「正義の歌」と「都の空」比較論
(水戸一高第二校歌)       (旧制一高寮歌)           .

楽譜1:水戸一高第二校歌「正義の歌」(大正10年。2005.1.4 母校より拝受)

正義の歌」曲
(イントロ8小節。最後8小節繰り返し)

筆者にとっては40年も昔の懐かしい曲である。
でも一部自分の記憶とはやや違う歌い方になっているような気がする所もある。
(上の黄円の音符は一音下、下の黄円内は前後逆、が筆者の記憶)
とは言っても、自分の「記憶違い」なのか曲が「変わった」のか、今はもう筆者にはわからない。
「詩窖子」だって「し〜けいし」と歌ったように記憶するのだが、
正しい読みは、この楽譜のように「しこうし」かも知れない。

この第二校歌は主に高校野球地方戦の応援において、負け戦の時に歌ったように記憶する。
蛇足だが、ベートーベンの第5交響曲「運命」と同じハ短調である。
「正義の歌」は大正10年の盟休事件の時に作られたが、
曲は当時の旧制一高寮歌「キの空」によったとされる。(水戸一高百年史)

◇◇◇◇

ところで、「正義の歌」は「金色夜叉の歌」に似ているという説がある。

正義の歌が生れる少し前の大正7年、尾崎紅葉の金色夜叉が映画(活動写真)化された。
そのテーマソングとして作られたのが有名な「金色夜叉の歌」だ。
演歌師がバイオリンを奏でつつ、「熱海の海岸散歩する・・・」と哀愁込めて各地で歌われたという。
ところが実はこの歌も、
同様に一高寮歌「都の空に東風吹きて」から曲を借りて作ったものだという。



楽譜2:金色夜叉の歌(大正7年)
「思い出の愛唱歌集」野ばら社(1959-1981)より


この曲は、「正義の歌」よりキーが1音上がったニ短調で、拍子も2/4と表記が異なるが、
確かに歌い出しの4小節は「正義の歌」と殆んど同じメロディーだ。

しかし、2段目以降は(似た部分もあるが)全体としてかなり異なる。
「金色夜叉の歌」は2段目以降はすべて八分休符から入る点に曲想の特徴があるが、
「正義の歌」にこれはない。
特に3段目は全く別のメロディーである。

はてさて、異母兄弟?の父親「都の空・・・」とは一体どんな曲だったのだろうか。


◇◇◇◇


旧制一高寮歌「都の空に東風吹きて」は明治37年(1904)に作られた。



楽譜3:旧制一高寮歌「都の空に東風吹きて」(明治37年)
「思い出の愛唱歌集」野ばら社(1959-1981)より


同じ一高寮歌だが、超有名な「ああ玉杯」などに比べるとこれはどうだったのか。
この曲はあまり耳にしたことがない。
この曲の4段目は1小節を加え全17小節とし、余韻を深めるなかなか凝ったつくりだ。

ある日やっとこの題名を手元の歌集の中に見つけたときは小躍りした。
しかしこの楽譜を見て、発見の喜びはすぐ落胆に変わった。
この曲はハ長調であって、ハ短調の「正義の歌」や「金色夜叉の歌」とは基本的に異なる。
この曲は弾むように明るく力強い曲調で、「正義」や「金色」が持つような憂愁はない。

@正義の歌と金色夜叉の歌は似ている。
A正義の歌は旧制一高寮歌“都の空”の曲によった。(水戸一高百年史)
B金色夜叉の歌は旧制一高寮歌“都の空に東風吹きて”の節を借用・・・

というキーワードから、2つの曲に共通の親「都の空」はきっとよく似た曲だろうと思ったのだが、
ほとんど似ても似つかぬ曲だったとは。
これは一体どういうことなのか。
共通の親はこの「都の空」とは別にあるのだろうか・・・?

