●エナメル
(enamel、仏:エマイユ)
は透明あるいは不透明なガラス質を溶かし金、銀、銅等
の金属板(ごく希には磁器板にも)に焼き付けた物の総称です。古代エジプト人がガラスを
発明する過程で発見し、発展させた物と言われています。案外古いものだったんですね〜
最近はこの古典的技法が、その繊細さと美しさから多いに見直されて来ていて、現行時計
メーカーでも、数少ない職人達を競うように雇い入れ、魅力的なリバイバル作品を登場させて
います。
●さて、一口にエナメルと言っても、その作法・技法は多岐に渡っており、最近では厳密には
エナメルと言えない技法も混同されてそう呼ばれているケースを多々見かけます。
●本来のエナメルの種類にはおおまかに以下の4種と、幾つかの亜系の技法が存在します。
<エナメルの代表的技法>
0.単色エナメル (和:琺瑯、いわゆるエマイユ。後述のポーセリンとはちと違います)
1.シャンルベ (和:象嵌七宝)
2.クロワゾネ (和:有線七宝)
4.ミニアチュール (和:無線七宝、ジュネーブ・スイスエナメル)
※技法的には下方に行くほど難易度が高くなります。
特に爪をパレットにして、特殊な面相筆を用いて描かれるミニアチュールは特に困難なことで知られる
技法で、欧州では宝石と同等の扱いをされる芸術品です。
※エナメル技法は、言葉からも推測される様に、主にフランスを中心に進歩改良されてきた工芸技法
ですが、唯一例外的にミニアチュールはスイスで発達しました。これが別名の由来にもなっています。

●亜系の技法にはおおまかに以下のものが存在し、特に
1.2(場合によっては4も)は、
エナメルと混同されて言葉が用いられる事が多いようです。
<エナメルの亜系技法>
番外1-1.ポーセリン (和:陶板、White China)
番外1-2.ポリクロームエナメル (彩陶、色彩磁器)
番外2. パイヨン装飾 (pillon)
番外3.ニエロ技法 (和:黒金)
番外4.マイクロモザイク (ローマンモザイク)
番外5.ギョシェ彫
番外6.タペストリー彫
<エナメルの代表的技法>
0.単色エナメル (エマイユ)
文字通り、1色で構成されたエナメルです。これは、以下に紹介する三技法の元となります。
まず磨いた金属板に、エナメ
ルの粉と白檀(テレピン)オイルを練ったエナメルペーストを、
ガチョウの羽で作ったハケで均一に塗り、小型の炉で焼成します。この過程を何回か繰り返
していきます。
エナメルは瑞砂(ガラス質)、鉛などから出来ており、元々は無色透明ですが、ある種の金属
化合物(酸化クロムなど)と混ざると様々な色を帯びる事が知られています。
単色とはいえ、発色が焼成温度・時間で大きく変わる事と、エナメル微粉の細かさが出来ムラ
を左右しますのでかなりの熟練を要する技術には変わりません。
本当に微妙な発色を得るためには、エナメルを非常に細かく滑らかに挽く必要があり、簡易
な乳鉢くらいでは足りずに<ある物>を用います。しかし、この方法は秘伝とされます。
2.シャンルベ (象嵌七宝)
後で述べる、ギョシェ彫りや、タペストリー彫りを施した金属板上に、単色エナメルと同様の
方法で透明エナメルを重ねたものをシャンルベと呼びます。
特に地板にイエローゴールドを用いたシャンルベエナメルは、ほの透ける金属の輝きと表面
の透明釉が相まって精妙極まりない発色を見せてくれます。
現在のスイスを代表するエナメル工房であるダンツ氏と関係の深い、ナルダン社が、90年
代にサンマルコクロノメーターと言う腕時計で、この技法を復活させ大きな話題を呼びました。
3.クロワゾネ (有線七宝)
クロワゾネとは仏語で「仕切られる」という意味です。この場合、輪郭を細い金属の平板で
仕切ってエナメル画を描いていく技法を指します。
実際には、18金の地板上に<けがかれた>下絵に沿って、厚さ約0.1mm、幅約1mm程度
の金線をピンセットで折り曲げていきます。
輪郭に沿って曲げた金線を接着用の膠で固定した後、炉で熱処理し接着を強固にします。
金線で仕切られた間にガチョウの羽軸を使ってそれぞれの色のエナメル溶液を、何層にも
重ねて行きます。この際各色毎に熱処理を繰り返します。
仕上げに、ルージュと呼ばれる磨き粉を含ませたやわらかい布を用い、表面を磨き、金線
とエナメルの高さを揃えます。
※写真は、現在を代表するエナメル工房として知られるM.ダンツ工房製のクロワゾネ文字板を持つ現行品
1.下絵に沿って、金線をピンセットで折り曲げていきます
(例はヨハネスケプラーの文字板用原版)

2.エナメルの塗り込み。一色ごとに炉で焼いていきます
3.未研摩のエナメル板 4.研磨後、インデックス
を埋め込んで文字板として完成したもの
4.ミニアチュール(スイスエナメル)
クロワゾネと違い、金線を用いずに,、文字盤に直接筆でペインティングをしていく技法を
こう呼称します。この技法を取り入れたモデルは大変貴重です。
単色エナメルと同様の方法で地色とした金属板の上に、髪の毛数本ほどの太さの絵筆で、
色エナメルを「点描法」で塗りつけて行き、その度に焼いていき色を定着させて行きます。
完成度の高いものはそれこそ想像を絶するほどの時間のかかった芸術品で、歩留まりも
非常に悪く、それこそ顕微鏡の無かった時代のエナメル職人は失明する事も多かったと
記録されています。
ヨーロッパでは、グレードの高いミニアチュールエナメルは、天然宝石と同様の取り扱いを
受けるとされます。
※左)貴重なエナメルに敢えてネジ穴を開けた珍しい例 右)代表的ミニアチュールエナメル技法の拡大図

