−絆− 2
朝のニュースを聞きながら、洗濯物の山を、手近なところから一枚一枚たたみ始める。
まもなく、大樹が起きてきた。
「おっは〜! お父さんっ!」
「うん、おはよう」
相変わらず、朝から元気なヤツだ。
思いっきり飛びついてきたので、あやうく洋服の山に倒れ込むところだった。
もうすぐ小4になるというのに、大樹はいつもこうやって恥ずかしがりもせずに、全身で甘えてくる。
屈託のないまっすぐな瞳。
翼と愛の前ではさすがにちょっとは兄貴の威厳を示さねばならないので、大樹にとっては、朝一番に早起きしてこうやって父親と洗濯物をたたみながら甘えるのが、何よりの楽しみなのだろう。
考えてみると、大樹とゆっくり話ができるのは、朝のこの時間だけなのだ。
翼と愛が起きているときは、大樹の話にいつも2人が先を争って割り込んでくる。
じっくり最後まで話を聞いてやれずに
“ごめん、大樹。またあとでな”
と、後回しにされてしまうことも多くなった。
強力な助っ人が来たので、洗濯モノは大樹にバトンタッチ。
そろそろ、食器洗いという大仕事にかからねば。
たしかに、朝の始まりはやはりぴかぴかのキッチンからスタートしたい。
それはやまやまだが、夜のうちに洗っておかなかったのは確かに自分だし、こればかりはしょうがない。
別に食器洗いは俺の担当と決まっているわけではないのだが、向こうはテコでも洗う気はないらしく、水回り関係からはとっとと手を引いてしまったようだ。
最近、由加も取材を受けることが多くなってきた。
「SOHO」だとか「在宅ワーク」という言葉も、一時ほどもてはやされることはなくなってきたようだが、それでも我が家はなぜか取材ラッシュである。
俺はインターネットという世界にはどうもまだ馴染めないのだが、自宅で働くSOHOなんて、そう珍しくもないだろうに、まったくわけがわからない。
夫の操縦法だの、リストラにあった夫のプライドを守るには…だの、なんだかそんなエッセイを書いているらしいのだが、俺は実は由加の書いたものをまともに読んだことはないのだ。
何か家の中のことまでいろいろ書いているらしいことは聞かされているが、一度言い出したらきかないヤツだということは俺が一番よく知っているのだし、
「こんなことは書いてくれるな」
「みっともないからやめてくれ」
といったところで、はいそうですかと折れるような由加ではない。
逆に俺の狼狽ぶりを話のネタにされるのが関の山である。
だから、基本的にはどこで何を書こうが、自由にさせることにしている。
書きたいことを書き、それでいて必要以上のことは決して言わない、実に合理的な女だ。
だから俺たち夫婦のたわいもない出来事を書いているのだって、たぶん由加には考えがあるのだろう。
とにかく昔から無意味なことはしない計算高さや緻密さが、彼女にはある。
しかし、一つだけ腑に落ちないことがある。
大したことではないと言われればそれまでなのだが、いつから食器洗いは俺の分担になったんだ?
「夫が私より家事が上手で助かっています」だの
「食器洗いは夫の担当」だの、
俺の記憶では、家事の分担をきっちり分けた覚えはないんだが。
別に家の中のことをするのは、イヤではないし苦にもならない。
ん〜、そんなこというと、テキはますます図に乗るだけか…。
「家庭的な夫」「協力的な夫」と呼ばれることに、別に違和感も拒絶反応もないのだが、食器洗いに関しては、一度だって話し合って決めた覚えはない。
大体、家事に関して2人の間できっちりと分担しているわけではなく、そのときできる者ができることを進んでやればいい…という暗黙の了解があるだけなのである。
一見平等で民主的に見えるこの取り決めだが、あとになって、俺は後悔したものだ。
由加は、もしかしたら最初からここまで見通していたのか?
計算高いあいつなら、そのくらいのことはやりかねない。
「そのときできる方ができることをする」というルールは、どう考えたって一方的に俺の側に不利な取り決めである。
由加は、自宅が仕事場なのだ。
俺は、今でこそ週の半分は自宅で開業しているが、
つい最近までは一般病院に毎日通勤していたサラリーマンである。
どう考えたって、家に帰れば、少なくとも俺は患者の治療という<仕事>をする必要はなく、
一方由加の方は、それこそ朝の4時まで仕事に追いかけられている(らしい)。
つまり、自宅という由加の職場の中にいる限りは、
彼女はいつだって「今はできない」と逃げることができるわけだ。
実際のところ、いつもこの手で逃げられている。
…まあ、俺の方もそれを許容しているのは事実なのだけれど。。。
彼女の仕事場であるこの家の中では、由加はいつだって
「今の私にできることはない」
と逃げることができる。
ああ…またしても一杯食わされたか。
俺がそのセリフを吐いて逃げられるのは、突然急患が駆け込んできたときぐらいのものだ。
しかし、外科や小児科医院ならともかく、こんな鍼灸治療院では、そんなチャンス(失礼!)には滅多にお目にかかれるものではない。
HOMEへ戻る 前へ 次へ
Naturalidentity