◇◇◇◇

少し話はそれるが、
下の写真の二つの楽譜はいずれも旧制一高寮歌「嗚呼玉杯・・・」(初出明治35年)の楽譜である。


(左)「旧制高等学校・寮歌集」(日本寮歌大全別巻・国書刊行会・1996)
(右)「思い出の愛唱歌集」(野ばら社・1959-1981)


左側の楽譜はフラット3つのハ短調、右側の楽譜は何もなしのハ長調である。
一般に長調と短調とでは曲想は全く異なるもので、
ある曲を長・短切り替えて歌ってみると不自然に感じることが多い。
ところがこの曲「ああ玉杯…」は長・短どちらで歌っても殆んど違和感がない。
あるのはそれぞれの曲想と、その存在感だ。

実は、明治35年に「ああ玉杯・・・」が発表された当初は力強いハ長調だった。
それが時代の流れの中で、理知的、思索的な曲想が好まれ、
短調で歌われるようになっていったという。
当時の明治教育の中で多く長調で生れた寮歌たちだが、
その後短調で歌われるようになったものは「ああ玉杯」の他にも少なくないという。

◇◇◇◇

話を戻して、「都の空…」はどうなのか。
そこで、ハ長調のこの楽譜をハ短調に変え、ちょっと口ずさんで見て驚いた。


楽譜4:楽譜3の1段目をハ短調化してみたもの

最初の1段目の4小節は「ミ」と「ラ」が半音下がる。(黄○)
そうすると、なんと3つ目の音符(赤○)以外は「正義の歌」や「金色夜叉」と見事に一致するのだ。
これはちょっとした発見だ!
ただしこれに続く2段目以降は、3段目が「正義」に似ている以外、あまり共通するところはない。

「正義」「金色」などが生れたのは大正の中ごろで、「都の空」誕生の明治37年から十数年を経たころだ。
あまりパッとしなかった「都の空」をハ短調に転調し、導入部の4小節だけをいただいて、
そのモチーフを生かしつつ、それぞれ後に続く曲本体を創作していった、、、

という仮説はどうだろうか。


◇◇◇◇◇◇


さて、推論がここまできたところに、水戸一高先輩から貴重な情報が舞い込んだ。

昭和50年出版の一高寮歌集に「都の空」が掲載されており、その楽譜は短調だという。
送ってくださった譜面の写真から写譜したのが次のものだ。



楽譜5:旧制一高「第十四回記念祭寮歌」(北寮)
「寮歌集」一高同窓会(1975)より


この楽譜は、2拍子2拍目のリズムが正義の歌(楽譜1)とは全体的に異なるが、
音符の動きは全体を通して正義の歌に実によく似ている。
しかもハ短調だ。

出典である寮歌集は旧制一高寮歌の集大成である。
歌譜が時代と共に改変されてきた古い寮歌に対しては、巻末に「原譜」なるものを収録している。
原譜とは音符を数字で表記したものだが、
第十四回記念祭寮歌のそれを楽譜に書き直すと、見事に楽譜3が再現した。
つまり楽譜3の「都の空…」は、生れたころの姿だったのだ。


さて、ここで推論を整理しよう。

1.旧制一高寮歌 「都の空」は明治37年に長調で生れた。(楽譜3)
  (ただし原譜は「に調」とはあるが、長調なのか短調なのかは指定がない)
2.「都の空」は後年ハ短調に転じ、また細部も改変されながら歌い継がれてきた。(楽譜5)
3.大正の中ごろに生れた「正義の歌」や「金色夜叉の歌」は、ハ短調の「都の空」から
 モチーフを借りて、それぞれ独自の曲想で形を整えながら今日に歌い継がれてきた。
 (楽譜1、楽譜2)

どうやらこんな説に落ち着くのではないだろうか。

2005.1.23-2005.10.15



この頁に関して貴重な情報をお寄せくださった水戸一高31会の諸先輩に深く感謝いたします。(2005.7)
また演奏テープを下さった41年卒 I さんに感謝いたします。(2008.3.4)

「都の空」がこちらで聞けるようになっていました。
http://www.justmystage.com/home/takechan/Bmiyako.html
ここで「都の空」を聞けば、だれでも「ああなるほど」と納得できそうです。
寮歌の多くは賛美や鼓舞啓蒙だろう。「都の空」も短調ながらリズム感があって力強い。
その流れから「正義の歌」は、哀歌(悲歌、エレジー)として、全く別物に成熟しているように思います。
(2008.11.16)


<参考文献>
「思い出の愛唱歌集」野ばら社(1959-81)
「日本寮歌集」国書刊行会(1966-1991)
「寮歌集」一高同窓会(1975)
「水戸一高百年史」同編集委員会(1978)
「日本寮歌大全」、同別巻「旧制高等学校・寮歌集」国書刊行会(1996)
「日本のうた 第1集 明治・大正」野ばら社(1998)
「発掘!校歌なるほど雑学事典」ヤマハ(2004)


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