雑誌に掲載された辻沢杏子さんの記事を出来るだけお知らせします。

2000年12月5日発売 週刊アサヒ芸能 20世紀のいい女 美少女篇
「リンゴちゃん」と呼ばれた少女がデビューしたのは、ちょうど20年前のこと。
辻沢杏子(38)は、それから何度も転機を経験した。
                    *
「実は2年半ほど芸能活動をお休みしていて、再開したのは1年前からなんですよ」
 意外だった。てっきり「勤続20年」かと思っていたが、さて、空白の2年半には何があったのか・・・・。
「結婚したんですよ、1度。相手は15歳も離れた実業家の方で、私の特殊な女優という仕事も理解してくれるかなと思ったんです。
でも・・・・ズレがありました。同時に、やっぱり女優の仕事をやりたいと強烈に自覚して、離婚して復帰したんです」
 その経験のせいだろうか、かつては丸顔の健康的アイドルだったのが、オトナの艶を身にまとっている。
「再婚は考えないけど、恋はしてますよ。ただ私、自分からガーツとのめり込んだのって、デビュー直後のときしかないんです。
撮影で遅くなっても、睡眠時間を削ってでも会いに行ってたのに、その彼が事故で亡くなって。
以来、臆病になってたけど、今は出会いを大切に、積極的になろうと意識を変えました」
 そのデビューとは、80年の学園ドラマ「ただいま放課後」(フジテレビ)だった。
ここで辻沢は、その後の女優業を左右するような言葉を聞く。
「当時はフィルムで撮ってたから、段取りのダの字もなくバタバタと進むんですよ。
慣れない私がモタモタしていると、監督に『女優はお前だけじゃねえ』って。
そのセリフを胸に刻んで、いっか見返してやるって気持ちで続けてきました」
 当たり役となったのは、同じくフジのラブコメドラマ「翔んだライバル」の”リンゴちゃん”である。
「柳沢慎吾さんたちと、やたらバカバカしくて楽しいドラマでした。あれから20年なんて、あっという間ですねぇ。
だって当時は歌も出してグラビアもやって、目の前のスケジュールをこなすので精いっぱいでしたから」
 アイドルから脱皮したのは20代半ばになってから。
86年には主演映画「大奥十八景」で、88年には写真集で均斉の取れたヌードを披露した。
当時はまだヘアヌードの時代ではなかったが、今、そんなアプローチが来たら・・・・。
 「どうでしょう、それが1つのきっかけになるなら、やると思います。きれいごとじゃ済まされない時代ですしね」
 復帰後も時代劇やサスペンスドラマを中心に、以前と変わらぬ露出はしている。
ではあるが、「第2幕」に賭ける本人の意気込みはさらに強い。
「やってきましたよ、殺人犯の役も死体の役も(笑)。これからは何か違ったことをアピールしていきたいなと思います。
具体的に言うと、芝居の中に"遊び"ができればと。ただ漠然と役に没頭するだけじゃ、ダメでしょうね」
「女優は一生の仕事」宣言である。
2001年1月24日発売 日刊ゲンダイ あの人は今こうしている
http://gendai.net/contents.asp?c=071&id=1656
2001年6月28日発売 ヴァッカ 妖艶!初ヘアー
2001年7月2日発売 週刊ポスト 「離婚とヘアヌード」初告白

