫サシム」ことにより、今日に残されたのが下の写真。
太陽面の上の方に見える丸い黒点が金星のシルエットだ。
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宮内庁書陵部所蔵
しかし、この見事な写真を撮ったとされる「英人ブラック」とは、もともとお雇い外人でもなければ
天文家でも写真家でもなかった。
それは、当時の著名ジャーナリスト、ジョン・レディー・ブラックであった。

John Reddie Black 1827-80
J.R.ブラックは「ジャパン・ガゼット」や写真雑誌「ファー・イースト」、邦字紙「日新真事誌」などを次々創刊し、
自ら「貌剌屈」(ぶらっく)と称し、外国人ジャーナリストとして活躍していた。
しかしその正義感の強さからか、やがて明治政府から疎まれるような存在になったという。
そのころ一計を案じた明治政府は、
ブラックを太政官御用役人として雇い、新聞から徐々に手を切らせることにした。
それがちょうど金星過日の明治7年12月ごろだった。
明治政府はその後外国人の新聞発行を禁止し、ブラックも御用役人から解雇、と新聞弾圧を始める。
やがて日新真事誌は廃刊に追込まれ、当時銀座(現4丁目和光の角)にあった社屋の看板は、
「朝野(ちょうや)新聞」に架け替えられる。
しかし、この新聞も反政府色の強さで人気があったという。

「朝野新聞」社の張ぼて(江戸東京博物館 2004.4.4)
(前・日新真事誌社)
ブラックは後年、人生の多くを費やした日本時代を振り返って"YOUNG JAPAN"(ヤング・ジャパン)を著わす。
そこに明治7年12月の忘れられない出来事として「金星の子午線通過」を記している。
・・・・ ◆ ・・・・
一方、マクビーンやシャボー達の本業は、これまた天文学者というわけではなかった。
ヘンリー・シャボーは地図製作のため、明治6年に英国から内務省地理寮に迎えられた人。
たまたま地理測量のために使う道具立てに天文器械が多く含まれていたからだろうか、
金星日面通過本番(1874.12.9)が間際に迫ったころに、明治政府から観測を依頼されたという。
マクビーンは「天文測量は未熟なので無理だ・・・」と不満を述べたが、
明治政府の取り持ちによって、
メキシコ隊長ディアス・コバルビアスから金星観測のノウハウの指導を仰ぎながら、
品川・御殿山で観測を行うことになる。
ところが不運なことに、
天文観測に不可欠なクロノメーター(携帯用精密時計)2台のうち1台を運搬中に破損してしまった。
それは本番の数日前のことで、修理も不可能だったという。
この事故のことはディアスの著書にはやや絶望的なトーンで書かれているのだが、
東京天文台報(斉藤国治)によると、
時辰儀(クロノメーター)を使った観測記録はちゃんと残っているようだ。
なんとか残りの1台で観測を果したのだろうか。
金星観測地点はどこ?
下は明治中期の品川御殿山(△印)周辺の地図。
これはシャボーが帰国してから10年余り後のものだが、
このような近代測量地図こそシャボーたちが残した仕事、本業の成果だろうと思う。

東京実測図 (内務省地理局 明治19年) (横幅=約1.1km)
品川・御殿山といえば江戸の昔から花見の名所として、浮世絵にも数多く描かれたところだ。
下の絵はだいぶ時代が下るが、明治32年の御殿山〜品川の花見の季節だ。
品川駅付近を横浜方面に向かって走る陸蒸気など、古く良きのどかな風景である。

「東京名所・御殿山より品川を望む」 楊斉延一(明治32年、品川区立品川歴史館所蔵)
それはそうと、内務省お雇い外人チームが金星観測を行った場所はどこか。
冒頭の東京日日新聞がいう「品川旧御殿山の南端」というところは一体どこなのか判然としないが、
郵便報知新聞(1874/12/13)には、「品川驛鐵道南小丘に於て・・・」との記事もある。
因みに、シャボー達が記録に残した観測地点は、
北緯 35°36' 2"0
東経 139°47' 24"4
となっているが、その位置を現在の地図に当てると品川沖になり、当時は海だった。
「・・・まことにおぼつかない。」(斉藤国治氏評)なのだ。
当時は御殿山のど真ん中を切り通して鉄道(現東海道本線)が敷設されて間もない頃だ。
御殿山の山頂記号は鉄道の東側(前掲地図の△印位置)にあり、
ここに「字御殿山耕地」の文字も見える。
とすると、「品川旧御殿山の南端」というのは、
△印の南側(現在の権現山公園=○印)あたりと見るのが自然に思える。
(正解をご存知の方、お教えを乞う)

品川区北品川3・権現山公園(2004.4.4)
![]()
因みに、この公園のすぐ南側数十m(上写真の正面下)には品川小学校がある。
この小学校は大変古く、なんと明治7年(1874)創立だという。
偶然とは面白いものだ。
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ところで品川駅は当時、上の地図のように東京湾にはみ出た埋立地内にあった。
と言っても、ここは正に現在の品川駅(の少し南)の位置そのものだ。
鉄道開業当時の陸蒸気は、新橋-品川間は埋立て前の海上に造成された築堤の上を走っていた。
その築堤は御殿山を削った土で造成されたものだった。
前掲の錦絵をよく見ると、この頃東海道線はまだ築堤上にあったことがわかる。
そういえば、前出J.R.ブラックは鉄道とのかかわりもあった。
鉄道開業(1872.10.14)に先立つ3ヶ月も前のまだ仮営業のころ、
自身が発行する新聞「日新真事誌」の、停車場内における販売許可を得ている。
今でいうKIOSKの最初を取ったのがブラックだった。
<参考文献>
「明治の日本・宮内庁書陵部所蔵写真」武部敏夫・他、吉川弘文館 2000
「ディアス・コバルビアス日本旅行記」大垣貴志郎訳、雄松堂書店 1983
「金星の日面経過について、特に明治7年(1874)12月9日 日本における観測についての調査」斉藤国治、東京天文台報
第16巻 第2冊 1973
「東京実測図、内務省地理局 明治19-21年」柏書房 1986
「横浜山手外人墓地」生出恵哉、暁印書館 1984
「写真で見る 江戸から東京へ」 小沢健志、世界文化社 2001
「ヤング・ジャパン」 J.R.ブラック(ねず・まさし訳)平凡社 1970
「日本国有鉄道百年史」 国鉄 1972
「明治・大正・昭和 東京写真大集成」 石黒敬章、新潮社 2001
「郵便報知新聞」(復刻版) 柏書房 1994
「浮世絵図録」 品川歴史館 1993
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2003.8.26-2004.5.12