主婦業って……
私は25歳で出産退職して以来、外に出て仕事をしたことはありません。
いわゆる「専業主婦」であったわけですが、
自分では「専業主婦」であるという自覚があまりありませんでした。
それは、専業主婦期間中もずっと独立のための準備をしていたため、
自分自身は自営業者の感覚でいたためかもしれませんが、
私自身の中に、「主婦業もまたひとつの職業である」というような感覚があったからなのです。
「良い仕事にはそれなりの報酬が伴う」という定義にあてはめて考えてみても、
主婦業という仕事は立派なひとつの仕事ではないかという気がしています。
主婦の立場の人間のことを、「消費者」と呼ぶことがありますが、
これは企業サイドからの見方であり、商品を買って金銭を落としていってくれるから
そう呼んでいるだけのこと。
主婦の毎日の労働そのものは、「消費」ではなく日々何かを生み出す生産的な仕事であるはずです。
良い仕事をすれば良い結果(報酬)が得られる。
この法則は主婦業にも立派にあてはまるのではありませんか?
その報酬は、いますぐに支払われるものではないかもしれません。
しかし、今育てている子供が将来どんな立派な大人になって
世の中で活躍するか、わからないのです。
目に見えないものの価値というのはなかなか認められないのがつらいところですが、
家庭を整え、家族がゆったりとくつろげる空間を整えるということだって、
かならず目に見えない報酬となって返ってくるのだと思います。
もちろん、有能な女性はどんどん社会に出ていって、
薔薇やユリのような大輪の花を咲かせて欲しいと思います。
しかし、可憐なスミレの花のように家庭の中でつつましく咲いている花があっても、
それはそれで美しいのだと思いませんか。
男性と同じようにバリバリ仕事をこなして、社会で活躍する女性が有能であるとか、
女性は家庭に入って夫を支えるのが一番幸福なのだとか、
どちらも極論だという気がしています。
薔薇のような生き方も、スミレのような生き方も、どちらも価値においては差はないと思うのです。
けれど、薔薇やスミレの花自身はというと、どうしても
「自分より向こうの方が美しいのではないか」ということが、
いつも気になってしまうものなのですね。
どちらが上とか下とか、どちらがより美しいかとか、比較することはできないはずなのに・・・。
スミレも薔薇も、それぞれに美しいはず。
それなのに、スミレが薔薇にあこがれて、
(なんて自分はみすぼらしいんだろう。あの大輪の薔薇のように咲き誇りたい)
と思っている、そんな方を時々お見かけします。
もともと持っている「スミレとしての美しさ」に気づかずに
(自分は醜い、みすぼらしい)と思い込んでいるスミレさんたちを見ると、
なぜその美しさに気づかないのだろうかと思ってしまうのは私だけでしょうか・・・。
2000.12.10
Naturalidentity