 今から20年前、学園テレビドラマ『翔んだライバル』の”リンゴちゃん”役で、一躍、時のアイドルとなった辻沢杏子。

その生唾ものの肢体はカラーグラビアページをご覧いただくとして、あの清純派アイドルが、完熟した女になるまでには紆余曲折があったようだ。

彼女がへアヌードを披露した理由とは。

 「あの当時は胸だけじゃなく、体全体が肉っていう感じでしたからね。

人生にモマれて、落ちるべきところの肉は落ちてくれたんだと思います」

 かつてはふっくらしたタイプで”巨乳アイドル”ともいわれた辻沢。

だが、記者の前に現われた彼女は、ストレートのボブヘアで、均整のとれたボディをシックな黒のワンピースで包み、女の色香を漂わせている。

 実は彼女、95年の結婚を契機に、2年半ほど芸能活動を休止していた。

「相手は15歳年上の会社社長でした。私自身、芸能活動を休む気はまったくなかったし、結婚後も続けていいという約束だったんです。

 でも、実際、一緒になると、彼の会社の仕事もあるし、できる状況にない。

それで、段々鬱憤がたまっていったんです」結局、3年半を経て、離婚に至ったのだが、原因は意外なところにあったという。

「実は、セックスレス夫婦だったんです。

彼とは結婚する前に4〜5年付き合っていたんですけど、最初のころは普通のカップル(笑い)。

でも、結婚してからは、仕事が忙しいせいもあるんですけど、お互い話もなければ、関係もなくなって・・・・。

 何が恋しいかって、温もりが恋しくなってくるわけです。

手をつないだりするだけでもいいのに、それもなくなってきた。

コミュニケーションが全然ないから、一緒にいる意味がなくなってきたような気がして。

もちろん、それだけが離婚の理由ではないですけど」

 今回、ヘアヌードを披露したのも、その離婚が契機になったのか。

「というより、結婚して完全に芸能活動をお休みしてみて、初めて”私はお芝居が死ぬほど好きだ!”っていうことがわかったんです。

やっぱり、芸能界で仕事をしたいと。

それで、離婚した後に写真集の話があった時、まず、今の辻沢杏子のありのままを見てもらいたいと思ったんです。

 体のラインとかは若い子には全然かなわないですよ。

でも、今の私の色っぽさと、3年半抑えていたパワーが爆発してますから、素敵な写真集になっていると思います」

 撮影は、イタリアで現地スタッフ中心に行なわれた。

「私、これまでに3冊写真集を出してるんですが、今回撮影して下さったイタリア人のカメラマンは、今までの方と撮影手法が全然違うんです。

 たとえば、私のパンティの前に、さりげなくチェスの駒を置いたりとか。ネ、意味深でしょ(笑い)。

あと、足の親指の先からとか、これまでにないアングルで迫ってくる。

 私もノってましたから、今回は、”カメラに犯される”というより、カメラを犯すような気分で迫っていったんです(笑い)」

    最愛の彼の突然の死

今では積極的に”カメラを犯す”ほどの辻沢だが、デビューした当時は、清純派アイドルそのものだった。

「『翔んだライバル』の頃は、共演者の柳沢慎吾さんとかといつもキャーキャー騒いでいて、スタッフから”うるさい!”って怒られたり・・・・ホント、あの頃は子供でしたね。

ディスコに行くのもドキドキしていたぐらいで。

 私、芸能界に入ってからもずっと親と一緒に生活していましたし、門限は11時でしたから」共演者とも何度か食事をしたぐらいで、恋に発展することはなかったという。

 というのも、「リンゴちゃん」当時、すでに高校時代から交際していた恋人がいたからだ。

「1歳年上の人でした。仕事を始めてからは、忙しいし、門限もあるしで、なかなか会えなくなって寂しい思いもしました。でも、私の両親にも紹介していたし、真面目なお付き合いだったんです。もちろん、初めての相手でもありました」

ところが、辻沢に突然の悲劇が襲いかかる。

86年に、彼に事情ができ、実家のある福島へ戻った。

 一方の辻沢は大人の女優に脱皮するべく映画『大奥十八景』(東映)で大胆な濡れ場を披露していた。

「撮影中のある日、”彼が交通事故で重傷”っていう知らせを受けたんです。

仕事の最中、福島の病院へ駆け付けると彼はすでに脳死状態でした。

 そして1週間後に亡くなったのです。信じられなかった。(目に涙をうっすらと浮かべながら)8年も付き合った仲ですから・・・・。

 それからの2年間は、いったい何をして生きていたのかもわからない。

メチャクチャ自暴自棄になって、自分が死ぬことばかり考えていました・・・・」

 そして88年、彼女はヌード写真集を出している。

 恋人の死を乗り越えた彼女の自己表現でもあったのだろうか。

 その美貌ゆえか、これまでは、男をたぶらかすような小悪魔的な役が多かったという彼女だが、これからはいろんな役柄に挑戦したいともいう。

「人生でいろんなことを経験して、たくさん引き出しもできましたしね。

それに、仕事だけじゃない。今、好きな人もいますし、恋も頑張りますよ」

 過去の苦難も”引き出し”と表現できるようになった辻沢。

ここで、再度、カラーグラビアをご覧あれ。その表情や肢体から、深く刻まれた彼女の人生が見えてくるようではないか。

いや艶っぽい。

2001年7月6日発売 FRIDAY 辻沢杏子「神話復活」ヘア・ヌード
2001年7月9日発売 週刊ポスト 大反響第2弾辻沢杏子「秘蔵最過激カット」
2001年7月19日発売 日刊スポーツ 辻沢杏子ヘアヌードは「抵抗なかった」
「八方組−」出演

TBS系ドラマ「いのちの現場から7」(月〜金曜 午後1時30分)に出演中の女優辻沢杏子(39)が18日毎日テレビ「八方組ごくろうの妻たち」(月〜金曜午前10時20分)にゲスト出演、最近出版した初のヘアヌード写真集などについて語った。辻沢は2年前に離婚し、女優業を再開するにあたり、初のヘアヌード写真集「RINASCITA」(バウハウス)を発表した。辻沢は「写真集は10年ぶりですが、ヌードには抵抗がなかった。おかげで女性に評判がよく、とてもうれしいです」。現在は事務所に所属しておらず「結婚より大事ですから、じっくりと考えて(事務所を)決めたい」と話していた。

