皆さん、こんばんは。
霧隠@石垣山城派です。

本日、K殿、M殿、M殿と某の4人で神奈川県の津久井城へ行って参りました。

津久井城は、鎌倉時代に三浦一族の津久井氏が築いたお城で、もとの名前は
築井城といったようで、その地名は残っています。

戦国時代は、北条方のお城で、内藤氏が守っていましたが、武田信玄が
小田原攻城戦をして、退却するときに戦った三増峠の戦いのすぐそばの
お城です。が、この戦いには参加せていません(武田方に抑えられて)。

その後は、秀吉の小田原征伐のときに、徳川家康軍に攻められ、落城します。

今は、城山として、立派なハイキングコースになっています♪

登り口は一杯あり、今回はお土産屋もある、津久井湖観光センターから
登りました。ここのお土産屋さんのレジで詳細なパンフをもらえます。
お店の人も「曲輪」とか「空堀」とかの業界用語(お城関係の)が飛び交います。

お昼は、この観光センターからほんのすこし行ったところに、おそばやさんが
あります。

さて、目の前の城山は・・・1週間前の雪が残っている(TOT)
文字通り「雪山」になっており、前途はとっても暗〜く、なかば凍っている
ハイキングコースを登り始めました。

道はよく整備され、とっても登りやすいです(雪さえなければなおグット)。
体力に自信のあるかたは、「男坂」を、のんびり生きたい方は「女坂」を
登りましょう!

今回は、雪もあるので、「女坂」をてくてく登りました。
ゆるやかな道で、大きく山を迂回しながら登っていくので、ほとんど息がきれません。
途中、近い道を行こうとしたら、雪の影響で大木が倒壊しており、行く手を
ふさがれてしまってました。
なかなか篭城軍も守りが堅く、やむなく撤退。
遠回りになりましたが、さらに迂回して馬屋敷、馬場を通って、大手道とも
呼べる「城坂」へ。

ここまで、すでに40分。ここはちょいと急ですが、道は広くて感じがでています。
さらに「車坂」を登ると、休憩所が。ここで小休止し、本城跡を目指しました。

途中、太鼓曲輪を探索し、引橋跡、立派な空堀を堪能しながら、本城跡へ!
そうそう、このお城は立派な竪堀が計8本も走っており、なかなか見ごたえありまする。

本城は標高375mです。途中、道がふさがれていなければ、40分くらいで頂上に
たどりつきます。

一面雪景色の本城を後にし、そのまま、家老屋敷跡にて、石垣探索♪
どこどこ、どこなのだ〜(>_<)
全然それらしきものはなく、M殿とあっちでもない、こっちでもないと
探していくと・・・ついに発見!

このお城唯一の見事な石垣にござりまする。こじんまりと固まっていますが、
400年の崩れることなく、ひっそりと耐えてきたその姿に感動です(ToT)

津久井城にお出での際には、お見逃しなく♪

そのまま、飯縄曲輪を見て、宝ケ池、鷹射場跡をみて、烽火台で記念撮影をして、
すばらしく眺めを堪能して、下山にとりかかりました。
時すでに2時間半が過ぎ去っていました。

すっかり、自信のついた某達一行は、「男坂」を選び、降りました。
途中、鎖やロープをつたって降りる場所もあり、改めて、ここから登らなくて
よかった〜(>_<)と思いました。
体力に自信のあるかただけお奨めします♪

無事、下山した後、三増峠合戦の際に、信玄公が布陣した場所に行きました。
見晴らしのいい、追撃してきた北条軍を迎え撃つには絶好の場所です。

ここで、二万の武田軍は、同じく二万の北条軍(氏照、氏邦)を迎え撃ちます。
通常、城を攻めている側が、撤退をするときは、最も危険で、篭城側の追撃で
こてんぱにやられてしまうのですが、さすが、信玄公。
日本史上最初の山岳戦をみごと制します。

追撃してきた北条軍は武田軍に各個撃破を狙いますが、武田軍は、鶴翼の陣で
迎えうち、主力軍(中央は勝頼)が引きつけている間に、赤備えの山県軍が
志田峠を迂回して、北条軍の背後をつき、挟み撃ちにした瞬間勝負はつきました。

全軍崩壊した北条軍は3000余りの首を取られたようです。ちなみに武田側の被害は
500といわれています。

ただ、武田軍は、付近のお寺や農家を焼き払ったので、ここの地元では人気が
ないようです。

この三増峠にたつと、小説だけの世界が目の前に広がり、やっぱり楽しいです(^^)

すっかり、戦国の世界にトリップして、食事をして、次回のお城攻めの謀議を
交わして、解散しました。

と、長々と書いてしまいましたが、とても楽しい1日でした♪

お車を運転していただいたK殿、改めまして、ありがとうございました。
M殿、M殿もお疲れ様でござりまする。

雪道だったので、寒かったでしょうから、風邪にはご注意下さいね。

それでは、来月は箕輪城を攻めたいと思います♪

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