第四章 劇場運動の可能性

I.理念

「子どもに豊かな文化を」という劇場の理念は決して存在意義を失ってはいない。93年には「子どもの権利条約」が日本でも批准され、子どもを取り巻く環境に対する社会的関心は近年になく高まりつつある。また、「まちづくり」・「地域の文化」ということがようやく行政の側からも言われはじめるようになり、自治体ごとの取り組み、研究も行われつつあるが、こうしたことは劇場運動が30年あまりの歴史のなかで主張し続けてきたことに他ならない。問題はその理念をどうアピールするかということではないだろうか。単に舞台芸術を鑑賞しようというだけでは、訴える力を失っているのではないかということは2章に述べたとおりである。
ここで大きな力となりうるのは、鑑賞活動よりもむしろ自主活動の実践で積み重ねてきた成果ではないだろうか。「地域における子どもにとっての豊かな文化環境づくりの実践」とされてきた自主活動は、それぞれの地域の劇場でさまざまな実践をこれまで生みだしてきた。そしてそのほとんど全てに共通していえることは、子どもを取り巻く地域の身近な人同士の繋がりを生みだしてきたということである。母親の子育てサークルしかり、青年を中心とした異年齢の子ども集団づくりしかり、中学生交流会しかりである。「豊かな文化環境」とは「人と人との繋がり」と言うこともできよう。地域コミュニティーの崩壊がいわれ、地域の教育力の回復が叫れている今日、このような人との繋がりこそが求められているのではないだろうか。

「つい半世紀前までは残っていた地域社会の子育て機能は、日本の近代化・高度経済成長のなかで解体し崩壊していった。今日、いたるところにみられる教育と学校の荒廃の土台に、地域社会の子育て機能の解体がみられることは、周知のことであろう。だが、地域共同体や家族が解体され利潤追求の手段としての社会システムが組織されていく力は強力であるけれども、同時に、新しい住民の社会的再結合の試みが随所にみられること、そこにはある必然性があることを知らなければならない。今日、広く「地域の教育力」が論じられるのはそのためである。」(現代教育学事典 1988 P538〜P539)

また、増山均はアニマシオン(面白さ・楽しさ・歓びを追求しつつ精神活動を活性化すること)という概念を用い、これが子どもにとっての文化・芸術活動の全体を貫く本質的な機能であるとした上で、次のように述べている。

「アニマシオンを、人間の豊かな発達と家族・地域社会の人々の生活文化の協同と自治の発展のために位置付けること、すなわち余暇・遊び・芸術文化の中から生み出される人々の活力を人間復権の地域づくりに結合していくことが、「文化権」確立と「社会文化アニマシオン」に注目する今日的意義である。」(『子どもの文化権と文化的参加』1995 p48)

劇場の自主活動とはまさにここに言われる「社会的再結合の試み」や「人間復権の地域づくり」と軌を一にするものであるといえよう。「子どもの文化を皆で考え合い、創造してゆく会であること」や「家庭の枠を抜け出し、子どもの集団と大人の集団が対等になれる関係をつくりだすこと」もそれを示している。「劇場の子どもはみんな我が子」と言わんばかりの「劇場お母さん」の存在は象徴的である。劇場の自主活動とはそのまま「地域の教育力回復の試み」として位置づけ直すことができるのではないだろうか。
この視点に立つとき劇場の展開してきた自主活動は大きな意味をもつ。おそらくもっとも古く、もっとも数多い実践を積み重ねてきたことは、劇場運動のこれからにとっても大きな力となりうるものであり、「地域の教育力回復の実践」として学ぶべきものも多い。ともすれば鑑賞活動の陰に隠れがちだった自主活動だが、「子どもを取り巻く人のつながりをつくること」それ自体を目的として広くアピールし、広げてゆくことで、地域文化の発展に大きく貢献できると考えている。
もちろん懸念もある。そもそも劇場の中で鑑賞活動に重きが置かれがちだった背景には、日常的に活発な自主活動を維持してゆくことは、実際問題として難しいという現実があったからである。しかし見方を変えれば鑑賞活動に重きを置く運動だったからこそ、自主活動がなかなか活発にならないともいえる。自主活動が活発にならなくて、外にアピールする時にも鑑賞活動中心に傾き、そのことでまた新たな会員が自主活動にあまり参加せず、やはり自主活動は拡がらないという悪循環に陥っているように思われる。ここでは、はじめに鑑賞活動ありきというのではなく、むしろ自主活動の魅力をアピールすることに重点をおくことが必要であると考える。地域コミュニティーづくりという理念を前面に出し、そこに賛同する市民をつなげることで、新たな劇場運動の広がりが展望できるのではないだろうか。
自主活動に重きを置いた活動を展開してゆくなかで、重要な役割を果たしうるのが「青年」である。今もなお数多くの青年が劇場に関わり続け、子どもを対象とした自主活動の大きな力となっているという事実は、彼/彼女ら青年層にとってこうした自主活動に関わることが魅力あるものであることを示している。実際、鑑賞活動では中学生以上を対象とした作品はあっても、基本的には観客に「子ども」を想定したものが多く、子をもたない青年にとっては必ずしも劇場に関わる動機づけには成り得ないからである。「子どもが好きだから」、「同年代の仲間ができるから」など関わる理由は青年によってさまざまだが、こうした活動があるなら関わりたいという潜在的な欲求は、かなり多くの青年層がもっているのではないだろうか。青年が劇場に関わるということは、親と子どもの間に立つ第三の視点が生まれるということであり、青年が中心となった子ども集団ができることで、「家族」を離れた子どもの世界が生まれることになる。時間的にも経済的にも比較的余裕のある青年は、親集団以上の行動力を持っており、運動を進める上でもその力は無視できない。これからの劇場運動の拡がりは、地域の青年をいかに活動の中に位置づけ、活躍の場を与えることができるかということにかかっていると言ってもよいだろう。


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