2001年8月6日発売 週刊大衆 SEXY美女にインタビュー

  いい女にはSEXも必要よ ウフフ 4年間の”人妻生活”が女に磨きをかけてくれたわ

 

 男はもちろん、かつて、これほど女性のハートをも騒がせた写真集があったろうか。

コギャルが、その完壁な肉体美に「ウッソー」と叫び、20代のOLが「負けた」とガックリ肩を落とした。30代の女性は「頑張れば私だって」と目を輝かせている。

 39歳の美熟女が惜しげもなく披露してくれた、ヘアヌード。どうすれば、これほど美しいポディを保持できるものなのだろう。男の股間を激しくヒートアップさせる究極の写真集が、ここに誕生した。

                       ※                              ※

−− いや、参りました! いまだに下半身がボワーンと熱中症状態です。

辻沢 ウフフ……。

−− 本当に39歳なんですか。逆サバ読んでません?

辻沢 フフ、どうして?

−− だって、39歳といえば、40の一歩手前ですよ。

辻沢 当たり前じゃありませんか(笑)。

−− なのに、このオッパイと身体のフォルムの見事さ。逆三角形のヘアも素晴しい。ミロのビーナスだって、本気で妬いてスネちゃいますよ。

辻沢 素直に”ありがとう”っていわせていただきます。

−− どうやれば、こんな完璧ボデイを維持できるんですか。何か魔法の薬でもあるんですか?

辻沢 別に、これといって特別なことはしていないんです。強いていえば、毎日の軽いシェープアップ体操ぐらいかな。ちょっとキザないい方を許してもらえれば、神様が両親を通して、この身体を授けてくださったのかも。フフフ・・・。

−− 今度の写真集は、ロケはローマとその周辺で、カメラマンはイタリア人ですよね。

辻沢 ええ。これまで写真集を4冊出しているんですが、いずれも日本人のカメラマンだったんです。同じ写真を撮るのに、こんなにも違うのかと驚いちゃいました。

 今度、撮ってもらったカメラマンは、ジャンフランコというイタリアでも指折りの有名な人なんですが、向こうには、日本みたいに、グラビアならグラビア専門のという力メラマンはいないんですよね。

 ジャンはミラノ・コレクションのファッション写真でも有名なカメラマンなんです。日本のカメラマンの方と一番違うのは、撮影ぺースとシャッターを押す回数かな。とにかく、ゆっくりノンビリペースなんですよね。それに日本の場合だとワンカットを撮るのに、もう何十回、ときには何百回とシャッターを切られるカメラマンがいらっしゃるんですが、こちらが拍子抜けするぐらいシャッター回数が少ないんです。決して、フィルムをケチっているということではないと思うんですが(笑)。

−− 他には?

辻沢 アングルの取り方かな。足のつま先にカメラ目線をおいて、そこから舐め上げるようにアップしていくとか・・・。また、私の下腹部の微妙な部分にチェスの駒を添えてみたりとか。発想がユニークなんですよね。

−− 口説かれたでしょ。

辻沢 フフフ、なにしろイタリア人ですからね。女性がいると、甘い言葉をかけるのがエチケットというお国柄ですからね。

 私も毎日、声をかげていただきました(笑)。ジャンも、1時間おきぐらいに、「Kyoko、きれいだったよ。とってもきれいだよって」

 彼、日本語はまったく話せないんですが、そのフレーズだけは通訳の人に教わったらしいんですよね(笑)。

 最初、とまどったのは、例のイタリア時間というやつなんです。朝10時集合となっていても、イタリア人スタッフはひとりも現われない。でも遅刻しても、まったく悪びれた様子はないんです。それはもう”お見事”というしかないほど堂々とした態度なんです(笑)。

 結局,撮影がスタートするのは昼からなんですよね。しかし、そうしたゆったりぺースが、結果的にはいい写真につながったんじゃないかと思うんです。写真集を見たファンの方が、ホームページに「10年前よりきれいになったよ。いい女になった」とメールを入れてくださったのを読んだときは、感激しちゃいました。

−− デビューは遅かったんですよね。

辻沢 高校生になってから劇団『ひまわり』に入ったんです。それまでの私って、引っ込み思案でおとなしくて、真面目一直線の女の子だったんです。そんな自分を変えてみたい、変わりたいと思っていたんです。変身願望ですよね。そんな折に、『ひまわり』の劇団生募集の広告を見たんです。”これだ”って!