<エナメル亜系・類似技法>
番外1-1.ポーセリン (陶板、White China)
ガラスの一種であるエナメルとは異なり、カオリン(磁器土)という石質の陶土を、銅製の板
に塗り、高温で焼き上げた物、またはその後に釉薬をかけて仕上げたものをポーセーリン
と言います。価値と言う点からいえば、数回〜数十回の焼付けを要するエナメル技法に比し
て1回の焼付けで済む陶板の方が低く位置付けられるのは止むを得ない事と思われます。
単色のホワイトエナメルと非常に区別が付きづらいのですが、50倍位の実体顕微鏡があれ
ば、表面結晶の形から釉の違いが容易に確認出来ます。

番外1-2.ポリクロームエナメル (彩陶)
中近東産(ラスター彩陶)や、中国を中心とする古代アジアにて発展した色付け陶器の事。
この技法も、もちろん細かな絵画的技法を要しますが、色付け・焼付けは1回で行っており、
敢えて誤解を承知で表現すれば、やはり透明感のある繊細な美しさは多層技法のエナメル
には及ばないと思います。
※左)イギリス懐中でで多く見られた彩陶文字板 右)一見ミニアチュールと判別が難しいHAAS社蓋絵

番外2. パイヨン(pillon)装飾
もともとは金粉を意味するフランス語。ベースとなるエナメル板の上に、金粉あるいは様々な
形にカットされた金箔片を貼り付け、この上に透明な釉を塗って焼きこんだ技法の事です。
18世紀に大流行しましたが、現在ではスイスに個人工房が2つ知られるのみです。
※写真は、T.エンジェルが80年代に手がけたトールビヨンの裏蓋に見られるシャンルベ+パイヨン装飾

番外3.ニエロ技法
深い手彫りや機械彫りを施した金やプラチナの表面に、銅を溶かし込み、表面が揃う様に
研摩した後酸化させ、金と酸化銅(稀に銀)のコントラストを見せる技法をニエロと言います。
元々はアジアで起こった工芸技法ですが、懐中時計やライターを始めとする装身具への装
飾法として一世を風靡しました。

番外4.マイクロモザイク(ローマンモザイク)
この技法を用いた時計は過去にも現在にもほとんど認められません。現行のイタリア時計で
かなり荒っぽい同様の手法で作られたクオーツは存在しますが・・
^^;)
マイクロモザイクは、現在の様な退色に強い画材が出てくる以前に、「発色が劣化しない絵画」
として誕生した技法のひとつです。
実際には、太さ約0.1〜0.2mm・総2万色!からなるガラス棒を地板となる金属板上に敷き詰め
絵画を形成して行きます。
言うなれば「超裸の大将」と言えるでしょう。^^;)
殊にビクトリア時代に隆盛を極めたこの技法も、職人に対し非常に眼を酷使させるものとして
知られており、かなりの失明者を生んだ様です。
日本では、那須のアンティックジュウリー博物館でまとまった数を見る事が出来ますが、実物
をルーペで見ると人間の生んだ奇跡の存在に、ため息しか出ません。
いずれにせよ、ビクトリアン-ローマンモザイクは同様のミニアチュールエナメルの更に数倍の
値段で流通していますが、完品としては数えるほどしか残っておらず、博物館級の工芸品と考
えて間違いないでしょう。
※建築におけるタイル技法や、中近東やアジアで作られた粗悪なものにもローマンモザイクと
呼ばれるものがありますが、今回は美術の世界でmicro-mozaicと言われる物を解説しました。
左)ビザンチン時代のもの 右)ビクトリア時代のもの

番外5.ギョシェ彫、番外6.タペストリー彫
最近は、日本の時計雑誌等でもよく聞くようになった、これらの装飾技法に共通しているのは、
「機械によってパターンを彫り込む」と言う点です。
片やギョシェ彫りは、回転、もしくは規則的に動く旋盤を用いて幾何学模様の繰り返しを金属
板に模様を彫りこんで行く技法。
一方でタペストリーは、目的とする10〜数十倍の大きさに彫刻された板の表面をパンタグラフ
と言われる縮小アームでなぞりながら目的とする金属板に縮小パターンを彫って行く技法です。
両者とも前出のシャンルベ技法のベースに使われる事があります。

●
- 技術的困難さにまつわる追記 -
経験のある方たちには実感して頂けると思いますが、エナメルを描く際、技術的に最も困難を
要するのは実は、「均一な発色を得る事」と「スムーズなグラデーション」を得ることではないで
しょうか。
これには基剤である白壇(テレピン)油の粘度の問題があるためです。非常に粘稠度の高い
液体を使うため、通常の水彩筆で行うような描画法(スマッジタッチ=擦り描き)が使えず、点
を「置く」様な手法に成らざるを得ません。この辺りは陶彩とは全く質を異にします。
すなわち、山下清画伯やスーラの様な点描を、十円玉位の大きさのキャンバスに描いて行くと
思ってもらえば良いかと・・・ ^^;)
これを極端な時は一色毎、部分毎に釜で焼いて行くわけですから、歩留まりは推して知るべし
ですよね。
"本当の意味でプロフェッショナルのエナメル作家は超人的なのです
"
● おまけ
ロマノフ王朝時代、ま〜ったく金を惜しまずに作り上げた煙草入れの蓋を飾ったエナメル画。
一度でもエナメルの作成を試みた人ならば、信じられない程の出来栄えにただ唸るのみ・・

では、ちと疲れましたので本日はこの辺で・・
^^;)
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