第一章 劇場運動の歴史とその理念

第一章 劇場運動の歴史とその理念

I.劇場運動の歴史

1.発足の経緯

「福岡子ども劇場」の生まれた1966年ごろというのは、「受験戦争」や「テレビっ子」という言葉が生まれ、流行し始めた頃であり、家庭では核家族化が進行し、それにあわせて地域のつながりも薄れてきつつあるという時代であった。こうした中で、子どもを取り巻く文化的な環境の貧しさに危機感を抱いた人々によって、劇場運動が始まった。「子どもにすぐれた生の舞台を」という共通認識はあったものの、発足に携わった人々の問題意識は多様であった。地域の子ども会などで人形劇の指導をしていた高比良正司は、鑑賞活動と同時に子ども自身の手による劇団づくりを目指し、児童相談所に勤務していた渕上継夫は子ども主体の活動として大人の運営委員会と同時に子どもの運営委員会を提唱し、NHK福岡支局のディレクターだった清川輝基は母親が活動してゆくなかで成長してゆける運動を目指し、また地域の子ども会などに関わって来た青木妙伊子は母親の立場から、そこに集う母親や青年たちが持ちよった夢を実現できる、やりたいことは何でもできる組織にしたいという具合であった。こうした各人の問題意識を運動の中で生かしてゆくことで、劇場運動のあり方が固まっていった。それは以下のようにまとめることができる。

  1. 鑑賞活動と自主活動を二本の柱とし、「観る会」ではなく「子どもの文化を皆で考え合い、創造してゆく会」であること。
  2. 子どもと子どもの文化を愛するすべての人が参加できる、地域の中に深く根をおろした全市民的活動であること。
  3. 鑑賞活動も自主活動も、子どもの成長発達の視点から一つの活動としてとらえ、子どもが創造性を集団的に発揮できるような場を生み出すこと。
  4. 家庭の枠を抜け出し、子どもの集団と大人の集団が対等になれる関係をつくりだすこと。
  5. 母親・青年・子どもが対等に結ばれ、その特性を十分生かしながら、いきいきとした研究・創造活動を定着させてゆくこと。
  6. 子どもを集団的な関係の中でとらえるためには、大人自身が集団的な話し合いや行動に慣れなくてはならない。そのためにはみんなで考え合い、皆で決めたことだけを実行する。さらにその中で、一部の人が「観せてやる」「つくってやる」会ではなく、会員一人ひとりのものであることを実践的に確認してゆくこと。
「劇場」という名称には「鑑賞団体」としての側面と、子どもがより豊かに表現し、生き生きと活動する「広場」としての意味がこめられている。劇場運動とはそんな子どもにとっての「広場」となるべき、文化環境づくり・地域づくり・人の繋がりづくりであるといえよう。


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