 それまで学芸会なんかでも、科白のある役なんか、もらったことなかったんですが(笑)。

−− そして『ひまわり』からプロダクションにスカウトされて、アイドル歌手デビュー。坂本冬美さんや酒井法子さんを押し退けて新人賞総ナメ。

辻沢 フフ・・・そんな時代もありましたよね。でも、歌手生活はシングル4枚、アルバム一枚出して結局、2年でピリオドを打ちました。その後、事務所の意向もあって、女優としてテレビドラマや映画、舞台へとシフトしたんです。いまでは、カラオケでKiroroや高橋真梨子さんの曲を歌うぐらいです。

  肌の温もりを感じていたいの

−− ですが、突然の結婚発表にはビックリしました。

辻沢 トントントン・・・という感じで進んじゃったんですよね。23〜24の頃、すごい結婚願望があったんですが、それを過ぎてから、一生、シングルライフでもいいかなァと思っていたんです。

 ところが、ゴルフを通じて彼と知り合って「結婚しようか」「しよう」ということになっちゃって。33歳、女の大厄の年でした。結果的に、その年回りがよくなかったのかもしれないな。なにしろ、大厄ですものね(笑)。

−− 結婚生活は、どれくらいでした?

辻沢 4年間でした。

−− 仕事を辞めて家庭に入ることに、抵抗はありませんでしたか。

辻沢 なかったですね。中途半端というのがイヤだったし、そのときは、”いい奥さん”になろうと決心していましたから。

−− で、実際に、いい奥さんになれました?

辻沢 ハイ。自己採点では100点満点の、いい奥さんしてました(笑)。

 いがみ合って別れたんじゃないんです。離婚理由を、ひと言でいうのは難しいんですが、だんだん夫婦の話し合う時間が少なくなっていったというのもあるんですよね。主人は会社を経営していたんですが、とにかく忙しい人だったんです。仕事もさることながら、いろんなおつき合いのスケジュールが、ビッシリ詰まっているんですよね。その一部でも部下の人に任せればいいのに、それが性格的にできない人だったんです。

−− いつもお留守番で、寂しかった?

辻沢 いえ、私も経理の仕事を手伝っていましたし、とにかくお客さんの多い家だったので。その接待で寂しさを感じている暇はなかったんです。ただ・・・。

−− ただ、どうしたんです。

辻沢 誤解を恐れずにいっちゃうと、徐々に男と女の関係でなくなってきたんですよね。セックスって、大事なコミニュケーションのひとつじゃないですか。それがなくなってきたんですよね。女って、セックスするしないは別に、好きな男の肌の温もりを感じていたいものなのよね。手をつないで寝るだけでもいい。肌に触れて、その温もりを感じられればいいんです。そんな時間がなくなってきたんです。

−− それって、本当の話ですか。作ってません?

辻沢 えっ、どうして?

−− だって、こんないい女に食欲が湧かない男がいるなんて、信じられませんから。

辻沢 ウフフ・・・。それが、なぜか、いたんですよね。

  お酒を楽しく飲める人がいいな

−− あのう・・・ちょっと聞きにくいことを聞いていいですか。

辻沢 構いませんよ。遠慮なさらずにどうぞ。そんな急に小声にならなくっても(笑)。

−− ・・・辻沢さんのベッドが人一倍、情熱的だとか激しかったとか!?

辻沢 ハハハ、それはない。ありませんってば。さっきもいったように、セックスそのものはなくってもいいんです。軽く抱擁されるだけでもいい。温もりを感じられればよかったんです。

でもね、でも・・・。確かに女にはセックスは絶対に必要なモノだと思うんです。言葉を換えていえば、いい女を保つためには、いいセックスは欠かせないと思うのよね。一般論だけど、セックスがなくなった女って、早く枯れてしまうんじゃないかなって。4年間の結婚生活は、それなりに充実していたし、女としての私に磨きをかけてくれたと感謝しているんです。

−− さて、今度の写真集をバネに、女優業に邁進されるわけですよね。

辻沢 目標は岩下志麻さんなんです。志麻さんのように年輪を重ねていきたいな。何が凄いっていって、あの人のように、奔放自在に役を演じ分けられる女優さんはいないと思うんです。『極妻』での姐さん、映画『霧の子午線』での暗い過去を引きずっているインテリ女性、そして、少しトボげた明るい奥様役。どんな役でも演じ分けられるんですよね。まるで、生きてる”演劇博物館”(笑)。

それに、市原悦子さんのコミカルで存在感のある演技力も大好き。このお二人の魅力が、私の中にゲットできれば最高だな。ちょっと、欲張り過ぎかな。

−− 現在進行形の彼は、いらっしゃるんですか?

辻沢 ウフフ。”心に秘めた片思いの彼はいます”なんていってみたいんだけど。でも現実は・・・オープン状態なのよね。どなたか手を挙げてくださる方は、ホームページヘアクセスしてみてください。

−− 好みのタイプは?

