水戸一高
≪二つの校是とその揮毫者≫



明治41(1908)年3月、校紀弛緩していた水戸中学校の卒業式は荒れに荒れた。
列席していた、時の県知事は激怒し、直ちに校長を解職する。
時を移さず、県知事の強っての要請に応え、4月、菊池謙二郎校長(事務取扱い)が就任した。

菊池校長はその7月、校是として「至誠一貫」および「堅忍力行」の二つを定め、
そして、この言葉の精神を最もよく体現してきたと思う人物に、その揮毫を託した。




     しせい いっかん

校是「至誠一貫」
揮毫 徳川慶喜(70才頃)


十五代将軍 徳川慶喜(1837.10.28 - 1913.11.22)


あまりにも著名な、最後の将軍・徳川慶喜。
天保8(1837)年、水戸家・徳川斉昭の7男として江戸小石川に生れ、翌年より幼少時を水戸で過ごす。
父斉昭が天保12年に創建した藩校・水戸弘道館にて11才まで学ぶ。

慶応2(1866)年、第15代将軍宣下。翌年大政奉還を上表、将軍職を辞す。
慶応4(1868=明治元)年4月、江戸城無血開城。同時に水戸に退去、弘道館・至善堂にて謹慎。

 
水戸弘道館(2005.3.21) 
 
至善堂

4ヵ月(閏4月を含む)後の同年7月、駿府(静岡)宝台院に身を移し謹慎閑居。31才。
幕末の慶喜は波乱の渦中だったが、駿府以後、豊かな第2の人生が始まる。

写真術の黎明期だった幕末・明治期に、徳川慶喜ほど多くの肖像写真を遺した人は少なかろう。
慶喜はまた、駿府時代に自ら写真撮影技術を学び、
アマチュアカメラマンの始祖としても、味わい深い数多くの写真を遺した。
芸術を愛し、新文明との接触・融和にも積極的で柔軟な人柄だったのだろう。

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「至誠一貫」を校是に掲げる高等学校は現在たいへん多い。
初出がいずれかは定かでないが、明治41年制定の本校は屈指の古さだろう。


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     けんにんりょっこう
校是「堅忍力行」
揮毫 佐藤 進(62才頃)


順天堂第三代堂主 医学博士 佐藤進(1845.11.25 - 1921.7.25)


佐藤進は、弘化2(1845)年、常陸(茨城)太田村、高和家に生れる。
医学を目指し、安政6(1859)年、下総(千葉)佐倉の順天堂に入門。
のち慶応2(1866)年、堂主佐藤尚中(たかなか)の養子となる。21才。


佐倉順天堂記念館
佐藤進入門当時の建物が一部今も残る(千葉県佐倉市)



明治2(1869)年ドイツに留学しベルリン大学を卒業。日本人初のドクトルの称号を得る。
明治8(1875)年帰国後、尚中と共に東京順天堂の経営に当る。31才。
日清・日露戦争時代は陸軍軍医総監として活躍。明治38(1905)年、男爵を授かる。
この間、近代外科医学の導入など日本医学界発展の原動力として数々の輝かしい業績を残す。
また同時に教育者として後進の指導にも並みならぬ力を注いだ。

明治44(1911)年、出身地常陸太田の幼稚園増築に6000円を寄付、現・進徳幼稚園となる。
同年、長年認ためてきた「水戸義公伝」を刊行。

義公・水戸光圀が晩年を過ごした山荘、常陸太田の西山荘は、佐藤進の生家からほど近い。
水戸学にも造詣の深かった佐藤は、大日本史編さんの偉業をなした光圀を尊敬する一方、
講談にて流布されつつあった「黄門伝説」の誤った光圀像を憂え、
十余年の歳月をかけ「水戸義公伝」を完成した。


「水戸義公傳 」佐藤進(1911)

本書は表紙だけはさすがに90余年の歳月を感じさせるが、
装丁は大変しっかりしており、崩れは全くない。
カラー図版や写真など資料も豊富であり、作者の創作の意気込みはもとより、
明治後期の印刷、製本技術の高さまで伺える。




これら校是に込められた精神は極めて明快だ。ただ「読んで字の如し」。
単語ではない。
かといって、説明を加えねば分らぬような標語では、生徒の心にはストレートに響かない。
「読んで字の如し」の校是に菊池謙二郎校長の卓識が滲む。

校是を書した二つの扁額は長く水戸中学校の講堂正面に掲げられていたが、
昭和20年8月2日未明の水戸大空襲の際に焼失したという。


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<参考文献>
「昭和14年3月卒業 記念寫真帖」(松井寫眞舘 1939)
「茨城県立水戸第一高等学校 八十年史」 同編集委員会(1959)
「菊池謙二郎」森田美比(耕人社 1976)
「水戸一高百年史」同編集委員会(1978)
「外科医 佐藤進」森田美比(常陸太田市 1981)
「茨城県の昭和史」(毎日新聞社 1984)
「将軍が撮った明治」(朝日新聞社 1986)
「写真集 明治の横浜・東京」 同刊行する会(神奈川新聞社 1989)
「徳川慶喜の生涯」(新人物往来社 1997)
「太陽・特集・徳川慶喜」(平凡社 1998)
「茨城の思想」小林三衛、武井邦夫(茨城新聞社 1998)
弘道館パンフレット(弘道館事務所 2005)
佐倉順天堂記念館パンフレット(佐倉市教育委員会 2006)

※上掲の校是イメージは八十年史に掲載の写真をもとに作成。

2004.12.15-2007.6.18


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