−鉄道錦絵「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」−



先日、名古屋で骨董祭を眺め歩いていたら、見覚えのある鉄道錦絵(下)にお目にかかった。


「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」一曜斎国輝 (明治鉄道錦絵より)

この錦絵は明治初期、鉄道開業のころの八ツ山橋(左)や御殿山(奥)、高輪界隈(右)など、
現在の品川駅近辺を走る陸蒸気を描いたもの。
馬・籠の時代から新しい時代に向かう文明開化の先駆けのころだ。
やたらカラフルなこの列車には仰天するが、
舶来の、超先端ハイテクインフラの導入に、民衆の驚きや期待感が如実に描き出されている一幅だ。

ところで、、、
この錦絵、お値段はそこそこだったが、年代の表示がいただけなかった。
制作年が文久3(1863)年と表示されていたのだ。
日本の鉄道開業は明治5(1872)年だ。
その9年も前の幕末時代に、こんな絵は描けるはずがないのでは?

私は店主に、
「この表示年代はちょっと古すぎませんかねぇ。きっと、
その十年後、明治6(1873)年ごろの間違いでは?」
と投げかけてみた。
店主はちょっと考えてから、あっさり「文久3は間違い」と認めた。
しかし、私が開業直後の明治5,6年ごろではないかと推定したのに対して、
店主は、「版元の印形から、明治4年以前だ」
と主張して譲らない。
プロ対素人では勝ち目はないが、いささか鼻白んでその場を離れた。

鉄道錦絵は、鉄道開業以前の明治3年ごろから出回っていたことは事実のようだが、
当初は見たはずも無い、怪しげな想像画ばかりだった。
ところが上の絵の場合、かなりデフォルメされているとはいえ、
実際にその機関車を見た者だけにしか描けない特徴が幾つも表現されているのだ。
だから私は明治5年以後、と読んだのだが。。。

◇◇◇

帰宅後改めて調べると、上の絵の原型モデルが下の機関車だという記憶に間違いはなかった。


鉄道開業当時のDubs社製機関車 (日本蒸気機関車史より)

鉄道開業当時、新橋−横浜間で列車を引き始めた機関車は10両あったが、
その中の8号、9号の2両が英国Dubs社製のこれだった。
そしてこの2両には、他の8両とは明らかに異なる特徴があった。

その一つは、 一見テンダ(炭水車)のようにも見える付属車(VAN)を連結していることだ。
この機関車本体にはブレーキ装置が無く、
VANに備えられたブレーキで停止操作を行っていたというから驚く。
機能的に連結状態で1セットだったので、10両の中では唯一長大な車体サイズだった。
(他の8両はすべて全長7m台だが、これだけは10m超)
二つ目は、タンク車(車体の両脇に水タンクを備える)ながら、
四角いタンクは運転室から車輪まで、側面を覆い尽くすほど大変大きい。
まるで子供が大きなトランクを持たされているようだ。
さらに三つ目は、上の絵や写真でははっきりしないが、
車体横のエンブレムがDubs社特有の菱形で、この点でも絵と写真とが一致している。

これだけ共通点が揃えば、
絵師一曜斎国輝はこの実物を見てから描いたということに、ほぼ疑う余地はなかろう。
(「日本蒸気機関車史」、「機関車の系譜図」などに詳しい)

◇◇◇

話を冒頭の錦絵の制作年代に戻すが、、、
画集「明治鉄道錦絵」を開いて見たらガックリきた。 冒頭の絵は明治3(1870)年となっているのだ!?
あわててネット検索などもしてみたが、表示のあるものはやはり明治3年だ。
おいおい、鉄道史年表を見ても、鉄道「着工」の文字が現れるのは明治3年6月で、
八ツ山・御殿山の開削工事は同年10月着工だ。
(鉄道は御殿山のド真ん中を切り開いて通した)
八ツ山橋はこの時架けられたもので、明治3年には上の絵の風景はまだ無かったのでは。
機関車の輸入は明治4年だったはず。国輝は輸入前の機関車をどこかで見たのか?
(発注仕様書などを一人見る機会があったとすれば不可能ではないが)

また別の画集などを開くと、
明治3,4年ごろは、やはり珍妙奇天烈な機関車?が多い。
しかし明治4年の8月から鉄道の試運転が始まり、実際に陸蒸気が人の目に触れる機会が増えると、
以前の絵に比べて汽車が本物らしくなってきた、ともある。
そうすると、
明治3年説は何らかの誤りで(と思うことにして)、「明治4(1871)年の夏〜末」の制作というのが、
版元の印形や鉄道歴史のバックグランドなどの点で、
矛盾のない最も自然な推論、ということになるのではないだろうか。




一曜斎国輝は他にもこの機関車を好んで描いている。
ところが、この8,9号機関車は、運用直後から使い勝手が悪かったらしく、
開業まもない明治6年には、VANが外され、ブレーキを備え、運転室を後ろに延長して昇降口を設け、
他の機関車と同様に単独走行可能なように改造されてしまった。


改造直後のDubs社製9号機関車 (機関車の系譜図より)

一曜斎国輝が鉄道開業の頃に描いたDubs機関車の、あのオリジナルスタイルは極めて短命だったわけだ。

◇◇◇

この機関車は、さらに下って明治30年前後に、
さらなる大改造を施されて原型をとどめぬほど変身し、ごく「普通」の陸蒸気になった。


さらに改造されたDubs製9号機関車 (明治の機関車コレクションより)

見るとボイラー中央には蒸気ドームが付き、動輪の前後距離まで広がっている。
これほどまでの大改造になると、一体オリジナルはどことどこなんだ?
信頼性はどうなのか、新造のほうがよかったのでは?、と、ついつい思ってしまうのだが。

ちなみに、この車両2両は明治42年の改番で、190形190号、191号となり、
同じく160形164号、165号と改番されたSharp製機関車2両と共に、
明治44(1911)年、尾西鉄道(現名古屋鉄道)に移籍されたという。

2007.12.18-12.25


Dubsの機関車・制作年再考



<参考文献>
「明治の機関車コレクション」
「明治鉄道錦絵」
「日本国有鉄道百年史(年表)」
「日本国有鉄道百年写真史」
「機関車の系譜図」
「日本蒸気機関車史」
「錦絵 幕末明治の歴史」
「決定版 日本の蒸気機関車」
「古写真で見る 明治の鉄道」
(機芸出版社 1968)
鈴木重三(交通協力会 1971)
(日本国有鉄道 1971)
(日本国有鉄道 1972)
臼井茂信(交友社 1972)
金田茂裕(交友社 1972)
小西四郎(講談社 1977-1978)
宮澤孝一(講談社 1999)
原口隆行(世界文化社 2001)



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