辻沢 若い頃は、三浦友和さん、渡辺謙さんだったんですよね。

−− いやぁ、これは敷居が高過ぎて、素直に退散しなくっちゃ!

辻沢 それは昔の話。いまはガラッと変化したんです。男は容姿よりもやっぱり中身ですよね。何よりも清潔感があって、品のある人。品があるというのは、礼儀作法がしっかり出来ている人という意味なんです。それと、お酒を一緒に楽しく飲める人ですね。

−− それでは、最後に2001年後半への抱負を聞かせてください。

辻沢 写真集の売り上げはもちろんのこと、話題性においても大爆発させること。そして、女優としてテレビ、映画、舞台に貧欲にチャレンジすること。機会があればバラエティーなんかにも挑戦してみたいんです。それと、頑張って、もっともっと”女”に磨きをかけることかな。フフフ・・・それには素敵なセックスが必要ですよね。素敵な彼を見つけなくっちゃあ!

                          ※                              ※

年月とともに人間の肉体が衰えるのは、人間の悲しき宿命だ。だが、ここに年輪とともに輝きを増し、より美しさが倍増した肉体が出現した。この写真集を見ずして、女性ヌードを語るなかれ。

 ああ、この神々しいまでの肉体に触れてみたい。セックスしなくてもいいから、肌の温もりを感じてみたい!男の永遠の憧れだ。

2001年82 4日放送 ランク王国 月間アイドル写真集 売上げTOP10
http://www5.justnet.ne.jp/~y.nakamura/rank/20010824.html
2001年827日発売 週刊ポスト 彼女自身が選んだ「ベストコレクション」を一挙!
2002年10月31日発売 日刊ゲンダイ あの人は今こうしている

元アイドルの辻沢杏子さんは3年前、15歳年上の実業家と離婚。毎日、スポーツジムに3時間通い、去年、ヘアヌード写真集を出したが以来、シェイプアップがクセになっちゃったそうだ。

 

昭和56年4月から半年間放送された学園コメディー「翔んだライバル」(フジテレビ)。主演の柳沢慎吾の相手役”リンゴちゃん”で人気だったのが辻沢杏子さんだ。アイドルとして歌を出したり、映画で突然ヌードになって男性ファンを喜ばせたり……。今どうしているんだろう。

辻沢さんと会ったのは地下鉄銀座駅近くの喫茶店。

「最近、ワタシ、『あの人は今』づいてますね。この前もテレビからお話があって。3年半のブランクの大きさを思い知らされました」

辻沢さん、まずはこういった。「平成7年5月に15歳年上の方と結婚して家庭に入りました。主人は会社を経営していて、とにかく忙しく、ワタシも手伝わざるを得なかった。それで疲れ果てて家に戻り、昔の仲問や友達がテレビでガンバってるのを見た瞬間、”お芝居がしたい!!”って無性に恋しくなってしまったんです。子供が欲しかったのに、なかなか恵まれなかったとか、他にもいろいろ理由がありましたし……。」

かくして平成11年に離婚し、芸能界に復帰。13年にはヘアヌード写真集「RINASCITA」(バウハウス)を発売した。

「年齢なりの輝きをどこまで表現できるか、っていう自分への挑戦でしたね。半年以上かけ、しっかり体をつくりましたよ。毎日スポーツジムで3時間は過ごし、5から7キロ走り、炭水化物や油抜きの食事をとる。確かに最初はつらいけど、続けてるうちに代謝が良くなるのがわかり、楽しくなるんです。以来、クセになっちゃって、今も続けてます。」

写真集は2万部を完売。また、最近はVシネマの「ミナミの帝王」や2時問ドラマに出ているそうだ。

 

『「翔んだライバル」の”リンゴちゃん”で入気者に。「あの頃は161センチ、55キロとムチムチだったんです』

 

さて、辻沢さんは昭和55年、「ただいま放課後」(フジテレビ)の生徒役でデビユー。翌56年、「翔んだライバル」のヒロイン”リンゴちゃん”役でアイドルになった。

「でも、あの頃は身長161センチで体重が55キロもあったため、もうムチムチだったんですよ。毎日、ダンボールー箱くらい届くファンレターにも、”どうしてそんなに太ってるんですか?”とか、”母に、こんな太ってるコのどこがいいのっていわれました。だけど、リンゴちゃんが大好きです”なんて励ましの言葉が書かれていました、ハハハ。」

 59年、「さよならMr.・・・」で歌手デビュー。メガロポリス歌謡祭最優秀新人 エメラルド賞などを受賞する一方、61年には「大奥十八景」(東映)に主演、大胆なヌードを披露した。

