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戦国の風雲児〜織田信長一代記〜 第11号 2003年11月20日発行
「第11話 清洲城奪還」
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「甚介も、川尻殿も、三位殿も亡くなってしまわれた…」
清洲城で一人悩む坂井大膳。
「さすがにわし一人で清洲を支配することは無理だな。となると…」
……………………………
「信長、こんなものが大膳から届いたぞ」
「何ですか? 孫三郎叔父上」
「わしと彦五郎の両人がともに守護代になってください。お力をお貸しくださ
い、という内容だ」
「ほぅ」
「大膳もかなり追い詰められてきたようだな」
「で、叔父上はいかがするおつもりか?」
「うむ、そこで、お前と相談なのだが、わしが清洲城をだましとるから、この
尾張の下4郡を於多井川の東と西で分け合おうではないか」
「分かりました」
「それでは、わしは大膳に起請文を書いて、二心のないことを伝えよう。」
弘治元年(1555年)4月19日、こうして、孫三郎は清洲城の南やぐらに入り、
清洲城奪還の謀議を進めた。
翌日。
「ふぅ、これでわしの地位も安泰だな。…ん? なんだこの異様な気配は?」
南やぐらに入った孫三郎に礼をいいに行こうと思った大膳は、身の危険を感じ、
そのまま駿河の今川義元を頼って逃げ出してしまった。
「大膳の奴、おそいな。そろそろ礼をいいに来るころだが…」
「殿! 大膳が城から逃げ出したようでございます!」
「そうか、逃げ出したか。勘のするどい奴だな。まぁ、いい、殺す手間が省け
た。それでは、残った彦五郎を殺すのだ!」
「ははっ!」
「ふふふ、これで尾張半国はわしのものだ」
こうして、彦五郎を追い詰め、腹を切らせ清洲城を乗っ取った孫三郎は、清洲
城を信長に渡し、自らは約束どおり、那古野城に移った。
しかし、この年の11月26日、不慮の出来事で孫三郎は死んでしまう。
こうして、尾張下4郡は信長の支配下に入ることになった。
<参考文献>
ニュートンプレス:信長公記(太田牛一:原著 榊原潤:訳)
角川ソフィア文庫:信長公記(奥野高広、岩沢愿彦 校注)
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【キリのコメント11】
*このページは信長公記との違いや、さらに詳細な説明が書かれています。
お時間に余裕がございましたら、ご覧ください。
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【信長の現在の領地】
尾張下4郡