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キリシタン大名 大友宗麟(そうりん)
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キリシタン大名宗麟の生涯を紹介
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宗麟略歴 |
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大友氏 21代 当主( 1530−1587年)南蛮貿易を盛んにして、豊後の府内を国際交易の拠点とした。戦国大名として豊後 を中心として 九州6国を支配する。54年肥後の菊池氏を滅ぼす。61年毛利氏と門司城合戦,69年肥前で龍造寺氏と戦い,博多にて毛利氏
と再び戦う。78年薩摩の島津氏との日向の高城,耳川の合戦で敗れて衰退する。86年秀吉に島津侵入の救援を大阪城で依頼して 、九州征伐のきっかけを作る。キリシタン大名としてロ-マに82年4月に伊東マンションら少年使節を送る。幼名、塩法師丸、後に新太郎、義鎮, 入道して宗麟、休庵など名のり48歳で洗礼を受けドン.フランシスコに。官位.左衛門督(御所の左の門の警備長官).正4位下.後に大正天皇より従3位下を追贈さる。 ○写真はJR大分駅前の宗麟像。文化勲章受賞の富永直樹氏作。昭和57年11月大分市が大友宗麟らが伊東マンショらを天正10年にローマに天正遣欧使節として派遣した400周年記念の時建立。キリスト教を保護し南蛮貿易をして府内の栄光を築いた大友宗麟の歴史的功績を顕彰した銅像です。 |
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宇佐神宮の焼き討ち |
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宗麟は天正9年11月に養子に出した子息の田原親家を大将に宇佐神宮に兵を送り7000人余の兵をもってこれを包囲し焼き討ちにした。天正6年に宗麟は洗礼を受けて、ドン=フランシスコと名乗っているし、日向に理想のキリスト教王国を建設しょうとしたが、しかし高城、耳川の合戦に大敗して幻となった。これらのことから宗教戦争かと議論のあるところです。清原貞雄博士や渡辺澄夫教授らは宗教的でなく政治的、軍事的に焼き討ちにしたと言う説である。宇佐神宮は豊前の国にあり山口の大内氏の領土であった時代も長くて、又宇佐神宮の宮司の宮成、益永、時枝氏らが毛利方の秋月氏に通じて大友から離反した為等の理由であろう。しかし宗麟は神社、仏閣にかなりの不遜な行為をしているので、キリシタンが故に反神社的行為をして宗教も絡んでいると思えます。参考 大分県の歴史、 山川出版。大分合同新聞、豊前と豊後。
○写真は現在の国宝、宇佐神宮です。全国に四万を超える八幡宮の総本社。本殿は江戸時代後期に作られたひのき皮ふきの’八幡造り” |
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豊後大友氏 |
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中世・豊の国は大友氏が豊後に入国し,蒙古合戦には大友氏ら二豊武士団が活躍した。南北朝の争乱に大友軍は京都周辺まで出陣。戦国時代は大友氏は山口の大内氏と争い、そしてキリシタン大名 宗麟(ソウリン)の時全盛になる。 だが大友家は朝鮮征伐の時の失態で文祿2年秀吉から除国とされ豊の国は小藩分立の時代となる。大友氏は千石の旗本高家、鎌倉以来の名門として幕末まで続く。 管理人リュウタロウは30数年前に九州大学法学部卒業後故郷の大分で会社勤めの合間に郷土史を研究しホ-ムペ-ジにエッセ-を書きました。ご批評をお待ちします。 2003年6月3日new
○写真は大分県臼杵市の小手川酒造の清酒「宗麟」ですが、文化勲章作家野上弥生子さんの実家です。野上さんの説明文に宗麟の直筆と印章とされてる。赤の印章はクリスチャンになったので洋風になってますが、フランシスコの略で、印文はFRCOで、FとRが一字になってます。 |
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宗麟の家族 |
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父=大友義鑑、大友家20代、修理太夫、豊後、筑後、肥後の守護 。側室の子三男を寵愛し宗麟を廃嫡しょうとした為、「二階崩れの乱」で横死。母=氏名も出身も不明。宗麟の少年期に死亡。大友家史料では京都の公家、坊城氏娘しかし山口・大内家史料では大内義隆の姉とある。正妻=2回めは奈多氏。30年間程正妻で義統ほか6人を生むが離婚される。反キリシタンの代表。長男=義統。22代当主。朝鮮出兵の時失態したと豊臣秀吉より領地没収される。関が原戦の時に豊後で兵をあげ回復を計るが失敗。弟=晴英、大内義隆の姉と義鑑の子。その血筋から陶晴賢の申し入れで最後の大内家当主となるが、陶氏に亡ぼされる。
○写真は大友氏の鎧かぶと、大分川の河原で行われたOBS放送の大友市の出品物。大友氏の鎧かぶとのコピーです。背景は大分川で後ろのビルは消しました。(かたずける前に撮影したので後ろに幕が無いため)紋章は大友家の杏葉紋ですが本家当主のでなく一族が使った紋です。 |
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大友宗麟像 |
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宗麟の銅像は大分県内にかなりあります、10ぐらいはあると思います。金色に見える紋は大友家の杏葉です。この銅像は上の写真のJR大分駅前の宗麟像の全体です。宗麟の肖像画は下にのせたものですが、ただ一つ瑞峯院にあり、宗麟の死の直後の天正15年に画かれましたが、その為、実際の宗麟のイメージが伝えられていると思います。その肖像画を見てから現代の宗麟の彫刻が製作されてるようです。その肖像画は現在も宗麟が創建した京都市大徳寺瑞峯院にあり、国の重要美術品です。
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宗麟画像 瑞峯院所蔵 |
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