「脱ぐことには全然躊曙ありませんでした。女優になったときから覚悟はできていて、母にも”インパクトがあることをやらなきゃダメよ”っていわれてましたから」都内のマンションに母親とふたり暮らし。「再婚する気は正直、全然ありません。子供ももういいかなって感じ。それより、今は演じられる場があれば何でもやりたいって気持ちです。」

来年初め、再びヌード写真集を出す予定だ。

2002年12月16日発売 週刊現代 「伝説のアイドル」がいますべてを脱ぎ捨てた!
2002年1224日発売 週刊アサヒ芸能 「永遠のりんごちゃん」辻沢杏子 未公開フルヌード
2002年1224日発売 週刊文春 大告白 元アイドル6人 
芸能界のエロ爺・セクハラ・職場不倫
2003年28日発売 FLASH 辻沢杏子が晒した「完熟リンゴ」ヘアヌードの美味
2003年2月10日発売 週刊現代 辻沢杏子 熟々になったアタシ
2003年 7月14日発売 週刊現代 辻沢杏子 最高のヌード
 青春ドラマの永遠のマドンナ
話題をさらった衝撃のヌードをベストセレクション
2003年 8月10日発売 月刊TVサル 80s アイドル・ゴーランド
ドーナツ盤の天使達 辻沢杏子

 今回のゲストは、30歳以上の人ならきっと覚えているはずの、『翔んだライバル』のリンゴちゃん、辻沢杏子さん。

当時は、とにかくカワイイ女の子だったけれど、歳を重ねるに連れて、どんどんイケてる女へと成長していった彼女。なんでそんなに色っぽくなっちゃったのか、ぜひとも聞き出さねば!

女性の年齢のことを話題にするのは、とっても失礼。それは知っているけれど、書かずにはいられない。だって、あの”リンゴちゃん”の辻沢杏子さんが、もう40歳を過ぎているだなんて!

18歳のとき、たのきんトリオ主演のドラマ『ただいま放課後』でデビューしたのが80年なんだから、当たり前のことだけど・・・。あの頃のあどけなさとは違う、大人の女の魅力を身にまとった辻沢杏子が目の前にいる。やっぱり、この23年の間には、それなりの修羅場をくぐり抜けてきたのではないだろうか?
 

劇団ひまわり入団直後リンゴちゃんで大ブレイク


「何を血迷ったか、想い出作りになるようなことをしようと劇団ひまわりに入団して、あっという間に『ただいま放課後』の出演が決まってしまって。入団してから、たった3ヵ月でのオーディションでしたから、演技の勉強は現場でしたようなものなんですよ」

 普通、劇団ひまわりのような大きな劇団では長い下積み時代があるものなのだが、彼女はすぐに目に止まったらしい。杏子さんのお母さんは、番組ディレクターに「彼女には光るものがあるので、ぜひやらせてほしい」とまで言われているのだという。だから、その翌年の『翔んだライバル』での大ブレイクも、彼女の魅力を持ってすれば当たり前だったのだ。

「でも、自分が芸能界でやっていく自信なんかなくて、高校の先生に『就職はどうするの。まさか芸能界でやっていけるつもり?』と言われたときには、『一応、就職しておいたほうがいいかも』なんて思っていたんです。でも、先生の言葉にカチンときた母親が『本人の意志に任せますから、ご心配はいりません!』なんて啖呵を切っちゃって(笑)結局、就職活動はしなかったんですけれど」

 22歳のときには、歌手としてデビュー。それまではドラマの現場というアットホームな空気の中にいたが、歌手になって環境は一変した。歌の仕事は、営業、取材、移動と分刻みのスケジュール。

共演者と仲良く和気あいあい、なんていう時間もない。体はボロボロになりかけていた。

「歌をはじめて1年くらい経った頃、自宅で倒れてしまったんです。急性胃炎だったんですが、その日の仕事をキャンセルしてほしいとマネージャーさんに電話をしたら『休んでもいいけど、現場で倒れてくれないかな?』って言われた。結局、その日は現場に行って、仕事も最後までやりましたけど、この一件ですっかり人間不信ですよ。自分の身は自分で守るしかないんだって、心から思いました。そのお陰で、しっかりと健康管理をするようになりましたけど」

 

濡れ場を演じるのは女優としての登竜門

 

 こんなこともあって、「歌は自分に合わないかもしれない」と思い始めたという杏子さん。

「歌って、結局3分間しかないじゃないですか。私にとっては、3分間で自分を表現することは難しかった。時間的に忙しかったこともあるけれど、歌を歌っていたときって一番痩せているんですよ。今見ても、このときだけ全然体型が違うから、自分でも『よっぽど、苦労したんだな』と思っちゃいますよね(笑)」

