ドラマキャンプのあゆみ − オクッシーから月夜野へ −


私たちが『ドラマ』をもちこんだキャンプを行ないだしたのは、昨年1982年からである。
まずは、この1982年『オクッシーキャンプ』から話しをすすめていこう。(参照:オクッシー探検のあらすじ)
このキャンプは、いままで子どもキャンプで行われていた諸活動をオクッシー物語によって統合し、キャンプ自体を「もうひとつの別の世界=ファンタジーの世界」へひきこんだキャンプであるといえる。子どもたちと空想(ファンタジー)の中でかかわりあい生活することのできたこのキャンプは、子ども劇場ならではのキャンプのひとつであったのでは、と私たちは考えている。

それでは、なぜ、このようなキャンプを考えだしたのかといえば、一昨年('81)のキャンプの問題からである。それまでのキャンプには見られなかった、人の失敗を喜んだり、ちゃかしたり、しらけたり、という動きがその中で一部見られたのである。ここに私たちは問題意識をもったのである。
これは単に生活の問題ではなく、文化の問題である、と私たちは考えた。「しらけることがカッコイイ、まじめブリッ子はダサイ」という文化によって子どもたちはかこまれていることを私たちはあらためて思いしらされたのである。
子どもたちをとりまく文化環境をなんとかしよう、というところで生まれたのが劇場であり、「共通のすぐれた文化の中で語り、生活できるひとつの社会モデル」であるなら、この文化状況をなんとかしなくてはならない。そうでなければ、子どもたちや私たちの日常をしめている「しらけ・ちゃかし」文化によって蝕まれていく可能性が大きい、と考えた。そして、文化をもって文化に立ち向かうことのできる数少ない団体のひとつが子ども劇場なのだ、と考えたのである。
その後、私たちはこの考えにもとづき、青年も創り子どもも創る活動を、ということで「子ども文化祭」にとりくんだ。青年も文化的に豊かになることにより子どもにかかわっていく、というこの自主活は大きな成果をあげることができた。そして、この文化祭を通し、品川にもやっと青年部が発足し、この活動で活躍したメンバーが核になり、1982年のキャンプのとりくみが進んでいくのである。

「今まで以上に、文化的に豊かなキャンプ・子ども劇場ならではのキャンプ」ということが集中的に話し合われ、きゃんぷ自体をドラマ化する方向が表われた。やがて、数々の無駄話(創造の原動力)とともにオクッシーキャンプがうかびあがってきたのである。
しかし、私たちには不安があった。「しらけ・ちゃかし」文化の中で、はたして3日間、子どもたちをドラマに集中させることができるのだろうか、とうことであった。
だが、同時に確信もあった。まず第一に文化の質が全体的に高いということである。劇場の子どもたちはファンタジーの楽しさを知っており、青年もドラマの中で生きた経験(劇作り等で)のある人が多い、ということである。第二に品川は当時会員が400名程で定着率が高く、子どもひとりひとりの状況がよくつかめていた、という点である。第三に、その中で、キャンプでの生活指導の課題が(ひとりひとりについて)話し合われていた、ということである。さらに第四に、高学年(6年)や中学生が育ってきており、ドラマを支えていけるメンバーとして期待できた、という点である。

こうしてオクッシーキャンプはとりくまれ成功し、以下の成果をあげるのである。
  1. 私たち以上に、自然や子どもたちがドラマを支え豊かなものにした。(自然は不思議にあふれ、子どもはファンタジーの住人である。)そして、自分たちが作りだした文化を楽しめ、豊かにすることのできる子どもたちがリーダーシップをにぎり、「しらけることがカッコイイ」という歪んだ文化をこえ、「しらけ・ちゃかし」文化に影響を受けそうになっていた子さえもまきこみ、キャンプを成功させた。
  2. 中学生が本部で、あるいは班長として大活躍した。そして、その評価が青年とお母さんたちの間でしっかり確認された。ここから中高生誕生のきっかけが生まれてくる。
  3. 青年集団が量的にも質的にも大きく成長した。自分のすばらしさ、おもしろさに気づき、劇場の醍醐味を知ることができた。また集団としてのすばらしさを知り、キャンプ以降も青年の活動が活発になったのである。
さて、このように、キャンプ諸活動をドラマによって統合し、ファンタジーの中で、生活するすばらしさを発見した私たちは、1983年「月夜野キャンプ」でひとつのドラマキャンプの典型を作りだすことになるのである。
83年3月、初めて(今までは同じ場所・同じ日程、別プログラムで行われていた)親子キャンプ、子どもキャンプが別れることが決まり単独に子どもキャンプ実行委員会が開かれた。始まってみると、この実行委員会は、今までの実行委員会にもまして、白熱した討論のつづく会となっていた。
それは、ひとつには、オクッシーキャンプ以後、熱くなった青年部が、劇作り等を通し集団的に成長したからであり、もうひとつには昨年まで、お母さんたちにやってもらっていた事務的なこと、食糧、衛生、渉外などもすべて青年部が自分たちでやらなければ、という気負いにも似た意気込みからであった。
オクッシーキャンプの中で生まれた成果を大切にしながら、より生活面での充実と集団的な運営体制を確立することをめざした討論は30数回にわたった。(オクッシーキャンプにおいて、ドラマ作りに本部が力点をおいたため、例年より生活面でのとりくみの弱さが指摘された。生活指導については班の指導員まかせになることが多く、全体として保障しきれなかったのである。また、青年部としてキャンプに責任を持つ体制にはなっていたが、まだ青年ひとりひとりが成長しきれず、特定の個人が走りまわる、という状況があった。そこで、そのふたつがキャンプをとりくむはじめの課題となったのである。)それて数々の「てびき書」(参照:資料編)を生み出し、ドラマを充実させるための生活基盤作り、生活を豊かにするためのドラマ作りが考えられていくのである。
さらに、劇をもって地域をまわり、キャンプ説明を行なった地域例会。4回の下見(第2回は二泊の基本調査)。それらすべてに青年部は集団的にとりくみ、まさにキャンプの第一の課題を達成していくのである。

こうして、「月夜野キャンプ」はとりくまれ、「オクッシーキャンプ」からのドラマキャンプの一つの典型を完成させるのである。

★「月夜野キャンプ」の詳細については、「月夜野キャンプ とりくみ」以降をごらんください。

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