第一章 劇場運動の歴史とその理念

2.劇場運動の拡がり

こうして始まった劇場運動は次第に広がりを見せ、一年間で会員は2千名、4年後には6千名の会員を抱える会となった。また、全国的にも長崎、静岡、広島、岡山と拡がってゆき、1970年までに全国に12の子ども劇場が発足し、その後も年に20〜30劇場といった割合で増えていった(会員数では1990年の約52万人、劇場数では1995年の765劇場が最高)。
東京ではなく福岡で発足して、これほど全国に急速に拡がっていったことについては、運動そのものの魅力もあったが、創造団体(劇団)の力によるところも大きかった。全国を回って公演する劇団によって、各地の事情・情報が交換され、劇場運動の情報も伝えられてゆくことで拡がってゆくことができたといえよう。当時、創造団体の多くは非常に経営的にも苦しい状況にあり、公演を行ってもギャラが保証されなかったり、交通費・宿泊費などを加えるとほとんど収入にならないということもある中で、何とかそれでも地域に文化を根づかせようと必死だった。劇場運動のような「観る側」が主体となった運動は、創造団体としても待ち望んでいたものであり、これが拡がってゆくかどうかは彼らにとっても死活問題であったといえる。実際に「劇団」が中心となって人を集め、発足させた劇場もあった。
名前は劇場であっても、教師が中心となってできたところ、市民劇場のバックアップでできたところ、婦人団体や青年団が発足母体になったところなど、その成り立ちは様々で組織の形態などもはじめはまったく統一されていなかった。そうしたことから劇場どうしの交流の必要性がさけばれるようになり、1971年、岡山以西の15劇場で「西日本連絡会」が発足する。これは劇場間の交流とともに、それまで各劇場で個別に行っていた創造団体との交渉を、地域でまとまって行い調整することで、鑑賞活動の合理化と、劇場間の平等化をはかったものである。以後、各地に連絡会が発足し、1974年には91の劇場、11万人の会員で全国連絡会が発足する。


[前ページ]  [目次]  [次ページ]