 自分の道を”女優”と決めた彼女に、絶好のチャンスがやってきたのは86年のこと。映画『大奥十八景』の主演という、大きな仕事が舞い込んできたのだ。この映画では、大胆な濡れ場シーンを演じたことが話題になったが、これをきっかけに”清純派アイドル”のイメージを払拭することもできた。

「濡れ場って言うのは、女優の登竜門として当たり前だと思っていました。それに、話題性だって必要でしょう?とにかく、初めての時代劇で、初めての主演映画。ものすごい緊張感の中での仕事でしたけれど、周りはベテラン俳優さんばかりでしたから、色んなことを教えてもらいながら作っていったんです。印象深いのは、映画のプロモーションのために、女子大学をまわったこと。濡れ場ばかりが話題になりましたけど、純愛ストーリーで、ぜひとも女の人に見てほしい映画だった。見てくれた女子大生たちの反応がとても良かったのが嬉しかったですね」

 この映画の撮影中には、芸能界入りする前から交際していた男性が交通事故死するという、悲しい出来事もあった。当時は自殺することばかり考えてたというほどショックを受けたが、それでも完成した映画だけに、思い出深い作品なのだろう。

 その後もヌード写真集を発売するなど、女としてあぶらがのりきったと誰もが期待していた95年、1歳年上の実業家と結婚。芸能界の活動は休止してしまった。.

「実は、私が結婚した日って、貴乃花関と景子さんが結婚した日と同じなんですよ。だから、『どっちが早く別れるかねえ?』なんて言っていたんですけど。うちでした(笑)。家庭のことをやりながら夫の仕事を手伝ったり、すごく忙しい毎日でしたが、やっぱり女優の仕事がしたくて・・・・。テレビで友だちが芝居をしているのを見たりすると、取り残されたような気がして、すごく辛かった」

 もちろん、夫婦間のことだから、理由はそれだけではないのだけれど、結婚から3年半で離婚。彼女は、活動休止から2年半後に芸能界復帰を果たした。

「芸能界に復帰して最初の仕事は、2時間ドラマのちょっとした役。でも、ものすごく心地よい緊張感があって『あ〜、戻ってきたんだ』って。この緊張感は麻薬のようなもので、一度味をしめちゃったら、二度と離れられないんですよ」

 

ヌード写真集発売で女性ファンが増えた!

 

 復帰後は、ヘアヌード写真集を発売したり、悪女的な役柄での出演が多くなるなど、セクシー路線が目立った杏子さん。当時のインタビュー記事を読んでも、過激で男性を喜ばせるような発言が目につく。まるでプライベートでも悪女になってしまったようだった。

「どれも本当の気持ちで、"女にとってセックスは必要なもの"なんて言ったりしたのも本心。ただ、ヌード写真集のプロモーションの関係で、自然とそういう話題が増えたということはあるけれど。ヌード写真集に関しては、それも自分の作品だと思っています。辻沢杏子という作品を、自分で演出して、自分で演じるという感じでしょうか。ヌード写真集では、女性ファンも増えたんですよ。たくさんの方からファンレターをもらいましたけれど、男性のお手紙でも『興奮しました』なんて書いてませんでしたね。興奮していただいても良かったんですけど(笑)」

 今年2月発売の写真集『FANTASTICO』が、「これ以上できない!」と自負する出来映えのため、今後は写真集の発売を考えていないというが、「いつもファンを裏切り続けたい」という彼女。これからだって、どんな辻沢杏子が飛び出すか分からない。

「結婚して家庭に入るのもいいかもしれないと思ったけれど、一生やっていくのは女優だって分かった。今のテレビ界では私たちの世代が中心になって作っていくのは難しいけれど、絶対に、いつか私たちの時代が来ると思ってます。5年後、10年後には座長をやれるような女優になってますよ!」 最近は、杉田かおるさんとお酒を飲むのが楽しいんだとか。杏子さんと杉田かおるさんが飲んでいるところなんて、さぞや楽しいことだろう。ぜひご一緒したい!

「この前も、タ方から飲み始めて12時間飲みっぱなし(笑)。2時間ドラマのロケも、夜の飲み会が楽しみなんですよね。なんか、今は仕事もプライベートも充実しちゃっているなあという感じ。残念ながら、色っぽい話はなし、ですけどね(笑)」

2003年 10月21日発売 週刊プレイボーイ 「週刊プレイボーイ」創刊37周年記念
艶姿五人女 美乳袋綴之巻
其の弐 スイート・アイドルが女優に、そして女に転生したとき
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12月号
人気アイドル 「私が脱いだ本当の理由」
「翔んだライバル」で一世を風靡 
辻沢杏子

女優の仕事がしたかったから・・・

でも、カラミの内容は撮影日までほとんど知りませんでしたね

ワンカットごとに気合いを入れながらの撮影です


−ご自身のヌード写真集のコンセプトとかはあるんですか?


