第73話 細川、荒木の恭順
「申し上げます! 信長、勢田から琵琶湖を渡り、ここ石山に攻め入ろうとし
ております!」
「何! もう攻めてきたのか! まだ、城の普請は半ばしか出来上がっておら
ぬのに…」
「いかがいたしまするか?」
「…やむ終えん、兵の命が大切だ。降参して城を退去いたそう」
2月20日に信長は出発し、26日には石山の城を取り壊させた。
「このまま堅田を攻めよ!」
「ははっ!」
「明智十兵衛はおるか?」
「ここに」
「そちは囲船をこしらえ、湖上から西に向かい攻めよ」
「かしこまりました」
「丹羽、蜂屋は東南の角から西北に向かって攻めよ」
「仰せのままに」
こうして2月29日の午前8時より攻めかかり、正午には堅田を陥れた。
ここにいたって、義昭ははっきりと信長に敵対の意思を明確にした。
それを受けて、京にはこのような落書きが書き付けられ、都の中に立てられた。
かぞいろと やしなひ立てし 甲斐もなく いたくも花を 雨のうつ音
(信長が両親のようになって養育したかいもなく、いま将軍の花の御所にはは
げしく雨のうつ音がするよ)
3月25日。
「お館様! 細川、荒木両名がお館様にお目通りを願ってやってまいりまし
た!」
「ほう、将軍の腹心ではないか。よし、すぐに会おう」
3月25日、信長が京に入洛しようとして馬で出発したところ、荒木、細川は
29日逢坂まで信長を出迎えにやってきた。
「将軍の家臣が何用か?」
「大恩ある信長様に対して義昭公の数々の非道の行い。此度の件もわれ等何度
もお諌め申し上げるも耳を傾けず、もうほとほと愛想がつき申しました」
「細川、そなたもか?」
「はい、義昭様には朝倉を頼ったときからご忠義を尽くして参りましたが、も
うその忠義もむなしくなりました。今後は信長様のお味方をし、忠義を尽く
したいと思います」
「そうか。そちたちの忠義痛み入る。今後は私のために励むように」
「ははっ」
「うむ、それでは、荒木にはこれを取らそう」
「おぉ、これは郷義弘が鍛えた刀では。ありがたき幸せ!」
「細川にはこれを」
「なんと、名物の脇差ではありませんか。大切にいたしまする」
こうして、義昭の家臣だった荒木、細川は信長に寝返ってしまった。
<参考文献>
ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)