−絆− 6

「行ってくるよ」
ともう1回、階下から声をかけ、
午前中の仕事場である整形クリニックへ出勤する。
玄関を出ると、ゆるやかなカーブを描くレンガの小道。
夏になると、この小道の両脇にはラベンダーやセージ、
タイムなどのハーブ類が一斉に咲き誇り、甘い香りを放つ。

我が家は、広いバス通りに面していて、目の前にバス停がある。
バスを待つほんのひとときを、道行く人に楽しんでもらおうと
由加の提案で、この場所をハーブガーデンにしたのは
一昨年の秋だった。
庭を少しひっこめて、バス停を待つ人のために木製のベンチも置いた。

春になると、このベンチの周りは花園のようになる。
夏には、ハーブ類が一斉に芳香を放ち、
わざわざ遠くからハーブを見に来てくれる人もある。

由加はもともと、花を育てるなんてしおらしいことをする女ではなかった。
1日中パソコンに向かう仕事をするようになってからだ。
外の光を浴びたくなったとき、土のにおいが恋しくなると
よく新しい花の苗を植えたり、手入れをしている。
ぽかぽかとお日さまの光を浴びながら 花の手入れをしている時間が
本当に幸せな瞬間なのだと、言っていたっけ。
土を掘り返しながら、新しいアイデアが浮かぶこともあるらしく。

端から見ると…いや、俺の目から見ても、
由加はいつも好きなことを好きなだけ、好きなようにやっている。
そのように、見える。
誰からも束縛されず、自分のやり方で働きたいだけ働き、
休みたくなれば休む。
日本中に…いや、世界中に友達がいるという。
パソコンという魔法の箱を通して、毎日、たくさんの仲間と語り合い、
それこそ泣いたり笑ったり、とんでもない騒動に巻き込まれたりと
それはそれは刺激的でスリリングな毎日だと。

もとはと言えば俺が彼女に勧めたわけだけれど、
本当に贅沢な生き方だ。

そんなことを言うと、決まって

“冗談じゃない…!
納期前には、トイレと食事のときしか席を立つこともできない。
パジャマも着ずに朝を迎える日々が続くっていうのに!”

と反論してくるのだが、
しかし仕事の少ないときは、自分の好きなことをして好きなように過ごしている。
こういうときにこそ、日ごろおろそかにしている家の掃除だとか
たまりにたまったアイロンがけをやってくれればいいと思うのに、
由加は休みの日をそういうことに使おうという気はないらしい。

仕事がない日や、あるいは逆に仕事に行き詰まってしまうと、
彼女はくるっと気分転換に出かけてしまう。
「ちょっと、外に行ってくる…」と言って
カメラ片手に自転車で、近くの森へさっさと1人ででかけていく。
好きな花の写真でも撮りに行っているのだろう。
かと思うと、花の苗をどっさり買ってきて、
治療院の周りを花で一杯にしたりする。
本屋で好きな本を選んだり、
得意なピアノを弾いてみたり。
ほんの1秒もあれば、ぱっと気分を切り替えて
もう違うことをしていたりする。

いかに上手に気分転換をするかが、この仕事を長く続けていく秘訣だ
なんて言っているが、
端からみると、自由きままに遊びながら仕事をしているようにしか見えない。
忙しいときは、倒れてしまうんじゃないかと思うくらい身を削って働いているが、
それが終われば、あとはたっぷりと自分の時間というわけだ。

“誰からも束縛されず、自由に生きられるかわりに、
誰も明日を保証してくれないのよ…”
由加の口癖。



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