「いやらしいヌードはそれ専門でやられていらっしゃる方にまかせて(笑)、女性に見せるための裸を撮りたいという気持ちでやっています。女性としての”品””形”を見せたいという思いでやってる感じですね」


−だったら、現場もすごく冷静な感じで?


「ぜ〜んぜん(笑)。やっぱりヌードって恥ずかしいし。現場ではワンカット、ワンカット、よ〜しっ!って気合いを入れてガウンを脱ぐんです。すっごい集中力がいりますよ、ヌードは」


−杏子ネエさんでもやっぱそうなんだなぁ。すいません、ニヤニヤしながら見てて(笑)。


「フフフ。でも、男性には男性の見方で見てもらえればうれしいですよ」

−ところで、初ヌードのときって緊張しましたか?

「26歳のときだったけど『大奥十八景』という映画で・・・・・・鈴木則文監督が『辻沢をぜひ』って言ってくださって。ヌードになるかならないかはいちばん悩みましたね。応援してくれたファンを裏切る、すべてを裏切る、と思ったの」


−離れていくファンもいる・・・・・・。


「そう。ただ、自分を確立できないと何も与えることができない、ここは乗り越えなきゃいけない・・・・・・。夜も眠れませんでしたね。一応、形だけのオーディションがあって『濡れ場があるんだけれどやれるかね?』って聞かれたときには『やれます!』って即答してました。自分でもおかしかったけど、最終的には、このチャンスを逃したくないって気持ちだったんですね」


−そのとき、カレシはいました?


「彼と別れた直後だったんです。それが決断の最後の後押しに関係しているのは間違いないですね」


−杏子さんにとってヌードとは?


「女優だからできること。女優ってホントに不思議な仕事。映画のときだって、当日現場に行くまで、何をどうやるかなんて全然分からなかった。その場で決まっていく感じで・・・・・・それでもあれだけ大勢の前で脱いじゃうんだから(笑)。でもやるからには、みんなに見てほしいと思うんですよね」

200 5年4月19日発売 週刊アサヒ芸能 総直撃スペシャル300人 「極上いい女」は今
松坂慶子が刺激を受けた「妖艶全裸」
「こういう写真集を出したいと言われたの」
かつては「リンゴちゃん」としてアイドルの座にあったが、四十路を越えてなお、凛とした美しさを保っている。
辻沢杏子(42)の”奇跡の裸体”には、あの大女優さえもが刺激を受けたという。

 ちょうど21世紀に入った’01年に、今まで誰もやったことないような写真集を作ろうと思ったんです。イタリアを舞台に、私も前乗りしてリサーチを重ねる。カメラマンも照明さんもすべて現地スタッフに任せ、どうなるのか予測がつかない形にワクワクしながら撮影を進めました。
 そして完成した「RINASCITA」(バウハウス)は、おかげさまで驚くほどの高い評価をいただきました。その2年後にも同じスタッフとカメラマンで「FANTASTIO」という続編にもつながったんです。
 そうそう、写真集のプロデューサーが「杏子ちゃん、すごいねえー」って言うんですよ。
「何が?」って聞いたら、あの松坂慶子さんが私の写真集を見て「こういうのを出したい」って言われたと。それが「さくら伝説」(バウハウス)って写真集につながったそうですが、あれだけの大女優が後輩のを見て「私も負けない」って思う・・・・あらためて”女優の業”に敬服しましたね。
 では、時計の針を80年代に戻そう。辻沢がブレイクしたのは「翔んだライバル」(フジテレビ)で演じた”リンゴちゃん”という可憐なキャラだ。
 最初は学芸会みたいな単純なラブコメだったんですよ。ところが、最終回までの5話くらい、急にシリアスな純愛ドラマに変わりまして。台本を読んだだけで息苫しくなるような・・・というか、今まで芝居らしい芝居はしてなかったのに、どうするのよって(笑)。
 主演は柳沢慎吾さんだったんですが、ええ、今とちっとも変わらず「口から先に生まれた男」でした。ひっきりなしにしゃべるパワーには圧倒されっぱなしでしたね。
 昨年には念願だった個人事務所を立ち上げ、女優としての「よりよい環境」を整えたという。ヘア写真集で絶賛されたシェイプボディにも衰えはなく、ぜひとも第3弾を期待してしまうが・・・。
 この4月からは昼ドラの「うちはステップファミリ」(TBS)にレギュラー出演しています。今までになくコミカルな役どころですので、ぜひ見ていただきたい。
写真集は・・・うーん、あれは1つのフィニッシュという感じもするのですが、もし、やるなら「10年後でも大丈夫」な意識で、自分を磨く努力はしていきたいですね。